黒い目の子供(BEK)がイギリスに出現!コロナ禍のキャンプ地でカップルを襲った“人間とは思えない少女”
正体不明の不気味な存在「黒い目の子供(BEK)」の目撃が相次ぐという英国の森で、コロナ禍のカップルを襲った恐怖体験とは――!?
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古代、王権のシンボルとして描かれていた謎の怪物がいた。ヘビのような長い首とネコ科の獣の体を持つ「サーポパード」だ。この怪物の正体を追い求めていくとあのアフリカのUMAモケーレ・ムベンベに辿りついた!
目次
世界最古の文明のひとつに数えられる古代エジプト文明。ナイル川の畔に紀元前3000年ごろから、独自の統一王朝を築いてきた。
古代エジプト文明は、数多くの彫像を残しているが、そのなかには不思議な生き物も数多く見られる。
たとえば、人間と動物が組み合わさったものだ。
ライオンの体にヒトの頭を持つスフィンクスがその代表だが、他にも、人間の体に動物の頭を持つさまざまな神が存在していた。なかでもジャッカルの頭を持つアヌビスやハヤブサの頭を持つホルスなどは、広く知られているところだろう。
ところで、これらの半人半獣のなかでも、ライオンの体に鷹(エジプトではハヤブサの場合もある)の頭と羽を持つグリフィンと、長い曲がりくねった首のネコ科動物として表されるサーポパードは、統一王朝以前から見られるもっとも古いモチーフである。いずれも、おそらく王家に属するものと思われる儀式用の粘土板や石板、象牙の化粧板、象牙のナイフの柄などに、数多く刻まれている。
グリフィンとサーポパードは、古代メソポタミア文明にも見られるので、エジプトからオリエントにかけて、多くの古代文明で知られていたということがわかる。
そこで今回は、伝説上の生き物とされるふたつのうちの、サーポパードに注目してみたい。
まずサーポパードという名前だが、これはヘビを表す「サーペント」とヒョウを表す「レパード」を合わせて作られた後世の造語で、古代文明においては、それぞれの言語によって別の名称で呼ばれていた。だが、いずれも名前の通りヘビのような長く曲がった首とヒョウの顔、そして4本足の体を持つ動物である。
古代エジプトを初めて統一したとされるナルメル王のパレットに刻まれたサーポパードが有名で、エジプトではライオンやヒョウのようなネコ科動物の体で描かれることが多いとされる。確かにナルメル王のパレットのサーポパードの体は、ネコ科の動物に見えないこともない。
かつてのシュメール文明の地、すなわち現在のイラクで発掘された古代バビロニアの遺跡である有名なイシュタル門にも奇妙なレリーフが描かれている。この門には、実在する動物オーロックスとともに、「ムシュフシュ」と呼ばれる謎の動物の姿が見られるのだ。
ムシュフシュとは、古代シュメール語で「恐ろしいヘビ」という意味で、伝説上の動物とされている。ムシュフシュを見ると首はヘビほどに長くはないが、古い時代には、もっと長い首を持つ動物として表されていた。
ということは、世界最古の文明とされるシュメール文明で描かれた首の長いムシュフシュの原型が、エジプトに伝わってサーポパードになったのではないかと思われる。
ならばサーポパードは、何を意味しているのだろうか? 正確なことはわからないが、王権と強く結びついていることは、間違いないだろう。
一説によれば、サーポパードは玉座を表すライオンから発展したものだとされている。実際、エジプトでは、ライオンの体の部分が座面で、首と頭の部分が背もたれとして描かれることがある。ライオンは王の権威、玉座の象徴でもあるのだ。
このため、背もたれに描かれた首の部分は、背にフィットするように徐々に伸びていったという。有名なツタンカーメン王も、背もたれ部分に首は描かれてはいないが、ライオンの足を持つ玉座に座っている。
ナルメル王のパレットでもそうだが、サーポパードは、2匹が首を絡ませた状態で、一対として描かれることが多い。これは、王国と玉座を表し、ふたつがセットになることで、力の象徴として描かれたものとされている。
