龍がのたうち回る台座の秘密とは!? 宮崎・観音寺「龍王観音」が放つ日本一のインパクト/小嶋独観
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江戸時代の琵琶湖畔で、幻の生物・龍の骨が発掘されていた! その骨は現存し、今でも博物館で保管されているという。
お正月にはひっぱりだこの「今年の干支」も、1か月もすると微妙に忘れられがち。あらためて確認すると2024年は辰年、今年の干支は龍だ。
龍は十二支のなかでは唯一の実在しない幻の生き物だが、意外にも龍が出現したという伝承や目撃談は数多く残されている。なかには江戸時代の“実話怪談”かと思えるような奇妙な龍との接近事例もあるのだが(こちらの記事を参照)、そんな目撃情報とはまた別に、古くから「龍の骨」といわれるものも少なからず世間に流通していた。
東洋では、龍の骨には不老長寿の薬効があるといわれて漢方の原料にも用いられてきたのだが、なかでもとびきりおもしろい来歴をもった「龍の骨」がある。なんとそれは明治時代に旧大名家から皇室に献上されたもので、いま現在も東京上野の国立科学博物館に保管されているというのだ。
皇室献上の龍の骨!
世にも稀なるその逸品は、いったいどんな経緯でこの世に現れたものなのだろう。
今から200年ほど前、文化元年(1804)の近江国(現在の滋賀県)伊香立村南庄(いかたちむら みなみしょう)でのこと。ここに新しい農地の開墾にはげむ市郎兵衛さんという農民がいた。
市郎兵衛さんは牛をつかって土地を耕していたのだが、なぜか一か所だけ、そこにくると牛の足がとまってしまうという場所があった。せきたててもどうしても前に進まないということが何度も続き、仕方なく市郎兵衛さんはそこだけは自分で耕すことにした。すると、その土のなかから、見慣れない奇妙な石のようなものがごろごろと姿を現したのだ。
石は全体的には白っぽいが黒や赤など五色を有していて、どうも巨大な骨のようにもみえる。その量はかます(わら袋)8杯分にもなり、市郎兵衛が珍しいものを掘り出したという噂は早々に広がって近隣から見物人が押し寄せるようになる。どうしたものかと方々相談した結果、市郎兵衛さんは代官所に申し出たうえで、その奇妙な石を当地のお殿様である膳所藩主本多康完(ほんだやすさだ)に献上することにしたのだ。
お城に運ばれた石のような骨のような物体は当時の学者たちによって調査され、その結果「龍の骨である」との鑑定結果がしめされる。領内から瑞獣である龍の骨が出現するとはなんという吉兆、ということで、お殿様は発見者である市郎兵衛に米10俵とともに「龍」の苗字を授け、さらに土地の年貢を免除するというお沙汰をくだした。市郎兵衛さん、龍の骨を発掘したおかげでたいへんな幸運を手にしたのである。
お殿様はさらに、龍にちなんでこの土地の名前を「龍谷」と改めさせるのだが、市郎兵衛は龍谷となったこの発掘現場に「伏龍祠」というちいさな社を建て、龍の祟りなどがないように丁重に祀っている。
献上された龍の骨は翌年には城下の民にも見物が許され、その後は長く本多家の宝として秘蔵されることになった。毎年正月三が日だけ城下の民に公開するのが膳所藩の新年恒例行事になっていた、ともいう。また献上されず地元に残された一部の龍骨は、肩や歯など体の悪いところをさすると不思議とよくなる宝物として珍重されたそうだ。
まるでおとぎ話のような話だが、これはすべて文書なども残されたれっきとした史実。龍の骨は調査の過程で絵師らによる記録画も残されていて、現在までに模写をふくめて数種類の「龍骨図」が知られている。次の絵はそんなもののうちのひとつ。これが当時の人々を驚かせた龍骨だ!
バラバラに掘り出されたの龍骨を組み上げて「復元」したものと思われるが、その姿は、頭部に2本の角、大きく開いた口部に下あごなど、牙こそみえないが肉付けしたらたしかに龍の顔ができあがりそうなビジュアル。この図には頭部の写ししかないが、現在博物館などに所蔵されている絵巻には腕骨なども描かれている。やはりこれは本物の龍の骨なのか……。
土のなかでの眠りから目覚め、本多家の宝として秘蔵されることになった龍の骨は、明治維新をむかえるとふたたび激動の運命をたどることになる。
明治7年、最後の膳所藩主から一華族へと立場をかえた本多康穣(ほんだやすしげ)は、伝来の龍骨を皇室に献上。龍骨は帝室博物館の所蔵となり、変遷をへて国立科学博物館に保管されることになった。世にも稀な「大名家の家宝から皇室献上品に」という異色の経歴をもつ龍の骨は、こうして誕生したのだ。
さて、となると今でも国立科学博物館で「龍の骨」が見られるはずだが、残念ながらいくら探しても、恐竜はいても「龍」の展示はでてこない。
存在を秘匿されているのか……?
