1963年から続く神事「キリスト祭」と謎の舞踊「ナニャドヤラ」! 伝承が伝統となる信仰的文化の現在地
村民自ら「奇祭」と称する「キリスト祭」を現地取材。古史古伝を受け入れ、伝統文化に織り込む神事の実体とは……。
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風の神がすむという愛媛県・豊受山山頂の「風穴(かざあな)」に365個の団子を投げ入れる不思議な神事を目撃! 付近には「UFO」との関連を思わせる伝説も!?
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主に春と秋、愛媛県の東端、四国中央市の平野部に吹く「やまじ風」は、山形県の「清川だし」、岡山県の「広戸風」と並ぶ「日本三大局地風」のひとつ。気圧配置や台風の進路など条件が重なったときに発生する「フェーン現象」の一種で、四国中央市を横切る「法皇山脈」北斜面の急勾配を渓谷に沿って一気に吹き下ろす台風のような強風である。麓の農作物だけでなく、建物や交通などにも甚大な被害を与え、昔から人々を悩ませてきた。
まるで屏風のようにそびえる法皇山脈の中程に位置する「豊受山(とようけやま)」の山頂には、五穀の神・豊受大神を祀る古社「豊受神社」と、「風の神」がすむと伝わる「風穴(かざあな)」がある。そこでは毎年、旧暦6月13日と新暦9月13日の2回、風の神を鎮める神事「豊受神社風穴祭り」が行われてきた。「やまじ風から毎日お守りくださるように」と、夏には小麦、秋には米で365個の団子(うるう年は366個)を作り、風の神や山の獣たちへの供物とともに担いで登り、五穀豊穣を祈願した後に団子を「風穴」に投げ入れ、「やまじ風」が吹かないようにと祈願する。
豊受神社の縁起書によると、この神事は白鳳6年、天武天皇即位の頃に豊受大神をお祀りしてから、少なくとも1300年以上続いているという。戦中・戦後は中断されていた時期もあったが、近年のコロナ禍にも屈することなく執り行われてきた。「やまじ風」はそれほど恐ろしいものであることがうかがえる。
といこさんのお山い雲かけた
雨が降るとも風吹くな
エー風吹くな
この地域に伝わる雨乞歌である。「といこさん」とは「豊受山」の尊称。やまじ風の時期になると、地元の人々は天気予報とともに天気図や台風の進路を注視しているが、豊受山と赤星山にかけて「けた雲」という雲がかかると「やまじ風」が吹くと予知できるという。
2023年、一度目の神事が行われる旧暦6月13日は7月30日にあたる。前日の29日には今年の当番である豊岡町大町恵之久保(えのくぼ)地区の皆さんにより、願いを込めた365個の小麦の団子が作られた。夏には小麦、秋には米で作った団子を奉納する。その時期に収穫される穀物を供物としたものであろう。
7月30日、神事当日。早朝から集まった地元の方たちは、豊受山山頂の「豊受神社」を目指す。山の南北にある「豊岡町大町」と「富郷町豊坂」、2つのルートから登り、山頂付近で合流する。
365個の団子の他に、注連縄や、神前に献上する供物を山頂のお社まで運ぶ。現在は各自のリュックに分けて登るが、かつては、当番の地区内で直近に家を新築した世帯の代表者1名が「行器(ほかい)」という木箱に団子やお供えを背負って登り、大変光栄なお役目であったそうだ。
高齢化や人口減少などによる祭りの担い手不足を心配する声もあったが、今年は地元の三島南中学校気象観測部の生徒たちも参加。総勢30名以上となった。休憩をとりながら山頂まで約2時間の行程だが、宮司さんによると「神様に呼ばれている年は登るペースが早い気がします」とのこと。
時折木々の間から、冷たい風が吹き抜ける。
「ここには風の神様がおるな!」
半信半疑での参加だったという気象観測部の生徒が声を上げた。
滴り落ちる汗を風に冷まし……山や風の神と対話しながら進む。まもなく山頂という地点で、豊受神社の鳥居が現れた。ここから先は「神域」である。鳥居をくぐる際は一礼し、口をつぐんで奥へと進む。
鳥居から先のエリアはかつて女人禁制であったため、女性たちはこの鳥居脇の祠で神事を行っていた。もしものことがないよう、大切な家族を守ろうとしたのだという。
鳥居からさらに数分進むと、豊受神社に到着。地元の皆さんによって神事の準備が行われる。
こちらが豊受神社の境内奥にある、「やまじ風」の吹き出し口、風の神がすむという「風穴」だ。脇に祀られているのが風の神である。地元の方によって掃き清められ、注連縄も麓から運んできた新しいものに掛け替えられた。
祭壇が据えられ準備が整った拝殿では、宮司による祝詞奏上、玉串奉奠などの神事が執り行われた。豊受大神に五穀豊穣を祈願する。
次に「風穴」に次々と365個の団子を投げ入れて風の神を鎮める。昭和59年(1984年)出版の「伊予三島市史」には、「この風穴をふさがないと、春と秋に法皇山脈から吹き下ろすヤマジ風の被害が起こると言い伝えられる」との記載がみられた。願いが込められた団子で、風穴を塞ごうとしているのかも知れない。
豊受神社の社殿も鳥居同様、伊勢神宮にならい、20年に一度の「御遷宮」で東と北に向きを変え建て替えられる。「町にも山にもご利益があるように」との願いを込めた慣わしで、資材の加工・運搬・建築なども、地元の方々が担う。夜を明かしてしまうと天狗が建材を持ち去ってしまうため、建前(棟上げ)は1日で行われるという。平成26年(2014年)の御遷宮では近くの地点までヘリコプターで3往復して荷揚げしたそうだが、それまでは麓集落の方々が建材を担いで登っていたというから驚きだ。
豊受神社背面の岩山を登ると豊受山の山頂。左手奥に見えるのが平成12年(2000年)に完成した「富郷ダム」、右手に連なる尾根の先が「赤星山」だ。ダムができたことで風が少し弱くなり、風向きは西寄りに変わったという。
右手に見える「赤星山」には、「やまじ風とUFO」を思わせる伝説がある。
養老4年(720年)宇摩の大領 越智玉澄(おちのたまずみ)を乗せた船が沖に差しかかった時「やまじ風」が吹き起こり、海は荒れ、船が沈みそうになった。その時、南の山の頂に流星があかあかと飛び、風波は収まり船は無事に土居町長津の港に到着することができたという。
玉澄は「これは豊受の山にお祀りする豊受大神の御霊験であろう」と喜び、風の神のお祭りをし、流星の飛んだ山の名を「赤星山」と名づけ、赤星山の北の海の名を「火映りなだ=燧灘(ひうちなだ)」と呼ぶようにしたと伝えられる。奈良時代に「やまじ風」を鎮めたというこの「赤星」の正体は、UFOであったのかも知れない。
神事を終えた一行は下山しながら、四方の獣たちに炊いた白米(熟饌)を供え、合図のフライパンを高らかに打ち鳴らす。40年も前に吊るされたフライパンだが、いまも音色は変わらないという。山を敬い、風の神に会い、獣たちと語らう……。「豊受神社風穴祭り」はこれからも色褪せることなく受け継がれていくことだろう。
また、取材後、2023年8月9日夜に台風6号の影響と思われるやまじ風が発生したが、被害は最小限で済んだそうだ。1300年の時を超えて神や自然と対話してきた人々の願いは、しっかりと豊受大神と風の神に届いているのだ。
寺田真理子
ライター、デザイナー、動植物と自然を愛するオカルト・ミステリー研究家。日々キョロキョロと、主に四国の謎を追う。
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