昭和子ども交霊術ブームと「脱法コックリさん」の進化/初見健一・昭和こどもオカルト回顧録

文=初見健一

    昭和の時代、少年少女がどっぷり浸かった怪しげなあれこれを、“懐かしがり屋”ライターの初見健一が回想する。 今回は、古典的交霊術が小学校カルチャーに適応して育まれた「コックリさん」を振り出しに、その派生で誕生した各種の「脱法コックリさん」を振り返ります。

    子供たちの交霊術ブームとその派生

     今回のテーマは一応「コックリさん」なのだが、この「簡易降霊術」が70年代に社会問題となるほどの大ブームを起こした経緯や、当時の子ども文化がこれをどのように扱ってきたかなどについては、すでにあちこちにさんざん書いてきたので、拙著「昭和オカルト大百科」などを参照していただければと思う(宣伝!)。

     とはいえ、当時の「コックリさん」ブームについてまったく知識がないと本コラムの次回以降のくだりはほぼ意味不明になると思うので、若い世代の読者などのためにまずは概要だけをザックリと記しておく。

    「コックリさん」とは、50音を書き込んだ紙(文字盤)と文字を指し示すコマ(硬貨、割り箸、おちょこなどを用いる)を使って行う一種の「降霊ごっこ」。主に占い遊びとして普及した。

    コックリさんで使用される「文字盤」の一例。

     起源については諸説あるが、欧米の「テーブルターニング」(丸テーブルを使った降霊術)や「ウィジャボード」(木製アルファベット文字盤)を使った占いなどが明治時代に我が国へ伝来し、次第に日本風にアレンジされたもの……という説が有力だ。一方で、すでに江戸時代からほぼ同じような占術が下町の若い女性たちの間で流行っていたとする文献もあるそうなので、稲荷信仰などと結びついた日本古来のものだったのではないかという説もある。

     ともかく、この「コックリさん」が70年代初頭に若者たちの間で爆発的に大流行したのだ。
     話題となった最初のきっかけは1970年前後に放送されたラジオの深夜番組だったらしいが、その後、毎度のように本コラムに登場する昭和オカルトの伝道師、中岡俊哉氏が『テレパシー入門』(71年)という著作で取りあげた。さらに中岡氏は、以前にも本コラムで紹介した本邦初の「コックリさん」入門書である『狐狗狸さんの秘密』(74年)を刊行、これがドカンと大ベストセラーになったのである。この70年代前半の時点では、中岡氏は「コックリさん」を「心霊」ジャンルのトピックではなく、どちらかといえば「超能力」に関連したものとして紹介していた。
     ブームの初期の「コックリさん」は、「予知能力」や潜在意識を活用した「自動筆記」などに類するものとして、盛り上がりはじめた「超能力ブーム」の流れのなかで若者たちの好奇心を刺激したようだ。

    『テレパシー入門 あなたが忘れているこの不思議な力』(1971年・祥伝社ノン・ブックス)。ブームとなる数年前に、いちはやく「コックリさん」を扱った中岡俊哉氏の著作。本格的に紹介しているわけではないが、超能力を活用した古典的儀式のひとつとして解説している。

    明治大正、そして戦中の「こっくりさん」ブーム

     ちなみに、この70年代のブームに至るまで、「コックリさん」が大きく流行した時期は少なくとも2回あったといわれている。
     一度目は海外からの伝来時期にあたるとされる明治から大正にかけてのころ。このときに流行の発信源になったのは主に芸妓の女性たちで、花街における酒宴の余興としてブームになったらしい。
     その次が戦中だ。出征した夫の安否を占うため、銃後の主婦の間で行われることが多くなったという。一説によれば、それまでの古典的「コックリさん」は割り箸やおちょこを用いる方法で行われていたが、このころに硬貨(五銭銅貨など)が使われるようになったのだそうだ。こうした背景には、「夫に四銭九銭(死線苦戦)を越えてほしい」という戦時の妻たちの願いが込められていたといわれている。もちろんあくまでも気休め的なものであって、夫が遠方の戦場に出ている間の不安を紛らわせる手慰みのようなものだったのだとは思うが、従来は「酒宴の余興」でしかなかった占い遊びの「コックリさん」は、この段階で少々シリアスなものに、いわば戦時特有の憂鬱な気晴らしのようなものに変容していったのかも知れない。

