見学できる秘密結社拠点!「フリーメーソンズ・ホール」の歩き方/ムー的地球の歩き方
ムーと「地球の歩き方」のコラボ『地球の歩き方ムー 異世界の歩き方』から、後世に残したいムー的遺産を紹介!
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ムー的な視点から、世界中にあふれる不可思議な事象や謎めいた事件を振り返っていくムーペディア。今回は、磔刑に処されたイエス・キリストの脇腹を刺し、その血に触れたとされる聖遺物を取りあげる。
キリスト教における聖遺物とは、神の子イエス・キリストや数ある聖人たちにゆかりの物品のことである。具体的には、イエスが磔にされた十字架(聖十字架)の破片や、その手足に打ちつけられた釘(聖釘/せいてい/)、聖人たちの遺骸や身体の一部、使用した持ち物など無数のものがあり、さまざまな奇跡を起こすと信じられている場合も多い。
「ロンギヌスの槍」も、そうした聖遺物のひとつである。
この槍はときに、「聖なる槍(聖槍/せいそう)」あるいは「運命の槍」とも呼ばれる。「この槍を所有する者は世界の王になれる」という伝説もあることから、槍をめぐる物語は、ローマ帝国や神聖ローマ帝国の皇帝、オスマン帝国のスルタン、何人もの聖人たち、さらにはヒトラーまでもが登場する、壮大な歴史絵巻となっている。
そもそもロンギヌスの槍とは、いったいどういうものであったのか。物語は、イエスの臨終の場面から始まる。
キリスト教においては神の子であり、救世主とされるイエスであるが、無実の罪で十字架に磔にされ、いったん息絶えた。このことは、キリスト教徒でなくてもどこかで耳にする話であり、今や日本人にも馴染みの深いものである。その際の様子は、『新約聖書』の冒頭に置かれた福音書に詳しく述べられている。
正典とされる4つの福音書は、イエスの弟子マタイ、マルコ、ルカ、そしてヨハネの4人がそれぞれに著したものとされている。その内容はかなり共通しているが、「ヨハネによる福音書」だけには、他の3書にはない事件がいくつか記されている。槍の話も、この福音書のみに登場するものだ。
槍に関係する部分は、ユダヤ人がローマ総督ピラトに願いでて、十字架にかけられた囚人の脚を折り、早く息を引き取らせるよう頼んだと述べる部分から始まる。
十字架刑は、不自然な体勢で身体が引き延ばされ、ときには何日もかけて苦しみながら死んでいくという残酷な刑罰だ。しかし、受刑者の死を早めるため、大きなハンマーを用いて、膝の下の部分を砕くという処理が行われることもあった。こうすると身体が下に引っぱられ、息ができなくなって数分で死に至る。ユダヤ人は安息日が始まる前に囚人たちの遺体を処理したいと思い、死を早めるよう願ったのだ。
そこで兵士たちは、イエスと一緒に磔にされていたふたりの囚人の脚を折った。しかし、イエスについてはもう死んだように見えたので、この措置をとらなかった。その代わり、ある兵士が槍でイエスの脇腹を刺したところ、傷口から血と水とが流れでた。
これが、「ヨハネによる福音書」における槍の記述だ。
ただし、この文書には槍を刺した兵士の身分も名前も書いてない。しかし、カトリック教会によって正典から外された文書、いわゆる外典に含まれる「ニコデモによる福音書」は、この兵士がロンギヌスという名であるとしている。そこで問題の槍は、この名にちなんで「ロンギヌスの槍」と呼ばれるようになったのだ。
13世紀になると、ロンギヌスについてはさまざまな伝説が生まれていたようだ。
このころ編纂された聖人列伝である『黄金伝説』によれば、ロンギヌスは目が悪かったが、イエスの脇腹を槍で刺したところ、その血が目に入り、視力を回復した。また、彼がイエスの脇腹を刺したとき、太陽は輝きを失い、大地は震えた。こうした奇跡を目の当たりにして、彼はイエスが神の子だと確信し、キリスト教に改宗した。
その後、ロンギヌスはカッパドキアのカイサリアで28年間修道士のような生活を送り、そこで多くの人々を改宗させたが、最後には首をはねられて殉教したことになっている。
では、彼がイエスの脇腹を刺したという槍そのものはどうなったのだろう。
ロンギヌスの槍と呼ばれるものは、今でも実在する。しかし不可思議なことに、確認されているだけでも4本の槍が存在し、歴史的記述の中には、さらに他の槍が登場するのだ。当然それぞれの槍の来歴についても、異なる伝承が伝えられている。
ある伝説では、槍はいったん失われ、4世紀になってローマ皇帝コンスタンティヌス1世の母である聖ヘレナがエルサレムで発見したことになっている。
別の伝説では、3世紀末にローマのテーベ軍団軍団長マウリティウスが保有していたという。しかし、キリスト教徒であったマウリティウスは当時の共同皇帝マクシミアヌスに処刑され、槍はマクシミアヌスから娘のファウスタを経て、コンスタンティヌス1世の手に渡ったという。
4世紀末のテオドシウス帝の時代には、槍はミラノの聖堂で公開され、祝祭日の聖体拝領に用いられた。その後、槍を手にした者として、西ゴート族の王アラリック、フン族の王アッティラ、東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌスなどの名が現れる。
