失われた精神世界を辿り直す本「オカルト2.0」/ムー民のためのブックガイド
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山小屋で4人が5人に? 座敷でぐるぐる回っていたら10人が11人に? 子ども遊びの中に潜む「交霊術」を回想するーー。
ーー雪山で4人の若者が遭難し、たどり着いた山小屋で一夜を明かすことになった。火の気のない小屋で眠れば凍死してしまう。そこで彼らはゲームを考案した。ABCDの四人が暗い小屋の四隅に立ち、まずAがBのいる角まで進み、彼の肩を叩く。叩かれたBはCまで進み、彼の肩を叩く。そしてCはDの肩を、さらにDはAの肩を……。これを何度も繰り返して4人は部屋のなかをぐるぐると回り、朝まで寝ずに過ごして命をとりとめた。
これは70年代初頭に普及したとされる有名な都市伝説「雪山の一夜」だ。別名「山小屋の一夜」で、登山者は最初に5人いて、ひとりは山小屋到着前に死亡している、とするパターンもある。
この話に描かれているゲームは「スクエア」と呼ばれ、「降霊ごっこ」として子どもたちの間で流行した。言うまでもないが、このゲームは本来成立しない。Cに肩を叩かれたDが次の角まで進んでも、そこには誰もいないはずなのである。その角に立っていたAは最初の段階でBの角まで進んでいるので、ここでゲームは中断してしまう。朝まで続いたのは、部屋のなかに「もう一人」いたからだ……というのがこの怪談の「考えオチ」だ。
これについて、僕には積年の謎があった。僕らの小学校で「スクエア」が流行したのは70年代後半ごろだったと思う。当時、林間学校などでみんなで宿に泊まる機会があると、必ず消灯後にこれをやり出すヤツがいたものだ。もちろん一巡した段階であっさり中断してしまい、「何も起きないじゃないか」とシラケることになるのだが、Dの役割の子が暗闇のなかでこっそりふたつの角を通過するズルをやって、みんなを驚かせるイタズラも流行した(Dがふたつ先の角に立つAの肩を叩くと、このゲームは続行可能になるのだ)
問題は、その時点での僕らは「雪山の一夜」という怪談をまったく知らなかったことだ。また、この遊びに「スクエア」などという名前はついていなかった。当時の僕らの間では、「スクエア」はあくまで「座敷童を呼び出す儀式」として普及していたのだ。僕が「雪山の一夜」を知ったのは、その数年後、すでに中学生になっていたと思う。
この奇妙な「混線」がどうして起こったのか、僕にはどうもよくわからなかった。謎が少なくとも半分ほど解けたのは、つい最近のことだ。
座敷をぐるぐると回る遊戯をしていると座敷童が現れる……という伝承を有名にしたのは、宮沢賢治が1926年に発表したごく短い作品「ざしき童子のはなし」だったらしい。10人の子どもらが手をつないでぐるぐると回転する「大道めぐり」なる遊戯を大座敷で楽しんでいると、いつの間にか11人になっていた……という賢治の郷里の伝承が語られている。何度数えても「11人いる!」(by萩尾望都)のだが、知らない顔はなく、増えたのが誰なのか特定できない。「こんなのがざしき童子です」と話は結ばれる。
この賢治の「ざしき童子のはなし」は、1920年に刊行された佐々喜善の『奥州ザシキワラシの話』に触発されたものだといわれている。佐々木喜善は、柳田國男の『遠野物語』のために多くの遠野の伝承を語って聞かせたことで知られる岩手出身の作家。同時に、民俗学者であり、伝奇などフォークロアの収集・研究家でもあった。一時期は「座敷童」の調査研究に熱をあげていたらしい。
賢治は彼の著作を読み、自分が知っている郷里・花巻の「座敷童」の伝承を書いてみたくなったようだ。この二人は以後、「座敷童」の縁で親交を深めるようになった。
