噂から生まれ、メディアが育てた「人面犬」今昔を探る/朝里樹の都市伝説タイムトリップ

文=朝里樹 絵=本多翔

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    犬とヒトとが交わる異形の存在。その名は――。

    噂が広げる異世界への入り口

     今から36年前、1989年ごろに日本中で流行した噂がある。その名は「人面犬」。文字通り頭部が人間の顔、体が犬という化け物で、雑誌やテレビなどメディアを通して全国的に知られるようになった。

     その噂の内容もさまざまだが、よく知られているのは飲食店の経営者などが店の裏で生ごみを漁っている野良犬を見つけ、追い払おうとすると、その犬が人間の顔で振り向いて「ほっといてくれよ」「うるせえんだよ」といった言葉を発し、逃げていく、というもの。ほかにも高速道路を走る車を追い抜いていくが、追い抜かされた車は事故にあう、などともいわれる。
     物凄い跳躍力をもっているとされる場合もあり、どうも脚力が凄いという噂が多かったようだ。ほかにも超能力で人間を苦しめ、原因不明の病気にする、見ただけでトラブルがある、口から火を吹く、見られただけで犬にされてしまう、嚙まれた部分が腐敗し、切断しなければならなくなるといった特殊能力を発揮する噂も流れていた。

     人面犬がなぜ生まれたのか、という話もさまざまに語られていたようで、筑波大学における遺伝子操作によって犬と人間が混じり合った生物が生まれた、というものをはじめ、事故死した若者の霊が犬に取り憑いた、野良犬に嚙まれた女性が次第に人の頭をもった犬になった、関東地方には恐ろしいウイルスをもった犬が6匹おり、これに嚙まれることで人面犬と化すなど嚙まれると人面犬になる、ペットショップで中絶された犬の水子の霊が人面犬になった、暴走族に飼い犬もろともひき殺された人の霊がひとつになって人面犬になった、などがある。
     面白い話としては、口裂け女の飼い犬だったという話もある。

     このように全国に広まり、さまざまに語られた人面犬だが、吉田悠軌著『現代怪談考』によれば、現代の人面犬につながる噂がメディアに取りあげられたのは、1982年が最初だったという。祥伝社発行の隔週刊女性誌「微笑」1982年7月19日号に掲載されたこの話では、日本各地のサーファーたちが人面犬を目撃したという噂が紹介されていたようだ。

     そして1989年、人面犬ブームのしかけ人を自称するライターの石丸元章が、人面犬を意図的に流行らせるため、テレビ番組『パラダイスGoGo !!』にて人面犬の噂を紹介したのが人面犬ブームの最大のきっかけだったという。

     このように初めはサーファーたちの間で生まれ、やがて人為的にブームが起き、その中でさまざまな話が生まれた人面犬だが、実は人の頭をもった犬自体は少なくとも江戸時代に記録が確認でき、明治時代には新聞を賑わせていた。文字通り過去の時代に生まれた人面犬たちを紹介しよう。

    歴史に刻まれる人面犬の系譜

     有名なのは江戸時代の文人、石塚豊芥子が著した『街談文々集要』にある。

     1810年6月8日の「犬が人面狗を産む」という記事では、田所街紺屋の裏で子犬が産まれたが、そのうち2、3匹に人の顔に似たおもざしがあるということで大評判になり、見物人が大勢つめかけた。その顔は目から鼻筋の通った部分が人間のように見えたというが、ほどなくして死んでしましまった。同書では瘡毒(梅毒)になった者が犬と性行為を行うと、瘡毒が犬に移る、この人面犬もそのような行為を行ったために生まれたのだろうという内容の板行も売られたのだという。

    石塚豊芥子 『街談文々集要』より「犬産人面狗」。写真=Wikipedia

     そして時代が変わり、明治になっても人面犬が生まれたという話は新聞をよく賑わせていた。

     1885年4月9日に発行された出羽新聞の記事では、「人面獣体」と題して次のような話を紹介している。

     山形県東村山郡山寺村(現在は山形市の一部)にひじょうに犬を愛でている男がおり、先年、妻を亡くしてから独り身の寂しさに飼い犬を毎晩布団に入れて抱いて寝ていたところ、いつの間にか飼い犬が妊娠し、子犬を産んだ。その子犬の中に頭が人間で体が犬というものがおり、男は珍しいことだと大切に育てたが、10日ばかりで死んでしまった。そのため、死体をアルコール漬けにしたのだという。

     これと同様の事件は同年4月13日の「奥羽日日新聞」の記事でも紹介されている。
     これはひじょうに珍しい事例かというと、そうでもなかったようで、翌年の1986年5月12日には「改進新聞」に「人面獣身」として人の頭と犬の体をもつ犬が生まれた記事が掲載された。これは東京の牛込上宮比町(現在は新宿区の一部)での出来事で、ある家の軒下に洋犬が駆け込み、13匹の子犬を産んだが、その中の1匹が目、鼻、口の揃った人間の顔をしていたという。これは珍しい、「人狗」とでもいうのだろうということになり、大金を出してほしがる人も出たが、すぐに死んでしまったのだと記されている。また、この記事では犬の体に人間の頭がのった奇妙な風体の犬の絵も紹介されている。

     少し期間は離れるが、同じ明治時代の1899年8月8日付の記事には「狗面人面」として遠州森町赤松(現在の静岡県周智郡森町の一部)にて紙屑拾いの男が近所の家で飼っている大きな雌犬と通じ、人の頭と犬の体の子犬を産んだという話が載せられている。紙屑拾いの男はこの子犬を溺愛して少しも離さず、雌犬の飼い主の家と権利争いが起きたと記されている。

     このように80年代末に大ブームを起こした人面犬たちは、江戸や明治の時代にもひっそりと生まれつづけていた。この令和の時代にも、どこかで新たな人面犬が産声を上げているかもしれない。

    「人面犬」の神話版ともいえるマンティコア。ヒトのような顔とライオンのような胴をもつ。写真=Wikipedia

    (月刊ムー 2025年3月号掲載)

    朝里樹

    1990年北海道生まれ。公務員として働くかたわら、在野で都市伝説の収集・研究を行う。

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