魔術的技法で生みだされた人造人間「ホムンクルス」の謎/羽仁礼・ムーペディア

文=羽仁礼

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    毎回、「ムー」的な視点から、世界中にあふれる不可思議な事象や謎めいた事件を振り返っていくムーペディア。 今回は、容器の中で人工培養によって生みだされる小さな人造人間「ホムンクルス」について取りあげる。

    さまざまな伝説で語られる「人造人間」

     現代の日本で「人造人間」というと、多くの人はアニメや特撮番組に登場する人間型ロボットを思い浮かべるだろう。この「ロボット」という言葉は、チェコの劇作家カレル・チャペック(1890〜1938)が1920年に発表した戯曲『R.U.R.』で最初に用いたものである。

    チェコの劇作家カレル・チャペック。戯曲『R.U.R.』で初めて「ロボット」という言葉を用いた。
    『R.U.R.』の舞台公演の様子。同作では人造人間(ロボット)は人の形に培養したものと設定されている。

     もっともチャペック本人によれば、この言葉を提案したのは兄の画家ヨゼフ・チャペックということだが、この作品に登場する人造人間は機械装置で動く人形ではなく、原形質を培養して人の形に造ったものであった。また、チャペックがこのような人造人間の着想を得た背景には、母国チェコに伝わる「ゴーレム伝説」の影響もあったようだ。
     ゴーレムとは、ユダヤ教における一種の人造人間であり、神が人間を創りだしたやり方にならい、土をこねて造った人形に生命を吹き込んだものだ。ゴーレムを造ったとされる人物は歴史上何人もいるが、中でも名高いのが、16世紀プラハのラビ、レーヴ・ベン・ベサレル(1520〜1609)である。

    土くれから生みだされたとされるゴーレムのイメージ。チャペックの戯曲に登場する人造人間は、このゴーレム伝説が下敷きになっている。

     だが、秘儀に通じた人物が魔術的技法で人造人間を生みだしたという伝説はほかにいくつもある。
     たとえば、999年からローマ教皇となったシルヴェステル2世(945ごろ〜1003)は、司祭時代に言葉をしゃべる人の頭を作ったといわれている。
     同じような伝承は、13世紀の哲学者ロジャー・ベーコン(1220ごろ〜1292)にも伝えられているが、ベーコンに先立ち、文字通りの人造人間を造ったとされる人物が日本にもいる。その人物こそ歴史の教科書にも登場する有名な歌人、西行(1118〜1190)である。
     久安4(1149)年前後、出家して高野山の山奥にひとり隠棲した西行であったが、話し相手もいない生活がふと寂しくなり、鬼が人間の骨から人造人間を造るという「反魂の術」を自ら実践してみたという。
     13世紀ごろに書かれた『撰集抄』には、その方法も詳しく述べられている。
     まず人のいない広野で死人の骨を集め、頭から足先までつなぎ合わせる。それから「ひさう」という薬を全体に塗り、いちごとはこべの葉をもみ合わせてから、藤の若葉や糸で骨をからげて水でよく洗い、髪の生えるべきところには西海枝の葉とむくげの葉を焼いた灰をすりつける。
     その後は土に畳を敷いてその上に骨を伏せ、風が通らないようにして27日置いた後、沈香と香を炊くのだ。
     こうして西行が生みだした人造人間であるが、肌の色は変で、心というものを持ちあわせていないように見える“腑抜け”であった。声は発するものの、まるで壊れた楽器のような音で言葉にならない。
     結局、西行が望んだ話し相手にはならなかったのだが、これを始末してしまうと人殺しになるのではないかと思案した西行は、これを高野山の山奥に捨ておいた。
     その後、一時京に帰ったとき、伏見の大納言にこの出来事を報告したところ、大納言はこういった。
    「だいたいはそのやり方でよいのだが、反魂を行うには日数が浅かった。香よりも乳香を使ったほうがよかったし、術を行う者も7日間は何も食べてはいけなかったのだ」
     さらに大納言は、自分でも何度か人間を造ったことがあり、中には政府の高官や侍になっている者もいるが、それがだれか教えるわけにはいかない、とも述べた。

