〈オピニオン〉邪馬台国では「万」と「千」同じ?

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たいやき

 邪馬台国の謎で最大の問題は、水行20日や陸行ひと月の距離の話だと思う。これを解決する記述は『魏略』の「到伊都国、戸万余」だ。

 従来、「万」は「千」の間違いとされてきたが、私は正しいと考えた。同じものを万と数える人々と、千と数える人々がいるということだ。

 これは想像ではない。『魏略』の「戸万余」が証拠なのだ。

 つまり、倭人が20日と数えるものを中国人は2日と数えたのだろう。倭人が陸行ひと月と数えたものを中国人は陸行3日と数えたのだろう。

 狗邪韓国から対馬国間は1000里とあるが、中国人の数え方では100り。1里435メートルとすると、100里では43.5キロメートル。だいたい合っているのだ。

 1里の換算に短里(尺貫法の1里が75〜90メートルほどとする説)を作ることで、この部分を説明したりしたが、1里の換算はやはり、435メートルである。短里などないはずなので、短里が存在しないというだけでは支持は得られない。だから、短里を使わず説明する必要がある。

 そこで、倭人の数えたものはすべて10分の1にする必要があるというわけだ。「径百余歩」なら「十余歩」だ。

(本投稿は月刊『ムー』2025年7月号より転載したものです)

<編集部より>
 となると、邪馬台国があった場所はどこなのか……? 考察、研究のヒントになりそうです。

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