「お札をはがしてくれ……」竹内義和が霊からお願いされた怪談からの連鎖/吉田悠軌・怪談連鎖
土地に根づいた怪異・怪談と、個人が体験する一回性の怪現象。それは相反するようでありながら、ときに補いあい、連鎖することがあるようだ。
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美しい海に囲まれた南の楽園に、「パーントゥ・プナハ」という奇祭が伝わる。全身に泥をまとった異形の神「パーントゥ」が、人々を追い回しては泥を塗りつけるのだ。“日本一恐ろしい祭り”とも称されるその伝統行事を体験するために、島を訪れた。
「おい、こっちに来たぞ!」
「早く! 早く逃げろ!」
「うわあああ、やられたあ!」
のどかな南の島のある集落が、突如として阿鼻叫喚の渦に包まれた。
まるで魔界から這いでたような“異形の怪物”は、老若男女関係なく次々と襲いかかり、無慈悲にも血祭りに……いや、泥祭りにしていった――。
2017年10月25日と26日の2日間にわたり、沖縄県宮古島市の島尻集落で、“日本一恐ろしい祭り”とも呼ばれる「パーントゥ・プナハ」が開催された。
全身に黒い泥をまとった来訪神「パーントゥ」3者が、だれかれ構わず人々を追い回しては容赦なく泥を塗りつけるという、なんとも衝撃的な伝統行事である。
その様子は神々と人間の鬼ごっこのようでもあるが、実際「パーントゥ」という不思議な印象の名は、宮古島方言で「鬼」や「妖怪」などの存在を指し(「パーン(食[は]む)」+「ピトゥ(人)」が訛[なま]ったとも)、「プナハ」は「祈願祭」を意味する。別名「サトゥプナハ(里願い)」とも称するこの行事自体は年に3回あり、パーントゥはそのトリを飾るものだ。
泥塗りには厄祓いの意味があり、集落全体から悪霊を退け、塗られた者は一年間の無病息災を得られるとされている。いわば「毒をもって毒を制す」の泥バージョンみたいなものだろうか。ゆえに、もし泥を塗られても、笑顔で感謝こそすれ、決して怒ってはいけないのだ。
パーントゥの姿は、同じ来訪神である秋田県男鹿半島のナマハゲをも凌ぐほど強烈で、実におどろおどろしい。
いかにも異人の象徴のような木彫りの大きな仮面をつけ、全身には集落の外れにある「ンマリガー(産まれ井戸)」という聖なる泉(かつては産湯に必ずここの水が使われた)の底から取った泥が塗られている。また、頭部にはすすきを結んだ「マータ」という魔除けの呪具が挿し込まれ、「キャーン」という蔓草で作った蓑を着て、手には「グシャン」という杖を持っている。
いい伝えによれば、今から約300年前、「クバマ(小浜)」と呼ばれる島尻の北の海岸に、クバの葉に包まれた黒と赤の奇妙な仮面が漂着した。神女たちは海の彼方からの来訪神だと考え、男たちが仮面を被り、集落内を駆け回る厄祓いを行ったところ、豊作円満をもたらし、天災などに遭わず平穏な暮らしができたという。諸説あるものの、こうしたことが現在の祭りの起源になったといわれている。
日ごろから珍奇な場所などの探索を行う私は、長年このホラーな奇祭に興味を抱いていたのだが、後述するある理由から、毎年参加を断念せざるを得なかった。
だが今回、念願叶ってようやく現地訪問の機会に恵まれたため、その見聞を記していきたい。
島尻集落は宮古島北西部に位置し、宮古空港から車で30分ほどの距離にある、人口350人前後の共同体だ。
午後4時ごろ、私は集落の中心部にある島尻購買店前でタクシーを降りた。まだ周囲に人気はなく、この後ここがマッドに満ちた“デス・ロード”と化すとはとうてい思えない静けさだったため、一瞬日時を間違えたかと不安になったが、すぐに準備中の祭りの出店が見えて安堵した。
というのも、「パーントゥ・プナハ」にはポスターなどの事前の宣伝がほとんどない。タクシーの運転手も、この日に開催されることを知らなかった。
一応は毎年旧暦9月(現在の10月ごろ)の吉日の2晩に行われることになっているが、日取りは「ピューズダス」という神職によって決められ、具体的な開催日時の告知は直前にさり気なく集落周辺でなされるのみで、しかも平日であることも多いため、遠方からの参加難易度は比較的高い。ちなみに私は、「今年こそ行くぞ」と鼻息荒く、9月くらいから頻繁にツイッターを検索し、地元の人の投稿を見て日時を知った。
