自動車はなぜ怖かったのか? クルマの都市伝説とホラー映画/昭和こどもオカルト回顧録

初見健一

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    黄色い救急車、白いソアラ、赤いスポーツカー……。身近な自動車がなんとなく恐ろしくもあった時代の噂話を回想する。

    クルマにまつわる都市伝説

     今回も前回に引き続いて、自動車を主役とした怪談や奇妙な流言などを回顧しつつ、昭和っ子たちがなんとなく漠然と抱いていたと思われる「クルマが怖い……」という感覚について考察してみたい。

     いわゆる「都市伝説」にも自動車をテーマにしたものが昔からいくつかあって、今から紹介するのはすべて80年代前半までのものなので、どれも「都市伝説」という言葉が日本で使われるようになる以前に流布したものだ。当時はこうした口コミだけで広まる奇怪な話を総称する言葉はなく、単に「噂」などと呼ばれていたと思う。

     自動車ネタの「都市伝説」として大昔からの定番といえば、「そんな馬鹿なことしてると『黄色い救急車』が迎えに来るゾ!」というヤツだ。同世代なら説明不能だろうが、要するに「正気を失ったような常軌を逸した行動をしていると、特別な『黄色い救急車』がやって来て特別な病院に連れていかれる」という言い草である。
     この「『黄色い救急車』が来るゾ!」という脅しじみたフレーズは、当時は誰もがわりと気軽に使っており、アホなことばかりやってる子に友達が冗談半分に言ったり、悪ふざけをしている子に親が小言のような形で言ったりもしていた。単なる常套句のようなものだったのだ。

     しかし一方で、「黄色い救急車」には確かに子どもを震撼させるような恐怖があった。小学校の低学年くらいまでだと思うが、僕は「黄色い救急車」は本当に存在するものと信じていたし、それに乗せられて連れていかれる「特別な病院」なるものには、一度入ったら二度と出られないようなイメージを抱いていた。当時、東京ガスの緊急車両は屋根に回転灯を付けた黄色いバンだったが、あれを見かけるたびにギョッとしたのを覚えている。

     この「噂」が流布したのは60~70年代初頭らしく、いくつか小説や映画などの元ネタと思われるものもあるようだが、正確なルーツや流布の経緯はわかっていないらしい。

    「白いソアラ」には手を出すな!

     少し時代が下って、80年代初頭に流布したとされているのが「白いソアラ」の「噂」である。僕が大学生だった80年代後半にも、この「噂」は盛んに囁かれていた。

     「ソアラ」はトヨタが1981年に「本邦初のパーソナルクーペ」として発売した高級車。バブル前後の若者たちの「憧れのクルマ」として一世を風靡した。「噂」の内容は60~70年代に語られた昭和の「中古車怪談」の典型だ。あるとき、あるところで(なぜか群馬とされることが多い)、ある若者が破格の安値で売られている中古の「白いソアラ」を発見し、喜び勇んで購入する。ほどなくして、その若者は大事故を起こし、首を切断される形で即死した(助手席にはガールフレンドが乗っており、彼女の首も切断されていた…などのバリエーションがある)。
     この事故車は修理されて再び中古車市場に現れ、それを購入した若者がまた大事故を起こして首を失う形で死亡する……といった形で、格安の「白いソアラ」が「首チョンパ」の連鎖を引き起こし続けている、というのだ。もともとこのクルマは、ある「走り屋」の若者が新車で購入したもので、彼もやはり事故を起こして「首チョンパ」で死亡。彼の「霊」がクルマに憑依し、乗車した者を次々に殺し続けているらしい。だから「格安の『白いソアラ』には絶対に手を出すな!」とされていたのである。

     言うまでもなく、これは荒唐無稽な与太話であり、運転手の首が切断されるほどの大事故を一度でも起こせばクルマも大破して即廃車になるわけで、同じクルマが同レベルの大事故を何度も起こすことなど不可能だろう。

