サンタクロースは冬至の来訪神だ! 異界からの豊穣と復活を迎えるクリスマスのルーツ/遠野そら
サンタクロースの起源として知られるクランプスをはじめ、冬至の来訪神を紹介。おそろしい彼らがもたらすのは春に向けた豊穣である。
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風光明媚な景観で知られる地中海沿岸。かつてその多くの地域には、高度な海洋航海技術や交易を誇る都市国家で構成された一大文明が栄えていた。古代フェニキア文明──。だが、その繁栄の奥に潜む闇には恐るべき邪神が君臨していたのだ。
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2019年11月、イタリア、ローマの古代闘技場遺跡コロッセオに、無気味な巨像が展示された。これは紀元前の邪神モレクを象ったもの。人々はこの神のために、神殿もしくは祭壇を造って像を安置し、人間の幼児を丸焼きにして捧げたという。
像の原型は古代ローマ時代の植民都市カルタゴを描いた映画「カリビア(1914年)」に登場したもので、映画では半人半獣像の胸が竈になっており、人々が生きた幼児を次々に火中に投げ込んでいる。おそらく映画は古代ギリシアやローマが伝える幼児の生贄伝説をもとに製作されたものだが、1920年代にカルタゴの古代墓地で無数の幼児の遺骨が発見されて、伝説の真偽をめぐる論争が再燃した。
そもそもモレクとは『旧約聖書』が伝えるカナンの神である。紀元前の地中海地方では、羊や牛を丸焼きにして神に捧げる「燔祭」が広く行われていたが、カナンでは最上の供物として人間の幼児を捧げたという。カルタゴは北アフリカ、チュニジアの古代都市だが、レバノンの古都テュロスが造った植民市であったから、幼児燔祭の起源もテュロスだったと考えられる。
テュロスの主神はメルカルト(Melqart)で、これは「都市の主(mlk qrt)」に由来し、モレクのヘブライ語名mlkと繋がる。
さらにメルカルトは古代シリア、パレスチナの最高神バアルの息子とされるが、「メルカルト≒バアル」という説もあるだけに「メルカルト≒モレク」という可能性も浮上する。
ここでテュロスとカルタゴに代表されるフェニキア文明について触れたい。
フェニキアとはギリシア人による古称で、地中海の東海岸、シリア南部とレバノンの海浜地区を指す。またカナンはフェニキアを含む広い地域、主にシリア南部とパレスチナ全域をいう。
フェニキアは北からウガリット、ビュブロス、テュロスなどの海港都市が並び、レバノン山脈に自生する杉をエジプトに輸出して栄えていた。また副次資産として、杉を運ぶ大型船の建造技術と優れた航海術によって、地中海の覇者として君臨していた。カルタゴはテュロスの西進拠点として築かれた植民市で、全盛期には母都市を凌ぐ勢いでローマと制海権を競っていた。
なおテュロスにとっては、前12〜13世紀の謎の民族「海の民」の襲来から、前4世紀のアレクサンドロス大王の到来までが、より重要な時代であったといえる。「海の民」の暴虐ぷりはエジプト侵略やヒッタイトを滅亡させたことで知られ、ウガリットなどの初期フェニキア都市も滅ぼした。一方で彼らの移住を機に、テュロスがエジプトやイスラエルとの交易で大いに栄え、フェニキア文明の主役となったのだ。
だが、現在のテュロスにモレクの残滓はない。陽光溢れる海岸と美しい街並が続き、ギリシアやイタリアの観光地と変わらない。旧都はかつて本土沖の要塞島にあった。しかしアレクサンドロスの埋め立て作戦によって、本土と地続きにされ陥落した。今では2000年の潮流が白砂を集め、埋め立て地は美しい半島になっている。
残念なことに現在露出している遺跡はすべてローマ時代の建築物で、フェニキア時代の遺構はローマの破壊によって消失した。モレクへの生贄は「都市の難事に行われた」ともいうから、アレクサンドロス軍との攻防戦でも行われた可能性がある。
