伝説の巨大建造物は古代メソポタミアのジッグラトか? 「バベルの塔」の真実/世界ミステリー入門
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UFOスポットとしてもしられる千貫森は、天皇陵古墳なのか否か。その答えは一冊の冊子に隠されていた。そして福島県内には、他にも古代天皇にまつわる伝説が点在していた!
千貫森は古墳なのか、否か。
現地調査でも詳細は判明せず、その後千貫森についての補足資料集めのつもりで買った一冊の絵本『UFOの里 飯野ものがたり』。
そのページを開くと別の小冊子がはさみこまれており、そこには大きな文字ではっきり、
「想像(おもい)は果てしなく 〝千貫森は、古墳だ〟」
と書かれていたのである。
えっ、千貫森古墳伝説ってまさにこれじゃないの? とページをめくると、そこには同書著者の「想像(おもい)」が克明に綴られていた。
本文をいくらか引用させていただくと、
子供の頃から、この山を見て育ってきました。(中略)高校の頃、この山は古墳ではないかと思ったことがあります。その頃から千貫森は不思議な山であり、いつも心の中で引っかかる存在となりました。
千貫森が古墳であるとすれば、円墳に近い形であるし、雄大な規模は日本一、いや世界一の円墳だと思います。
そして冊子の最後は、こう締めくくられている。
千貫森は感動の山なのです。
千貫森は小手子の造った日本一の古墳なのです。
千貫森は古代ロマンのふるさとなのです。
そして今、千貫森にはUFOが現れると言われています。
要約すると、誕生から高校時代までを飯野町ですごし千貫森を見つめつづけてきた著者は、いつの頃からから千貫森は古墳、それも世界最大の円墳ではないかと考えるようになったのだという。
そして、麓からの高さでも200メートル近くある巨大古墳を、都からの目をあざむくためにまるで昔からある森のように偽装してつくれる有力者は誰か……と推測した結果、崇峻天皇の妃である小手姫、大伴小手子しかいないと結論づけた、というのだ。
ここまではっきり書かれている以上、千貫森古墳説の起源は、1996年刊のこの本だと考えてほぼ間違いないだろう。つまり、古墳伝説は約30年ほどの歴史の、きわめて新しい「伝説」だったのだ!
わりとあっけなく古墳伝説の疑問が解明してしまったのだが、しかしこの「伝説」がまるきりゼロからつくりあげられたものかというと、そうではない。
千貫森の付近には実際に、古くから「崇峻天皇の妃である小手姫が都から逃れてきて当地に住み、養蚕や機織りの技術を教え伝えた」という伝説が残されているのだ。
古墳時代、聖徳太子の父である用明天皇が崩御すると、そのあと天皇の位に就いたのは皇弟の崇峻天皇だった。しかし崇峻天皇は事実上の最高権力者蘇我馬子と関係が悪化し、その手のものに暗殺されてしまう。
在位中の天皇暗殺という混乱のなか、崇峻天皇の第一皇子である蜂子皇子は争いを避けるために東北に逃れ、やがて東北随一の修験霊場出羽三山の開祖・能除太子となったと伝えられている。
そして、我が子である蜂子皇子を追って東北にやってきたのが、崇峻天皇の妃である大伴小手子だったというのが飯野・川俣地域にのこされる伝説だ。やがて小手子(小手姫)は当時大陸からもたらされたばかりの最先端技術だった養蚕と機織りをこの地に伝え、以後織物は当地の特産品となったという。
川俣町では、小手姫の巨大な銅像まで建立してその物語を今に伝えている。また千貫森のほど近くにある女神山には、山頂に小手姫を埋葬した陵墓がある、との伝説も残されているのだ。
『UFOの里 飯野ものがたり』はこれをベースに独自の「伝説」を提唱したということになるだろう。
この伝説だけをみると、飛鳥の都から遠く東北まで逃げてきた皇族がいるなんてなんとも突飛な話、とも思えるが、視野を福島県全域にまで広げてみると、おもしろいことがみえてくる。
福島県には、小手姫伝説のほかにも、古代の皇族が逃れてきて当地で没したという流離伝説がいくつも残されているのだ。
もっとも有名なものは、福島県の中心、福島市の市街地中心部に位置する信夫山の伝説だ。
