捨てられた老婆の、しぶといその後とは? 本当は怖い「姥捨て山」

文=朝里樹 イラストレーション=zalartworks

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    だれもが知っている物語の裏に語られているものとは!?

    子供向けの絵本とは異なる原型

     昔話、それはその名の通り現在より過去のいつかの時代にあったこと、という体裁で語られる口承文芸のひとつだ。時代は「むかしむかし」という不特定の時代とされ、動物や妖怪、神様や幽霊など、さまざまなものが登場する。
     そして昔話を聞かせる対象は、多くの場合幼い子どもである。そのため、昔話の多くは教訓を含んでいたり、残酷な描写がなかったり、ハッピーエンドで終わることが多い。しかしその原型を辿ると、子どもに聞かせるには恐ろしい内容だということも多々ある。

     そこで今回は、今もよく知られている昔話が、かつてどのような形で語られていたのか、それを探っていきたいと思う。

    母と息子の心の絆を描いた話

     さて、ここまで紹介してきた話には、必ずおじいさんかおばあさんが登場した。彼らは動物たちに恩返しされたり、英雄を生み、育てたりした。
     今回紹介する話は、そんな老人が脇役ではなく、主役になる話だ。題名は「姥捨て山」。現在知られるのは、哀しくも温かな親子の話だろう。

     昔ある山奥に、60歳以上になった者を持つ家族は、たとえ親であっても山へ捨てなければならない、という決まりがある村があり、その山は「姥捨て山」と呼ばれていた。
     この村にひとりの息子と年老いた母親の住む家があったが、とうとう母親が60歳になり、息子は泣く泣く母親を背負い、姥捨て山を登った。
     子の背中で母親は行く先々の枝を折っていた。息子がそれを道しるべに帰るつもりかと尋ねると、母は自分ではなく、お前が帰り道に迷わないようにだと答えた。それにますます涙が止まらず、何とか山奥に辿り着いた息子は、母親をそこに降ろした。しかし帰り道を辿る途中、母の折った枝を見て、どうしても母親を置いて帰ることができず、急いで引き返して母親をおぶり、家に帰った。
     その後、息子はこっそりと家の床下に隠し部屋を作り、そこに母親を隠した。
     そして素知らぬ顔をして毎日を過ごしていたが、ある日、突然殿様が「灰で縄を編め」と村人に難題を出した。
     村人たちはそんなことができるはずがないと途方に暮れていたが、この話を聞いた母親が息子に「固く編んだ縄を塩水につけて、乾いたら焼けばいい」と教えた。息子がいわれたとおりに灰縄を作り、殿様に持っていくと、殿様は喜んで息子に褒美を与えた。
     しかし殿様は次に「根元も先もまったく同じ太さに加工されている木の棒のどちらが根元でどちらが先かを当てよ」という難題を出した。息子が考えあぐねていると、母親が水に浮かべて下を向いた方が根だと教えたため、これも答えることができた。
     殿様は大喜びし、息子に何でも褒美をやるといったため、息子は実はこれを考えたのは自分ではなく、母親だと教えた。すると殿様はその母親の知恵に感心し、それ以降は老人を捨てることをやめさせたという。

     このように、現在知られる話は年老いた母親(父親)を捨てることができず、連れて帰ったことでその知恵を借りることができ、殿様を感心させてハッピーエンドに繋がる、という展開が語られる。親は大切にしなければならないという教訓も込められているのだろう。

    月岡芳年による「月百姿 姥捨月」(1891年刊、国立国会図書館蔵)。

    捨てられた老婆が幽霊となる

     この「姥捨て山」の原型は平安時代に成立した歌物語『大和物語』や説話集『今昔物語集』にすでにあるが、捨てられるのは親ではなく叔母(姨)である。そのため「姨捨山おばすてやま」と呼ばれ、捨てられる理由も甥の嫁が姑のような夫の叔母を疎み、夫に叔母が悪心を抱いていると吹き込んだから、となっている。

     甥は年老いた叔母を寺で貴い法事があるからと騙し、高い山へ登り、年老いた叔母が下りられないような場所まで来ると、叔母を背から下ろし、逃げ帰った。叔母は必死に声を上げたが、甥はそれを無視した。しかし家に帰ってから自分のしたことを後悔し、もう一度山に登って叔母を連れ帰ったという。

     掟によって不可抗力的に老人を捨てに行く現在の話に比べ、初期の姥捨て山の話は展開もどろどろとした人間関係が垣間見え、生々しい。
     このように、古くから知られている姥捨て山の物語であるが、捨てられた人間は再び連れ帰られるか、どうなったのかわからないまま終わる。

     しかし、室町時代には捨てられた老母のその後を描く作品が作られた。それが、世阿弥の能『姨捨』である。

     ある年の秋のこと。都の人が信濃国更科さらしなの名月を眺めようと思い立ち、従者とともに姨捨山に登る。
     すると更科の里の者だという女が現れる。都の人はかつてこの山で老婆を捨てた場所が近くにあるかと姥捨の故事を尋ねるが、女はその場所に都人たちを案内し、執心の闇を晴らそうと今宵現れ出たと自分の正体がかつてこの山に捨てられた老婆であることを明かし、消える。
     その後、都の人らが山で夜を迎えると、白衣をまとった老婆が現れ、月光の下で舞い、姨捨の山の月の美しさを讃える。しかし夜が明けるとともに京の人たちはその場を去り、老婆はひとりそこに残される。この山は再び姥捨山となってしまったのだ。

     ここで描かれる老婆は幽霊であり、姥捨ての犠牲となった人物がいたことがはっきりと示される。
     世阿弥の幽霊能はこの作品のようにかつて死んだ人間の幽霊が旅人や僧侶と出会い、自らの過去を語る、という形式を取るが、多くの死者は自身が死んだ場所に留まりつづける。『姨捨』で山に捨てられた老女もまた、いつまでも自分が捨てられた山で月を見上げつづけるのだ。恐ろしくも、哀しい印象を抱かせる作品だ。

    本当は怖い「日本昔話」(ムー4月号) zalartworks

    昔話は語られて変化していく

     さて、ここまでいくつかの昔話がどのようなものであったかを紹介した。今回主に使用した資料は文献に残る物語や演劇だが、昔話は口承として語り継がれるものでもあり、その地域独自の展開を見せる話も多い。
     ゆえに、今回示した物語たちは、ほんの一部に過ぎない。捜してみれば、もっと怖い話も、もっとおかしな話もあるかもしれない。興味を持ったなら、ぜひその昔話について調べてみてほしい。そこには子どものころには気づかなかった、奥深い世界が広がっているはずだ。

    (月刊ムー2024年4月号)

    朝里樹

    1990年北海道生まれ。公務員として働くかたわら、在野で都市伝説の収集・研究を行う。

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