     この「噂」の根底にあるのは、当時の若者が抱いていた独特の「ソアラ観」(?)だったのだと思う。「ソアラ」は高級車にもかかわらず若者にバカ受けして、一部の「ボンボン」がこれ見よがしに乗りまわすステイタス的なハイソカーだった。しかも「ナンパ専用車」として名を轟かせており、これに乗って誘いをかければ「断る女の子はいない」などとされていたのだ。なので、若くして「ソアラ」を所有する男子は周囲から「金持ちのドラ息子、なおかつドスケベ!」と目されることが多かった。こうした「ソアラ」に対する妬みや恨みが、あのような八つ当たり的な流言を生みだしたのだろう。

    僕の世代で「ソアラ」といえば、この「3.0GT」というモデル。当時の風潮のせいで、僕は今もこれを見ると反射的に「あ、スケベなクルマ!」と思ってしまうのである。(画像はwikipediaより)

    「口裂け女」が乗る「赤いスポーツカー」

     70年代後半より全国を駆け巡り、社会問題化した「口裂け女」。流布した直後から彼女のキャラクター属性には様々な尾ひれが付き(「べっこう飴が好き」「ポマードが嫌い」「100メートルを1秒で走る」などなど)、当初の「謎めいた不審人物」像から離れ、どんどんバケモノ化されていった。その属性のひとつに「赤いスポーツカーに乗っている」というのがあったのを覚えているだろうか?
    「口裂け女」の「噂」はエリアによって無数のバリエーションがあるが、この「赤いスポーツカー」はかなり広い範囲で囁かれていたと思う。そして僕の周辺では、あるときから車種が特定され、「赤いフェアレディに乗っているらしい」と言われるようになった。これについては現在ネットで調べても情報はほとんど出てこないが、エリアによって「フェアレディ説」のほかにも「セリカ説」などがあったらしい。

     僕は当時から「なんでフェアレディなんだろう?」と気になっていたのだが、あらためて調べてみて、「ああ、そういえば!」と関連していると思われる事件を思い出した。

     1980年に世間を騒がせた「富山長野連続女性誘拐殺人事件」である。同世代なら覚えている人も多いと思う。主犯の30代女性と、その愛人の20代男性のカップルが、身代金目的で相次いで二人の女性を誘拐・殺害したとされた事件だ(後に愛人男性にはアリバイがあることが判明し無罪となり、女性の単独犯だったと確定される)。当時のメディアでは犯人のカップルは日ごろから赤いフェアレディZを乗りまわし、犯行にもこのクルマを使用したと報道され、事件は「赤いフェアレディZ事件」「赤いスポーツカー事件」などと称されていた。なぜかクルマに必要以上のスポットが当てられ、車種が犯人の異常性を象徴しているかのように語られたのである。大騒ぎしていたテレビや週刊誌の多くが「こんなド派手なクルマを乗りまわしている連中はロクなもんじゃない」といった論調で、なんとも粗雑で乱暴な形で糾弾していたのを覚えている。

     自動車メーカーにしてみればまったくハタ迷惑な話だが、この一時期には「赤いフェアレディ」「赤いスポーツカー」が「不吉なクルマ」として脚光を浴びてしまった。同時期に子どもたちの恐怖の対象になっていた「口裂け女」の「噂」は、すかさずこの時事ネタを自らのうちに取り込んだのだろう。

    初代フェアレディZ。僕ら世代にとっては身近な国産車でありながらも、その流線型のフォルムに誰もが憧れた名車。ミニカーやプラモデルでもおなじみだった。(画像はwikipediaより)

    クルマにまつわるホラー映画

     最後に、子ども時代の僕らを震撼させた「呪われたクルマ」が登場するホラー映画を紹介しておきたい。

     悪霊化したクルマが人を轢き殺しまくる「自動車ホラー」は、70~80年代のテレビでやたらと流れていたのだ……と思っていたのだが、意外や意外、ちゃんと調べてみると、純粋に(?)「呪われたクルマ」をテーマにした作品は非常に少ない。スピルバーグの『激突!』(すべての「自動車ホラー」は本作を源流にしているのだと思うが)のような、非霊的・非オカルト系の「自動車ホラー」は数あれど、人ならざるものがクルマに憑依してどうのこうの……という作品は、当時の日本のテレビで放映されるレベルの映画としては『ザ・カー』(1977年)と『クリスティーン』(1983年)くらいしかなかったらしい。僕らはこの二本を繰り返して見せられて、やたらと強い印象を受けたのだろうか?