信夫山には、欽明天皇の皇子渟中太命(ぬなかふとのみこと)が弟との皇位継承争いに敗れて落ち延び、またその母・石姫皇后も皇子を追って当地にやってきたという伝説がある。
信夫山山中に鎮座する羽黒神社と黒沼神社の祭神はそれぞれ渟中太命と石姫皇后であり、さらにもうひとつ山中に祀られた月山神社のご神体は、渟中太命が携えてきた八咫鏡(!)を模した神鏡であるという。そしてこの皇子・皇后の従者の子孫は六供・七宮人と呼ばれ、末裔とされる人たちは現在も信夫山近辺に暮らしているのだ。
福島市から南にくだって郡山市の片平地区には、悲恋の物語「采女伝説」が伝わる。
古代、当地に税の視察に訪れていた葛城親王が、土地の長者の娘・春姫の説得により徴税を免除し、さらに春姫の才覚を見込んで帝に仕える采女に取り立てる。ところが姫には地元に愛する男がいて、やがて情報の行き違いからともに命を絶つことになってしまった、という悲劇の伝説だ。
葛城親王は敏達天皇の子孫の王族である橘諸兄(葛城王)だとされるのだが、当地では都に帰った親王は晩年再びこの地に戻ってここで没し、王の御霊を祀るため墓前に建てたのが王宮伊豆神社、その近くの丘には春姫をまつる采女神社が建てられたのだと言い伝えられている。
会津の猪苗代湖畔には、なんと聖徳太子の子・山背大兄王と、物部守屋の娘が訪れたという守屋神社の伝説がある。
蘇我氏と物部氏との権力闘争ののち、争いに敗れた物部氏の姫は猪苗代湖畔の山あいの地に逃れ、隠れ住んでいた。やがて時代が下り、今度は舒明天皇の没後に皇位をめぐる政争が勃発。蘇我入鹿と対立した山背大兄王は都を逃れ、守屋の姫を頼ってこの地まできたのだが、姫は王の軍勢を敵軍だと考えて自害してしまう。その姫を祀ったのが経沢の守屋神社で、神社の奥には姫の墓がある、との伝説だ。
さらに福島市と郡山市のあいだに位置する本宮市には、敏達天皇の皇女・糠依姫の陵墓だとされる糠塚古墳がある。
このように、福島県には広い範囲にわたっていくつもの古代皇族の流離伝説が分布しているのだ。そのどれにが敏達天皇の時代に集中しているのが興味深いが、さらに興味深いことに、それぞれの伝説の古いかたちを調べてみると、そこには皇族が登場しない物語のパターンが確認できるのだ。
糠塚古墳の糠依姫は、明治時代の複数の資料では由来不詳の「あとの尊」の后とされていて、敏達天皇の皇女との記述はない。経沢の守屋神社も、明治時代の神社誌では「物部守屋の息女が逃れてきた」との社伝はあっても、山背大兄王が会いに来たとはされていない。
よく知られた片平の采女伝説でさえ、おおもとは「田舎の接待に不満だった葛城王の心を、以前采女として宮仕えした経験のある風流な土地の娘が慰めた」というコンパクトな話であり、悲恋の物語は大和(奈良)に伝わる別の采女伝説と融合することで後世に生まれたものとも考えられるのだ。
伝説は、時代を経るうちに少しずつ話が変化し、情報が盛られて新たなバージョンが生み出されていくものなのだ。その古いパターン、本来のかたちを知っておくのは当然重要だが、変遷していく流れにもまた人々の信仰や、求める伝承のかたちがあるとはいえるだろう。
そう考えれば、「千貫森古墳伝説」も、かなりあたらしい伝説ではあるが、地域の信仰や人々の思いをうかがい知るうえでのひとつのマイルストーンになる、といえるのではないだろうか。
じつは「千貫森」という呼び方じたいも比較的近年のもので、大正時代ごろまでは青木の峠山と呼ぶのが一般的だったとの証言も確認できる。伝承や伝説は、それほどに移ろいやすいものなのだ。
それにしても、あらたな古墳伝説がうみだされてしまうほどに、千貫森と小手姫がいまも地域の人々から愛され、心をひきつけていることは間違いない事実だ。
やはり千貫森からは、UFOやさまざまなものを招き寄せる特殊な引力が発されているのだろうか。
鹿角崇彦
古文献リサーチ系ライター。天皇陵からローカルな皇族伝説、天皇が登場するマンガ作品まで天皇にまつわることを全方位的に探求する「ミサンザイ」代表。
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