「すずめの戸締まり」呪術的考察(1)土地神と人間の切ない交感はいかに描かれたか?

構成=本田不二雄 協力=東宝

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    新海誠監督の最高傑作の呼び声も高い新作「すずめの戸締まり」。本作の基本テーマとして描かれるのは"土地鎮め(地鎮)"だ。 では、土地鎮めのプロフェッショナルは、本作をどう観るのか? 各地で地鎮を実践する占呪術師・麒麟(きりん)師は、この映画に思い切り共感し、「泣けた」のだという。

    「閉じ師」は実在する

     映画を観たきりん師は、こんなことを筆者に漏らしたのだった。

    「今回の新海監督の映画はほんに、ザワつきました。いろんな宗教家の方々の心に響いているのではないかな?と思います。ここに響かないとしたら宗教家としてはどうかと思えるほどの内容じゃなかったかと」(きりん師)

     プロをザワつかせたというアニメ映画「すずめの戸締まり」。まずは、簡単にその要旨をまとめてみよう。

    〈かつて人々の声があふれ、今は廃墟と化してしまった町はずれの一画にひとつの扉があり、そこから「ミミズ」(赤く禍々しいエネルギー体)が噴出する現象が起こる。その扉は「後ろ戸」と呼ばれており、いわば地震などの災禍(わざわい)の出入り口である。
    そこは要石(かなめいし)で鎮められているが、主人公の鈴芽(すずめ)は、そうとは知らずにそれを外してしまい、その要石から猫に化身したダイジンが顕現する。「後ろ戸」を閉じる役目を担う「閉じ師」の草太と鈴芽は、要石(ダイジン)を元に戻し、ミミズのエネルギーを扉の向こうの世界(常世)にお返しするための戸締まりの旅に出る〉

    すずめの戸締まり公式HP

     では、きりん師をザワつかせたポイントとは何だったのか。

    「まず、『閉じ師では食っていけない』というところですね(笑)。そのとおり! って。そこがまずいちばんグッと来ました。何よりも響きました(笑)」

     いきなり身も蓋もないが、同じく地鎮を業とする呪術師もなかなか大変なのだろう。だから草太も、定職に就いて、そのかたわらで閉じ師をつづけていくという心づもりだ。要するに、それは「家業であり大切な役目」であるけれども、「稼業」ではないらしい。

     ところで、きりん師によれば「閉じ師」は実際にいるという。ただし、作中の草太のように「扉を閉じる」ことを専業とする文字通りの職能ではなく、似たような役目、すなわち人知れず地鎮を担う者たちである。

    「女性の一族によって継承された嶽啓道(きりん師の出身母体)では、私はまさに地鎮を担う『トズ(杜頭)』です。トズは一族の筆頭であることが重要なのですが、同じく、山岳龍神系の民俗宗教を継承する男性の一族には『トジ(トヂ/漢字表記は不明)』さんがいました。『トヂ』もおそらく、地鎮を行う一族の筆頭主かと」

    「トジ」と「閉じ師」! 語感の不思議な一致に驚かされる。
     ただし、その両者がイコールなのか、新海誠監督がその存在を知っていたのかはわからない。もとより、きりん師の嶽啓道でいう「洞の教え」は深秘のうちに継承されるもので、”男衆”のそれも同様だったと思われる。しかも、その教えの多くは継承が途絶え、現状では彼ら一族の”仕事”の詳細はどんどんわからなくなっているようだ。

    占呪術師・きりん(麒麟)
    まじない屋「きりん堂」店主。8歳時より熊本県の島の女性だけに伝わる「洞(ほら)の呪術」の伝授を受け、土着の民俗宗教である嶽啓道(がっけいどう)の一、岳洞(たけほら)の筆頭「麒麟」を襲名。その唯一の継承者となる。 

    「閉じ師」と「結び師」

    「興味深いのは、草太は宗像姓ですよね」ときりん師。

     宗像氏といえば、九州北部の日本海側(玄界灘全域)に広がる海域を支配した古い氏族で、そのルーツは宗像大社(福岡県宗像市)の大宮司家にさかのぼる。

    「だとすれば、宗像あたりのトジの家系なのでしょうか。龍神系かもしれませんね。で、草太のおじいさんの羊郎さんが……羊を含む名前も十二支由来で意味ありげだけど……現在の筆頭で、草太がいずれそれを継ぐという」

