妖怪「土蜘蛛」と謎の渡来人の関係は? 中国貴州省のトン族にルーツを追う/高橋御山人・土蜘蛛考察(後編)

文=高橋御山人

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    土蜘蛛のルーツは日本をこえてはるか長江のほとりにあったのか!? 「蜘蛛」を信仰する民族と日本との意外な共通点から、「まつろわぬ民」の正体に迫る!

    (前回から続く)

    蜘蛛の女神を最高神とするトン族

     中国の少数民族・トン族は、薩(さつ)、薩瑪(さつま)、薩歳(さつさい)、薩天巴(さつてんは)等と呼ばれる蜘蛛の姿をした女神を、最高神として崇める。薩は、天地創造の神であり、太陽神でもあり、人の霊魂も司る。糸を吐き、網を張った神話があり、労働、紡織の達人でもあるという。民族を守るために戦った女の英雄とも同一視されている。薩の守護を願って民族衣装に蜘蛛の刺繍をすることもあれば、蜘蛛の入った袋を首に掛けて赤ん坊の成長や病気の治療を祈るまじないもある。

    トン族の民族衣装。女性はミニスカートをはき、男はターバンを頭に巻いている。刺繍や銀細工も見事である。こうした衣装を纏って歌われる「トン族大歌」は、ユネスコの無形文化遺産に登録されている。

     トン族は、中国南西部、貴州省や湖南省の山間や谷あいに住み、水田稲作を主とした農業を生業としている。「木の民」と呼ばれる程、林業も盛んで、植林を行い、非常に優れた木造建築技術を持っている。「鼓楼」や「風雨橋」は、トン族を代表する文化だ。家屋は高床式住居である。織物や染物の技術も高く、海外にも知られている。

     トン族の社会は父系社会ではあるが、母系社会の要素も強く、母の遺産は娘が相続する。信仰する神々にも女神が多い。宗教は、山や川の神を崇めるアニミズムであり、神道に似る。大木に畏敬の念を抱き、木の神も祀る。「祭師」と呼ばれるシャーマンは、男性のこともあれば女性のこともある。

    トン族の民族衣装。最高神「薩」の象徴たる蜘蛛が、同時に葉と茎の上に咲く花にも見えるよう、デザイン化されて刺繍されている。8本の脚や頭部の触肢、前後に分かれた胴体が表現されており、尻から出た糸や巣も見て取れる。

    日本と長江文明の意外な共通点とは

     このように、トン族は日本人と多くの点で共通する文化を持っており、隣接するミャオ族とともに、日本人のルーツのひとつと見る向きもある。その起源は、はるかに遡ると、長江文明にいきつく。長江文明は、黄河文明とは異なる文明で、約1万年前に、世界最古の稲作を開始した。日本で栽培されているジャポニカ米も、長江文明が起源である。

     長江文明を担った人々の子孫は、百越と呼ばれる諸部族となった。百越は、古代中国南部からベトナム北部にかけて住み、稲作、入墨等、魏志倭人伝に書かれる倭人と共通した文化を持っていた。春秋・戦国時代には、楚、呉、越等の王朝を築いて繁栄したが、秦による中国統一以降、多くは漢民族と混血、同化していった。が、一部は高地や山岳地帯へ逃れ、少数民族のルーツとなったという。同様に、海を渡った人々が、日本人の祖先のひとつとなったといわれる。実際、遺伝子レベルにおいても、百越と日本人では、Y染色体O2bが共通しているという。

    トン族最大の村、貴州省・肇興。千年の歴史を誇る。トン族の村の中心には、鼓楼が聳え建つ。川には屋根が付いた風雨橋が架かる。トン族の精緻な木造建築は、日本の伝統建築のように、釘を一切使わない。

     トン族と日本人に、百越という共通の祖先がいるならば、トン族のように蜘蛛をトーテムとする人々が、古代日本にやって来た可能性は、十分にある。その子孫が、大和朝廷から、土蜘蛛と呼ばれたのではないか。蛇をトーテムとする出雲人の神々を、蛇体としたように。

    土蜘蛛のルーツは中国にあった?

     トン族と土蜘蛛は、単に蜘蛛が共通しているだけではない。トン族に母系社会の要素があるように、土蜘蛛には女性首長が何人もおり、どちらにも戦う女英雄がいて、女性の存在感が強い。シャーマニズムがあることも共通している。トン族は、山間の斜面に所狭しと棚田を築いて、今も稲作を主産業としているが、土蜘蛛は、稲によって世界を明るくする神話に登場する。その神話が伝わる高千穂は、峡谷や滝で知られる程の山岳地帯であり、佐賀の地名由来となった土蜘蛛「山田」の地も、その名の通り山の麓である。トン族も土蜘蛛も、「山岳農耕民」としての要素がある。

    肇興の背後の山の上に位置する堂安村の棚田。山間に住むトン族の村やその周辺には、棚田が広がる。また、雨が非常に多い地域であり、水には困らない。堂安には、そのまま飲める水が豊富に湧き出している。

     鼓楼や風雨橋に代表されるように、トン族は高度な建築技術を伝えて来たが、土蜘蛛には、朝廷軍を退ける程の、要塞建築技術を持つ描写がある。また、土蜘蛛は穴に住んでいるという記述もあるが、中国の古い文献では、トン族を「洞人」「洞蛮」と記していて、それは洞窟のような場所に住むという意味の蔑称といわれる。土蜘蛛の子孫は高度な織物技術を持っていたらしい記述もあるが、トン族は美しい刺繍のある防水加工の服を作り、最高神・薩は紡織の守護神である。

