フィリピン革命を支えた最強呪物「アンティン・アンティン」を入手! フリーメイソンの指導者も愛した戦士の護符

文・写真=伊藤拓馬

    フィリピンのカトリック教会の近く、不思議な物品が集まる市場を訪れた筆者。プロビデンスの目をモチーフとした「戦士の護符」を手にした筆者は、フィリピン独立に暗躍した秘密結社の存在を知る。

    キアポ教会前の呪物市場

     フィリピン・マニラの下町地区にあるキアポ教会は、1582年建立されたカトリックの名刹で、国民の間では聖地とされている。
     この教会は黒いキリスト像のブラック・ナザレを本尊としており、連日多くの参拝者を集めている。
     教会周辺の細い路地には無数の露店が立ち並び、奇妙な形の石や瓶詰の毒々しい色の液体、棘だらけの蔦、数種の乾燥植物と十字架が入っている小瓶、手の形をした薄気味悪い小枝といった不思議なものばかりが売られている。

    キアポ教会の聖堂中心部にはブラック・ナザレが設置されている。
    キアポ教会。
    市場では主に呪術に使う材料が販売されている。ここは呪物市場でもあるのだ。

     現地を訪れたとき、私はそれらの怪しげな商品を見て、この門前一帯が「呪物市場」であると気付き、露店主に様々な質問を繰り返した。

     カトリックの聖地であるキアポ教会の前にも関わらず、売られているものは教団側から異端視されているフィリピン魔術の用品ばかりであった。中には、宗教的に禁止されている中絶誘発の民間薬も売られており、このような教義に反する品々が教会門前で堂々と販売されていることに大きく驚いた。

     特にその中で目を引いたのが、三角形や六芒星の中に大きく見開いた目がある不気味な首飾りである。
     これは、まさにプロビデンスの目をモチーフにしたものに違いない。

    いわゆる「プロビデンスの目」の首飾りもあった。

     プロビデンスの目は全てを見通す神の目という意味で、キリスト教でも意匠などに使われている例があるが、フリーメイソンの紋章にもなっている。
     フリーメイソンといえば、カトリック教団と激しく対立してきた長い歴史があり、2023年にもバチカンから信者のフリーメイソン入会を禁止するという意見書が、教皇フランシスコの署名付きで発表されている。

     フィリピン諸族は、1565年にスペインによる本格的な入植と支配が開始される以前は、アミニズム信仰やイスラム文化が身近にある生活を送っていた。しかし、スペインが侵略と支配にキリスト教を用いたことから、現在、国民の83パーセントがカトリック教徒となっている。

     そのようなカトリック大国である筈のフィリピンの教会前で、あきらかに教義に反する呪物ばかり売られている。そして、フリーメイソンを連想するプロビデンスの目の首飾りも多々、市場で扱われているとは、一体どういうことなのだろうか?

     などと様々な疑問を抱えながら人ごみの路地を彷徨っていると、辺りが暗くなり、あやしい人もしつこく付きまとってきたので、この場所を後にすることにした。キアポ教会前のこの路地は、物乞いやストリートチルドレンが多いだけでなく、スリやひったくりが頻発しており、現地人の間でも治安がよくない場所とされている。

    願いを叶えるキャンドルが効能別に並ぶ。

    戦士の護符「アンティン・アンティン」

     帰国後、この疑問を解決すべく、露店で買った首飾りを携えて尊敬するフィリピン専門家の大学教授に色々と尋ねてみた。すると、この首飾りは「アンティン・アンティン」というもので、戦士の護符としてフィリピン革命の際に使われていたとご教示いただいた。

     アンティン・アンティンは、古くから伝わる装身型の護符であり、スペイン植民地化以前からフィリピン群島全域に存在していた。この言葉は、インドネシア語でもイヤリングの意味として使われており、マレー人社会の伝統的な装飾品との関連性が指摘されている。

     スペイン統治によりキリスト教の概念が取り入れられたが、南部のムスリム諸族の間にはイスラム型のものや、フィリピンの土着信仰で最高神とされる「バタラ」のデザインのアンティン・アンティンも存在するという。

     現在でも、ヒーラーや呪術師によって悪魔祓いや呪いの解除に使われているほか、病気治癒や幸運、成功祈願などのお守りとしても活用されている。
     そもそも、この護符は身に付けると相手の攻撃を跳ね返す力があると長年信じられてきた。
     具体的には、銃の弾丸をそらす能力や刀で切られても傷がつかない、敵の前で身体が透明になるなどの作用があるという。
     このような効果から、フィリピンでは戦士が闘う時にアンティン・アンティンを身に付けるのが古くからの伝統だったのだ。

     アンティン・アンティンはフィリピンでは誰もが知る呪物で、革命期にアントニオ・ルナ将軍を銃弾から守った伝説や、冷戦期のマルコス大統領が、独立教会の指導者より姿を消す力を持つアンティン・アンティンを授かった逸話などが広く知られている。

     しかし、この護符は、ただ身に付けるだけでは効果がなく、特殊能力を発揮するには祈りを伴った儀式が必要とされる。
     この祈りの呪文は「オラシオン」というもので、護符を活性化する為に唱えられる。
     オラシオンにはいくつか種類があり、それぞれ作用する内容が異なっている。これらの呪文を聖金曜日に特定の墓地などで唱えると、アンティン・アンティンに特別な能力を備わるという。

     このため、アンティン・アンティンの所有者は、聖金曜日に墓地に集まり儀式を行うことが多いそうだ。儀式には一般の所有者だけでなく、ヒーラーや呪術師が参加してオラシオンを唱えることもある。
    かつては、流産した胎児や洗礼前に亡くなった嬰児の亡骸を使用したり、聖水曜または聖木曜の深夜に墓地で精霊から効力を授かる方法もあったという。