    「あと、私らが『結び師』と呼んでいる家系の可能性もあるよね。結び師とは、結界師のこと。何をやる人なのかといえば、結界石(いわば要石)を巡る人たち。『結い合わせ』といって、暦に合わせてその都度ずれているところを結び直しをしていく。その具体的なことは不明だけど、彼ら(の流派)なりの口伝(秘伝)の作法があるようです」

     厄災の出入り口となる”後ろ戸の戸締まり”をするために各地を巡る「閉じ師」と、地龍の動きを鎮めるために結界石(要石)を巡る「結び師」ーー。

     前者は架空(フィクション)の存在で、後者は人知れず実在する”仕事師”たちである。もちろん両者をイコールで結ぶことはできないものの、”そういう仕事”を担う人たちは確かにいるようだ。何より、”女衆”に伝わる民俗宗教を継承するきりん師は、実際に地霊の鎮めを行っている当事者である。

    閉じ師の宗像草太。

    まじない師が泣いた「土地神とのかかわり」

    「それはともかく、何より(ザワつかせた存在は)ダイジンですね。鈴芽がある決意を言葉にした瞬間から、ダイジンが本来の自分の役目に戻っていく、というくだりが泣けて泣けて……」

     ダイジンは要石から顕現したいわばトリックスター。白ネコの姿であらわれて人の言葉を話し、草太を椅子に閉じ込める通力を発揮して鈴芽を翻弄する。物語はこの神出鬼没の小悪魔を追いかける形で展開するのだが、最後は……。

    「やっぱり神さまは……という展開になる」

     結末に触れる部分であるので、ぜひ劇場でご確認いただきたい。

    左目が黒ブチの白猫として描かれるダイジンは、要石であり、旅を導く存在だ。

    「ダイジンは手足があり、毛並みがあり、牙があり、言葉の理解と発する力がある知的生命体。だから人間とのかかわりが可能。とはいえ、人間ならだれでもいいかというと違って、すずめや宗像家という特殊な立場のモノでないと繋がらないんだよね」

     いわば、ダイジンは要石に憑いた神霊の化身である。きりん師によれば、「要石というカタチの中にシンラ(森羅万象に遍満する神霊)の中に存在するものを閉じ込めた」キャラクターで、師いうところの「ツクモ神」や「お蔭さま」にあたる。ある意味、土地神(ウブスナの神)と人間をつなぐ存在といっていいかもしれない。

     それはすなわち、きりん師が土地神への祈りにあたって直接交流する相手でもある。

    「地鎮に際して、ツクモ神との交流はよくあるんですよ。こういう神さまに『やあ、きりんが来てくれたんなら、もうしばらく頑張るわ』、『じゃあもう少しここにいるね』とかいわれたら、たまらない気持ちになりますよ。たまたまある場所で出会っても、この世でもう一度来るかどうかもわからないのに、巡ってこれるかもわからないのに……」

     ちなみに「小説 すずめの戸締まり」には、以下のようなくだりがある。

    「ダイジン!?」
     私は慌てて駆け寄る。白い仔猫が、泥の中にぐったりと倒れこんでいる。私はその小さな体を、両手ですくい上げた。その体は、まだ氷のように冷たかった。
    「どうしたの、大丈夫!?」
     ぷるぷると小刻みに震えながら、ダイジンは細く目を開けた。すずめ、という掠れた声を出す。
    「だいじんはね–すずめの子には、なれなかった」
    「え?」
     うちの子になる? 何気なく言った自分の言葉を、私はとっさに思い出す。うん、とあの時ダイジンは答えたのだ。一度開かれたダイジンの瞳が、また閉じていく。軽かった仔猫の体が石のように重く、ますます冷たくなっていく。

    『小説 すずめの戸締まり』より

    ーーきりん師はこの関係性に涙したという。

    「そのぐらい、ツクモ神って純粋なんです。要石とか、身代わりになってくれるお蔭さまって、ものすごく人間に愛されたがる。愛されることではじめて意味を持たされるという存在なんです。だから、『御成敗式目』の言葉になるんだなと思って……」

    『御成敗式目』の言葉とは?