     おもしろいのは、70年代のブームのときも、若者文化のなかでブレイクする以前の「コックリさん」は、一種の「スナック芸」のようなものとして、バーなどの飲み屋のカウンターで披露されることが多かったことだ。
     当時は酒の席でホステスさんの気をひくための不思議な手品(ビール瓶やマッチ棒などを使ったトリック)などがオジサン連中の間で散発的に流行していたが、「コックリさん」もこういうもののひとつとして夜の酒場で話題になっていたらしい。戦中に主婦の間で流行していた「悲しい遊び」を、その息子世代のオジサンたちが酒場で細々と継承していたということなのだろう。

     ブーム以前の「コックリさん」についてはとにかく資料が少なく、今となってはこのあたりの事情は勝手に推測してみるしかないのだが、最初期に花街の「酒宴の余興」として普及した「コックリさん」が、戦後、再び同じような形でバーやスナックでのたわいもない「芸」として復活してきたとき、この戦後型の「コックリさん」は、やはり明治期のそれとはだいぶ違った性質のものになっていたのではないか。
     戦争を通過してきたことによって、つまり直接的に近親者の生死を占う「悲しい遊び」として捉えなおされたことによって、どことなく重く暗いものになっていたのではないだろうか。ただの「遊び」として行われながらも、やはりそこには「戦争の記憶」「死の記憶」がまとわりつき、「余興」として単純に楽しむにはちょっと不吉な、一種の「嫌な感じ」を漂わせる雰囲気を帯びていたのではなかったかとも思うのだ。

     70年代にリバイバルした「コックリさん」がことさら「怖いもの」としてクローズアップされ、盛んに「遊び半分でやってはいけない」と警告された背景には、なにかこうした事情もあったような気がする。

    『狐狗狸さんの秘密 君にも心霊能力を開発できる』(1974年/二見書房サラ・ブックス)。初めて刊行された「コックリさん」入門書であり、中岡俊哉氏の代表的ヒット作のひとつ。ブーム過熱以降は「コックリさん」の具体的なやり方を本や雑誌に掲載することは出版界のタブーとなったので、本格入門書としては本書が最初で最後のものである。

    子ども文化における「コックリさん」

     以上のような経緯で流行しはじめた「コックリさん」に多くのテレビ、週刊誌(主に女性週刊誌)などが追従してブーム化したのだが、とりわけ子ども文化への「コックリさん」普及に大きな影響を与えたのは、73年から『少年マガジン』に連載されたマンガ『うしろの百太郎』(つのだじろう)だろう。この作品の初期エピソード「こっくり殺人事件」のインパクトは絶大で、多くの子どもたちの好奇心を刺激した。同時期に少女マンガなどにも取りあげられ、全国の小中学校では、休み時間になると毎日のように子どもたちが「コックリさん」に興ずる光景が見られるようになったのである。

    1973年より『少年マガジン』に連載された『恐怖心霊レポート うしろの百太郎』。さまざまな「心霊事件」を実録風に紹介するスタイルの作品で、そのリアリティに多くの子どもたちが震撼した。本作の初期エピソード「こっくり殺人事件」によって、「コックリさん」は子ども文化においても大きくブレイクする。

     ところが、ほどなくして「コックリさん」の最中に子どもたちが「狐憑き」状態(一般にはヒステリー的な発作やパニック障害と解釈される)になる事件が続発し、深刻な社会問題となってしまう。全国の学校で「コックリさん禁止令」が発令され、それまでは児童雑誌などによく見られた「コックリさんのやり方」などの記事もすべて封印されることになった。

     ちなみに「狐憑き事件が続発!」といっても、おそらく「続発!」はしていなかったのではないかと僕は思っている。当時は全国各地で多数の犠牲者が出ているというイメージが蔓延していたが、声高に騒ぎたてた女性週刊誌などをチェックすると、曖昧な伝聞形式や噂レベルの報道が多かったようだ。数件の事例が複数のメディアで大々的に報道されたため、印象が事実よりもはるかに大きくなってしまったということなのだろう。というか、メディアが確信犯的に過剰に煽ったということなのだと思う。

