考えるな、踊れ! 第60回「キリスト祭」で新郷村の郷土史に組み込まれた超史実・古代ロマンを見た!
第60回を迎えた「キリスト祭」は郷土に根付いた歴史遺産となっている。現地ライターも驚いた新郷村のストレンジぶりをレポート。
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エジプト・ギザの大地にそびえる大ピラミッド。その「世界一有名だ古代遺跡」について、近代的な調査・研究が始まってからおよそ200年。これまでに明らかにされたことも少なくないが、それでもなお、数々の矛盾点や説明しきれない謎が残されている。
太古超文明の狩人たちを魅了してやまないエジプト・ギザの三大ピラミッド。なかでも最大規模を誇る第1ピラミッド、通称「クフ王のピラミッド」をとくに「大ピラミッド」とか「グレート・ピラミッド」と呼ぶ。
高さ146.59メートル(現在はキャップストーンが失われて138.74メートル)、底辺各230.37メートル。積み上げた石灰岩ブロックは270万~280万個で、容積は約235.2万立方メートル、総重量は推定650万トン。「古代世界の七不思議」のなかで唯一現存するこの巨大建造物には多くの謎が秘められている。
まずはその方位の正確さだ。正四角錐をなす4斜面は東西南北の基本方位に正確に正対しており、平均誤差はわずか0.05度しかない。
ちなみに、同様に東西南北に正対して17世紀に建造された世界最古のパリ天文台の誤差は0.25度ある。平均2.5トンの石灰岩ブロックを二百数十万個も積み上げて誤差を0.05度内に収めることは、現代の最新建築技術をもってしても不可能といわれるのだ。
大ピラミッドの各部の寸法にも、数学的原理のほか時代性を超越した高度な知識が隠されている。それを最初に指摘したのは、大ピラミッドを初めて精密測量したイギリス人のフリンダーズ・ピートリーで「王の間」の寸法に3辺が3:4:5の整数比になる直角三角形、いわゆる「ピタゴラスの三角形」が織り込まれている、と報告したのだった。
その後、ピートリーの正確な測量データは他のピラミッド学者によっても分析され、大ピラミッドに秘められた驚愕的かつ衝撃的秘密が次々と明かされていった。主なものを列挙すると――。
▼各斜面の面積は約2万1500平方メートル弱で、これは高さ146.59メートルを一辺とする正方形の面積にほぼ等しい。
▼斜面の長さ(辺心距離)186.41メートルを底辺の2分の1(115.185メートル)で割ると1.618で、「黄金比」とか「黄金分割」と呼ばれるφ比例になる。調和のとれた最も美しい比例として建築や美術の分野で多用されてきた黄金分割を初めて用いたのは、紀元前5世紀の古代ギリシアで活躍した彫刻家ペディアスとされる。だが、古代エジプトではそれよりも遥か以前に使用されていたのである。
▼4底辺の長さの合計(921.48メートル)を高さの2倍(293.18メートル)で割ると円周率(π=3.14592……)の近似値になる。すなわち基部全周の長さは高さを半径とする円周率の長さは等しいのだ。
▼円周率πの近似値3.1416から黄金比のφの近似値1.618の2乗を引くと0.5236で、1王朝キュビット(肘尺)0.5236メートル(523.6ミリ)に等しくなる。つまり、「王朝キュビット」という尺度はメートルの長さから導き出された可能性がある。だが、メートル法は18世紀末のフランスにおいて、地球の北極点から赤道までの子午線孤長の1000万分の1を1メートルとする定義されて誕生したものなのだ。
▼土台を含む大ピラミッドの高さ147.09メートルは地球の極半径635万6752キロの約4万3200分の1、ソケット穴(土台の外側四隅にある穴)の外縁を結んだ基部の周長927.72メートルは赤道の全周4007万4840キロの約4万3200分の1、土台の周長925.56メートルは極周の全周3995万6725キロの約4万3200分の1に相当する。
すなわち、大ピラミッドは地球の4万3200分の1の縮尺模型であり、前述の王朝キュビットとメートル法の関連性も含めて推論すると、大ピラミッド
建造者は地球の正確な大きさに精通しており、そこから長さなどの度量衡を創出したと考えるほかはないのだ。
▼4辺の外接円と内接円の差は299.79613メートルで、真空中の光の伝播速度2億9979万2458メートル/秒と数字が酷似している。
