墓場の母子は祟らない ――「子育て幽霊」怪談の愛と死/吉田悠軌・怪談解題

文=吉田悠軌 挿絵=森口裕二

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    怪談・オカルト研究家にして作家の吉田悠軌が、古典から〝都市伝説〟まで古今の名作怪談をリライトし、恐怖の核をひもとく「怪談解題」。第二話は、あの国民的キャラクターにもつながる、古くて新しい物語。

    深夜の暗闇にひとり、飴屋の戸を叩く女

     深夜、とっくに閉店した飴屋の戸を叩く音がする。
     店主のAさんが出てみると、外にいたのは見知らぬ女。ぼんやりとした表情で、なにもいわず一文銭を差し出している。いくらAさんが声をかけても、女は微動だにせず黙りこくって要領をえない。

    「まあ、うちの一文の飴を買いたいんだろうな、とは察したので」

     不審がりつつも、Aさんは硬貨と引き換えに飴を渡してあげた。すると次の夜もまた次の夜も、その女が店にやってくるようになった。いつもぴったり同じ時間に店にやってきて、黙ったまま一文銭を出し、飴を受け取るとどこかへ去っていく。まるで動画をリピート再生しているかのように、寸分たがわぬ動作を繰り返すのだ。
     ただ7日目の夜だけは違っていた。女の行動が変化したのではない。無言で差し出す手の上から、一文銭がなくなっていたのである。

    「でも文句をつけるのも怖いじゃないですか。思わず無料で飴を渡したんですけど……」

     さすがに怪しく感じたAさんは、こっそり女の後をつけることにした。夜道をひたひたと歩く後ろ姿を追ううち、女が町はずれの寺へ入っていくのが見えた。続いてAさんも境内に足を踏み入れたところ、女の姿は煙のように消えてしまった。

    「えっ、と驚いてその場所を確認したら」

     そこにあったのは、最近つくられた新しい墓。思わぬ事態に呆然としているうち、奇妙な音が聞こえることに気づいた。墓の土饅頭のなかで、かぼそい泣き声がこもっているのだ。
     急いで近隣住人たちを呼び、墓の土を掘り返す。座棺の桶を開くと、女の遺体が座りこむ恰好で葬られている。七夜にわたって飴を買いにきていた、あの女だ。「この前、妊娠中に亡くなった隣村の××じゃないか」とだれかが叫ぶ。
     そこで甲高い声が大きく響きわたった。亡骸の白装束の裾から、小さな手が覗いている。急いで遺体を持ち上げてみると、そこにいたのは。

    「桃色の肌で元気に泣き叫ぶ、生きた赤ん坊でした」

     その周りに散らばる飴の包み紙を見て、Aさんたちは状況を理解した。
     ……身重のまま死んだ女は、墓のなかで赤子を産んだのだ。そして幽霊となり、副葬品の六文銭にて飴を買っていたのだ。乳の出ない自分のかわりに、飴を舐めさせてこの子を生き長らえさせるため……。
     赤子は寺に引き取られ、無事に成長した。そして後には立派な高僧になったのだという。

    解題 日本全国に分布する「子育て幽霊」怪談

    「子育て幽霊」と呼ばれる怪談は、東北から九州まで日本全国に伝わっている。飴ではなく団子や餅だったり、木の葉を金に見せていたり、女が消える際に火となったなど細部は各地で異なるが、概要についてはほぼ同じ。生きのびた赤子が長じて有名な高僧となるケースも数多い。12世紀末の中国の志怪小説集『夷堅志』によく似た話があり、そこから翻案された話のようだ(岡本綺堂による翻訳「餅を買う女」として読むことができる)。

     ともかく各地の「子育て幽霊」が現在のかたちとなり広く伝播したのは近世、それもおそらく江戸時代中期以降と意外に新しいようだ。そのためか近現代に入ってもなお、「子育て幽霊」の新たな語りなおしが行われている。

     たとえば、高輪・光福寺にある「幽霊地蔵」。無気味な姿のこの地蔵にも似た伝説が付与されているが、その内容はどうにもチグハグだ。江戸時代、寺近くの飴屋に一組の母子が毎日飴を買いにきた。雨でも傘をささない彼らを不審に思った飴屋の主人が、その後をつける。すると母子は寺に入り、幽霊地蔵の前で消えてしまった。その後、住職が地蔵を毎日供養すると、親子は現れなくなったという。 子が死んで幽霊となっていては「子育て」要素が無意味になる。そのうえ、幽霊地蔵も明治までは3キロ離れた源光寺にあったようで、となると場所の整合性もおかしい。
     ネットで紹介されるこの由来の参照元はいつも、1992(平成4)年に幽霊地蔵が文化財登録された後の『港区文化財のしおり』だけ。それ以前に発行された港区の史跡関連資料に同様の話は見当たらない。そして光福寺によれば「ネットではこの由来ばかり言及されるが、寺に伝承が残っているわけではない」とのこと。おそらく90年代以降に「子育て幽霊」の伝説が新たに創出された、現代的な事例といえよう。