     ……ザックリ概要を紹介するだけのつもりがまたもや前置きが長くなってしまったが、実はここで取りあげたいのは、王道の「コックリさん」そのものではないのだ。

     あのころ、全国の小学校でPTA主導の「禁止令」による「コックリさん弾圧」(?)の嵐が吹き荒れるなか、70年代の小学生女子たちは創意工夫をこらして「コックリさん亜種=コックリさんではないコックリさん」を次々と考案し、「70年代オカルト女子」ならではの意地としぶとさで規制を潜り抜け、平然と占い遊びを楽しみ続けていた。僕が考察したいのは、70年代後半から80年代初頭の女の子文化を彩った、これらガーリーでファンシーな「脱法コックリさん」の摩訶不思議な世界についてなのである。

    動かない硬貨と男子的なシラケ

     ちなみに、少なくとも当時の僕の周辺では「コックリさん」をめぐる怪異などはまったく起こっていない。というより、僕らが「コックリさん」による「降霊」に成功したことなどただの一度もなく、硬貨が動く場合も明らかに誰かが意図的に動かしているのはミエミエだった。ブーム勃発から一週間ほどで、特に男子のほとんどは早くも「つまんねぇなぁ……」みたいなテンションになっていたのを覚えている。
     ごくごく最初のうちは、儀式の途中で硬貨から指を離してはいけないとか、文字盤はすぐに捨てるとか、10円玉はその日のうちに使うとか、お約束の各種タブーを侵さないように気を使っていたが(これを破ると「コックリさん」が「憑く」とされていた)、最後の方はみんなシラケてきて、そういうことにもまったく配慮しなくなった。なかにはわざと10円玉から指を離して「こら、コックリ! いるなら呪ってみろ!」などと、恐れ知らずの挑発をして笑いをとるヤツなどもいたのだ。

     なので、担任から「今後いっさいコックリさんをやってはいけません!」と「禁止令」を出されたときも、特に反発もなく、「もうどうでもいいよ」という感じだった。大人たちが問題にしはじめた時点で、すでにみんなすっかり飽きていたのだ。
     このあたりの時系列はちょっとウロ覚えだが、もう僕らの好奇心は徐々に過熱しはじめていた「スーパーカー」ブーム(『サーキットの狼』!)などの方に吸い寄せられていたのではなかったかと思う。

    『狐狗狸さんの秘密』に付録として折り込まれていた「専用文字盤」。この74年の時点では、後にポピュラーになる簡易なスタイルはまだ普及していなかった。中岡氏はより本格的・古典的なフォーマットの文字盤を採用している。

    オカルト女子たちのレジスタンス

     ところが! 女の子たちの場合はまったく事情が違っていたらしいのである。「占い」や「おまじない」に対する関心は昔も今も男子よりも女子のほうが圧倒的に強い、ということなのかも知れないが、「禁止令」発令後も彼女たちは監視の目をかいくぐり、休み時間や放課後にコソコソと飽きもせずに「コックリさん」を続けていたのだ。

     そもそも「コックリさん」を教室に持ち込んだのは女子たちで、当初はオカルティックな「降霊術」というより、あくまで「よく当たる恋占い」みたいなものとして流行しはじめたのだが、この期に及んでも、彼女たちは「クラスの◯◯くんは誰が好きですか?」とか「◯○ちゃんと◯◯くんはつきあってますか?」とか、たわいもない「恋占い」をやめようとしなかった。
     なんだか一種の中毒になっていたようで、彼女たちにとっての「コックリさん禁止令」は、今でいうと急に「スマホ所持禁止令」が発令された、みたない状態に近かったのかも知れない。もちろん多くの子が先生にみつかり、職員室へ呼び出されたり、親への「連絡帳」に「私は禁止されているコックリさんをやってしまいました」などと間抜けな反省文を書かされたりしていた。
     さらに先生たちの弾圧が厳しくなってくると、彼女たちは不可思議な発想によって妙な抜け道を「発明」する。それが「コックリさん亜種」、つまり「コックリさん」だけど「コックリさん」ではないと言い抜けることのできる「脱法コックリさん」である。

     最初に流行ったのが「キューピッドさん」、続いて「エンゼルさん」と称するものが流行した。先生に見つかって「あっ! またあんたたち、コックリさんやってるのね!」などと怒鳴られても、彼女たちは平然と「いいえ、これはコックリさんではありません。キューピッドさんです。キューピッドさんは人を呪ったりしないので大丈夫なんです!」などと意味不明の言い訳を真顔でするので、担任の先生も困り果てていた。