ちょっと話が脱線するが、賢治の「ざしき童子のはなし」には、「子どもが庭で遊んでいると、誰かが家の座敷を箒ではいている音が聞こえた。座敷に行ってみても誰もいなかった」というだけの「座敷童譚」が紹介されている。これも賢治は「こんなのがざしき童子です」と結んでサラリと話を切り上げているが、微かな怪異が一瞬だけ背筋を寒くするような逸話だ。映画化もされたホラー小説『残穢』が、「畳を箒ではく音が聞こえる」というたわいもない怪異から徐々に恐怖がエスカレートしていく展開だったことを思い出す。
また、「座敷童子」は「座敷の四隅」に潜むものと考えられていたようで、こうした傾向は主に岩手に伝わる民話などにも見られる。
懐かしのアニメ『まんが日本昔ばなし』でも放映された「蛸屋加左ヱ門」という岩手の民話では、貧しい夫婦が移り住んだ古い家の「座敷の四隅」から、4人の「座敷童」が出現するという場面が描かれている。
岩手などの東北地方では、「部屋の四隅」や「回る遊戯」と「座敷童子」は昔から密接に結びついていたようだ。
これは子ども時代のことを思い出してみると、なんとなく感覚的に理解できるような気もする。寝室などの「部屋の隅」が怖かった……という漠然とした恐怖は誰もが幼いころに抱いたことがあると思う。まして小さな灯火などを照明にしていたかつての東北の家屋の大座敷では、「部屋の四隅」は暗がりで覆われていただろう。子どもの目には「あそこになにかが潜んでいる」と思わずにいられない濃密な空間に映っていたのだと思う。
また、「かごめかごめ」など、どこかしら儀式的な子どもたちの「回る遊戯」は洋の東西を問わず太古の昔から多数存在するが、これらは回転運動をすることで日常の正常な平衡感覚をほんの少し狂わせ、そこに生じるスリルや高揚を楽しむ遊戯だ。かすかに非日常的なトリップ状態を作りだす「回る遊戯」によって、ある種の怪異(もしくは錯覚)を知覚しやすくなることもあるのだろう。
一方で山形県米沢地方などには、「隅の婆様」なる降霊術(というより、肝試しのような形で行われることが多かったらしい)が伝承されており、これが「スクエア」のルーツだという説もあるそうだ。この儀式は、まず真っ暗な部屋の四隅に4人が座り、合図で中央に集まる。そして「一隅の婆様、二隅の婆様……」と声に出して数えながら、暗闇のなかで互いに頭をなで合う。頭は四つしかないはずなのに、やはり「もう一人」の頭が増えていることがあるそうだ。
こうした『遠野物語』的香りに満ちた「座敷童」の伝承や土着の降霊術をモダンにアレンジして、「現代実話怪談」に応用したのが「雪山の一夜」だったのではないかと思う。
一時期、webなどには「スクエアのルーツは『ローンシュタインの回廊』という西洋の降魔術だ」という噂が広まったことがあった。ローンシュタインなる英国貴族が「スクエア」に似たルールの儀式によって悪魔召喚実験を行った……という話がまことしやかにささやかれていたのだが、これは『螺旋回廊』というアダルトゲームの作者がゲームの制作に際して創作した逸話だったそうだ。
「なぁーんだ」と鼻で笑いたくなるガセ情報だったわけだが、「雪山の一夜」もこのケースとさして変わらないプロセスで成り立っていたのかも知れない。古来の「座敷童譚」の要素をロジカルに整理し、「スクエア」というゲームにアレンジして内包したのが「雪山の一夜」であり、その「スクエア」を別の形で内包し、欧米のサタニックなオカルト話に仕立てたのが「ローンシュタインの回廊」ルーツ説という伝承(というかデマ)だったわけで、ことほどさように「スクエア」という「部屋を回る遊び」には、人の心にある根源的な恐怖心のようなものを刺激する要素があるのだろう。
初見健一
昭和レトロ系ライター。東京都渋谷区生まれ。主著は『まだある。』『ぼくらの昭和オカルト大百科』『昭和こども図書館』『昭和こどもゴールデン映画劇場』(大空出版)、『昭和ちびっこ怪奇画報』『未来画報』(青幻舎)など。
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