だがその現場と思しきメルカルト神殿は前5世紀に訪れた歴史家ヘロドトスが『おびただしい奉納物のなかに2本の巨大角柱があり、ひとつは黄金製でもうひとつは闇にも輝くエメラルド製である』と豪華さを伝えるだけで、ギリシアの記録にモレクに係るものは見当たらない。また『旧約聖書』のモレクへの記述にも、テュロスに関係するものはない。
というのも、時間軸において長大な『旧約聖書』の編纂には、現在「嘆きの壁」が遺構として残る、かつてのエルサレム神殿が造られたイスラエルの最盛期があり、その当時は自前の銅山と精錬技術に加え、テュロスの海運を借りて共存共栄した蜜月の時代であった。そもそもエルサレム神殿を造った技術や工人もテュロスのものであり、盟友のモレク信仰に対する非難は忖度のなかに秘められたのかもしれない。とはいえ繰り返すが、モレクmlkと主神メルカルトmlk qrtの類似など、モレクの起源はこの地域にあるとされる。
ローマ遺跡による上書きはカルタゴも同じで、遺跡の核心部の多くはローマ建築である。しかし古代都市の南外れに巨大なフェニキアの円形軍港が残っており、この近くで先述の古代墓地の発掘調査が行われて無数の幼児の遺骨が見つかった。
カルタゴのモレクに対する記録はかなり具体的である。前3世紀の歴史家クレイタルコスによれば『ご利益のため、自分の子供のひとりを生贄として捧げることをクロノス(カルタゴにおけるモレクのギリシア名)に約束した』とあり、さらに『子供は青銅のクロノス像の差し出した腕の中に置かれ、その下の燃えさかる炉の中へ転がり落ちていった。その幼子の手足は縮こまり、顔は笑っているかのようだった』と伝えている。
また、紀元1〜2世紀の著述家プルタルコスによれば『子供のいない夫婦が生贄にするため、貧民から子供を買った』とか『親が泣き叫んだりしないように、生贄の子供は笛と太鼓が鳴らされるなかで喉を切られた』と伝えている。(以上参考『フェニキア人』グレン・E・マーコウ著)
そのほかにもカルタゴでの幼児生贄の記録が古代ローマやギリシアの遺跡などに残っており、初めて『旧約聖書』のモレクに肉付けがされている。こうした古代記録がベースにあって、近代の考古学調査が幼児の遺骨を発見したのだ。その中には、明らかに「火葬(燔祭?)」の跡が確認されるものがあり、モレクが邪神としての片鱗を現したかのようである。
残念なことに、紀元前のモレクの彫像やレリーフは発見されていない。そもそもフェニキア人の宗教は、神を人格化しなかった。またカルタゴのモレクとされた神は「高い頭飾りと長いローブを纏い、手に槍を持った人物」で、コロッセオの巨大像とはまるで異なる。
実は映画の半人半獣像の原型はさして古くない。最近の研究で『旧約聖書』では姿形のないモレクに、ギリシア神話のミノタウロスのイメージを被せたことがわかっている。ミノタウロスはクレタ島の王妃が産んだ牡牛の息子で、人身に牛頭を持った怪物である。非常な暴れ者だったので迷宮に封印され、毎年アテネに14人の少年少女を生餌として貢がせていた(クレタ島の迷宮伝説)。おそらく先述のカルタゴの記録を基に、地中海と生贄というキーワードを重ねて、近世ヨーロッパで人身牛頭のモレク像が創出されたのだろう。
また興味深いことに、そもそもモレクとは神ではなく幼児燔祭の「儀式」自体を指すという研究がある。膨大な『旧約聖書』(以下、すべて英語版拙訳)にモレクは8回登場するが、いずれも「神」とは明記していない。
「エレミア書」19:5では『彼らは火中で息子たちを焼いて、バアルに燔祭を捧げるため』と語っている。同じく「エレミア書」32:35ではモレクとバアルが同時に登場して『モレクに向けて彼らの息子娘たちを火に通らせるため、ベンヒノムの谷にバアルの高き所を建てた』と述べて儀式説を後押しする。