    路上で刺繍をしながら、作った布製品を売るトン族の女性。染物も盛んで、布に蝋を塗ってから染色することで、染め残しにより文様を描く「蝋染め」で知られる。

     薩といえば、土蜘蛛の伝承地に、その名も「薩都(さつ)」という場所がある。常陸国風土記に登場し、現在も常陸太田市里野宮町として地名が残っていて、薩都神社が鎮座する。

     そして、土蜘蛛の伝承地が、九州、特に東シナ海に面した佐賀・長崎県に偏っている事が注目される。その西に、中国・上海がある。佐賀・長崎県は、東シナ海を挟んで、上海と向かい合っているといってもいい。上海は、長江の河口に開けた都市である。その上流には貴州省、トン族の住む土地がある。土蜘蛛の伝承地は、東シナ海に浮かぶ長崎県の五島列島にもあるが、ここには近年にも中国やベトナムからの難民船が何度も漂着している。海流上、中国南部やベトナムと直結しているエリアといってもいい。

    茨城県常陸太田市の薩都神社。常陸国風土記に載る土蜘蛛伝承地であり、古くは「さつ」と読んだ。

     土蜘蛛は、長江流域から、東シナ海を渡って、現在の佐賀・長崎県に辿り着いた人々なのではないか。であれば、このエリアに伝承地が集中し、五島列島にも存在するという特異な分布も当然である。長江文明の担い手や百越のうちに、蜘蛛をトーテムとする部族が存在し、戦乱のなかで西の山岳地帯に逃げた人々がトン族となり、海を渡って東に逃げた人々が、土蜘蛛となったのだ。それから、土蜘蛛の一部はさらに東へと移動し、近畿、北陸、関東、東北にまで広がった。

    貴州省・三宝村の薩瑪祠。トン族の最高神・薩を祀る。内部の祭壇に立てられた傘は薩の象徴であり、祭でも使われる。傘を広げた形は、蜘蛛の巣とよく似ており、関連性が窺われる。

    「野蛮人」などではない高度技術の保持者たち

     土蜘蛛は、「文明を知らない野蛮人」などではない。蜘蛛をトーテムとする、高度な技術すら持った、一種の渡来人であったのだ。そのなかには、朝廷に逆らう者もいれば、従う者もいたのである。場合によっては、重んじられたり、尊崇の念を持たれたりすることもあった。

     奈良の葛城は、先に述べた通り、土蜘蛛由来の地名を持つ土地であり、能「土蜘蛛」の舞台でもある。葛城に鎮座する一言主神社の境内には、土蜘蛛を葬ったふたつの蜘蛛塚があって、これ以上にはない、土蜘蛛にゆかりの深い神社となっている。

     一言主神は、古事記では、天皇一行と全く同じ姿形で現れ、正体を知った天皇が、恐れ畏まる程の存在だが、後世の書物では、流刑に処せられたり、修験道の開祖・役小角に使役、呪縛されたりするまでに零落している。土蜘蛛に対する評価も、これと軌を一にしている感があり、古代には多少異様な表現はあるものの、人として描かれていたものが、後世には大蜘蛛の妖怪に零落した。逆に、遡っていけば神聖視すらされている。「神」の名を冠する土蜘蛛が記録されているのが、その証だ。

    奈良県御所市、葛城一言主神社の蜘蛛塚。葛城は日本書紀に載る土蜘蛛伝承地であるとともに、能「土蜘蛛」の舞台でもある。

    元始、土蜘蛛は神だった!

     そう、土蜘蛛は「神」ですらあったのだ。彼らが神の如く崇められた理由は、トン族に見るような、特殊技術の故だろう。土蜘蛛・神衣媛と神石萱の子孫は、渡来人の機織技術集団を意味する名を持っていた。役小角が一言主神を使役したのは、葛城山から吉野の金峯山へ橋を架ける為であった。蜘蛛をシンボルとし、特殊な技術を駆使したが故に、畏敬の念を込めて呼ばれた名が、土蜘蛛であったのだ。「土」は、土木技術を意味するのかもしれない。葛城山から金峯山へ、大地と大地の間に、空中に橋を架けるとしたら、それはまさに蜘蛛の如しであり、神の如しであろう。古事記の一言主神の物語からすれば、天皇を超える存在であった節もあり、それ故に歴史の闇に葬られた可能性もあるのだ。

     古代には神ですらあった土蜘蛛の、その後の消息は、杳として知れない。妖怪化した土蜘蛛の伝承があるのみだ。ひとつ気になるのは、各地に残る妖怪としての女郎蜘蛛の伝説である。谷川や大木、木こりが関係したものが多いのだ。伊豆・浄蓮の滝や、信州木島平の蜘蛛が淵、仙台の賢淵等の伝説がある。土蜘蛛の末裔の一部は、山間の土木技術者になったのかもしれない。特殊な職掌集団は、蔑視され、妖怪と見られる傾向がある。製鉄技術者が、鬼となったように。

     近年、鬼は本当は悪者ではなく、特殊な技術を持ちながら、文化の違いや政治的事情等により追いやられた人々ではなかったかと、見直されて来ている。土蜘蛛も、本当は「神業」を持つ人々であったと、見直され、復権する時が、待ち望まれる。

    高橋御山人

    在野の神話伝説研究家。日本の「邪神」考察と伝承地探訪サイト「邪神大神宮」大宮司。

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