というわけではなく、現在、その龍の骨は「ゾウの化石」として管理されているのだ。
龍骨が献上されたのは明治7年だが、その翌年、明治8年にドイツからひとりの地質学者が日本に招聘されている。いわゆる「お雇い外国人」として東京大学の教授となった、ハインリヒ・ナウマン。ナウマンゾウの名前の由来でもある、日本近代地質学の祖となった人物だ。来日後、ナウマンは古代日本列島にゾウが生息していたことを調査研究し、その成果を論文に発表している。このとき調査につかわれた化石のひとつが、帝室博物館に保管されていた近江産の化石、つまり市郎兵衛さんが掘り出した龍骨だったのだ。
化石に詳しい人ならば先ほどの「龍骨図」でもこれはと思ったかもしれないが、龍の下あごとされているあたりの形状は、まさにゾウの臼歯そのもの。明治以前、サメの歯の化石が天狗の爪といわれる例があったように、ゾウなど大型生物の化石は龍の骨とされることが多かったのだ。南庄の龍骨は明治7年に本多家から博物館に移されていたからこそナウマンによる調査が可能になったわけで、市郎兵衛さんの発見とお殿様の決断はめぐりめぐって日本の科学史にも大きな影響を与えたといえるかもしれない。
さて、伊香立村南庄で発掘された龍の骨=ゾウ化石は国立科学博物館に収蔵されたほか、一部は市郎兵衛の子孫である龍家に遺されていて、後に地元の博物館へ寄贈されている。歴史的遺物であることは間違いない。
では、龍が掘り出された現場である南庄の龍谷に建てられたという「伏龍祠」はどうなっているのだろう。なんと、こちらも現存しているのだ。
近江国伊香立村南庄は現在の滋賀県大津市伊香立南庄町。琵琶湖の西部、琵琶湖大橋から西に5キロほどの場所にある。JR堅田駅から現場を目指して進んでいくと、やがて「南庄」の表示板がみえてくる。
田んぼの広がる風景をながめながらさらに進むと……
のどかな景色のなかに姿を現すのが……
伏龍祠だ!
祠は台風などで倒壊し何度か建て直されているそうで、現在のものは石製となっている。この場所から出土した「龍の骨」が、半世紀以上ものちにはるばる東京まで運ばれ、科学史にも足跡を残すことになった……とその来歴を想像しながら眺めると、あらためてそのユニークな運命に興味が尽きない。
ところで、龍骨が出土した伊香立には、龍にまつわるおもしろい伝説がある。概要を紹介しよう。
ーー奈良時代、聖武天皇の御代に近江国の山中に一匹の龍が住んでいた。勅使がこれを退治にむかったところ、八幡神から2本の矢が与えられる。白鷺に導かれた勅使は岩の上から龍の目を射抜き、剣で龍をまっぷたつに切り裂きみごとに退治。その後龍の上半身と下半身を別々の場所に埋め、首を埋めた場所を「伊香龍」と名付けた。龍骨が出土した伊香立とは、この伊香龍(いかたつ)が変化した地名ではないかーー
というもの。まるで神話のようなRPGのような、そして伊香立から龍骨が出土することは必然だったとでもいうかのような話だ。やはりあの骨はゾウではなく、龍だったのか?
……とも思いたいのだが、ひとつ注意が必要。この伝説は龍骨の調査をまとめるのにあたり平群政隆(へぐりまさたか)という人物により記されたものなのだが、平群政隆は別名を椿井政隆(つばいまさたか)という。知る人ぞ知る偽文書作者、あの「椿井文書」の椿井政隆だ。たったひとりで膨大な、それも巧妙な偽文書(それらをまとめて「椿井文書」と呼ぶ)を書き残したため近畿地方の歴史研究を混乱に陥れているというほどの椿井だが、その偽文書作成が本格化したのが、まさにこの龍骨の文書を手がけた時期なのだという。
じつは伊香立の“伝説”では、龍を退治した勅使は椿井政隆のご先祖さまだったということになっている。龍骨出土という瑞兆にちゃっかり先祖の活躍をさしこんで創作するあたり、偽文書クリエイターの真髄が見え隠れしている、とも感じられる。
話はそれてしまったが、伝説、信仰、科学、偽書……と、あまりに多くの虚実が輻輳する、南庄の龍骨。龍骨そのものが虚実の結節点になっているようでもあり、やはり龍の骨には人間を翻弄するふしぎな力が宿っているのかもしれない。
参考文献
『近江の竜骨―湖国に象を追ってー』松岡長一郎著、サンライズ印刷出版部
『化石風土記 わたくしたちの化石』西沢勇、岩島幾芳著、樹石社
「大衆文芸」46巻8号「伏龍骨発掘」徳永真一郎(新鷹社)
『太平洋に於ける民族文化の交流』清野謙次著、創元社
「地学研究 = Journal of geoscience」Vol.28 No.7-9 「堅田町伊香立南庄の伏竜祠再建」荻原新一(益富地学会館)
『椿井文書―日本最大級の偽文書』馬部隆弘著、中公新書
鹿角崇彦
古文献リサーチ系ライター。天皇陵からローカルな皇族伝説、天皇が登場するマンガ作品まで天皇にまつわることを全方位的に探求する「ミサンザイ」代表。
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