ちなみに、古代エジプトでは上下のエジプトが統合されて統一王朝が誕生したのだが、その統一王朝以前は、シュメールの植民都市だったという説もある。この説が正しいかはどうかは別にしても、メソポタミアの文明がエジプト文明に強い影響を与えたことは間違いない。だからこそ、メソポタミアとエジプトで共通してサーポパードが見られるのである。
以上が、学者たちが考えるアカデミックなサーポパードの説明である。
だが、サーポパードは伝説上の生物ではなく実在したという説もある。実在したからこそ、ひとつの文明だけではなく、エジプトからメソポタミアまで、広い地域で長い期間、描かれつづけたというのである。
それはいったい、どういうことなのだろうか。
「ヒョウと長い首が合体した動物といえば、キリンのことではないか?」
そう思う読者もいるだろう。だが古代エジプト人はキリンの存在は知っていた。実際、サーポパードとはまったく別の動物として壁画などにも描かれている。
オックスフォード大学のアシュモレアン博物館には、「2匹の犬のパレット」と呼ばれる古代エジプトの石板が展示してある。この石板にも2匹のサーポパードが描かれている。この石板の2匹のサーポパードは、首を絡ませてはいないが、そのかわりに驚くべきことをしている。
なんと、実在の動物であるガゼルを襲って食べようとしているのだ。
しかもその体つきは頑丈で、とてもネコ科の動物には見えない。ちなみに石板の裏面には、ライオンも描かれているが、それと比較してもかなり異様な姿をしている。
さらに石板の裏側には、キリンなど多くの実在する動物とともに、グリフィンの姿も描かれている。同じ石板にキリンとサーポパードが同時に、しかも別々に描かれているのだから、これらが同一ということは、あり得ないことになる。
古代エジプト人は、壁画やパレットなどさまざまなものに多くの動物の姿を描いているが、彼らの描写力は大変優れていて、ひと目で何の動物かがわかる。なかにはエジプトの神々のように、ふたつの動物が組み合わさったものもあるが、いずれも実在する動物なのである。
サーポパードもヘビとヒョウというふたつの名前から、当然、ふたつの動物が組み合わされていると考えてしまいがちになる。だが、注意しなければならないのは、それは後世の者が考えたことだということだ。
そう、古代の壁画などでは、ふたつの動物の組み合わせではなく、あくまでもひとつの動物として、他の動物とともに区別なく描かれているのである。これはまさに、かつてはモデルになった動物が、存在していたということなのではないだろうか。
そこで、まずはこの写真をごらんいただきたい。
ルーブル博物館所蔵の、シュメールの古代都市ウルクで発掘された円筒印章に彫られたサーポパードである。時代は紀元前3000年ごろなので、ナルメル王のパレットに刻まれたサーポパードと同時代のものである。
2頭のサーポパードが首を絡ませた構図は、どちらにも共通するが、円筒印章に刻まれたサーポパードは、ナルメル王のものとはかなり異なっている。
まずこのサーポパードも体つきが、ネコ科動物にはまったく見えない。「2匹の犬のパレット」のサーポパードと比べても、はるかに頑丈な体である。筋骨隆々のその体つきは、ネコ科動物というより、明らかにゾウに近い。さらに、尾も首と同じぐらい長い。
その姿は、首の長い恐竜——竜脚類そのものなのだ。
右上の写真は、メトロポリタン美術館所蔵のエジプト中王国時代のカップだが、これにも他の動物とともにサーポパードが描かれている。ここでも注目すべきはサーポパードの右側に、ライオンが描かれていることである。
ライオンと見比べてみると、このサーポパードの体も、ネコ科動物のライオンとはまったく異なっていることがわかる。
つまりサーポパードは、ネコ科動物の体とヘビの首を組み合わせた、いわゆる「キメラ」系動物ではないことは明らかなのである。
しかも、ここに描かれているサーポパードもまた、尾が非常に長い。これに似ている動物を捜すとすれば、やはり恐竜の竜脚類だろう。
だが、もしもサーポパードのモデルが恐竜なのだとすれば、なぜ古代人が恐竜を知っていたのだろうか?
