1200年前の化け物イノシシ伝説を現地調査! 京を追われた巨獣イノゴンの足跡を追う/吉田猛々フシギ旅

文・写真=吉田猛々

関連キーワード:

    UMA研究をライフワークとする吉田猛々(ナナフシギ)が、UMAイノゴンを追って宮城県へ。なぜ京都でなく宮城なのか? そのヒントは、1200年前の伝説にあった。

    猫神さま小道さんぽ

     2024年夏、宮城県の最南端に位置する丸森町へ足を運びました。
     この町は養蚕が盛んだった頃、蚕の大敵のネズミを駆除してくれる「猫」を大切にし、「猫神」として祀ってきたという歴史のある町。
    「猫神」の全国的な分布は東北地方や長野県など養蚕地帯が多く、その中でも宮城県、さらには丸森町には数多くの猫神が祀られているのです。
     猫の形を浮き彫りにした石碑や石像、文字が掘られたものなど、その多くが丸森町内で発見されており、その数およそ80基! これは日本一の発見数とのこと。

    猫の石碑が!

     猫を愛する者として、これは赴かなければなりません!

     丸森町の観光案内所では、「猫神さま小道さんぽ」として、1時間半程のウォーキングをしながら猫神さまをガイドしてくれるツアーの催しも行っており、喜び勇んで参加しました。観光案内所のやまゆり館から「猫神さま小道さんぽ まるもり町中編」のスタートです。観光案内所の方がガイドでつき、町中にある猫の石碑や町の名所や歴史を案内してくださいました。

     この町にはもともと石が多くあり、それが猫の石碑の豊富さに繋がったそうです。また阿武隈川との関わりなど、丸森町の歴史を知る事ができました。

     このツアーで拝見できたにゃんこさんの石碑は9つ、苔むしているものも多数ありますが、それも歴史を感じさせるわびさびというもの。

     その中でも一際、はっきりとにゃんこさんの姿が今でも拝めるものもありました。
     その石碑は、猫の彫刻の上に何やら歌のような文言が彫られています。

    「今朝のゆき いきふじ花の かたみかな」

     こちらの石碑は「ふじ」という名前の猫が雪の日に亡くなり、その供養のために建てられたと考えられているそうです。蚕を守る為というより、すでに家族として可愛がられていた事を偲ばせる句ですね。

    こちらが「ふじ」の石碑。

    宮城の巨大イノシシ伝説とUMAイノゴン

     猫との、そして動物との関わりを強く感じる宮城県の旅は、続いて大蔵寺(だいぞうじ)へ。
     こちらも実は動物と関わりが深い。なんと遥か昔、退治された妖怪イノシシの霊をなぐさめるために建立されたお寺だそうです。

     なんでも…

    嵯峨天皇の弘仁元年、3メートルもある大猪が、村内はおろか近隣の村々の田畑を荒らして人々が困っていた。これを退治せんと京より、小野篁が東走する大猪を当地に追い詰めて、虚空蔵様の御力を借りて退治した。
    因って此処に霊象を安置し、虚空蔵菩薩を勧請なされた。しかし後に大蔵寺を建立し、虚空蔵堂に、本尊虚空蔵菩薩を安置し、その跡に建立されたのが、この大満虚空蔵大菩薩の創建であると伝えられる。

    大張まちづくりセンター、大張の史跡・名所の紹介より引用)

     京に巨大イノシシが現れ、東に追われ討伐された。
     この話、所謂UMA、未確認生物好きならピンとくるのではないでしょうか?

     京都……大きなイノシシ……そう、イノゴンです!

     イノゴンとは1970年、京都の綾部市の山中で発見された大きなイノシシのこと。体毛がなく、口から大きい牙を生やし、身体は真っ黒。発見されたのみならず、なんと捕獲されたという、UMAにあるまじき怪物です。捕獲されたら未確認じゃないだろう! 
     しかし、詳しく調べられる前に解体されて問屋に卸され、忘年会のイノシシ鍋にされてしまったという……悲しみのUMA。まさかの「食べられたので詳細は未確認のまま」なのです。

     しかし、頭骨だけは残されており、兵庫大学の調査で「イノシシの突然変異体ではないか」と、結論された事でも有名です。

     もしや、大蔵寺の巨大猪は、このイノゴンの祖先だったのではないでしょうか?