    ホムンクルスを創造した魔術師パラケルスス

     16世紀になると、ヨーロッパでは、人工培養によって生みだされた「ホムンクルス」という人造人間が登場する。

    蒸留壜を熱し、ホムンクルスを造りだす錬金術師のイメージ。こうして生みだされたホムンクルスは、生まれながらにしてさまざまな知識を身につけていたという。

     ホムンクルスという言葉自体は、ラテン語で「小さな人」といった意味合いをもつが、これを人造人間の意味で用いたのは16世紀の魔術師パラケルスス(1493〜1541)である。

    ホムンクルスの製造に成功したと伝えられるパラケルスス。学問の天才だったが、その反骨精神が不興を買い、生涯を旅の空で送りながら、数多くの著書を残した。

     パラケルススは、本名をフィリップス・アウレオールス・ボンバストゥス・フォン・ホーエンハイムといい、スイスのアインジーデルンに生まれた。
     父が開業医であったため、自身もスイスのバーゼル大学やイタリアのフェラーラ大学で医学を学び、医者となる。一方、ドイツのシュポンハイムにある修道院の院長にして魔術師であったヨハンネス・トリテミウス(1462〜1516)から、さまざまな魔術も学んでいる。
     パラケルススという通り名は、『医学論』で知られる古代ローマの医学者アウルス・コルネリウス・ケルスス(紀元前25年ごろ〜紀元後50年ごろ)より優れている、という意味で自ら名乗ったようだ。
     1527年にはバーゼル大学の医学部教授に就任するが、ガレノスやヒポクラテス、アビケンナといった、当時の医学界で権威とみなされた人物の学説を否定し、理髪師や助産婦など民衆の間で現場の民間医療に携わる者に教えを請い、診断に占星術を用い、ラテン語でなくドイツ語で講義を行うなどしたために1年で追放され、以後は人生の大半を旅の中に過ごした。

    パラケルススの診療所の光景。魔術師としての側面が多く語られるが、彼は非常に優秀な医者でもあった。

     パラケルススはその生涯において多くの著書を残したが、ホムンクルスについて詳しく述べるのは、『自然物質の発生』や『ホムンクルスの書』である。
     これらによれば、ホムンクルスは人間の男性の精液をほとんど唯一の原材料とする。
     ホムンクルスを造るには、まず精液を密閉した蒸留壜の中に封印し、馬糞に入れて常時馬の胎内の温度に保ち、40日ほど腐敗させる。この期間が過ぎると、いくぶんか人間に似た形が見えてくるが、まだ身体はなくて透明である。これより後は人間の血液を与えて養うと、五体満足な人間になるという。
     普通の人間に比べてかなり小さいためホムンクルスと呼ばれるが、このようにして生まれたホムンクルスは、通常の人間が知り得ないさまざまな知識を生まれながらに身につけており、術者が望むあらゆる知識を授けてくれる。

    パラケルススの時代には精液の中に小さな人間がいるとされ、それを培養すればホムンクルスを造ることができると考えられていた。

     パラケルススの時代には、精液の中には目に見えないほど小さな人間がおり、それが性交によって女性の胎内に入って成長し、生まれてくるという考えが主流であった。この考えに基づけば、精液を培養して五体満足な人間を造りだすという発想もごく自然なものだったかもしれない。
     もちろん現代では、精液の中には父親の遺伝情報の半分のみを運ぶ精子が含まれているだけだと判明しているが、数あるパラケルスス伝説の中には、パラケルスス本人が別の製法によるホムンクルスとして、死後の再生を図ったというものもある。
     それによれば、死期を悟ったパラケルススは、使用人を呼んで散薬の入った小箱を渡し、自分が死んだら死体を細かく刻んでこの薬をまぶし、容器に封印するよう命じた。ただし、絶対にこのことを人に話してはならず、9か月たたないと容器を開けてはならないとも付け加えた。
     使用人はこの命令を忠実に実行した。しかし、7か月たったとき、ついに好奇心に負けてしまい、容器を開いた。すると中には小さな胎児がいたが、外気に触れると同時に死んでしまったという。