    70年代にもっとも一般的に普及した簡易版「コックリさん」の文字盤。地域によって多少の違いがあった。

    脱法儀式の口コミ伝播

     ウチのクラスの女の子たちが行う「脱法コックリさん」にはさまざまなバリエーションがあったが、これらの多くは当時の小学生女子たちに全国レベルで共有されていたようだ。同じ名称の「儀式」でも地域によってルールに多少の違いがあったようだが、各種「脱法コックリさん」は同時多発的に起こった全国共通のブームだったのだ。
     70年代の子ども文化のこういう側面を見るたびに、僕はいつも驚いてしまう。本家「コックリさん」の流行にもメディアを介在しない「口コミ」が大きな役割を果たしたのだとは思うが、女子たちの「脱法コックリさん」については、少なくとも70年代末までは(『マイバースディ』などの少女向け「占い・おまじない誌」の登場までは)、雑誌などに取りあげられることはほとんどなかったはずだ。にもかかわらず、誰かが開発した「新儀式」は次々と瞬時に全国へ拡散していったのである。

     男子文化においても、当時のメディアがいっさい取りあげなかった「スーパーカー消しゴム」の各種改造方法などがまたたく間に全国に普及したが、こうした「口コミ」による情報共有の速さと網羅する範囲の広さは驚異的だ。

     一説には70年代の子どもたちの「口コミ」ネットワークは、「塾通い」の習慣が小学生の間で一般化したことで格段に強化されたといわれている。女子たちの「脱法コックリさん」のブームについても、塾や習いごと教室を媒介にした他校のカルチャーの流入・流出が、かなり大きく貢献していたのだと思う。

    女子専用「降霊術」の誕生

     ウチの小学生時代の女子たちが夢中になっていた「キューピッドさん」は、いわゆる「文字盤」に類するものを使用せず、大きなハートをひとつだけ描き込んだ紙を前に、2人で1本の鉛筆をにぎって行う奇妙な儀式だ。現在、一般に継承されている「キューピッドさん」は「コックリさん」同様の文字盤を使用するので、どうもそれとは別物らしい。あれはウチのクラスだけで流行っていたローカルな「キューピッドさん」だったのだろうか?……というのが僕にとっては長らく謎だったのだが、先ごろ、この積年の疑問がアッサリ解決してしまった。

     古書店で『キューピッドさんの秘密』(マーク・矢崎著/二見書房サラブレッド・ブックス/1989年)という、そのものズバリの新書を発見してしまったのである(笑)。
     こんな本が出ていたことなどまったく知らなかったし、著者のマーク・矢崎氏は『マイバースデー』(実業之日本社が1979年に創刊した女の子向け「愛と占いの情報誌」)で読者相談コーナー(もちろんオカルト的案件を解決するコーナーである)を担当していた人物で、そのスジの元・女の子たちにとっては「キューピッドさん」などの「恋占い的降霊術」分野(どんな分野だ?)の第一人者である……なんてこともまったく知らなかった。
    『マイバースデー』については中学生時代にクラスの女子たちが読んでいたのを横目で見てはいたのだが、同時代に同じようなオカルトネタにうつつを抜かしていても、やはり女子文化と男子文化の間には高い高い壁があるのだなぁ、とあらためて痛感してしまう。

    『キューピッドさんの秘密』(マーク・矢崎著/二見書房サラブエレッド・ブックス/1989年)。「キューピッドさん」のほか、70~80年代に女子文化のなかでブーム化した恋占い的「降霊術」を完全網羅。それぞれの誕生のプロセスなども解説されている。

     それはともかくとして、この本によればウチのクラスで流行していた「キューピッドさん」は、やはり正真正銘の「キューピッドさん」なのだそうだ。あれこそが正統派というか、原初形態の「キューピッドさん」だったらしい。
     この初期型「キューピッドさん」は全国の学校で「コックリさん禁止令」が発令された直後、それに抗う形で女子たちが考案した新式の「降霊術」として普及、「憑依されたり呪われたりする心配のない安全な儀式」としてブーム化したという。このあたりの記述も僕の記憶と一致する。全国で一般化したのは1975年ごろからだというから、ウチのクラスでは普及の初期段階に大ブームを起こしていたわけだ。
     ハタで見ていただけではまったく意味不明だった儀式の内容も、本書のおかげで明らかになった。地域によって若干の違いはあったが、おおよそ以下のようなものだったようだ。

