死を呼び込む階段井戸の深みを覗く! インド・メフラウリ遺跡公園にまつわる心霊現象/遠野そら
宗教的、歴史的な地層が厚いインドの遺跡は、必然、異界の力が高まってしまうのか……。心霊スポットと知られる階段井戸の逸話を紹介。
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パキスタンの世界遺産、タキシラ遺構群は、東西の古代文明が出会った地としても知られる場所だ。ここはまた、救世主イエスの双子の兄弟トマスが布教のために訪れた地でもあった。
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その歴史が紀元前6世紀にまで遡る世界遺産・タキシラは、パキスタンのパンジャーブ州、同国の首都イスラマバードの西約35キロ地点にあり、都市跡や寺院跡が点在する広大な遺構だ。ヒマラヤ山脈やヒンドゥークシュ山脈の南麓に位置し、近くにはインダス川が流れる。
タキシラはクシャーナ朝時代(1〜3世紀ごろ)に生まれたガンダーラ美術でも知られるが、位置的にはガンダーラ地方の東隣になる。とはいえ、文化圏はまったく同一である。
なお、このパキスタン北部一帯は、歴史学では「古代西北インド」と呼ばれる。
さて、このタキシラ遺構の総合受付は、タキシラ博物館にある。同博物館は小規模ではあるが、美しいガンダーラ仏やヘレニズム様式の美術品で知られ、シルクロードにおける西方の影響を強烈に印象づけられる。
博物館の南側には、この遺構最古の都市跡ビール・マウンドが広がる。今は基礎が残るだけだが、かのアレクサンドロス大王(紀元前356〜前323年)やアショーカ王(紀元前304?〜前232年?)によって支配された時代の首都であった。
車に乗って博物館の北西1.5キロにある都市シルカップを訪れる。公開中の遺構は東西200メートル、南北600メートルで、碁盤目区画で構成されている。実はこの遺構には、奇妙なものが散見される。たとえば入り口にある案内板の一文に『西暦40年に使徒トマス(?〜72年)が来訪して、王の宮殿に迎えられた』とある。また、遺跡の南端には「聖トマス教会跡」の看板が立つ複合建築がある。小さな抗には「洗礼用井戸」という立札もある。このように、なぜかキリスト教の使徒トマスの名が目立つのだ。
この謎については後述するとして、大通りを歩く。すると、各種仏塔跡や太陽寺院などが並び、この地がまさしく宗教学術都市であることがわかる。最大の見物は、やはり中心部に位置する「双頭の鷲のストゥーパ」だろう。基壇に残る彫刻はギリシア、西アジア、インドの各様式を反映して、文明の交差点としての性格をよく表している。
次に再び車にて、アショーカの遺産であるダルマラージカー仏塔を訪れる。
この場所はタキシラ博物館の東約2キロの高台にあり、大仏塔を中心とする複合建築が並ぶ。アショーカは仏陀の聖遺物を収めるために全国に大仏塔を建設したといい、ダルマラージカー仏塔はそのひとつで、パキスタン最古の仏塔ともいわれる。古い建築ゆえ崩壊が激しいが、現状でも高さ15メートル、直径50メートルという威容を誇る。また残された基壇部分にはヘレニズムの影響が見られる。なお、周囲の小仏塔にはギリシア神話のアトラス神の彫刻などもあり、興味深い。
他にもタキシラには多くの遺跡があるが、特筆すべきは仏教僧院ジョーリヤーンやモーラモラドゥである。これらは誕生当時のガンダーラ美術を残し、数々の美しい彫刻品は必見である。
実はタキシラは、歴史の渦に巻き込まれた地であった。前述した使徒トマスの謎も、その渦のひとつであるといえる。それについて触れる前に、まずはタキシラの歴史について述べる。
