18世紀に処刑された魔女の怨念? ペルーの幽霊屋敷「カーサ・マツシタ」/山口直樹

文=山口直樹

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    1月21日公開のホラー映画『シークレット・マツシタ』。ペルーの首都リマに建つ幽霊屋敷「マツシタ邸」が舞台となっている。その歴史をさかのぼると、処刑された魔女と呼ばれた女性の存在が浮かび上がってきた。

    ペルーの最恐ホラー映画が日本に上陸

     空中都市マチュピチュやナスカの地上絵などで知られる謎と神秘の国ペルーで2014年に製作され、同国で公開されるや大ヒットを記録したホラー映画がある。『シークレット・マツシタ/怨霊屋敷』だ。
     日本でも1月21日からの公開が始まったこのホラー映画が、ペルーで大きな話題を呼んだことには理由がある。首都リマの歴史的中心部に実在し、ペルー国民の大半が知っているという有名な幽霊屋敷「カーサ・マツシタ(マツシタ邸)」の秘密を探るリアルで恐ろしい物語だったからである。

     映画は冒頭、この2階建ての古い屋敷にまつわる伝説を、脚色することなく簡単に紹介する。想像通り、マツシタ邸では凄惨な事件が2度も起こっており、以後、数々の心霊現象が目撃されているそうだ。
     しかし、不思議なことに、すべて2階での出来事で、1階で怪異は起こっていない。そのため、一等地にあるこの古い屋敷は壊されることなく、1階は店舗として活用され、2階は閉鎖されてきたという。
     2005年から1階には銀行が入っているが、その実際の景観を映画は映す。そして、マツシタ邸の超常現象の真相を探るドキュメンタリー映画を企画した男女3人の大学生が、男性霊媒士を伴い、買収した警備員に2階に通じる唯一の扉の鍵を開けてもらい、ひと晩だけ調査に入り撮影するという展開だ。

    何かに怯える様子の男子学生。屋敷の2階を訪れた彼らが体験した恐怖とは?(©AV FILMS PERU´)

     しかし、2013年9月、マツシタ邸の2階に潜入した撮影チームは消息を絶った。この映画は、失踪から6か月後に発見された映像データに記録されていた信じられない出来事の全貌だという“作り”なのである。

     こうして映画は、屋敷の2階で撮影チームを襲う怪現象を映していくが、デジタル機器を揃えての調査で、見ごたえがある。2階の6つの部屋に暗視カメラを1台ずつ設置し、リビングで各映像をモニターできるようにして、撮影隊は調査を始める。怪異が起こりはじめると、霊媒士は霊との交信を試みるが、その一部始終が複数のカメラを通して映されていくので、じつにリアルで恐ろしいのだ。

    首都リマに存在するマツシタ邸(写真= Cuarto poder)。

     では、そもそもこのマツシタ邸の恐怖の伝説はどのように生まれたものなのだろうか? なんと伝説は、ペルーがまだスペインの植民地だった18世紀半ばにさかのぼる。

    火炙りにされた無実の〝魔女〟

     1753年8月、ペルー副王領の首都リマに、ヨーロッパからひとりの美しい女性がやってきた。パルバネ・デルバスバという名のペルシア人で、ヒーラーだった。親族も知人もだれひとりリマにはおらず、その経歴も謎だったため、病に苦しむ人々を救っていたにもかかわらず、魔女ではないかと噂された。
     スペインでは15世紀以降、独自に異端審問が行われていた。植民地のペルー副王領もその影響を受け、異端審問が実施されていたため、噂が広がるとデルバスバは捕えられた。1754年7月のことである。
     彼女は無実だったが、連日の拷問に屈し、ついに悪魔と契約した魔女であることを認めてしまい、死刑を宣告される。こうして同年10 月、デルバスバは広場で火刑に処されたが、息を引き取る直前、この最期を迎えた地を呪ったというのだ。

    火刑の様子を描いた絵。薪を高く積んだ上で受刑者は柱に縛られて立たされた(写真=Histroriadory Jefe del Museo)。
    18世紀にリマにやってきたデルバスバ。出自が不確かなことから"魔女"と恐れられ火刑に処された。