購買店で軽くパーントゥ関連の土産品を物色した後、漁港方面に伸びる緩やかな坂道を少し歩くと、原っぱのような開けた場所に出た。そこにはすでに、何人ものマスコミ関係者がカメラを持って待機していた。
ここはンマリガー付近の田舎道の交差点で、パーントゥが毎年初めて人々に姿を見せる絶好の撮影ポイントなのだ。ただ、パーントゥがンマリガーで産まれる様子を見ることはタブーとされており、特に道が封鎖されているわけでも、立入禁止の札があるわけでもないのだが、自然と居合わせた皆が、一定の場所から先に進むのを遠慮していた。
台風接近に伴う生暖かい風に吹かれ、あたりに嵐の前の静けさが漂う中、今か今かとしばらく待ちわびていると、午後5時過ぎ、ようやくンマリガーから3者のパーントゥが出現。それぞれ「ウヤ(親)」「ナカ(中)」「ファ(子)」という親子の仮面神で編成されており、一本道の彼方からこちらに向かってズンズン歩いてくる。
悪霊を退けるための厄払いだが、やはりその泥まみれの黒い姿はむしろ悪霊そのもの。毎年選ばれた青年会の若者が扮しているそうだが、そんなことはまるで感じさせない異様な迫力を放っている。
観衆が息を呑んで徐々に接近する神々を見守っていると、やがて一番身を乗りだしていた某テレビ局の撮影スタッフが、まずは見せしめとばかりに、たっぷりと泥をお見舞いされた。
それを皮切りに、3者は入り乱れて襲撃を開始。たちまち周囲は悲鳴と笑い声に包まれ、かくして平穏な集落は今年も惨劇の舞台と化した。
パーントゥは逃げ惑う人々を追いかけながら、集落内に点在する拝所の「ムトゥ」(普段仮面が保管されている家)を巡礼する。
彼らが祈願する様子は公開されておらず、タブーの多い南の島特有の神秘性は保たれているようだ。そもそも「タブー」という言葉はトンガ語が語源ともいわれ、18世紀末にイギリスの探検家キャプテン・クックがポリネシアの習俗を紹介したことで広まったそうだが、宮古島のパーントゥや悪石島のボゼなどの仮面祭祀も、南方の由来を思わせるものである。
また、「混ぜる」を意味する言葉が同じ「チャンプル(Campur)」であるなど、沖縄の方言はインドネシア語との共通性が指摘されているが、インドネシアでは幽霊や妖怪を「ハントゥ(Hantu)」と呼ぶことも、パーントゥとの繋がりを感じさせる。
しかもこのハントゥ、神を意味する「トゥハン(Tuhan)」をひっくり返したもので、神様と魔物の要素が混在するパーントゥの立ち位置にも似ていて、なかなか興味深い。
さて、各ムトゥでは住民たちがシートを広げて酒盛りをしているのだが、そこに乱入したパーントゥは、古老の男性から神酒をふるまわれるのが慣習のようだ。そのためか、この後パーントゥはなんとなく酔っ払っているような感じになるが、これは神を降ろすべく、意図的にトランス状態に持っていった結果なのかもしれない。
こうした燃料補給を経て、人口が密集する集落中心部に彼らが降臨すると、いよいよ本格的なパニックの様相を呈す。
泥塗りの標的は、住民も観光客も基本的に無差別だが、乳幼児やその親、妊婦のほか、露骨に怖がっている者などが優先的に狙われるようだった。
「ごめんなさあああい!」と、子供が泣き叫びながら許しを請う姿を何度も目撃したが、このあたりでは幼いころに、「悪いことをするとパーントゥが来て連れていかれるぞ」と親に怒られるらしく、もはや真面目な大人に育つしかない、教育指導的なトラウマを植えつけられているかのようだった。
また、新築家屋も厄祓いの対象で、平気で他人の家に土足でズカズカ上がり込み、壁に泥の手形をベタベタつけたり、床にゴロゴロ転がって泥を擦りつけたりと、潔癖症でなくとも目を覆うような傍若無人なミッションも、彼らは無言で淡々とこなすのである。
さらに、集落入り口の道路は封鎖され、ちょっとした陸の孤島みたいな雰囲気が漂うが、ここを警備するお巡りさんやパトカーですら、容赦なく泥を塗られてしまう始末であった(毎年のお約束のようだ)。