     アンティン・アンティンには、プロビデンスの目のデザインが多く見られる。「トレスピコ・ソロ・マタ・メダリオン(三角の一つ目メダル)」や「トレスピコ・メダリオン(三角メダル)」と呼ばれているデザインだ。
     この三角型の護符は、「サンティシマ・トリニダッド」と呼ばれる三位一体をモチーフにしたものの一種となっている。三角メダルに使われているプロビデンスの目は、キリスト教の三位一体の象徴であるが、フリーメイソンのシンボルでもある。

     アンティン・アンティンの形態は三角形以外にも様々な種類があり、素材も多種多様となっている。
    また、フィリピン革命で戦士が身に付けていたものも、三角メダルだけでなく、土着信仰やカトリックに由来したものが多く見られる。

    秘密結社カティプーナンとフリーメイソン

     現在でもアンティン・アンティンは呪術の護符として使われているが、かつてはフィリピン革命で闘いの際に用いられていた。

     フィリピン革命とは、19世紀末に開始されたスペイン統治からの独立闘争と、米西戦争後のアメリカ支配への抗戦である。
     スペイン植民地下において、フィリピンの現地人には言論や出版、政治活動の自由が認められていなかった。当時の支配者であるカトリック教会や修道士の現地人に対する扱いは低く、現地人は理不尽な搾取と差別に晒されていた。19世紀後半、この現状を打破すべく、スペイン在住のフィリピン人活動家と留学生を中心に「ラ・ソリダリダード(団結/結束)」という組織が結成され、言論を通して宗主国に植民地フィリピンの窮状を訴えていった。

     スペインで発行された同名の新聞「ラ・ソリダリダード」の編集者であるグラシアーノ・ロペス・ハエナやマルセロ・ヒラリオ・デル・ピラール、寄稿者のホセ・リサールといった主要なメンバーは、いずれもフリーメイソンの会員であったことが知られている。
     また、このフィリピン・プロパガンダ運動に影響を受け、武力闘争でスペインからの独立を目指す秘密結社カティプーナンを設立したアンドレス・ボニファシオもフリーメイソンの会員であった。

    アンドレス・ボニファシオの像。フィリピンではスペインからの独立戦争に尽力した英雄として知られる。

     1892年7月に設立されたカティプーナンは、組織形態や儀式の方法など、様々な面でフリーメイソンを模していたといわれている。
     さらに、カティプーナンの指導者であり、後のフィリピン第一共和国で大統領を務めたエミリオ・アギナルドも革命参加前にフリーメイソンに入会しているほか、カトリック司祭から革命活動に身を転じ、フィリピン人主導による独立教会の初代指導者となったグレゴリオ・アグリパイも1918年にフリーメイソンの会員となっている。

     つまり、フィリピン革命の指導者の多くがフリーメイソンに属していたのだ。

    革命の軍事作戦を立てるカティプーナンを描いた図。
    カティプーナンの印章は定規とコンパスを使ったデザインで、フリーメイソンの影響がうかがえる。

     当時、スペインが支配するメキシコやキューバ、ベネズエラなどの南米植民地でも、独立運動の代表的な指導者がフリーメイソンに属していたことが知られている。
     このことから、当時カトリック教団と激しく対立していたフリーメイソンが、カトリックの影響が強いスペインなどの植民地の指導者に対し、積極的に啓蒙思想を普及していた可能性が考えられる。

     事実、1889年にマドリードでフィリピン人メイソンを中心とした「ヒスパニコ・フィリピン協会」が発足しており、団体の主な目的は、自由、平等、友愛の理念に基づき、フィリピンの改革のために闘うことであった。そして、この協会の会長には、反聖職主義を唱えていたフリーメイソンの初代スペイン・グランドマスターであるミゲル・モライタが就任している。ミゲル・モライタはスペイン人の歴史学教授、政治家であり、スペイン国内で最も知られたフリーメイソンの一人といわれている。

    フィリピン革命の指導者とフリーメイソン

     フリーメイソンの啓蒙思想に影響を受けたプロパガンダ運動や武力を伴わない変革思想は、スペイン語を理解するエリート層の間で多く唱えられたが、農村や労働階級、中間層の多くは、この独立闘争を民衆カトリシズムを根底とした民族主義的な革命として捉えていた。これは、貧しく無学で身分の低いキリストが、ローマ貴族や兵士に迫害される受難の様子を、自らの境遇に投影した為だといわれている。
     さらに、貧しく学も無いキリストの弟子たちが、イエスに選ばれ使命を得たという物語も、困窮した無学の庶民に自由と平等という大義を与えたと考えられている。

     実際にアンティン・アンティンを身に付けて独立闘争を戦った者の多くは、カティプーナンや政治・宗教結社に参加した一般大衆の戦士たちであり、その根底には現地の民衆に浸透していた「キリスト受難詩 (パション)」の影響があったといわれている。

     フィリピン革命とアンティン・アンティンについて、指導者の背景や一部の護符の形状からフリーメイソンが全てに関係していると判断してしまいがちだが、多くの庶民層は民俗信仰や民族主義、解放思想などを土台に独立革命を闘っていたのである。

     一方で、フィリピン革命にフリーメイソンの多大な影響があったのは、紛れもない事実だ。
     そして、革命に用いられた護符にフリーメイソンの痕跡が残されていても、不思議ではないだろう。
    現在でも多くの謎を残しつつ、アンティン・アンティンは大きな目を輝かせ、呪物市場で世の中全てを見通している。

    伊藤拓馬

    『双天至尊堂』主宰。東・東南アジアの文化を独自調査し、現地の民間ゲームや民間信仰について執筆。ドラマや映画などの賭博・遊戯指導も多数従事。

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