ここまで見てきたように。大ピラミッドは数学・地理・物理学などの精密情報を集約し、超高度な建築工学と土木技術を用いて建造されており、まさに驚異の巨大建造物というほかはないが、視線を大ピラミッド内部に移すと、謎の度合いは一段と増す。そこにはミステリアスな「ピラミッド・パワー」が秘められているからだ。
1930年、フランスのアントワーヌ・ボビーが大ピラミッド内部を見学中。王の間に置かれていた観光客用のゴミ入れ缶のなかに腐敗せずにミイラ化していたネズミの死骸を見つけたのが、神秘のパワー発見のきっかけになった。
かなりの湿度があるにもかかわらず、腐敗していないことを不審に思ったボビーは、ピラミッドの正四角錐の形状に注目。ボール紙でピラミッドの模型をつくり、内部に肉や卵などを置いて再現実験を試みたところ、腐敗せずに乾燥化が進んだのである。
その後、チェコスロバキア(当時)のカレン・ドバル、アメリカのラファエル・イフラらが実験を重ね、1970年代にピラミッド・パワーはサイ科学の重要な研究分野として認知され、80年代にかけて大ブームを巻き起こした。
その間に行われた各種実験の結果、脱水、腐敗の抑制、カミソリの刃の寿命延長などの作用、静電気の発生、瞑想・ヒーリング、植物の成長促進、食品の味をマイルド化する効果などが確認されたという。
フランスのナポレオン・ボナパルトが大ピラミッドの王の間で体験した神秘現象は、このピラミッド・パワーと関係があるらしい。1798年、フランス軍を率いてエジプト遠征を敢行し、ピラミッドの戦いでオスマン・トルコ軍を突破したナポレオンは、従軍させていた多数の科学者や技術者を動員して大々的なピラミッド調査を行った。そのおり、自身も内部に足を踏み入れ、王の間で未来の幻を見た、と伝えられているのだ。
ただし、ピラミッド・パワーの源は判然としていない。円周率や黄金分割を用いた形状に秘密があるともいわれるし、太陽エネルギーや地磁気が関係しているとする説もあるが、立証までには至っていない。
また。疑似科学と見なされがちなせいもあり、現在では1970~80年代のように話題になることは少なくなっている。
そして建造方法も大ピラミッドの大きな謎のひとつだ。
諸説が主張されているが、主なものは①直線型傾斜路説、②螺旋状傾斜路説、③内部トンネル説の3説。
①と②は日干しと煉瓦と土などで作業用傾斜路をつくり石材を運び上げたとする説。③は近年にフランス人建築家ジャン・ピエール・ウーダンが提示した新説で、途中まで傾斜路を用い、それ以降はピラミッドの縁に沿って螺旋状の内部トンネルをつくりながら石材を運んだとする。①、②の難点をクリアした斬新な仮説として大きな反響を呼んだことは記憶に新しい。
とまれ、謎多きこのピラミッドはエジプト第4王朝のファラオ(君主)だったクフ王(在位=紀元前2571~同2508年)の墳墓として紀元前2560年ころに20年前後の歳月をかけて建造された、とアカデミックのエジプト学は教えている。
しかし、賛意を示す研究家は少ない。太古超文明の狩人たちもこぞって異を唱える。前記した多数の謎に加え、クフ王墳墓説を根底から覆す数々の証拠があるからだ。
大ピラミッドについて最初の記述を残したのは古代ギリシアの歴史家ヘロドトスで、その著作『歴史』に「大ピラミッドはクフ王の墓である」と記している。だが、ヘロドトスの記述がなされたのはクフ王の時代から2000年以上を経た紀元前5世紀で、しかもエジプト神官から聞いた話だ。いうなれば古代の伝説・伝承の類の聞き書きであり、史料的価値はきわめて乏しく正確さに欠ける。
アカデミックのエジプト学がクフ王墳墓説の有力証拠とする、大ピラミッド内部で発見されたというクフ王の「カルトーシュ(ファラオ名のサイン)」にも、問題がある。1837年、イギリスの陸軍大佐ハワード・ヴァイスが「重力拡散の間」で偶然に発見したとされているが、いくつもの疑惑が指摘さてれているのだ。
クフ王や王のファラオのカルトーシュは通常、石か木材の表面に彫られている。ところが、ヴァイスが発見したものは赤い顔料で記され、しかも壁に近い末端部が不自然に途切れていた。
信憑性が問われるのは当然だろう。現に、20世紀初頭のエジプト学者でカルトーシュ研究の第一人者として著名なアラン・H・ガーディナーはヴァイスの発見を完全黙殺し、一顧だにしなかった。宇宙考古学者として名高いゼカリア・シッチンも大きな疑念を抱き、ヴァイスによる捏造説を展開して徹底糾明している。