8世紀には神聖ローマ帝国カール大帝が槍を所有していたという。カールはあらゆる戦場に槍を持参して連勝を重ねたが、あるときうっかり槍を手から落としてしまい、その直後に死亡した。
槍はその後も神聖ローマ帝国の歴代皇帝に受け継がれたが、一時失われ、カール4世の時代に再発見され、ニュルンベルクで展示された。1424年には皇帝ジギスムントが、槍をそこに永遠に留めるべしとの勅令を発した。
しかし、この勅令は守られなかった。1796年、ナポレオン軍がニュルンベルクに迫ると、市議会は安全のために槍などの宝物を一時的にウィーンに移すことを決めた。もちろんその際、脅威が去ったらニュルンベルクに戻すという約束をとりつけていた。
ところが、神聖ローマ帝国は1806年に消滅し、槍はオーストリア大公であったハプスブルク家に売りわたされた。以後この槍は、「ハプスブルク家の槍」と呼ばれることもある。
歴史上の重要人物として、最後にこの槍に関わったのが、ナチス総統アドルフ・ヒトラーである。
ヒトラーは1909年ごろ、ウィーンで画家を目指していた際、この槍の神秘的な力に魅せられたという。1938年、オーストリアがドイツに併合されると、ヒトラーはすぐにロンギヌスの槍をニュルンベルクに移し、そこで開かれたナチス党大会で展示した。
だが、1945年4月30日、連合軍がニュルンベルグにあったロンギヌスの槍を手に入れた直後、ヒトラーは自殺した。
この話は、ハプスブルク家の槍の神秘性とヒトラーのオカルト志向を示す好例として引用されることがあるが、実際にはアメリカ軍兵士が槍の隠されていた地下壕に到達したのは4月20日のことである。しかも巨大な鋼鉄の扉が厳重に施錠されていたため、実際に中に入れたのは一か月以上も後であった。
いずれにせよロンギヌスの槍は、戦後ウィーンに戻され、今でもそこで展示されている。
ヴァチカンのサンピエトロ寺院には、もう一本のロンギヌスの槍が保管されている。
こちらの槍は、かつて東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルで祀られていたものである。しかし、東ローマ帝国は1453年にオスマン帝国に滅ぼされ、コンスタンティノープルもイスタンブールと改名された。ロンギヌスの槍も、オスマン帝国スルタン、メフメト2世のものとなった。だが、メフメト2世の子バヤジット2世は、この槍を当時のローマ教皇インノケンティウス8世に贈答品として差しだしたのだ。
もちろん無償というわけではない。じつはバヤジットには、即位の際、帝位を争ったジェムという弟がいた。両者はそれぞれ自分の軍を率いて戦場で戦ったが、敗れたジェムはヨーロッパに逃れ、当時はローマに身を寄せていたのだ。
槍の代償としてバヤジットが求めたのは、このジェムを決して自国に送り返さず、幽閉しておくことだった。ジェムはその後身柄をフランスに移されたが、その直後に謎の死を遂げた。
これ以後、槍はヴァチカンに収蔵されているというが、現在は一般公開されていない。
十字軍時代には、これとは別の槍の記録が残されている。
1095年に始まった第1回十字軍では、ヨーロッパ諸国の君主や諸侯が聖地エルサレムを解放すべく、大群を率いて東方に遠征した。1098年5月には、トルコ南部アンティオキアを征服したが、その直後に大量のイスラム軍が到着、城内の十字軍は包囲された。
そんなとき、一介の兵士として参加していたピエール・バルテルミーなる修道僧が、聖アンドリューの姿を夢に見た。アンドリューは彼に、聖槍がアンティオキアの聖ペテロ寺院に埋められていると述べた。その言葉に従ってピエールが寺院の床を掘り起こすと、そこにロンギヌスの槍が見つかった。
この発見については、ピエールの自作自演ではないかと疑う者もいたようだ。しかし、これにより勢いづいた十字軍は、イスラム軍の包囲を破り、翌年には、念願のエルサレム解放を実現したのだ。このときの槍は、その後失われた。
他にもアルメニアのエチミアジンやポーランドのクラクフにも聖槍が展示されており、フランス革命の混乱で失われるまで、パリにも別の槍があったようだ。
このように何本か所在が報告されているロンギヌスの槍なのだが、はたしてこれらの中に本物はあるのだろうか。それとも他に本物の槍があり、世界のどこかで真の所有者が現れるのを待っているのだろうか。
いずれにせよロンギヌスの槍は、荻野真の漫画『孔雀王』やアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』などにも重要な小道具として登場し、現代の日本においても新しい神話を生みだしているといえるだろう。
●参考資料=『新共同訳聖書』(日本聖書協会)、『黄金伝説1、2』(ヤコブス・デ・ウォラギネ著/平凡社)、『ヒトラー第四帝国の野望』(シドニー・D・カークパトリック著/講談社)/他
(月刊ムー2020年9月号掲載)
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