この日ばかりは治外法権といった状態に不思議な面白さを感じつつも、人間にはどうにもできない畏怖すべき力が、この世には存在するということを見せつけられているようでもあった。
もちろん、私も全身泥まみれになる覚悟で同地を訪れたわけだが、いかにもネタを欲している下心が見透かされたせいか、「仕方ねえな」といわんばかりに、軽く頬と肩に触れられた程度だった。
着替えやタオルも多めに持ってきたので少々拍子抜けだったが、それでも洗ってもなかなか取れないくらい臭いがキツい。このドブのような悪臭も含めて厄祓いの意味があるようだが、確かにこれなら災厄のほうも思わず避けてしまいたくなるだろう。
それにしても若者が化身しているため、パーントゥの動きは驚くほど俊敏で力強い。たとえば、地面に泥を撒き散らしながら歩いていたかと思うと、次の瞬間には可憐な乙女を背後から不意打ちしていたり、あるいは急に振り返って、威勢のいい青年を力ずくで押し倒して馬乗りになったり、だいぶ離れた安全圏から挑発してくる小学生たちを、全力疾走で執拗に追いかけたりと、約30キロの重たい装備をまとっているとは思えない、珍プレー・好プレーの数々を見せてくれる。
あまりにも目まぐるしく動くため、途中で何度か見失ったほどだが、しばらくするとまた、民家の塀を飛び越えてきたりして急に姿を現すのだ。
以前はパーントゥのなり手があまり集まらず、苦労する時期もあったそうだが、最近はネットなどで紹介される機会も増えたからか、けっこう人気が出てきたようだ。
午後6時ごろになると、学校や仕事を終えた人々も祭りに加わり、熱狂はピークに達する。先ほどの牧歌的な雰囲気が嘘のように、島尻購買店周辺は泥まみれの群集で溢れ返り、さながらゾンビ映画のような光景が広がった。
やがて日が落ちると、集落に真の恐怖が訪れる。このあたりは街灯が少ないため、パーントゥは暗闇にすっかり溶け込み、まさに神出鬼没のハードモードとなるのだ。人々は近くで動くものや物音を恐れ、疑心暗鬼に陥っていく。ウロウロしていたら、私も何度かパーントゥと間違えられた(失敬な)。
昔は今以上に明かりがなく、見物人も少なかったはずだから、パーントゥの恐ろしさたるや本当に鬼気迫るものだったと思う。
そして午後8時ごろ、集落の外れで合流した3体のパーントゥが闇の中に消え去ると、終了を告げるサイレンが警報解除のごとく鳴り響いた。
こうして、3時間にわたり日本の南端で繰り広げられた奇妙な鬼ごっこは幕を閉じた。だが驚くべきことに、これは“翌日も同様に催される”のである。私は悪臭を漂わせながら、ドロドロの集落を後にした――。
遠い別の世界から流れ着いた謎の仮面が、閉ざされた集落の暮らしを一変させた。
戦前は集落内だけでひっそりと行われていたパーントゥも、1993年に国の重要無形民俗文化財に指定され(野原集落の仮面祭祀「サティパライ(里払い)」を含む)、2016年にはユネスコの無形文化遺産への登録が提案されるなどして、訪れる観光客もだいぶ増えた。
最近では、海外でも「ジャパニーズ・デーモン・フェスティバル」といった感じで紹介されているせいか(やはり悪魔呼ばわり)、外国人の姿もチラホラ見かけられた。
地元自治会も祭りを地域興しに活用し、かつて流れ着いた仮面と同様、来訪者を柔軟に受け入れる姿勢を見せているが、近年、祭りの趣旨を理解せずに訪れた観光客から「服を汚された」などの苦情が寄せられたり、激怒した男性にパーントゥが暴行されるトラブルが発生したため、一時は開催中止も検討されたという。
そのため、現在はパーントゥの近くにボディガード兼サポート役の付添人をつけ、事前に宣伝を行わず平日開催にするなど、多少ハードルを設けて観光客を絞ることで、祭りの円滑な進行を図っているようだ。
パーントゥはあくまで集落の神事であるため、もし参加を検討する場合は地元の伝統文化を尊重し、「泥まみれになってもかまわない」と心得
たうえで訪れてほしい。
(2017年取材/ムー 2018年4月号掲載)
影市マオ
B級冒険オカルトサイト「超魔界帝国の逆襲」管理人。別名・大魔王。超常現象や心霊・珍スポット、奇祭などを現場リサーチしている。
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