現代人のように、化石からその姿を想像したなどとは、到底考えられない。考えられる理由があるとすればただひとつ、古代人が生きた恐竜を目にしていた、ということだ。
古代エジプト文明やメソポタミア文明が栄えた時代に、恐竜が生き残っていたなど、普通に考えればあり得ないことである。しかし本誌読者なら、現代でも恐竜の生き残りではないかとされる生物の目撃が後を絶たないことは、よくご存じだろう。たとえば有名なネス湖のネッシーなどは、その代表的なものである。
そして、エジプトのカイロからは、直線距離で3000キロ以上も離れてはいるが、同じアフリカ大陸のコンゴ共和国を中心とした地域でも、古くから恐竜、しかも竜脚類と思われる生物が目撃されているのだ。
目撃範囲は国境をまたいで広範囲にわたるので、地域によって呼び方もさまざまではあるが、一般には「モケーレ・ムベンベ」として知られている怪獣がそれである。
モケーレ・ムベンベは地元のリンガラ語で「川をせき止めるもの」の意味で、その名前通り巨大な動物だ。主に水辺で目撃されているが、集中しているのはコンゴ共和国北部のリクアラ地区にあるテレ湖周辺で、まさにアフリカ中央部のうっそうと熱帯雨林が茂る奥地である。
モケーレ・ムベンベは、地元の住民にとっては昔から身近な存在だったようだ。西洋人が記録に残したもっとも古い目撃例は、1776年のフランス人宣教師らによるものだという。彼らは、アフリカ中央部で3本爪の巨大な足跡を発見し、そのうちのひとりは実際にその足跡を残したと思われる未知の動物を目撃している。
モケーレ・ムベンベが恐竜の生き残りかもしれないということが世界に知られるようになったのは、1909年に、有名なハンターであるカール・ハーゲンベックが、現地の住民から聞いた伝承をヨーロッパに伝えたことがきっかけになっている。
彼は、ふたつのまったく異なるソースから、特徴が同じ未知の巨大動物が存在することを知らされたと報告。その動物は、ゾウとドラゴンの中間のような生物で、体のサイズはゾウと同じくらいだが、非常に長い首と長い尾を持っているのが特徴だという。
そこから、当時知られていた竜脚類の恐竜ブロントサウルス(もしくはアパトサウルス)以外には考えられないと報告したのだ。この報告は、ヨーロッパやアメリカでマスコミが注目することとなり、未知の動物の存在が知られるようになった。
モケーレ・ムベンベという名前が広く知られるようになったのは、1913年にドイツ政府がカメルーンに派遣した探検隊の報告による。彼らは、現地の住民から首と尾が長い、草食の巨大動物の情報を聞きだし、現地で使われていたモケーレ・ムベンベの名前で紹介したのである。目撃談をもとに描かれたモケーレ・ムベンベの再現イラスト。竜脚類そのものだ。
1988年には、日本の早稲田大学探検部がテレ湖を調査。残念ながらこのときには、モケーレ・ムベンベに結びつくような証拠は発見されなかった。しかし、1992年にTBSが派遣したテレビ取材班は、テレ湖の水面を横切る巨大生物らしき映像の撮影に成功している。
英国放送協会BBCも撮影クルーを送っているが、彼らの調査では地元民がサイの絵を指さし、モケーレ・ムベンベだといっている場面が放送されている。そこから、未知の巨大なサイの生き残りではないかという説も出てきている。
じつは現地では、首と尾が長い狭義のモケーレ・ムベンベとは別に、巨大な未知動物が複数目撃されており、これらも含めて広義のモケーレ・ムベンベと呼ばれることが多いのだ。
なお、BBCの放送で地元民がモケーレ・ムベンベだと示したのは、「エメラ・ントゥカ」と呼ばれる、角のあるトリケラトプスのような生物だったのではないかと思われる。
このほかにも、アフリカ中央部では、数多くの恐竜に似た巨大生物の伝説や目撃報告がある。もしも現在まで恐竜が生き残っていたのだとすれば、古代においては、もっと頻繁に目撃がなされていたに違いない。だとすれば、モケーレ・ムベンベこそ、サーポパードの正体なのかもしれないのだ。
恐竜は6600万年前、中生代の終わりとともに絶滅した。よって、わずか20〜30万年ほどの歴史の現生人類と、恐竜が共存したことなどあり得ない。日本ではそれが常識である。
しかし世界には、そう考えない人々もいる。アメリカを例にとると、キリスト教原理主義者を中心に、恐竜は大洪水以前の動物で、それまでは人間と共存してきたと考える人々が数多くいるのだ。
