切っても焼いても死なない魚たちーー「スズキ」の伝説/妖怪補遺々々

文・絵=黒史郎

    ホラー小説家にして屈指の妖怪研究家・黒史郎が、記録には残されながらも人々から“忘れ去られた妖怪”を発掘する、それが「妖怪補遺々々」! 今回は、死なない、死んでも甦る魚の伝承から補遺々々します。

    スズキの生命力

     まな板の上にあげられてしまった魚の運命は、もう決まっています。
     銀色に輝く包丁の光を見上げるそのとき、彼らはなにを考えているのでしょう。自分が生まれ育ち、そして、もう二度と戻れない、あの海や川への想いを馳せているのでしょうか。

     そんな魚たちに朗報です。
     諦めなければ、こんな奇跡も起こるのです。

    ーー愛知県豊橋市。吉田の里に五郎という漁師がおりました。彼は毎日、豊川で魚を獲っていましたが、その日は1匹も釣れませんでした。
     漁にはそういう日もあります。次の日に今日の分を獲ればいいのです。
     しかし、次の日もまったく釣れません。その次の日も。
     こうして数日間、雑魚1匹も釣れないということが続き、これはなにか理由がありそうだと五郎は考えました。

     不漁続きの9日目の朝のことです。
     ようやく、釣り竿に大きな手ごたえがありました。
     大物です。きっと、こいつのためにほかの魚が逃げてしまったのでしょう。ならば、絶対に釣り上げておかねばなりません。
     長い奮闘の末、五郎はとてつもなく大きなスズキを釣りあげました。

     持って帰って妻に見せますと、「吉田の殿様はスズキの刺身が大好物だから、差し出せば喜んでもらえるでしょう」といいます。五郎も同じ気持ちでした。

     こうして大きなスズキを持って城にいきますと、料理番たちがさっそく刺身にしようと包丁を入れます。
     ところが、サーッと片身を削いだ途端、まな板の上のスズキは元気よく跳ね上がり、城の裏を流れる豊川に飛び込んでしまいました。
     大慌てで料理番たちがタモですくおうとしますが、片身のスズキは川底へと逃げてしまいました。

     以来、このスズキは豊川の主として、吉田城の城下に長く住みついたといいますーー。

    片身で生きる

     甦るスズキの伝説はほかの地域にも見られます。

     神奈川県鎌倉市に伝わる昔話を集めた『かまくらむかしばなし』には、著者の沢寿郎が小学校に入学したての頃、複数の人から聞いたとして次のような話を書いています。

    ーー源頼朝の食膳に、獲れたてのスズキが出ました。その片身だけを食べ、残り半分を水に放すと、スズキはその姿のままずっと生きつづけ、ときどき川をさかのぼってくることがありました。
     このとき、スズキは体を横にして浮かしながら、ゴオゴオとすさまじい水の音をたててのぼっていったといいます。

     この【片身鱸(かたみすずき)】が現れるのは梅雨時、あるいは秋口の嵐の前といわれており、食べられた側を上にしているので骨が見えるとも、逆に食われていない側を上にして泳いでいるともいわれています。

     頼朝とスズキの伝説は静岡県にもありました。

     田方郡熱海町(現・熱海市)大字多吉山字三石に瀧があり、その下に大きな岩があります。昔、この場所で源頼朝が酒を飲んだとき、肴にしたスズキの片身を渓流に投じ、遊泳するのを眺めて楽しんでいたといいます。

     また、滋賀県東浅井郡には、頼朝が鯉の片身の鱗を取り去って放ったという伝説もあります。

    いくらなんでも元気すぎ

     一般的に魚は痛みを感じないといわれていますし、活きのよい刺身は動くといいますから、こうして半身で泳ぐことがあってもいいでしょう。
     ですが、ここまでくるともう、それは神秘的な力がはたらいているとしか考えられない、そんな伝説もあります。

    ーー北条時頼が諸国行脚をしていたころの話です。

     奈良県宇陀郡三本松村(現・宇陀市)の庄屋に立ち寄ったとき、時頼は急に病にかかってしまいます。医者が診ても匙を投げるほど重く、彼が時頼と知らぬ村人たちはとても不憫に思って、神仏に快癒の祈願をする者もいました。

    そ ういう者のひとりが、鎌倉の滝へ焼鮎(やきあゆ)を持っていき、「今放つ魚が生き返らなければ、あの僧の命も助からないだろう。もし全快するものならば、この魚を甦らせてみろ」と念じ、滝壺に投げました。

     その願いが何かに届いたのでしょうか。
     驚くことに、焼鮎が元気に泳ぎ回っているではありませんか。

     その光景を見た村人たちが喜んで庄屋に戻ると、時頼は少し元気になっていました。それからはどんどん回復していき、再び旅を続けることができるようになったといいます。

     以来、そこで獲れる鮎の背は、半分だけ黒く焼けたような跡があるといいます。

    焼かれても死なない

     新潟県中蒲原郡曾野木村合子ヶ作(現・新潟市)の日枝神社境内には以前、古池があり、そこには【焼鮒(やきぶな)】が棲んでいました。
     この池では親鸞上人が焼いた鮒(ふな)を池に放つと生き返ったといい、その子孫が繁殖したのだといいます。だから鱗が焼けたように黒々としているのだそうです。

     かの弘法大師も、焼いた鮒を生き返らせていました。
     諸国巡錫の途次、ある家で串をさされた魚が焼かれているのを見て憐れに思った弘法大師は、それを買い取って高野山の玉川に放ったそうです。
     すると焼魚は生き返り、その川で繁殖したといいます。
     これは鮒の一種で、半身が焼けて黒く、串の跡は白い斑点になったのだとされています。

    <参考資料>
    豊橋の民話を語りつぐ会編・豊橋市図書館『豊橋の民話 片身のスズキ』
    杉谷流翠「生き返った魚の話」『旅と伝説』5巻3号通巻51号
    沢寿郎『かまくらむかしばなし』

    (2020年9月10日記事を再編集)

    黒史郎

    作家、怪異蒐集家。1974年、神奈川県生まれ。2007年「夜は一緒に散歩 しよ」で第1回「幽」怪談文学賞長編部門大賞を受賞してデビュー。実話怪談、怪奇文学などの著書多数。

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