    この図は『太陽の輝き』という錬金術の解説書の一部で、「哲学者の卵」と呼ばれるフラスコの中に描かれた少年はホムンクルスを表したものではないかと解釈される。

    フリーメーソンが造った10体のホムンクルスたち

     また、パラケルスス以後にも、実際にホムンクルスを造ったと伝えられる人物が何人かいる。
     たとえば、オーストリアの首都ウィーンの市長を務めたこともあるフリーメーソン会員ヨハン・フェルディナント・フォン・キュフシュタイン伯爵は1775年、南部イタリアのカラブリアの旅篭でジェローニと名乗る僧侶と出会い、その後ふたりで山中の修道院に引きこもって10体のホムンクルスを生みだしたと伝えられている。
     これらのホムンクルスは、最初はわずか数センチの身の丈だったが、ジャムを密閉するような高い醸造瓶に入れ、口に牛の膀胱で栓をしてソロモンの封印を刻し、さらに瓶を馬車2台分の馬糞に埋め、毎日得体の知れない液体を注いだのち4週間後に開封、さらに数日間暖かい砂の中に放置すると、ホムンクルスは30センチあまりに成長していたという。
     また、10体のホムンクルスは一様ではなく、生まれながらにそれぞれの性格らしきものがあったので、ジェローニは彼らを王、女王、騎士、修道僧などの身分を授け、それらしいマントや付属物を持たせた。また男は髭を生やし、手指や足先には猛禽のような爪があったという。
     キュフシュタイン伯爵はこれらのホムンクルスを瓶に入れたままオーストリアに持ち帰り、ウィーンのフリーメーソン・ロッジでそれを公開したが、ホムンクルスは瓶の中で成長しつづけたので、指物師に作らせた小さな椅子を瓶に入れて座らせたという。
     伯爵が彼らを公開した理由は未来を語らせるためであったが、目撃者によると、そのような予言は得られなかったようだ。

    怪物になった人造人間と現代も残るホムンクルス

     時代が下り、科学の時代である19世紀になると、新しいタイプの人造人間が誕生した。イギリスの小説家メアリ・シェリー(1797〜1851)が1818年に出版した『フランケンシュタイン』に登場する怪物である。

    イギリスの小説家メアリ・シェリー。ヨーロッパ旅行を通じて、小説『フランケンシュタイン』を着想したといわれる。
    映画『フランケンシュタインの花嫁』(1935年)より。小説では哲学的な会話もできていた怪物だったが、次第に単なる「怪力で頭の悪い巨人」というイメージに変わっていった。

     この怪物は、科学者のフランケンシュタインが何人もの死体から身体の各部を寄せ集めてつなぎ合わせ、最後は雷の電力で生命を与えられて動きだすが、その背景には、執筆に先立ってシェリーが夫とともにヨーロッパ各地を旅行し、人体解剖や、カエルの筋肉に電極をつないで動かす実験などに触れたことがインスピレーションを与えたといわれている。
     本来の小説版では、この怪物は醜い姿はしていても人間の心を持ち、自分がなぜ生まれたのか思い悩んで難しい哲学的な会話までこなしていたが、ハリウッドの映画で繰り返しリメイクされるうち、いつしか怪物自体がフランケンシュタインと呼ばれるようになり、怪力ではあるが頭の悪い巨人となって現代に至る。
     なお現在の脳科学においては、脳のどの場所が身体の各部に対応するかを示した対応図もホムンクルスと呼ばれている。頭の中にこびと(ホムンクルス)が住んでいるようだということからそう名づけられた。
     近世ヨーロッパで生みだされたホムンクルスは、その姿や性質を変えながら、現在も生きつづけているといっていいだろう。

    カナダの脳外科医ペンフィールドが作成した、体の各部位を制御する脳の部位を表した脳地図で、「ホムンクルス」と呼ばれる。


    ●参考資料=『図解近代魔術』(羽仁礼著/新紀元社)、『アナクロニズム』(種村季弘著/青土社)

    羽仁 礼

    ノンフィクション作家。中東、魔術、占星術などを中心に幅広く執筆。
    ASIOS(超常現象の懐疑的調査のための会)創設会員、一般社団法人 超常現象情報研究センター主任研究員。

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