     妊婦の死というモチーフから察せられるとおり、「子育て幽霊」は、古来日本で信じられていたウブメ習俗と結びついている。妊娠中の女性が亡くなった際、そのまま埋葬するとウブメとなって化けて出る。なので産婦を弔う際、逆手に持った鎌で腹を割き、胎児の死体を取り出し「身ふたつ」にしなければならない……というかなり血生臭い風習だ。赤子のために飴を買う母の霊もまた、怖ろしいウブメと同一視されていたのだろうか。

     堤邦彦は「子育て幽霊の原像」(『説話――救いとしての死』所収、1994年)にて、ウブメ・子育て幽霊・高僧の土中出生譚を、中世から近世における曹洞宗の布教活動と結びつけ論じている。曹洞宗が全国的に在家信者を獲得するにあたり、庶民のための葬送や法要に積極的に携わるようになる。
     そこで懐胎死婦を弔う際、物理的に腹を割くのではなく、呪符や読経によって儀礼的に「棺中出産」を行うというライトな路線を提唱。こうした産死供養が庶民に受け入れられ広まっていった延長上に、通幻禅師などの高僧の出生譚と結びつけられていったのではないか、という。
     おそらく、まずウブメへの恐怖があったのだろう。子を孕んだまま死んだ女への怖れは、古代より続く人類共通の感覚ではないかと私は考える。そして近世以降、曹洞宗はじめ各宗派は
    懐胎死婦についての正しい(かつ実践しやすい)葬儀法を庶民に説くことを布教の一環とし、庶民たちもそれを受け入れた。
     墓のなかで死婦が子を産み、その母が死霊となって飴や餅を買い求めにくる……。それはもともと、誤った埋葬により出現した忌避すべき異常事態として、ネガティブな怪談として語られていたのではないか。
     だが次第にそのイメージが反転していく。母の霊は怖ろしい「ウブメ」ではなく、子を助けようとする母性愛に満ちた「子育て幽霊」に。土中出誕した子は通幻、上達、頭白など各宗派の高僧に。こうしたイメージ投影は近代以降さらにエスカレートする。

    光福寺「幽霊地蔵」にまつわる伝承は、近年に創出された現代的なものだと考えられる。

    子育て幽霊に新たな主題を加えた小泉八雲

     最も有名な「子育て幽霊」はラフカディオ・ハーン=小泉八雲の怪談だろう。島根県松江市に英語教師として赴任していた折に取材された話で、ハーン著『知られざる日本の面影』(1894年)に記されている。

     中原町の飴屋にて、青ざめた顔に白装束の女が、夜ごと水飴を買い求めてくるようになった。いつも無言の彼女を訝しんだ店主が後をつけると、女が大雄寺の墓地に入るのを目撃するのだが……。と、ここまでは典型的な筋運びだが、ハーン版ではややずれた方向に逸脱していく。
     そこで店主は、恐怖のあまり追跡をせず逃げ帰ってしまうのだ。ではどうやって墓を発見するかといえば、女幽霊が自ら案内することになる。次の夜、店にやってきた女は水飴を買わず、こちらに向かって手招きをしてくる。店主は近隣住民たちを引き連れ、墓地へと導かれていく。そして女は、ある墓の前で姿を消す。
     そのとたん土中から泣き声が響く。墓を掘り返すとそこには女の死体、生きた赤ん坊、そして水飴の入った椀があった。最後に、作者ハーンは次のような一文で自らの想いを告げる。
    「愛は死よりも強い」
     各地の古い伝承に登場する女は、ひたすら同じ挙動を繰り返す、人格を失った幽霊らしい幽霊であり、墓の発見も店主らの自主的捜査(尾行の末、女の消失を目撃し、その墓を突き止める)によることがほとんどだ。しかしハーン版では女は「手招き(beckoned)」して墓まで案内する。確かにわが子を救いたいのなら、こうして人々を先導し発見させる方が確実ではあるのだが……。

