バアル神を祀った巨大神殿遺跡「太陽の都」はいかに建造されたのか? 「バールベックの巨石」の謎
地中海に面した中東の国レバノン。 岐阜県ほどの面積しかないこの小国に、謎のオーパーツ「バールベックの巨石」が存在する。 現代の技術では持ちあげるどころか、動かすことすらできないこの超巨石を目指して、世
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紀元前4世紀、地中海からインダス川に至る大帝国を築いたアレクサンドロス大王。 彼は自らの名をつけた都市を各地に建設したが、その最初の都市がエジプトのアレクサンドリアである。 そして、そこに設けられたアレクサンドリア図書館には、世界中の文献が収集され、古代世界における叡智のすべてが結集していた。 大王がこの地にこのような図書館を作らせた理由――そこには、あの伝説の大陸アトランティスが深くかかわっていたのだ!
マケドニアのアレクサンドロス大王。わずか10年間で、西は地中海世界から東はインダス川に至る広大な地域を版図に収めた不世出の英雄は、征服地の70余か所に、「アレクサンドリア(”アレクサンドロスの都市”の意)」という同名の植民都市を建設した。
イッソス湾のアレクサンドリア(トルコのイスケンデルン付近)、アラコシアのアレクサンドリア(アフガニスタンのカンダハル付近)、アレイアのアレクサンドリア(同ヘラート)、エスカテのアレクサンドリア(タジキスタンのホジェンド)……などがそれだ。

その第1号都市はエジプトに建設された。
大王はペルシア、アナトリア、シリアを戡定(かんてい)し、エジプトも征服した直後、首都メンフィスからナイル川を下り、河口の三角州地帯を自ら詳しく調査。三角州の西端近く、北にファロス島を控え、南にマレオティス湖をたたえた漁村ラコティスに、アレクサンドリアという名の新都市を築くように命じたのだった。
新都市の基本設計は大王自身の手によって行われ、紀元前331年1月に建設がはじめられた。総責任者はロードス島の建築家ディノクラテスである。
大王自身はその後、さらに東方遠征をつづけるべくエジプトを離れ、アレクサンドリアに戻ることなく、紀元前323年6月10日に33歳で亡くなった。
都市建設はしかし中止されることなく、エジプトの王位に就いた後継将軍のプトレマイオス1世ソテルによって続行され、プトレマイオス2世フィラデルフォスの治世にほぼ完成した。

今はエジプト第2の都市として知られるこの計画都市は、他の同名都市のほとんどが消滅したあともプトレマイオス朝の首都として、というよりは古代世界の商業、工業、科学、芸術などあらゆる分野の中心地として繁栄をほしいままにし、盛時の人口は100万を数えた。
市街地は東西約5.5キロ、南北約1.5キロ。東西および南北に貫通する幅員60メートルの2本の幹線道路と、それと平行する道路網によって、市街は碁盤の目のように整然と区画されていた。
沖合に浮かぶファロス島と市街は「ヘプタスタディオン」と呼ばれる長さ約1.3キロの大突堤で結ばれ、島の東端地域には160メートルの高さを誇る大灯台が聳立(しょうりつ)していた。古代世界の七不思議のひとつに数えられる「アレクサンドリアの大灯台」である。

都市の中心部は「ブルケイオン地区」と称された。王室およびギリシア人の居住区域であり、王宮以下、アレクサンドロス廟、各種神殿、行政府の庁舎、大劇場、商品取引所など広壮な建築物が並んでいた。

アレクサンドリアは古代世界の”叡智のセンター”でもあり、その中核をなしたのは、同じブルケイオン地区に設けられた「ムセイオン(Museion)」と「アレクサンドリア図書館」だった。
ムセイオンとはミューズ=ギリシア神話における芸術と科学の9人の女神の神殿の意で、博物館(Museum)の語源になっている。
王立のアレクサンドリア図書館は、世界中の文献の収集を目的に建設された古代最大にして最高の図書館で、蔵書数はじつに70万巻にのぼった。全ヨーロッパの蔵書数がこれに匹敵する量に達したのは、1500年後に活版印刷が発明されてからというから、驚くべき数字というほかはない。

蔵書にはホメロスやヘシオドスの完全版、アイスキュロスやソフォクレスの全戯曲など多くの作家や思想家の著作、学術書などがあったとされるが、実態は明確ではなく、収集方法に関していくつかの逸話が伝えられているだけだ。