    1.白い紙に赤いペンか赤鉛筆で大きなハートを描く。
    2.「降霊」を行う2人が紙をはさんで向かい合って座り、互いの右手の指をからませるようにして1本の鉛筆を握る。
    3.その鉛筆の先をハートの中心に据え、「降霊者」は目を閉じ、声を合わせて「キューピッドさま、おいでください。いらっしゃいましたら、大きな輪を描いてください」という呪文を繰り返し唱える。
    4.鉛筆が動きだして大きな円を描くようになったら(なるのか?)、「降霊者」は目を開き、「キューピッドさま、おしずまりください」と唱え、鉛筆をハートの中心に戻す。

    この段階で「キューピッドさん」が「降りた」、つまり「降霊」が完了したことになるわけだ。

    5.ここから「霊」とのコミュニケーションが開始されるが、最初は必ず「キューピッドさま、おたずねします。あなたのお名前をお教えください」と質問し、降りた「霊」の正体を見極める。

    この「見極め」の方法の詳細が不明なのだが(というか、それぞれのケースで判断するしかないらしい)、「悪霊」的なものが召喚されると鉛筆は不穏・粗暴な動きをするようだ。そういうことが起こらなければ、「正しくキューピッドさんが降りた」と認識すればいいのだろう。

    6.あとは任意に好きな質問をしていく。質問の前には必ず「キューピッドさま、おたずねします」というフレーズを付加する。

    「キューピッドさま、おたずねします。クラスの伊藤くんはカオリちゃんのことが好きですか?」といった形で問いかけるわけだ。

    7.質問に応じて鉛筆は動く(ことになっている)が、その動きや意味の取り方に特に決まりはなく、ケース・バイ・ケースで「降霊者」自身が判断する。例えば、鉛筆がきれいな真円を描いたら「イエス」、左右に激しく揺れたら「ノー」。また、文字らしきものを書きはじめたら、質問との関連でそれを判読していく。ひとつの質問が終わって回答を得たら、次の質問に移る前に必ず鉛筆をハートの中心に戻す。

    8.すべての質問が終わったら「キューピッドさま、ありがとうございました。どうぞお戻りください」と呪文を唱える。鉛筆がハートの中心からしばらく動かなくなったら「キューピッドさん」が「お戻りになった」証拠なので、鉛筆から手を離し、儀式終了となる。「コックリさん」同様、式の途中で手を離すのはタブー。やはり霊が戻らなくなったり、憑依されるなどの危険があるという。使用した鉛筆と紙はその日のうちに燃やすか、捨ててしまう。

    「自動筆記」と「ちょっとだけ危ない」魅力

     以上の「キューピッドさん」の儀式のスタイルやルールには、ある種の子どもっぽいご都合主義や、いい加減かつ曖昧な部分が多分にあるものの、全体としては非常によくできた「降霊術」だと思う。こうした近代的「降霊術」のルーツであるテーブルターニングの方向へ「先祖返り」したかのようで、「文字盤」を使用する簡易でシステマチックな「コックリさん」よりも自由度が高く、変な言い方だが「降霊術らしさ」が豊かに含まれている。「霊媒」的な「読み」のスキルを必要するという意味でも、「コックリさん」よりも「本格的」だ。
     こうしたルールは小中学生女子たちの間で自然発生的に考案され、次第に定型化していったものらしいが、それにしては「降霊術」の本質(?)が見事に押さえられていることに驚いてしまう。自然発生的だったからこそ、人が「降霊術」というものに求める要素を過不足なく反映できた、ということなのかも知れないが……。

    『キューピッドさんの秘密』のカバー裏。「どんなに夢中になっても安心です」「とりつかれない、呪われない」と盛んに「安全!」が強調されているのがおもしろい。一方、本文のあちこちで「細心の注意を払いましょう」「取り憑かれたときはこうしよう」と「危険!」が示唆されている。このアンビバレントな感じこそ、女子的「脱法コックリさん」に共通する要素。