また、1857年に大ピラミッドのそばのイシス神殿の廃墟から発見された「インベントリー稗板(「明細目録稗」とも)」には、クフ王の時代にすでに大ピラミッドが存在していた、と読み取れる記述もなされている。
それだけではない。通常なら必ず存在するはずの墓誌も大ピラミッド内にはなかった。王の間の石棺にはあるべき蓋もなく、ファラオのミイラも安置されていなかったし、副葬品のかけらも存在していなかったのだ。
クフ王分後説を完全否定する科学的検証結果ある。
1986年、大ピラミッドの建造年代を調査すべく、史上初めて放射性炭素(C14)測定を行った結果が公式発表された。測定したのはエジプト考古庁、スイス連邦技術大学、ワシントン大学などからなる国際チーム。測定用試料は切り石ブロックの接合に使われ、有機物質を含有していたモルタルで、試料数は15。測定結果は紀元前3809~同2869年で、平均年代は紀元前3040年。最大で1250年近くも古い時代にさかのぼったのだ。
古代エジプト文明は紀元前3000年ころにはじまったとされる。放射性炭素測定によって示された最古の数字が正しく、紀元前3800年ころに大ピラミッドが建造されたのなら。通説にいわれるよりも遥か以前、エジプトには超高度な文明が花開いていたことになる。
それだけでも驚きだが、さらに超古代、しかも想像を絶する建造年代を主張している研究家がいる。『オリオン・ミステリー』を著したロバート・ボーヴァルとエイドリアン・ギルバートだ。
ふたりは、ギザの三大ピラミッドの配置とナイル川の位置関係が、天空のオリオン座の三つ星と天の川の関係を地上に再現したものだと考えた。だが、精密に計算すると、三大ピラミッドおよびナイル川と現在のオリオン座の三つ星、および天の川との相対位置関係には絶妙なズレがあった。そのズレの原因が2万5920年周期で起こる歳差運動にあると考えたふたりは、歳差運動のプログラムを用い、天空の時代変化のコンピューター・シミュレーションを試みた。
その結果、にわかには信じがたい驚愕的な数字が弾き出された。三大ピラミッドとナイル川の相対位置が、オリオン座の三つ星と天の川のそれと正確に合致する年代は、なんと紀元前1万450年ころだったのだ。
「眠れる予言者」として知られるエドガー・ケイシーもまた、大ピラミッドの建造は紀元前1万400年ころにはじまったと透視している。この奇妙な暗合をどう理解すればいいのだろうか……。
しかも、アメリカのローレンス・バークレー国立研究所のリチャード・ファイアストンらの研究によると、大ピラミッドが建造されたとされる1万2500年前、超新星の爆発を原因とする宇宙線の巨大衝撃波がごく短時間ながら地球を襲い、甚大な災厄をもたらした。そのおり、二次的に生じた大量の熱中性子が放射性炭素による年代測定時に実際より若い年代を示させることになった、という。
とすれば、放射性炭素によって測定した前記の大ピラミッド建造年代は、さらに古い時代へさかのぼる可能性が高くなるではないか。
それだけではない。1万2500年前といえば、生物の大絶滅があり、氷河期が終結し、地球磁場が逆転し、アトランティス大陸が貝没したとされる年代でもあり、大ピラミッドと密接に関連する何らかの重大異変が起こった可能性を否定できなくなるのだ。
その重大異変はおそらく、大ピラミッド建造の目的に繋がるものだろう。では、その目的とはいったい何だったのか。クフ王の墳墓でないことはもはや明白だろう。
ほかに神殿説、天文台説、宇宙エネルギー・コントロール装置説、異星人のビーコン説、太古超文明の叡智収蔵庫説、発電マシン説、宇宙エネルギー兵器説……など多種多様な説が唱えられているが、いずれも定説とはなりえていない。
とはいえ、それが地球起源なのか、異星人がもたらしたものなのかは議論の分かれるところだが、建造者が太古超文明の担い手だったことだけは間違いない。
そうした謎も含めて、大ピラミッドに秘められた多数の謎を完全解明するには、大ピラミッド単独ではなく、カフラー王の第2ピラミッド、スフィンクス、神殿などを加えた「ギザ複合体」という視点で考究する必要があるだろう。
(月刊ムー2016年10月号掲載)
藤島啓章
ライター。ムーにて基礎知識連載「世界ミステリー入門」などを担当
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