プトレマイオス朝当時、アレクサンドリアに入港した船に積まれていた全書物をいったん強制的に没収し、所蔵する価値があるかどうかを精査。所蔵の決定を下すと写本を作成した。そして原本は蔵書にし、写本を持ち主に返して補償金を支払ったという。
こんな話もある。
アテナイの図書館はアイスキュロス、エウリピデスらの貴重な自筆原稿を門外不出指定にして所蔵していた。それらをアレクサンドリア図書館の蔵書目録に加えるべく、プトレマイオス3世エウエルゲテスは大金を担保として借りだすことに成功した。だが、原本の返還要求には応じず、莫大な額の違約金とともに写本だけを返したといわれる。
書物収集のためには強引な手段を採り、万金を費やした。その結果が文学、地理学、数学、天文学、医学などあらゆる分野の蔵書70万巻という膨大な数字につながったのである。
ただ、アレクサンドリア図書館はたんなる文書記録類の保管所ではなく、最古の学術の殿堂であり、一大学術・研究機関だった。
ために、世界各地から名だたる”知の巨人”たちが訪れ、あらゆる知的創造の原点として隆盛をきわめた。
アルキメデスがポンプ装置を発明し、ユークリッドが数学の基礎を確立し、アリスタルコスが太陽を中心とする太陽系の構造を発見し、エラトステネスが史上初めて地球の外周距離の算出に成功したのは、ここアレクサンドリア図書館においてだったのである。


幾何学のエウクレイデス、天動説の大家プトレマイオス、自然科学者のヘロフィロス、文献学者のゼノドトスやカリマコスらもまた、ここで研究生活を送っている。
この大図書館は当初からプトレマイオス朝の手厚い保護を受け、同王朝滅亡後はローマ帝国によって同様に保護されたため、ローマ帝政時代も輝かしい光彩を失うことはなかった。
1世紀ごろには哲学者フィロン、2世紀末から3世紀にかけては新プラトン主義の創始者アンモニオス・サッカス、その門弟のプロティノス、キリスト教神学者オリゲネスらが輩出し、ヘレニズム文化は百花繚乱を誇った。
キリスト教とギリシア哲学やオリエントの神秘思想を融合させたグノーシス派の主要思想もここで生まれた。
西欧科学の基礎が築かれ、オカルト思想が萌芽したのはアレクサンドリア図書館だったのだ。
だが、壮大だったと思われる図書館の規模や構造に関してはいっさいわかっていない。遺跡や遺構など、現存するものは何もないからだ。
終焉についても謎が多く、諸説が唱えられている。
最も古い説では、プトレマイオス朝末期の紀元前48年にさかのぼる。ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)の侵攻時、入港した艦船の火災が延焼して一部が破壊された。だが、その後にローマ帝国のもとで再興されており、実際の消失はそれ以降のことのようだ。
後年説としては、270年代のアウレリアヌス帝時代の内戦勃発時、391年のセパレウム破壊のおり、415年のヒュパティアの虐殺のおり、あるいは642年のサラセン帝国(イスラム帝国)によるエジプト征服時などの破壊説がある。だが、そこには何百年もの幅があるわけで、消滅時期については確定できていない。

消滅原因についても大地震説、火災説、焚書(ふんしょ)説などがある。
焚書説によれば、エジプトを征服したイスラム帝国の将軍アムルーが、国王オマル1世にアレクサンドリア図書館の処分について意向を尋ねたところ、「蔵書が聖典のコーランに反した趣旨のものなら有害である。またコーランと同一趣旨のものなら必要ない。いずれであれ、焚書せよ」と命じた。
そこでアムルーは、蔵書を市内4か所の浴場の燃料にしたが、すべてを燃やし尽くすのに半年を要したという。
ただし、この焚書説は13世紀の創作だともいわれており、世界最古最大のアレクサンドリア図書館の最期は今も謎に包まれている。
最期だけでなく、誕生にも大きな謎がある。
新都市アレクサンドリアおよび大図書館の建設はアレクサンドロス大王の命令によるものだった。その前段階として、大王がナイル川河口の三角州地帯を自ら調査し、新都市建設地としてラコティスに白羽の矢を立てたことは先に記したとおりだ。
では、大王はなぜ、同地を選んだのか。同じナイル三角州のサイスの町には女神ネイトの神殿があり、パピルスの古文書多数を所蔵していた。じつは、そこにこそ大王の選地の大きな秘密が隠されていたらしいのだ。
紀元前6世紀、ネイトの神殿を”ギリシアの七賢人”のひとりとして名高いソロンが訪れた。ソロンといえば、即座に何かを想起しないだろうか。そう、あのアトランティス物語だ。
ソロンはネイトの神殿の神官から沈没大陸アトランティスの話をつぶさに聞いたのである。

