5200の穴が整然と並んだペルー「モンテ・シエルペ」遺跡の謎! インカ帝国の巨大スプレッドシートだった!?

文=仲田しんじ

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    ペルー南部の全長1.5kmに及ぶ渓谷に、約5200個の穴が正確に並ぶ謎の巨大遺跡「モンテ・シエルペ」――。その目的と用途については長年にわたって議論されてきたが、最新のドローン映像解析と堆積物調査により、謎が解き明かされつつあるようだ。

    規則的に並んだ5200個の穴

     ペルー南部アンデス山脈のピスコ渓谷を横切るように、約1.5㎞にわたって約5200個の穴が連なる謎の巨大遺跡「モンテ・シエルペ(Monte Sierpe)」。

     1世紀近くも前から研究者を悩ませているこの遺跡に関する文字記録は存在せず、その用途については防衛・貯蔵・園芸・水滴集めなど、さまざまな仮説が唱えられてきた。特に興味深い仮説は「古代宇宙飛行士説」――つまり古代に地球へと飛来した異星人が作ったという見解だが、いずれも確定したものではない。

     スペイン語で「蛇の山」を意味するこのモンテ・シエルペは、いったいどんな目的でどのように使われていたのだろうか。

     豪シドニー大学をはじめとする国際的研究チームが今年11月に学術誌「Antiquity」で発表した研究では、ドローンによる新たな空撮映像の分析と、穴の中の土壌の植物学的分析を実施。この遺跡が当初、市場としてインカ以前の古代文明によって築かれ、インカ時代には“スプレッドシート”として機能していたことが示唆されている。

     モンテ・シエルペのそれぞれの穴は幅1~2メートル、深さ0.5~1メートルで、配置には明確なパターンがある。たとえば特定のセクションでは9列連続で8個の穴があり、別のセクションでは7個と8個の穴が交互に並んでいるのだ。

    画像は「Cambridge University Press」より

     そして、穴の中の土壌サンプルから見つかったのはトウモロコシなどの農作物、そして伝統的な籠作りに使われてきたアシやヤナギなどの花粉粒だった。つまり、穴の中には農作物を入れた籠が置かれていた、もしくは穴が植物由来のカーペットなどで覆われていた可能性もあるのだ。

     研究チームは、ペルーの海岸部と高地に暮らしていた(インカ以前の)チンチャ王国の先住民が、自分たちの農作物を持ち寄って物々交換をするためにここにやって来たのではないかと考えている。トウモロコシのほか、綿花、コカ、唐辛子など、穴に入る量が単位として機能していたのかもしれない。

     研究チームは穴の年代を特定するために放射性炭素年代測定を行ったが、この遺跡は西暦1000年から1400年の間に建造されたことが突き止められ、これはインカ以前の文明が栄えた時期と一致している。

     さらにモンテ・シエルペでは、1531年から1825年の植民地時代にこの地域に持ち込まれた柑橘類の花粉が発見された。つまり同遺跡は、チンチャ王国の後、1532~1533年のインカ帝国滅亡(スペイン人によるペルー植民地化)の際にも依然として使われていた可能性が高い。

    文字通りの巨大スプレッドシートだった

     では、インカ帝国時代にもこの場所は物々交換の場所として利用されていたのか? 用途は少し異なっていたと考えられ、研究チームのジェイコブ・ボンガーズ氏は「モンテ・シエルペはインカ帝国の“スプレッドシート”として機能していたかもしれない」と海外メディアに寄稿している。スプレッドシートという表現は決して比喩的な言い方ではなく、国民から徴税した献納品を保管・記録する、文字通りの巨大なスプレッドシートとして使われていたということらしい。

    画像は「Cambridge University Press」より

     モンテ・シエルペの区画構造は、「キープ(khipu)」と呼ばれる結び目のついた紐を用いた(現地に古来から伝わる)計数システムを反映しているという。そして実際、80組の紐からなるキープの一つが、ピスコ渓谷から発見されており、「(インカ時代の)モンテ・シエルペで使われていた会計業務の記録だろう」とボンガーズ氏は説明する。

    キープ 画像は「Cambridge University Press」より

     モンテ・シエルペは、スペイン人の到来以前からある道路網の近く、タンボ・コロラドとリマ・ラ・ビエハと呼ばれる2つの主要なインカの遺跡の間にあり、ここは物々交換や現物徴税を行うのに最適な場所であった。

    画像は「Cambridge University Press」より

     まとめると、モンテ・シエルペはチンチャ王国時代に作られて物々交換の市場として機能し、インカ帝国時代は献納品徴収の場所として使われていた可能性が高まったことになる。

     アンデス山脈の全域で、インカ人はコミュニティを新たな集団に再編成し、税またはそれに相当する貢物を交代で支払うように求められていたことがわかっている。

     研究チームは、モンテ・シエルペの各区画は税金の支払いにおいて特定の社会集団と結びついていたと考えている。区画間の配置パターンや穴の数のばらつきは、貢納額の違い、あるいは特定の村や町からの納税者の数を反映している可能性が高いのだ。

     発掘・研究は今も続いているが、アンデス山脈で最も謎めいた遺跡に秘められた物語の解明に一歩も二歩も近いづいたと言えそうだ。

    ※参考動画 YouTubeチャンネル「Documentify TV」より

    【参考】
    https://theconversation.com/a-centuries-old-grid-of-holes-in-the-andes-may-have-been-a-spreadsheet-for-accounting-and-exchange-269277

    仲田しんじ

    場末の酒場の片隅を好む都会の孤独な思索者でフリーライター。興味本位で考察と執筆の範囲を拡大中。
    ツイッター https://twitter.com/nakata66shinji

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