無気味な人面石が大量に並ぶ新潟県・立石山神社をレポート! 原始的な奉納の本能を現地で堪能

取材・文・写真=小嶋独観

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    珍スポ巡って25年の古参マニアによる全国屈指の“珍神社”紹介! 今回は新潟県阿賀野市の立石山神社をレポート! ずらりと並んだ人面石の意味とは…?

    静まり返った境内に佇む無数の人面石!

     福島県から新潟県内を流れて日本海に注ぐ大河、阿賀野川にほど近い阿賀野市の山中に、立石山神社という神社がある。神社へ向かう道は舗装はされているものの、この先本当に神社などあるのだろうか? と思わざるを得ないような雰囲気。道はどんどん鬱蒼としてきて、あと10分走って何もなかったら引き返そう、と心に決めた瞬間、神社に隣接する小さな広場が見えてきた。車を停め、神社がありそうな場所に向かって歩いて行く。短い橋を渡ると、実際に神社が見えた。

     この神社は明治以前は虚空蔵様と呼ばれ、神仏習合の修験道者が信仰する場所だった。御神体は社殿の奥にある高さ8メートルの山神石という巨岩。明治になり、神仏分離令により本地仏を廃し、大山祗大神を祭神にして、立石山神社となった。

     その後、安産と子孫繁栄の神として地元だけでなく広範囲の信仰圏を誇ったという。

     社殿は緑に覆われており、今では訪れる人もあまりいない雰囲気だ。階段には雑草が生え、さらにその先の山神石への道は草木で覆われ、先に進む事さえままならない。 

     そんな神社の一画で、不思議な光景が繰り広げられている。拝殿へと向かう階段の脇に無数の石が積まれているのだ。大きさは小さなもので10cm程度。大きなものでも40cmほど。

     それらは全て人の顔のような形状をしているのだ。自然の造形らしきモノから、加工して人工的に人の顔に見せているようなモノまでさまざまだ。

     人面石と言えば珍スポット好きの諸兄に於かれましては埼玉県の秩父にある「珍石館」という超個人博物館を思い浮かべる方も多かろう。そこでは館主が偶然川原で拾った石を有名人に見立てて飾っている。しかし、この神社に飾られている人面石はそれとは趣が違う。圧倒的に人の手が加えられている石が多いのだ。

     ほとんどは自然石に最低限の加工を施したようなプリミティブな造形。

     しかし、中には目に別の石をはめ込んだウルトラマンっぽいものも。

     さらに、目のみならず歯までつけたものまである。これはかなり無気味だった。まるで知らない国の呪物のようではないか。

     昼でも暗い山中の神社で、このようにたくさんの人面石を見ていると相当不穏な気分になってくる。

     いや、正直不気味だ。一体このような人面石がなぜこの神社に奉納されているんだろう、という素朴な疑問がムクムクと湧いてくる。

    人類の奉納の歴史を凝縮して表現!?

     人っ子一人いない神社ゆえ聞き取りもままならず、後日ネットで情報を集めてみる。それによると、これらの人面石は神に捧げるモノではなく、地元の人がシャレで置いたものだという。つまり、信心による奉納ではないようなのだ。

     さらに、奉納された石の中に年代の判るモノがあった。

     1979年5月4日。全然関係ないが、英国で「鉄の女」ことサッチャー首相が誕生した日である。ちなみに、この年は三菱銀行猟銃人質事件や初の東京サミット、イラン米国大使館占拠事件、インベーダーゲーム流行、ウォークマンが発売、ジュディ・オングの「魅せられて」がレコード大賞を獲得した。

     日本が経済力を高めて本格的に西側先進国の仲間入りを果たしはじめた時期に、新潟の山中で密かに人面石が「奉納」されていたわけだ。

     改めて人面石の数々を眺めてみる。

     確かに真面目な奉納物ではないように見受けられる。しかも、よく見てみると同じ人物が奉納したモノとしては表現の幅があまりにも大きいように思える。

     ここからは私こと珍寺マスターの小嶋がいつものように脳内想像力を200パーセント拡張いたしましてこの石像の正体を推理してみたいと思う。

     このような特殊な奉納に関して重要なのは、最初の一個がどうやって奉納されたかを探ることだ思う。恐らく最初、誰かが変わった石、あるいはたまたま顔に見えた石を奉納したことで全てが始まったのではないだろうか。

     つまり、自然の石に対する原初的な、アミニズム的な信仰心が出発点ではなかろうか。それが次第に人工的な彫像へと変化し、やがて目や歯を伴ったモノに変容していったのだろう。

     だとすれば、単なるイロモノ奉納物という事象を超えて、人類の奉納の歴史を凝縮して表現したものとすら言えるかもしれない。

     誰もいない山中の神社で、今日も明日も明後日も奇妙な面々の人面石同士が顔を突き合わせ、ああでもない、こうでもないと無言の寄り合いを繰り広げている姿を想像すると、恐ろしいイメージとは裏腹に少しユーモラスにも思えてくるから不思議だ。

    小嶋独観

    ウェブサイト「珍寺大道場」道場主。神社仏閣ライター。日本やアジアのユニークな社寺、不思議な信仰、巨大な仏像等々を求めて精力的な取材を続けている。著書に『ヘンな神社&仏閣巡礼』(宝島社)、『珍寺大道場』(イーストプレス)、共著に『お寺に行こう!』(扶桑社)、『考える「珍スポット」知的ワンダーランドを巡る旅』(文芸社)。
    珍寺大道場 http://chindera.com/

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