     私はこの後半部分はハーンの創作ではないかと疑っている。当地の伝説を集めた『出雲・石見の伝説』(1980年)を参照すると、飴屋店主は女の案内なしで墓を発見しており、墓中の赤子は女児で、後に北堀町の家に嫁いだと記されている。しかしハーン版ではこの部分が改変または省略されている。拙著『教養としての最恐怪談』(2024年)でも触れているが、ハーンは取材した民話の内容を、自らの文学作品として大きくリライトすることが多い。そしてその改変は特に「母性愛」とその対極である「子殺し」にクローズアップされがちだ(「雪女」と「持田の百姓」など)。
     また『知られざる日本の面影』内でこの直前に紹介されているのは、主人公の幼子が斬首される陰惨な怪談「小豆とぎ橋」である。この2話がセットで語られているのは意味深長だ。
     ハーンは子殺しの対極として「愛は死よりも強い」というメッセージを位置づけたかったのではないか。母に捨てられたコンプレックスを持つ近代的知識人である彼は、この昔話に確固たる人間意志としての母性愛を付与したかったのではないか。

     そしてこの観点は近代以降の日本人の心性にもフィットしたのだろう。現在、子育て幽霊が各地の民話本や案内文にて再話される場合、ぼんやりした幽霊像は捨てられ、ハーン的な母性愛を前面に出して語られがちだ。

    小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、子育て幽霊に「母性愛」のテーマを強調した。写真は比較的珍しい若かりしハーンの肖像(国会図書館デジタルコレクション)。

    墓から生まれた赤子は異形のヒーローに転生する

     次に赤子のほうへ目を転じてみよう。

     1933(昭和8)年、紙芝居「ハカバキタロー」が封切られた。現存しない(正確にはコレクターが死蔵し非公開としている)作品なので詳細不明だが、加太こうじ『紙芝居昭和史』(1971年)などで伝えられている内容は以下のとおり。
     姑にいびり殺された嫁が、妊娠したまま墓に葬られる。死体から生まれた赤子は、母の屍肉を食らって生き延び、土のなかで幼児にまで成長。そして地上へと自力で這い出した彼は、姑を惨殺することで母の復讐を果たす。
     彼は高名な僧侶ならぬ、異形のダークヒーローとなったのである。その暗い活躍はたちまち人気を博し、シリーズ化するほどの大ヒットを獲得する。
     そして戦後の1954(昭和29)年。このキャラクターを踏襲した紙芝居が、若き水木しげるによって描かれはじめた。それら4点の作品も現存しないものの、さらに数年後、水木は同キャラの漫画化に着手する。ここでようやく主人公の見た目や設定が、現在の我々がよく知るものへとかたまったのだ。主人公の名は「鬼太郎」。やはり埋葬された母の胎内から産まれ、墓を自ら脱出した、幽霊族の末裔である。

     死母から産まれ土中から甦った子は、むしろその異常な出自から超人性を帯びると見なされる。こうした高僧の出生譚が、昭和には鬼太郎の物語にアレンジされた。彼はもはや母の助けも借りずに自ら墓の外に出るし、最初期のキタローにいたっては母の死体を喰らって生き延びる。目玉だけの父親がいつも寄り添っているのとは対照的に、鬼太郎に母の影はそれほど見受けられない。ハーンが母性愛をピックアップしたのとは異なり、鬼太郎はむしろ中世期の「熊野の本地」のような、「子育て幽霊」以前の超人の土中出生譚に先祖返りしているようにも見える。

     ただ、ここで近年大ヒットした映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』に注目してみたい。タイトルどおり本作のラストは鬼太郎の出自に繋がる。オリジナル版墓場鬼太郎の土中出生にもきちんと目配せしているとはいえ、水木しげるの死後数年を経て、かなり自由度の高い新規設定が設けられたスピンオフでもある。本作での鬼太郎の母・岩子はまさに「子育て幽霊」さながら、いやそれ以上の執念をもって、胎内のわが子=鬼太郎を生かしつづけている。またそれが鬼太郎の生まれながらの超人性の根拠ともなっているのだから、ここにおいてハーン的な母性愛と鬼太郎クロニクルが融合したともいえよう。

     これは「子育て幽霊」の現代的語りなおしだ。高輪の幽霊地蔵もそうだが、今なお新たな話が創られるのは驚くべきこと。「子育て幽霊」とは、それだけわれわれの心に響きつづける怪談なのだろう。

    (月刊ムー 2025年2月号掲載)

    吉田悠軌

    怪談・オカルト研究家。1980年、東京都生まれ。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長をつとめ、 オカルトや怪談の現場および資料研究をライフワークとする。

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