    余談だが、大蔵寺の近くには巨石「ホイホイ石」がある。泣き声をあげていたという……。

    二股の角が生えた大きな猪」が京都から蔵王へ来ていた

     予期せぬ展開に昂ぶりつつ、まだまだ動物に由来のある場所への取材を続けました。

     丸森町のすぐ近く、白石市(しろいしし)には、白川犬卒都婆(しらかわいぬそとば)という、非常に珍しい地名があります。

    犬卒塔婆、という地名である。

     卒塔婆とは供養のために用いる細長い板のことで、お墓でも見られますよね。
     この「そとば」とは、古代サンスクリット語の「ストゥーパ」に漢字をあてたものであり、「ストゥーパ」とは、お釈迦様の遺骨を納めた仏舎利塔のことを指します。卒塔婆とは、本来そのストゥーパを模したもの。

     本題の「犬卒塔婆」とは、1.5メートルほどの木の上が股になってY字形をしているものを選び、木の片側を白く削り、供養の文字を記してあるものをいいます。

     昔、犬が難産で死ぬことがあると周りの女性が集まり、寺からその犬卒塔婆に戒名を書いてもらい、村境や道の辻、三叉路などに立てて供養し、そうすることで自分たちのお産が軽くなると信じる風習が東北から関東にかけてありました。
     それをこの地区では卒塔婆ではなく、石碑にしたということです。石碑に「犬卒塔婆」と文字も記されています。

    判読はむずかしいが「犬卒塔」と記された石碑。

     しかし、何故この地がそう呼ばれているのかにはもうひとつ説があるのです。

     なんでも……

    嵯峨天皇の時代、京都に二股の角が生えた大きな猪が現れ、人々を脅かした。
    小野篁(おののたかむら)は勅命を受けてこれを追い、会津磐梯山でマタギの兄弟と出会う。
    兄弟の飼う白犬とともに蔵王山麓で猪を追い詰め、ついに仕留めるが、犬は格闘の末死んでしまい、その供養のため、塔婆が建てられた。

    「刈田群誌」より引用)

     二股の角が生えた大きな猪……まさか、ここでもイノゴンの話題が!
     同じく京都に出現し、蔵王まで追われてきています。
     遥か昔の時代、京都から宮城まで追われた巨大イノシシがいた事はほぼ確実と言っていいでしょう。

     大蔵寺のイノシシと、犬卒塔婆のイノシシ。時代と討伐された場所、どちらも小野篁が絡んでいる事から同一イノシシの可能性が高いです。

     しかし、京都から宮城県へイノシシは移動できるものなのか?

     UMAの中には、テレポート能力を有するテレポーティングアニマルがいます。エイリアン・ビッグ・キャットなどが典型的な例ですが、ビッグフットも出現しては何処へと去っていきますし、チュパカブラなど異星人のペット(エイリアンアニマル)にもテレポート能力を有しているものは多く存在します。

     人間の想像を超えるような巨大イノシシは、ただの突然変異ではなく、エイリアンの作為によって生み出され、京都から運ばれたのかもしれません。そもそもそのような生物ならば、常識を超えるような力を有していてもおかしくはありませんね。

     丸森町は石や巨岩の多い場所でもあります、実際車でも行ける山中、突然どこから現れたのかという、巨石や巨岩の類いもありました。

     唐突に配置された巨石群も、もしかしたら異星人の技術や文明にかかわりがあるのではないか?
     巨大イノシシの幻影に、遠い宇宙との繋がりまで感じた、そんな宮城県の旅でした。

    巨大イノシシ=イノゴンは古代から生息するレジェンドUMAだったのかもしれない。イメージ画像=PIXABAY

    吉田猛々

    芸人コンビ・ナナフシギとして怪談やホラーを中心に活動するほか、UMAや都市伝説などオカルト的な分野を独自で調査する。好きなものはUMA、落語、槇原敬之、桜玉吉、りびんぐゲーム、BOYS BE…、ドラクエ、90年代プロレス、ファイプロ、美味しんぼ、ミスター味っ子など。

    関連記事

    おすすめ記事