     なお、彼女はペルーで異端審問によって処刑された最後の犠牲者とみられるそうだが、記録は消失しており、正確なことは不明だという。というのも、ペルーは十数年に及ぶ戦争を経て1824年に独立したが、その後も内政は安定せず、隣国との戦争やクーデターが繰り返し起こり、混乱は20世紀後半まで長く続いた。
     そのため、デルバスバの件だけでなく、これから記すその後の事件についても正確な記録はほとんど残っていない。文字通り伝説で、内容には諸説あることをご理解いただきたい。

    魔女の怨念か?2階で起こる怪異の数々

     さて、このデルバスバの死から25年ほどたったころ、火刑が行われた一帯の土地を裕福だが無慈悲で残忍な男性が買い上げ、屋敷を建てて暮らしはじめた。
     ある日、この主人に虐待されていたふたりの使用人が復讐を企てる。客を招いての昼食会で、食事に植物由来の幻覚剤を入れて錯乱させようとしたのだ。

     首尾よく主人と客人たちに幻覚剤を飲ませたふたりは、屋敷の2階にある食堂の閉じられた扉の前で中の様子を窺っていた。しばらくすると、中から大きな笑い声が聞こえはじめたので計画が成功したと思い、ほかの使用人たちも集まってきた。
     ところが、笑い声が常軌を逸したものに変わったかと思うと、苦しみの叫び声や悲鳴が響き、使用人たちは、恐怖を覚えて立ち尽くした。やがて静かになったとき、扉の前にいたひとりがおそるおそる扉を開けた。
     使用人たちの目に飛び込んできたのは、手足を切断された何体もの遺体と、血に染まった壁と床の地獄絵図だった。主人と客人たちは、互いにナイフで体を刻み合い、殺し合ったのだ。
     凄惨な場面を目の当たりにした使用人たちは精神を病んだという。

     想像を絶する陰惨な事件が起こったこの家は、1873年、マツシタという日本からの移民男性が購入し、妻とふたりの子供と一緒に住むまで、約100年も放棄されたままだった。
     彼は事件について何も知らず、殺戮が起こった2階を住居にし、1階は店舗に改装した。
     こうして新しい生活をスタートさせたマツシタ一家に、ほどなく異変が起こる。優しかった夫が人が変わったかのように怒りっぽくなり、暴力を振るうようになったのである。

     原因不明の夫の変貌に苦しんだ妻は、一時の安らぎを求め、ある男性と不倫関係になった。だがその後、悲劇が起こる。
     ある日、外出した夫が予定よりかなり早く帰宅すると、2階の寝室で妻が見知らぬ男と抱き合っていた。激しい怒りにとらわれた夫は、ナイフをつかみ、ふたりを何度も刺して無残に殺した。さらに、学校から帰ってきたふたりの子供も殺した後、われに返った夫は、自殺したという。屋敷の2階で、再び惨劇が起こったのである。
     以後、長く放置されていたこの屋敷を、1925年にアンドラーデ家が買い取り、改装して貸家にした。

     すると、殺人事件は起こらなかったものの、2階ではしばしば怪現象が報告されたという。だれもいないのに声が聞こえたり、幽霊が現れたりしたのだ。もっとも恐ろしい出来事は、司祭による悪魔祓いだった。
     あるとき、屋敷を借りていた人から、2階で無気味な声や奇怪な物音が聞こえると相談された司祭は、現場を調べ、悪魔祓いを行うことにした。その日、司祭が2階のリビングルームに入ると、拷問されている霊の声が聞こえるといって叫びはじめ、やがて全身を激しく震わせたかと思うと床に倒れた。司祭は心臓発作を起こして亡くなっていたという。

    処刑時の体勢が怪異発生と関係していた

     こうしたことを受けて、1947年に屋敷の借用を決めた日系のマツシタ氏(先の一家心中をしたマツシタ氏とは無縁)は、1階で「カーサ・マツシタ」という金物店を営んだが、2階は借りなかった。以後2階は、閉鎖されたままになったという。

    マツシタ邸の2階。リビングルームだったと思われる広い部屋の天井には、シャンデリアが吊られていた痕跡があった(写真=Cuarto poder)。

     しかし、無人の2階から人の声が聞こえてきたり、2階の窓に幽霊の姿が浮かぶといった怪異は起こりつづけた。

     こうして2階だけに心霊現象が起こるこの建物は、幽霊屋敷「カーサ・マツシタ」としてペルー中に知られるようになっていったのである。

    2階の1部屋ではなぜか壁が壊されていた。何かが隠されていたのだろうか?(写真=Cuarto poder)