    人の心の重さがその土地を鎮めている

    「御成敗式目」(鎌倉時代の武家政権のための法令)の冒頭にこんな文言がある。

    〈神は人の敬ひによつて威を増し、人は神の徳によつて運を添ふ(五十一箇条の一)〉

     つまり、人は神々の神徳によって運命が好転し、神々は人々の敬意によって神威を発揮するということだ。きりん師はいう。

    「神と人は相互関係があるんですよね。神への敬いがなくなる=思いがなくなること=重しがなくなるということです」

     作中で草太が語る「人の心の重さがその土地を鎮めている」という言葉は、まさにそういうことを指しているのだ。
     その相互関係は、作中のダイジンの姿に如実にあらわれる。
     はじめて鈴芽の前にあらわれたとき、ダイジンはみすぼらしく痩せ細っていた。でも、鈴芽に「うちの子になる?」と聞かれたとたん、ふっくらとした姿になってしゃべり出した。そして「大っ嫌い!」と言われて、シユワーッっと溶けるようにしぼんでいき、人の言葉が話せなくなる。
     つまりダイジンは、鈴芽の思いに反応し、その姿やはたらきを変化させる存在なのだ。

    「ダイジンは人間と直接かかわる、コミュニケーションが成立する(小さな)神」だときりん師。だから、廃墟になり、人がいなくなった土地では、「神は置いてけぼりを食らった感じになる」。そして、「とても寂しくて冷たい場所になっていく。それが映画の中でも氷のような場所として表現されている」と師は読み解く。

    「要石が氷のようになって、パキーンとなる表現がありますが、それはおそらく、寂しさなんですよ。孤立無援の状態に見えました。心が届かない、声が聞こえない、ぬくもりがなくなるという。だから、ダイジンはそんなところには戻りたくなくて、やさしくしてくれた鈴芽のところにいたい。だから暴れん坊をしたんです」

     しかし、結局ダイジンは鈴芽の意をくんで、再び要石となることを決意する。それが健気でいじらしく、きりん師をして号泣させるのだ。

     そして筆者は思う。おそらく、これからどんどん廃墟が増えていく。人が住まなくなって土地も荒れていく。大災害が発生すれば、なおさらそんな事態が全国各地で発生するだろう。それに対する寂しさ、後ろ暗さがどこか今のわれわれにはある。
     そんななかで、人の気持ちと土地がつながっているということをちゃんと意識させるヒントがこの映画にある。そのことは、これからのわれわれに重要な思想になっていくだろう。

    「結局、安らぎとやさしさと感謝があると、それが土地神さまにも愛が伝わる。人間関係の輪があると、そこに愛が生まれ、その愛を土地(土地神)は全身で受け取っている。作中、閉じ師の草太が『ここで人がやっていたことを思い出せ』というんだけど、それは、地鎮作法を行う際に絶対必要な観想のひとつなんですよ」(きりん師)

     次回、「すずめの戸締まり」に秘められたいくつかのキーワードをきりん師と読み解いていこう。

    →後編はこちら

    映画「すずめの戸締まり」公開情報

    『すずめの戸締まり』
    全国東宝系にて絶賛公開中
    ©2022「すずめの戸締まり」製作委員会

    原作・脚本・監督:新海誠  
    声の出演:原菜乃華 松村北斗
         深津絵里 染谷将太 伊藤沙莉 花瀬琴音 花澤香菜 神木隆之介
         松本白鸚
    キャラクターデザイン:田中将賀
    作画監督:土屋堅一
    美術監督:丹治匠
    音楽:RADWIMPS 陣内一真

    映画『すずめの戸締まり』HP

    本田不二雄

    ノンフィクションライター、神仏探偵あるいは神木探偵の異名でも知られる。神社や仏像など、日本の神仏世界の魅力を伝える書籍・雑誌の編集制作に携わる。

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