タキシラは紀元前6世紀、アケメネス朝ペルシア(紀元前550〜前330年)の属州として登場する。そして紀元前326年には、アケメネス朝を滅ぼしたギリシアのアレクサンドロスが訪れている。元来タキシラはシルクロードの交差点として栄えていたが、アレクサンドロスの東征によって中東、ギリシア、さらにエジプトとも直結されたのだ。こうして以降の古代西北インドは、ペルシアやギリシアの思想文化の影響を強く受けることになった。また大王が各地に残したギリシア移民や末裔たちも文化の担い手となり、後のガンダーラ文明の土台となっている。
大王の死後、彼の築いた帝国は臣下たちが分割統治したため、タキシラは一時、シリアのセレウコス朝(紀元前312〜前63年)に入ったが、ほどなくガンジス川中流に興ったマウリヤ朝(紀元前317〜前180年ごろ)の勢力下に入った。そして紀元前3世紀中ごろ、敬虔な仏教徒であったアショーカが、各地に大仏塔を建て、タキシラにもダルマラージカー仏塔を建立して重要な聖地とした。
彼の仏教拡大はエジプトのプトレマイオス朝(紀元前305〜前30年)へ使節団を送り、首都アレクサンドリアに仏教教団の記録を残すまでに至った。
アショーカの治世をピークに、マウリヤ朝は衰退、やがて滅亡した。そこへバクトリア(現アフガニスタン)のギリシア諸王が侵入して前述のシルカップが築かれ、以降の歴代王朝の中心地となった。さらに時代が下ると、北方草原民族やインド・パルティア族(パルティアは旧セレウコス朝の東半部)の支配に代わった。実はこのインド・パルティア王ゴンドファルネスこそが本稿の鍵を握っているかもしれない。
1世紀後半、インドから中央アジアまでを統治したクシャーナ朝が興った。この王朝も仏教保護を行ったため、ギリシア文化(ヘレニズム様式)を基礎としたガンダーラ文明が発展した。前述したように、現在見るガンダーラ美術はこの時代に開花したものである。
3世紀、クシャーナ朝はペルシアの攻撃で衰退するが、タキシラではクシャーナ族の支配が続き、5世紀の遊牧民の侵入まで存続した。度重なる怒濤の権力交代にあいながらも、タキシラは1000年以上にわたって古代西北インドの中心として栄えたのだ。
タキシラの長大な歴史のなかに、奇妙な逸話がある。キリスト教の使徒トマスがこの地で布教を行ったとする話だ。シルカップに、彼の存在を裏づける証左があることは前述した。これは『新約聖書(以下、聖書)』の外典「使徒ユダ・トマスの行伝(以下、トマス行伝)」によっても伝わる。同書は2部構成で、前半がタキシラ王の改宗を中心とする話、後半は南インドでの布教となっている。実はこの前半のタキシラ王=インド・パルティア王こそがゴンドファルネスだ。
だが「トマス行伝」は長らく創作とされてきた。周知のように聖書には正典と外典があり、正統派教会が認めた正典には、かの4福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)をはじめ27の文書がある。一方で外典は空想、異端とみなされて「トマス行伝」も同列に扱われた。
しかし近年、架空の人物とされていたゴンドファルネスが、西北インド各地から出土するコインの図柄から実在が確認され、しかも近くのタフティ・バヒー遺跡(パキスタンの世界遺産)の碑文から、在位が20〜46年と判明してトマスの活動期と一致することがわかったのだ。
シルカップに残されたトマスの足跡、当時の王の実在――こうした状況証拠を重ねてみるに、やはりトマスはタキシラを訪れていたのだ!