先にメルカルト(モレク?)≒バアルなる見方を示した。繰り返しになるがバアルは古代シリア、パレスチナの最高神で、名前の意味は「主」であり、広範にバアル・○○○という神名がある。先述のカルタゴのモレクも本名はバアル・ハモンで「火鉢の主」を意味する。
そもそもバアルは前3000年紀から前1000年紀の活動的な男神で、妻の豊穣の女神アシュタルテとともに人々の篤い信仰を集めた。バアルは稲妻を持つ雨期に蘇る植物の人格化で、主に農民に親しまれた。その点で、古代には遊牧民の神であったユダヤのヤハウェとは対極にあったといえる。
バアルといえば、フェニキアの聖地バールベック(バアルベック)が思い浮かぶ。バールベックすなわち「ベッカー高原の主」はバアル信仰の総本山的な場所であった。そしてアレクサンドロス以降は、その稲妻を持つ姿から同じギリシアの稲妻の神ゼウスに習合し、その後はローマ時代まで主神をゼウス(ユピテル、ジュピター)として各地から多くの巡礼を集めた。バールベックの遺跡は、同じレバノンにありながら清々しい海港都市テュロスとは真逆、雑然とした街にある。しかし巨大列柱のゼウス神殿の重量感や、往時と変わらず見事なディオニュソス(バッカス)神殿に、改めて古代ローマの建築技術に驚嘆させられる。
ここからは私見だが、この他に類を見ない立派なディオニュソス神殿に何か怪しいものを感じる。
ディオニュソスはゼウスと人間女性との間の子だが、ゼウスの正妻の怒りに触れて母は出産前に殺され、その後ゼウスの腿で育まれ産まれた。この異常な誕生に加え、彼はアジア各地を旅して異文化を取り込み、その信仰形態では怪しい集団祭儀を伴ったという。つまりこの神には狂気と魔力が潜んでいるといえる。
興味深いことにバールベックはゼウスとディオニュソス、美と愛の女神アフロディテ(ヴィーナス)の3神を祀る3神殿で構成されているが、既述のようにゼウスはバアルに比定され、出自がアジアの女神であったアフロディテは、バアルの妻アシュタルテに比定されている。これらの関係性は、テュロスにおけるバアルとアシュタルテ、そして、メルカルト(モレク?)と符合する。
しかしフェニキア時代のバールベックについても、モレクの歴史記録の乏しさは同様である。
古代資料が伝えるモレクの舞台は、場所特定がきわめて困難であることを述べた。そのうえ関連地域の言語、神名神格の氾濫、重複が入り乱れて、解明の困難さに拍車をかける。
しかしモレクの出自である『旧約聖書』に立ち返るなら、その現場としてエルサレムの「ヒンノムの谷」が特定できる。それはユダヤの邪神崇拝に触れた文脈のなか、前8世紀のユダ王国のアハズ王とその孫の前7世紀のマナセ王の所業に明記されている。
まず「歴代志下」28:3には『(アハズ王は)ヒンノムの谷で香をたき、彼の子らを火に焼いた』とあり、「歴代志下」33:3〜6は『(マナセ王は)父ヒゼキアが壊した高き場所を再建し、バアルのために祭壇を築き〜略〜ヒンノムの谷で彼の子らを火に通らせた』とある。この一連はアハズが邪教に堕ち、息子のヒゼキア王が回復したものの、再びマナセが邪教に堕ちて幼児燔祭を行ったと伝える。
「ヒンノムの谷」はエルサレムに現存する。エルサレムは三方が谷に囲まれている。その南の谷が燔祭の場所であった。小さな谷で、現在見ると傾斜した緑地帯で、めぼしい建物や遺構はない。しかしアハズやマナセは、この谷のどこかにバアル(実際はモレク?)の祭壇(もしくは神殿)を築き、モレク信仰を行ったのだ。
エルサレムは著名な聖地だが、町外れの小さな谷など訪れる者はほとんどいない。だが繰り返された忌わしいモレク信仰によって、やがてこの谷では汚物や罪人が焼却されるようになる。そして、いつしか「ヒンノムの谷」を意味するヘブライ語のge ben hinnomから転じたGehenna、すなわちゲヘナがあまりにも有名な「地獄」の代名詞となったのである。
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