    『ザ・カー』は「悪魔」が憑依した無人の黒いクルマ(リンカーンコンチネンタルマークⅢの改造車)がユタ州の田舎町で暴走を繰り返し、人々を惨殺しまくるお話。獰猛な獣のように描写されるクルマの挙動がユニークで、クルマによる「スラッシャー映画」という雰囲気。「悪魔教会」の創始者であるサタニスト、アントン・ラヴェイが「テクニカルアドバイザー」としてクレジットされていることでも有名だ。

     もう一本の「クリスティーン」は名匠ジョン・カーペンターの作品。原作はスティーヴン・キングのヒット作だ。いじめられっ子の気弱な高校生男子アーニーが50年代のアメ車「プリムス・フューリー」を中古で購入、スクラップ同然だったそれを叮嚀に修理し、新車同様に甦らせる。「クリスティーン」の愛称を持つそのクルマが実は邪悪な意思を持つ「なにか」で、それに支配されたアーニーは凶暴な殺人者に徐々に変貌。「クリスティーン」のハンドルを握り、自分をいじめる同級生らを追い詰めてゆく……といった内容。アーニーの「クルマ愛」が深まるにつれて「クリスティーン」が一人の女性、というか手の付けられないメンヘラ女のような人格を全開にしていき、アーニーのガールフレンドに嫉妬して彼女を殺そうとしたりする描写も独特だ。ワイルドな50’sアメリカンポップカルチャーの象徴が甦って、70年代の若者を殺しまくるというような不思議な感覚もあって、B級ではあるが珍品の魅力に満ちている。

     どちらも今観るとどことなくコミカルでもあるのだが、それは「感情を持ったクルマ」という設定の滑稽さなのだと思う。思えば、『チキチキバンバン』や『ラブバック』など、コミカルなファンタジー映画にもよく「感情を持ったクルマ」が登場する。やんちゃに動きまわるそうしたキュートなクルマたちにも、どこかしらうっすらと「恐怖」が漂っていたような気もする。

    『ザ・カー』(監督:エリオット・シルバースタイン/出演:ジェームズ・ブローリンほか/1977年)
    『クリスティーン』(監督:ジョン・カーペンター/出演:キース・ゴードンほか/1983年・日本公開1984年)

     あの頃の子どもたちがなんとなく抱いていた「クルマが怖い」という感覚の背景には、「交通戦争」が社会問題化していた時代の僕たちが、もの心ついたころから大人たちに「クルマ=危険!」を叩き込まれて育ったこともあるだろうし、これまた社会問題化していた「暴走族」のブームによって、轟音とともに暴走する怪物のような改造車を日常的に見ていたこともあるのかも知れない。さらに、国産車・外車を問わず、あの頃のクルマたちのデザインが非常に個性的だったこともあると思う。なにかしら擬人化・キャラクター化したくなるような有機的なデザインを持つクルマが多く、あれこれのクルマを見るたびに僕らは「カッコいい」とか「かわいい」とか「怒ってるみたいで怖い」などといった印象を持ったし、空想の中でそれぞれのクルマたちにさまざまな感情を付与していたような気がする。

    「クルマが怖い」というのは、それだけクルマが魅力的だったから、ということでもあるのだろう。いつのころからか「若者のクルマ離れ」ということが盛んに言われているが、それは現在のクルマたちが単に画一的な工業製品でしかなく、もはやなんら「物語」のようなものを喚起しなくなったからなのかも知れない。

    初見健一

    昭和レトロ系ライター。東京都渋谷区生まれ。主著は『まだある。』『ぼくらの昭和オカルト大百科』『昭和こども図書館』『昭和こどもゴールデン映画劇場』(大空出版)、『昭和ちびっこ怪奇画報』『未来画報』(青幻舎)など。

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