アメリカ人の約4分の3はキリスト教徒で、そのうち約半数が原理主義的だといわれている。その数は膨大である。彼らはいわゆる進化論にも批判的で、アメリカでは進化論を学校で教えるか否かをめぐり、繰り返し裁判が行われているほどだ。
実際に、恐竜と人間が共存したとしか考えられないような痕跡も見つかっている。それは、テキサス州グレンローズのパラクシー川流域で見つかる足跡の化石である。この場所からは、恐竜の足跡の化石に混じり、人間の足跡とそっくりの二足歩行の跡が数多く見つかっているのだ。
なかにはカメラで記録されながら発掘された化石もあるので、偽装とは思えない。確かに、人間の足跡そのものに見える。もちろん、絶対に人間のものだと断定まではできないかもしれないが、恐竜やその当時の生物の足跡化石とはまるで似ていないことも事実である。
南米ペルーからは、さらに不思議な遺物が見つかっている。イカの石と呼ばれる線刻石だ。1961年の洪水で発生した土砂災害の跡地から発見された線刻石は、地元の名士カブレラ博士が収集研究を行ったことから、今ではカブレラストーンと呼ばれている。
カブレラストーンには、恐竜を含むさまざまな先史時代の動物が描かれていた。とくに面白いのは、人間が恐竜を家畜のように飼い、乗りこなしている様子が描かれている点である。残念なのは、カブレラ博士がこの石を有名にしたことにより、高値で売りつけようと、偽物が大量に出回ってしまったことである。
しかも、偽物作りの過程を告白した人物まで現れたことから、今では、この遺物全体の信憑性が失われてしまった。しかし、初期に持ちこまれたカブレラストーンは明らかに稚拙な偽物とは異なっており、その重要性までが失われたわけではない。
さらにもうひとつ、恐竜と人間が共存したことを示す不思議な遺物が、メキシコから発見されている。1943年、メキシコシティから約180キロほど離れた地方都市アカンバロ近郊で見つかった大量の土偶である。
土偶は、地元の実業家ワルデマール・ユルスルートが、アカンバロ近郊の山の斜面で偶然に発見したもので、考古学に興味を持っていたユルスルートは、使用人のオディロン・ティナヘロに発掘を命じて土偶を収集させた。こうして彼は、3万7000点にも及ぶ土偶を手に入れたのだ。
この土偶が異様なのは、恐竜としか思えない動物らしき造形が大量に混じっていたことだ。手法の異なる2回の年代測定の結果、いずれも紀元前の遺物だという結果が出ている。だが、なぜ紀元前の土偶に恐竜がいるのか? 多くの学者は、偽物だと決めつけている。年代測定の結果は、何かの間違いだというのだ。
しかし、熱ルミネッセンス法で年代測定を行った米ペンシルバニア大学のアーサー・ヤング技師は、測定結果に大きな誤差が生じることを認めつつも、土偶が古いものであることだけは、断言できるとしている。
そもそも、3万7000点にも及ぶ土偶を偽作するとなると、巨大な窯と大量の職人が長時間従事する必要がある。こそこそと大量生産することは不可能なのだ。
そして、この土偶のなかにも、人間が恐竜を乗りこなしているものが、数多く含まれていた。恐竜と戯れる人々の姿は、まるでペットとの関係のようですらある。古代人は、恐竜を家畜として飼っていたのだろうか?
ここで改めて思いだしてほしいのが、ナルメル王のパレットに刻まれたサーポパードである。このサーポパードにも首輪がかけられ、人間が誘導している様子が描かれている。その姿は、家畜そのものではないか。
古代において、恐竜が家畜として使役されていたとすれば、古代遺跡に数多く使用された巨石も、恐竜を使って運ばれたのかもしれない。ピラミッド建設に恐竜が従事していたなら、さぞかし雄大だったことだろう。
いずれにせよ、サーポパードが生きた竜脚類の恐竜をモデルに描かれたことは、間違いないと思われる。
サーポパードは、古代においては権力の象徴とされてきた。力強く巨大な恐竜が、権力の象徴とされたことは、想像に難くない。だが時代が下るにつれ、恐竜の生息数は少なくなり、いつしか最強の動物はライオンのようなネコ科の肉食動物になったのだろう。
そしてサーポパードの体はライオンとなり、やがてライオンそのものが、現在まで続く、権力の象徴となっていったのだ。
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