ソロンが聞いたアトランティス物語は、残念ながら現在に伝わっていないが、それからおよそ100年後に哲学者プラトンが著した対話篇『ティマイオス』と『クリティアス』に断片が残り、それがアトランティスに関する最古の文献資料になっていることは周知のとおりだろう。
プラトンは80歳でこの世を去り、アトランティスに関する著述も未完に終わった。ために、アトランティスは幻の大陸と化し、その秘密の大部分も永遠に封印されてしまったとされるが、はたしてそうだったのか。
プラトンには何人かの弟子がいた。筆頭高弟は哲学者アリストテレスである。

そのアリストテレスは、紀元前343年、13歳のアレクサンドロスの家庭教師になり、以後7年間にわたって教育にあたった。
この事実は、きわめて重要な意味を持つ。ソロン→プラトン→アリストテレスと語り伝えられてきたアトランティスの秘密が、アレクサンドロスにも伝授された可能性がきわめて高くなるからだ。

こう書いてくると、当然反論が起ころう。アリストテレスは、師のアトランティス物語については先鋭的なまでに批判的であり、ソロンやプラトンを激しく批難しているからである。
だが、そこには作為があったのではないか、と橋川卓也はいう。アリストテレスはアレクサンドロスひとりにアトランティスの秘密を伝授すべく、あえてソロンやプラトンを批難した。つまり、アレクサンドロス以外のだれかがアトランティスに関心を抱くことを阻止しようとしたのではないか、と推測するのだ。
実際、当時の学者の多くはアトランティスには関心を示さず、海中に没した大陸の物語は、以後、話題にのぼることもなくなった。
だが、アレクサンドロスは同時代人として、おそらくはただひとり、アトランティスの秘密を知っていた。とするなら、アレクサンドリア建設の真意も理解できる。
一般には、地中海世界とアラビアやインドとの交易の中心となる商業都市を建設しようとしたとされるが、それだけではあるまい。
アトランティスの首都ポセイディアはウォーターフロントに築かれていた。アレクサンドリアもしかり。すなわち、アレクサンドロスはポセイディアに模した新都市を建設し、海没した超文明国家を範とする理想の世界帝国を築こうとしたのではなかったか。

大図書館の建設も、その意図に沿うものだったのだろう。エジプトはアトランティス帝国の数ある植民地のひとつだった、というのが研究家のほぼ一致した見解だ。
とするなら、アトランティスの叡智はエジプトへももたらされていたに違いない。海没時、生き延びてエジプトへ逃れてきた人々が携えてきた叡智もあったろう。
それらの叡智は、ネイトの神殿などに保管された。ソロンは神官からアトランティスの話を聞いただけでなく、それら記録文書を見せられた可能性が高い。
そして、ソロン→プラトン→アリストテレスの伝授ラインでそれを知ったアレクサンドロスは、アトランティスの叡智を保管する場所として大図書館の建設を構想したのではなかったろうか。
アレクサンドリア図書館が消滅してしまった今、それら叡智の具体的内容については知る術はない。が、ヒントは残されている。
一例をあげよう。「ピリ・レイス地図」。南アメリカ、西アフリカの一部に加え、氷床下の南極大陸の一部を形成する海岸線を描いたこの地図は、1513年に20枚の古地図をつなぎ合わせて制作された。その古地図は、かつてアレクサンドリア図書館に収蔵されていた、とする説がある。

1665年に出版されたアタナシウス・キルヒャー著の『地下世界』に掲載されている地図にも注目したい。アトランティスの位置を描いたこの地図は、ローマ人がエジプトを征服したときに国外へ持ちだされ、17世紀になってキルヒャーが再発見したといわれる。この通称「キルヒャーの地図」もまた、アレクサンドリア図書館の所蔵品だったのではなかったか。
とまれ、2002年、古代アレクサンドリア図書館跡と推定される場所に、エジプト政府とユネスコが共同で建設した「新アレクサンドリア図書館」がオープンした。地中海諸国の文献や古代の希少本を収蔵する大図書館である。
古代図書館の再建・復興でもあるが、散逸もしくは秘匿されたと思われるアトランティスの叡智が、再びそこに収蔵される日がやってくることはあるのだろうか……。

●参考資料=『謎の古代都市アレクサンドリア』(野町啓著/講談社)、「アレクサンダー大王と超文明の謎」(橋川卓也/「ムー」43号所収)、「甦る古都アレクサンドリア」(宇佐和通/「ムー」195号所収)ほか
(月刊ムー2011年4月号初出)
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