     おもしろいのは、「キューピッドさん」はあくまでも「憑依されたり呪われたりする心配のない安全な儀式」であり、「コックリさん禁止令」以降、どうしてもそういう「安全」な代替物が必要だったからこそ考案されたものであるにもかかわらず、やはり「悪霊が降りることもある」とか「タブーを犯すと危険」といったリスクが設定されていることだ。
     だとしたら「ぜんぜん安全じゃないじゃん!」とツッコみたくなるところなのだが、しかし、これこそがオカルティックな遊戯の、というより、そもそも「神仏信仰」といったもの全般の必須事項となる部分なのだろう。「危険」は効力・効能を担保するものであり、つまりは「祟らない神」は無力なのだ。「恐怖」や「畏怖」の要素をとっぱらって完全にリスクをゼロにしてしまえば、「キューピッドさん」は遊戯としてもまったく魅力のないものに成り果てていただろう。

     うちのクラスの女子たちの間でよく起こった「憑依現象」、つまり鉛筆を握った2人の「降霊者」の腕の動きが止まらなくなり、紙の上にメチャメチャな線を書きなぐり続けるという茶番は、「悪霊が降りてしまった」もしくは「何らかの要因でキューピッドさんの機嫌を損ねてしまった」という失敗の結果だったらしい。
     今思い出しても「よくやるよ」という感じだが、この儀式のポイントは「2人の人間による自動筆記」という部分で、ここには確かに一種の危うさというか、「恐怖」が入り込む余地がある。3人で10円玉を操作する「コックリさん」よりも作業的にシンプルなだけに、無意識的にせよ、意識的にせよ、「霊の暴走」は起こりやすかったし、起こしやすかったのだろう。身も蓋もない言い方をしてしまえば、この種のオカルト遊戯には必ず何らかの「アクシデント」の表現が必要であり、それが周期的に仲間内でなされることによって、ほどよい「恐怖」が共有され、つまりは「信仰」も共有され続ける、ということだったのだと思う。

    本格派から脱力系まで広がる「女子的降霊術」

    「コックリさん禁止令下」の70年代オカルト女子たちが、「法の目」をくぐるための「女子的降霊術」である「キューピッドさん」を開発すると、次々に類似の女の子専用「脱法コックリさん」が誕生しはじめた。

    『キューピッドさんの秘密』によると、「キューピッドさん」は東京近郊で開発され、当初は関東地方を中心に普及していったものなのだそうだ。

     一方、同時期の関西で流行していたのが、こちらも高い知名度を誇る「エンゼルさん」である。10円玉を使用する「エンゼルさん」はほとんど「コックリさん」と同様の方式だが、「文字盤」が多少アレンジされている。鳥居の代わりにひとつの円を配置し、ひらがなの50音表の代わりにアルファベットを使用する。つまりは、ローマ字でコミュニケートする「コックリさん」だ。
     これが関西発祥の儀式だということを僕はまったく知らなかったが、ウチのクラスでは「キューピッドさん」流行とほぼ同時期に「エンゼルさん」もポピュラーなものになっていた。やはり誕生からほどなくして全国レベルで普及したのだろう。

     続いて、用紙を縁取るような形で50音を配置した独特な「文字盤」を使用する「星の王子さま」も流行。さらには鳥居の代わりに花の絵を描く「フラワーさん」も普及した。

     おそらくこのあたりまでが、僕ら世代の多くがリアルタイムで体験した「脱法コックリさん」だと思う。ちょっと補足すると、「キューピッドさん」と「コックリさん」をハイブリッドさせたような「ラブさま」(ハートマークと50音表を描いた「文字盤」を使う)というのも僕の教室では流行していた。『キューピッドさまの秘密』に記述はないが、これも全国に普及し、現在も一部の若い世代に継承されているらしい。

     ただ、こうした当時の「脱法コックリさん」の数々は、継承されていくうちにさまざまな変更が加えられていくらしく、最終的にはほとんど本家の「コックリさん」と同じものになってしまう傾向があるようだ。本コラムで「現在の『キューピッドさん』は『コックリさん』の鳥居をハートマークに代えただけ」ということを書いたが、「ラブさま」なども「コックリさん」の名称を変えただけの儀式として伝わっている学校も多いらしい。
     大人たちが「コックリさん」に目くじらを立てなくなるに従って、数々の「脱法コックリさん」が徐々に本家「コックリさん」の方へ戻っていった、という感じなのだろうか?