話は若干それるが、ここに興味深い説がある。トマスが「イエスの双子の兄弟」であるというものだ。聖書ではイエスの兄弟に関して、2正典福音書がヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダの4兄弟を伝える。そしてイエスの直弟子はすべての正典福音書が有名な12使徒を伝え、文書間で個々名は異なるがトマスは全書に見える。なかでも「ヨハネ福音書」にはトマスは「ディディモと呼ばれているトマス」という呼称で見られる。
ディディモとはギリシア語で双子のこと。しかもトマスもアラム語で双子を意味する。従って3正典は彼を「双子」と呼び、「ヨハネ福音書」では2か国語で双子を重ねている。この謎は「使徒ユダ・トマスの行伝」という「トマス行伝」の正式名から、彼の本名が「ユダ」であることで解ける。
さらには、「トマス行伝」第11章に「ユダの姿をしたイエスが話している。私はユダの兄弟である」(筆者略)とあり、同39では奇跡の驢馬(ろば)が「ユダに言った『キリストの双子、高き者の使徒よ』」(筆者略)とある。従ってトマスは4兄弟のユダであり、イエスと双子であったことが類推される。
実はこれを裏づける発見が1945年にあった。エジプトで農夫が発見した「ナグ・ハマディ写本」と呼ばれる13の初期キリスト教文書だ。これに、「トマス福音書」と「闘技者トマス書」がある。前者序文には「イエスが語った隠された言葉。これをディディモ・ユダ・トマスが書き記した』(筆者略)とあり、後者ではイエスがトマスに「お前は私の双子兄弟であり真の友」、と語っている。
この2文書はトマス名こそあれ著者は別人とみられ、意図せずユダが双子であったことを証明する。
ところで、このトマスの布教が驚くべき展開を招いた可能性がある。なんと、日本にも直結する大乗仏教が、インドとキリスト教の出会いで生まれたというのだ。これはどういうことか?
そもそもアショーカ時代の仏教とは、仏陀が提唱した「個の解脱」を目指す上座部仏教で、特別な出家者教団による修行世界であった。翻って衆生済度を旨とし、すべての生き物の救済を目指すのが大乗仏教であり、これが1世紀ごろに西北インドで起こったことは確実だ。その大乗発生の要因が、トマスにあったというわけだ。この「キリスト教=大乗の始まり」説を支持する研究者は決して少なくない。
理由としては、まず上座部仏教にはない大乗の利他主義に、キリスト教との共通性が見えること。奇跡によって人々の苦しみを癒したイエスの姿は、大衆の救済をも目指す大乗教義と重なる。
次に興味深いことは、大乗の阿弥陀信仰では浄土は西方にあるが、「アミダ」の語源をトルコの都市ディヤルバクルとする説が存在するのだ。実はこの地はローマ帝国時代に「アミダ」と呼ばれ、現在の大モスクはかつて聖トマス聖堂であった。また最古の聖母マリア教会にはトマスの遺骨がある。よって西方浄土とは、トマスを奉るアミダであったというのだ(参考「大乗仏教の誕生とキリスト教」平山朝治著)。
また、風変わりな「変成女子」の類似も見逃せない。これは大乗法華経にある教説で、簡単にいうと「女性は男性に変化して成仏できる」という考えである。その根底には古代の女性差別と、逆にそれを回避するための仏教の平等主義がある。それに酷似した部分が「トマス福音書」第114章にある。
『使徒ペテロがいう「女たちは命に値しない」、(それを諭して)イエスは「私は彼女を天国に導く。どの女たちも自分を男性にするならば、天国に入るであろう」』(筆者略)というものだ。
――広大なタキシラ遺構では多くの遺物が見つかっている。東西文明の激突を始め長い歴史を持つため、どの部分を切り取るかで見え方が変わる。だが多数の古代文書や状況証拠を切り貼りすると、以下の図式が見えてくる。
「イエスが最も厳しいインド布教を一番信頼できる双子兄弟トマスに託し、北西インドにキリスト教がもたらされた。そしてその影響を受けた仏教が、革命的変化を遂げて一般向けとなり、日本まで及んだ」。むろん想像力を働かせた展開だが、これらを繋(つな)ぐ部分は確かな歴史文書や考古学であり、今後さらなる深化が望める。
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