スコットランドの秘宝「スクーンの石」をめぐるミステリー! 刻まれた謎の数字「35」と衝撃のすり替え説
英国の歴史に翻弄された“運命の石”に刻まれた数字の意味とは――!? 13世紀からスコットランド君主の戴冠式に使われてきた「スクーンの石」の謎に迫る!
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16世紀末、イギリスからアメリカにやって来た最初期の入植者全員が突然姿を消した「ロアノーク島集団失踪事件」。ついに、その謎を解く糸口が見つかったのか? 当時の地図を詳しく分析し、驚くべき新事実が判明したのだ。
1585年、イングランドの宮廷家臣ウォルター・ローリーが派遣した一行が現在の米ノースカロライナ州沿岸のロアノーク島に到着し、イギリスによる初の入植地「ロアノーク植民地」の建設が行われた。
そして1587年、ジョン・ホワイトが率いる新たな117人の入植者がロアノーク植民地に派遣された。この入植は、アメリカ大陸に初めてイギリス人女性と子供が上陸したことでも知られている。
入植者のグループにはジョン・ホワイトの妊娠中の娘エレノア・ホワイト・デアも含まれており、上陸してから数週間後、エレノアは新世界で生まれた最初のイギリス人の赤ちゃんを出産し、バージニア・デアと名づけられた。
一行を入植させるとホワイトはすぐにイギリスに戻り、船に多くの物資を積んで再び植民地に向かうつもりであったが、折しも勃発したイギリスとスペインとの戦争、英西戦争(1585〜1604)の影響で船を出すことができず、ホワイトは3年間イギリスに足止めされた。
1590年、孫娘・バージニアの3歳の誕生日にホワイトはようやくロアノーク植民地に到着したのだが、植民地は無人であった。
彼が見つけた入植者の唯一の痕跡は、木の柱に刻まれた「CROATOAN」という言葉だった。これはロアノークのすぐ南にある別の島の名称であり、そこに住んでいたネイティブアメリカンの部族の名前でもあった。
100人以上のイギリス人入植者は一体どこに消えたのか? この謎については、現在に至るまでさまざまな説が浮上している。
風土病で亡くなったとする説、ネイティブアメリカンかスペイン人入植者によって虐殺されたとする説、または近くのネイティブアメリカンの部族に同化したという説もある。
ロアノーク植民地周辺、現在のノースカロライナ州沿岸の地図「ラ・バージニア・パー」は芸術家でもあったジョン・ホワイトによって1585年に描かれた。
2012年、大英博物館のキュレーター、キム・スローン氏と彼女の同僚アリス・ラグハイマー氏は、ホワイトの地図をライトボックスに置き詳しく調べたところ、修正と思われる2つのかすかなシルエットを見つけた。小さな紙片が、誤りを隠すために貼られていたのだ。修正箇所の1つは完全に白紙のままで、修正箇所の上には何も描かれていなかった。しかし、その空白の修復部分を詳しく分析したところ、その下には砦のシンボルが描かれていたことが判明。スローン氏らは現在、ロアノークの入植者たちがこの場所に移動したと考えているという。
「この場所こそ、ジョン・ホワイトが構想した『ローリー市』の予定地に違いない」と、スローン氏は海外メディア「Popular Mechanics」に語っている。
この仮説を裏付けるかのように、数年前に地図と一致する場所で考古学者のルッケッティ氏が陶器の破片を発見していたことも判明。これらは、16世紀にロアノーク植民地に持ち込まれたイギリス製のボーダー陶器ではないかという。なお、ルッケッティ氏らはこの場所を“サイトX”と呼んでいる。
ということは入植者たちは、本国からの物資補給が途絶えた中、この“サイトX”に向けて移動したというのだろうか。
ノースカロライナ州の「ファーストコロニー財団」による調査では、“サイトX”に集落の痕跡はないことが報告されているのだが、ボーダー陶器の破片や靴ひもの金属の先端、布を木枠に固定するために使用された釘など、当時のイギリスの文化を示す遺物が多数発掘されている。
つまり、“サイトX”に集団全体が移動したわけではないが、少数の人々にとって避難所となっていた可能性がある、ということだ。
消えた入植者たちの行方を占うもう一つの手がかりは、1937年にロアノーク植民地の跡地で発見された文字が記された石、「デア・ストーン」だ。これは、ジョン・ホワイトの娘エレノア・ホワイト・デアによって書かれたと考えられており、ロアノーク植民地を去った入植者たちに起きたことを解明する手がかりが残されている。
石の片側、十字架(緊急記号)の下に書かれているメッセージは以下の通りだ。
「アナニアス・デアとバージニアは1591年に天国へ」
「ジョン・ホワイト知事経由のイギリス人」
不幸なことに、生まれたばかりのバージニアは亡くなったことが示されている。そして石碑の反対側には、後にやって来るはずの父親に伝えるべく、入植者たちに起きたことが記されているようである。
「父上、あなたがイングランドへ行かれた直後に、私たちはここに来ました。2年間は悲惨なことと、戦争ばかりでした。この2年間、病気のせいで半分以上が死にました。
野蛮人が船で伝言を携えて私たちのところに来ました。野蛮人は、霊が怒っていると言いました。突然、7人を除いて全員を殺害しました。私の子供とアナニアスも、非常に悲惨な形で殺害されました。彼らは復讐を恐れて、すぐに全員逃げ去りました。この川の東4マイルの小さな丘の上に、全員埋葬されました」
前述の地図にまつわる新事実と、石に刻まれたエレノアのメッセージとを組み合わせて考えると、物資の補給が途絶えた中、入植者の半数は病死し、残りの多くも先住民族に惨殺されたが、少数の生存者は“サイトX”へと逃れ、そこで最終的に全滅したということになるのだろうか。
仲田しんじ
場末の酒場の片隅を好む都会の孤独な思索者でフリーライター。興味本位で考察と執筆の範囲を拡大中。
ツイッター https://twitter.com/nakata66shinji
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