     では、なぜ2階でのみ怪現象は起こるのか? 屋敷は、無実の罪で死刑を宣告されたデルバスバが、火刑に処された地に建っている。彼女の呪いは、通常なら殺されたその地に建つ屋敷全体に及ぶはずだ。

     その理由について、だれも考察していなかったようだが、筆者はデルバスバの処刑時の体の位置によるものと推測する。火刑は、見せしめとして公開されたので、受刑者は薪が積み上げられた上に、柱に縛られて立たされた。

     つまり、その死の瞬間、デルバスバの両足は大地を踏みしめてはおらず、宙にあった。それゆえ、死の場所に建ちながら、そこにいても大地に足がついていない2階だけが呪われたのではないか? その真偽はさておき、以後もマツシタ邸の2階では奇怪なことが起きつづけた。なかでも衝撃的だった事件は、1962年に起こった。

    改修された屋敷と鎮まった魔女の怨念

     当時テレビで人気を誇っていたアルゼンチン出身のタレント、ウンベルト・ヴィルチェス・ベラ氏が、番組内で、マツシタ邸の2階でひと晩過ごしてみせると宣言し、出演者たちに賭けを持ちかけたのた。
     しかし、その夜、マツシタ邸の2階に忍び込んだベラ氏は、2〜3時間後、口から泡を吹いて路上に倒れていたところを発見される。精神に異常をきたしたベラ氏は精神病院に搬送され、そのまま約1年入院したそうだ。

     この事件によって、マツシタ邸の名はついにラテンアメリカ中に知れ渡ったという。

     しかし、ベラ氏は、1989年に発表した著書『ゴーストハンター』で、この事件は視聴率を上げるために行った演出で、自分はマツシタ邸には入っていないと否定している。
     すでにベラ氏は亡くなっており、残念ながら、今となっては真相を知る由もない。
     マツシタ邸の2階に著名人が入って世間を騒がせた事件は、2002年にも起こっている。10月31日の夜、リマ市議会議員で実業家のマリオ・アルバレス氏が、勇気と実行力を示すためといい、2階に入ってひと晩を過ごしてみせたのだ。

     しかし、アルバレス氏は無事だったが、同行した新聞記者の身に異変が起こった。2階を調べていたところ、見えない何かに押し倒され、足を骨折してしまったのだ。そこで記者は、通報を受けて駆けつけた消防隊に救助されたのである。

    実業家のマリオ・アルバレス氏に同行した新聞記者が救助される様子(写真=24 Horas)。

     さて、2014年に映画『シークレット・マツシタ/怨霊屋敷』が公開されると、マツシタ邸の所有者であるラディスラオ・ティエリー・ティリー・アンドラーデさんは、幽霊の噂を払拭しようと考え、マスコミに閉鎖されていた2階を公開した。映画では、その2階からさまざまないわくつきの品が見つかり、恐怖を煽ったが、実際には特別なものはなかったという。

     だが、屋敷自体には大きな問題が突きつけられた。話題になったことで、建物としてのマツシタ邸の安全性を調べたペルー市当局が、2階は危険と判断し、適正な処置を命じたのである。

     アンドラーデさんは、歴史ある建物の外観は残したいと考え、2階部分だけを作り直し、屋敷全体を補強することにした。
     こうして2016年6月から2階の取り壊しが始まり、ほどなく屋敷は生まれ変わった。外観はほぼ同じだが、それまで黄色だった壁は白に変えられ、1階はインテリアショップ、2階はその保管庫として使われるようになったのである。

     そして、以後、現在に至るまで、新マツシタ邸で新たな怪異は報告されていない。
     描写も物語も恐ろしいが、幽霊屋敷伝説のもとになったデルバスバの思いを『シークレット・マツシタ/怨霊屋敷』はきちんと描いていた。
     この映画が大ヒットしたことで、自身の身に起こった理不尽な悲劇と無念の思いが広く知れ渡ったことを察知したデルバスパの霊は、マツシタ邸の改修もあって、ようやく静かな眠りについたのかもしれない。

    改修されたマツシタ邸。外壁が白く変わった以外はあまり変化がない(写真=Cuarto poder)。

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