    『キューピッドさんの秘密』に付録として折り込まれていた「フラワーさん」用の「文字盤」。霊ではなく、「お花の妖精」(笑)を呼び出して行う占いで、主に低学年女子に人気が高かった。

     80年代に入ると、「森のシチュー屋さん」という、なにやらイラッとするネーミングの儀式も考案される。これは1983年にハウス食品から発売された商品の名前をそのまま借用したものだ。おそらく先述の「星の王子さま」が、同じくハウスから83年に発売された「カレーの王子さま」を連想させたため、その姉妹品から名前を取ったのだろう。ちなみに、ハウスの「カレーの王子さま」「森のシチュー屋さん」などは、この時期に同社が打ち出した「子ども向けメルヘン路線」で、ほかに「ハヤシランドの王女さま」(笑)というハヤシライスのルーも販売されていた。いかにも80年代ならではの商品企画である。

     こうなると、いかにも小学生女子らしい「バカ丸出し」のセンスが炸裂している感があるが、見方を変えれば、80年代を支配することになる「ファンシー」の感覚が、オカルト的なものまでをも侵食しはじめていることがわかっておもしろい。70年代初頭から続くオカルトブームの様相が、このあたりで少しモードを変えたのかも知れない。

     以降、女子的「脱法コックリさん」は80年代を通じて、「ヘムレスさん」「グリーンさん」「ファラオさん」「文心さん」「分身さん」「ゴブリンさん」「ホワイトさん」「ニッコリさん」「守護霊さま」「花子さん」「マリアさま」……などなど、次から次へと考案されていった。

     どれもこじつけ的な設定が付加されているだけで、基本的には似たり寄ったりの内容なのだが、ちょっと変わっているのが80年代初頭に普及した「ダニエルさん」だ。
     式の内容は相も変わらず「コックリさん」に準じたものだが、鳥居の代わりに、なんと「UFO」の絵を描くのだ。しかも、儀式のなかではこの「UFO」を「ベントラ」という懐かしい名前で呼ぶことになっている。この「ダニエルさん」は「降霊術」ではなく「降宇宙人術」(?)なのである。つまり、宇宙人とのコンタクトを行う、という設定になっているのだ。「宇宙人」がなんで10円玉に「降りる」んだよ?と言いたくもなるが、矢追純一氏の「UFO特番」に多くの子どもたちが夢中になっていた時期に考案されたらしい。僕らもよくやった「ベントラ、ベントラ、スペースピープル……」という呪文を使う「UFO召喚術」と「コックリさん」をミックスしたような儀式だと言えるだろう。

     もうひとつおもしろいのは「コンコンさま」。これは割り箸を組み合わせた三本足の「コマ」を使用する古典的な「コックリさん」で、つまり学校で禁止された「コックリさん」よりもさらに本格的な戦前版の「コックリさん」である(言うまでもなく名称の「コンコン」は狐の霊=稲荷信仰を示唆するものである)。

     なんで「禁止令下」にこんなハードコアなものが流行ったのかといえば、「禁止令」を受けて大半の女子は抜け道を探して弾圧を回避しようとしたわけだが、なかには「禁止令なんて知るか、ボケ!」と考えた戦闘的な女子たちもいたらしい。彼女たちは「禁止令」によってさらに「コックリさん」への好奇心を深めて、あれこれ文献を漁ってより本格的な儀式にハマったようだ。

     いわば真性オカルト女子というか「霊的武闘派女子」たちである。さすがにこれはウチのクラスでは流行らなかったと思うが、いや、わかったものではない。彼女たちも放課後の教室や友人宅で、密かに楽しんでいたのかも知れない……。

    70年代オカルト女子たちの工夫と戦略

     こうして数々の女子的「脱法コックリさん」を俯瞰してみると、いくつかの共通要素が見えてくる。もちろん「コンコンさま」のような例外もあるが、全体としてはどれも「憑依されたり呪われたりする心配のない安全な儀式」を(一応は)前提としており、「禁止令」下でも「これは大丈夫」と言い逃れができる儀式でなければならない。

     このことは単に「先生対策」であるだけでなく、当時はさまざまなメディアが「コックリさん」の「憑依事件」をおどろおどろしく伝えていたので、本人たちもやはり単純に怖かったということもあったはずだ。とにかく「コックリさん」が持つ「怖いイメージ」をなんとか払拭する必要があったのだ。そこで女の子たちが考えたのは、「名前をかわいくする」「文字盤をかわいくする」という2点である(笑)。そんなことで「霊障」や「呪い」に対抗できるのかという不安はあるが、恐怖に「かわいい」をぶつけて無力化してしまおうという発想は、やはり女子的には正当な対処のしかただったのだとも思う。

