怪奇小説の主人公が生きたルーマニア「吸血鬼ドラキュラ伝説」 の現場/ムー的地球の歩き方

文=中村友紀

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    ドラキュラは実在した

     アイルランドの作家ブラム・ストーカーの小説『吸血鬼ドラキュラ』の主人公、ドラキュラのモデルとして知られるワラキア公ヴラド3世(1431~1476年)。
     彼は小説の舞台ルーマニアに実在した人物で、またの名をヴラド・ツェペシュ(串刺し公)という。この名は敵国オスマン帝国軍の兵のみならず、自国の貴族や民までも串刺しにして処刑したことに由来する。つまり、本名ではなくあだ名だ。ちなみに「ドラキュラ」(悪魔の子供を意味する)もあだ名で、本人はこちらの名を好んで使用していたともいわれている。

    小説「ドラキュラ」のモデルとして知られるワラキア公ヴラド3世。

    ドラキュラが住まなかったドラキュラ城

     ドラキュラ城としてもっともよく知られているのは、ルーマニアのトランシルヴァニア地方、ブラショフ近郊にあるブラン城だ。現在は博物館として公開されているが、実はヴラド3世はこの城に住んだことはない。だが、小説『ドラキュラ』でドラキュラ城のモデルとされたことで、多くの観光客が訪れる名所となっている。
     では、ヴラド3世ゆかりの城はどこなのか。それはワラキア公国の旧都クルテア・デ・アルジェシにある難攻不落のポエナリ要塞で、彼はここを居城とし、押し寄せるオスマン帝国軍を迎えうった。難攻不落とされただけに、城は1480段もの階段の上にある。かなりの重労働になるが、のぼれば疲れを癒すに十分な絶景を見ることができるだろう。
     また、ブラド公の死後、首はイスタンブールへ送られたが、胴体はブカレストの北30 キロのスナゴヴ湖に浮かぶ島のスナゴヴ修道院に埋葬されたといわれている。奥の祭壇の下には肖像画が置かれ、発掘調査では首なしの遺体が見つかっている。ただし、本当にヴラド公のものかは不明である。

    ヴラド3世が暮らし、オスマン帝国軍を迎えうったポエナリ要塞。
    さらに詳しく知りたい方は『地球の歩き方ムー 異世界(パラレルワールド)の歩き方』をチェック。

    月刊ムー2023年4月号より

    中村友紀

    「ムー」制作に35年以上かかわるベテラン編集記者。「地球の歩き方ムー」にもムー側のメインライターとして参加。

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