    「エンゼルさん」「キューピッドさん」「ラブさま」などは、「呼び寄せるのは霊ではなく、無害で純真な『愛の天使』なのだ」というイメージ転換を意図したものだと思われるが、さらに後年の「フラワーさん」「ニッコリさん」などになると、そうしたコンセプトも消えて、もはやなんだかよくわらない「能天気さ」だけが漂う。とにかく「かわいくて明るくてファンシー」なフワフワ脱力系にしてしまうことで、「霊障」とか「呪い」といったものからできるだけかけ離れたものにしたかったのだろう。その最たるものが「森のシチュー屋さん」だが、ここまでくると「バカっぽい」という問題も出てきて、「天使系」の以降の儀式があまり普及しなかった背景には、「恐怖」を脱色しすぎたということもあったのだと思う。

    「文字盤」のアレンジも重要だ。「コックリさん」の「文字盤」において「恐怖」の感情を呼び起こすのは、言うまでもなくあの鳥居である。これをハートマークや花の絵などの「かわいいもの」に変えてしまえば「もう大丈夫!」というわけだ。これまた馬鹿らしいほどシンプルな発想だが、しかし鳥居の印が日本人に喚起する畏敬の感情はやはり強烈である。ここを変更するだけでかなり印象は違ってくるのは確かだ。

    『キューピッドさんの秘密』に付録として折り込まれていた「分身さん」用の「文字盤」。これは相手の「分身」(つまり生霊?)を呼び出し、ダイレクトに気持ちを聞くことのできる恋占い。ほとんど「コックリさん」と同じ文字盤を使用するが、鳥居の代わりにハートマークが描かれ、「yes/no」のアルファベット表記が用いられている。

     また、「脱法コックリさん」にはアルファベットを使うものが多いが、これもまた「かわいい」に根差した改変なのだと思う。文字の持つ呪術的な雰囲気を消し去る、ということだ。「コックリさん」の「文字盤」で表記されるひらがなの「はい/いいえ」は怖いが、「yes/no」だと「あ、なんかオシャレ!」という印象になる(笑)……といった認識だったのだろう。

     さらにポイントとなるのが、10円玉の代わりに鉛筆を用いる「儀式」が多いこと。これはウチの学校でもそうだったが、当時の先生は「コックリさん」を排斥する際、「お金をおもちゃにするな!」という言い方をよくしていたのである。今思えば、「コックリさんは危ないからやめなさい」と言ってしまうと、教師が「霊」の存在を認めることになってしまう。これに抵抗を感じ、ポイントをずらして「お金をおもちゃにするな!」という部分で子どもたちを叱る先生が多かったのだと思う。このあたりのことは今ではあまり語られないが、教室で堂々と楽しめる「儀式」には、「硬貨を使わない」はけっこう重要な要素だったはずだ。

     こうして見てくると、僕のようなオカルトかぶれの70年代小学生男子は、常に「バカ丸出し」でアレコレのオカルトネタを楽しんでいたが、同じく当時の女の子たちもやはり「バカ丸出し」だったのだなぁと微笑ましくなってくる。しかし、どうして彼女たちがこれほどアホな試行錯誤と工夫を重ねてまで、男子的にはすでに「終わったブーム」である「コックリさん」に、その後約10年間にも渡ってしつこくこだわり続けたのか?……というのは、やはりひとつの大きなモンダイなのだと思う。

     それは結局のところ、どうして多くの女性は昔も今も占いやおまじないに類するものに夢中になるのか?ということであり、これを考えはじめると、自分ではいかんともしがたい「運命」といったものに一方的に翻弄される不安を、男性よりも女性の方がより強く実感しやすい不均衡な社会構造が常にあるから、といった古今東西に共通する暗澹たる話になって、その「主体的には生きにくい」という不自由な感覚を、すでに小学校の低学年女子すらも共有していたのだということが70年代「コックリさん」ブームからも見えてくる……という絶望的な結論になりそうなので、ここらで筆を置くことにする(筆で書いてないけど)。

    初見健一

    昭和レトロ系ライター。東京都渋谷区生まれ。主著は『まだある。』『ぼくらの昭和オカルト大百科』『昭和こども図書館』『昭和こどもゴールデン映画劇場』(大空出版)、『昭和ちびっこ怪奇画報』『未来画報』(青幻舎)など。

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