君は自分のために秘密カンフー組織説を受け入れたことはあるか?/大槻ケンヂ・医者にオカルトを止められた男
信じられないような話があるなら、信じたくない話だってある。それならば積極的な幻想に漬かることだってありだろう。そんな気持ちも、わかってしまう。
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文=大槻ケンヂ 挿絵=チビル松村
極真と大気拳、試合成立でーーブレイキングダウンのごとき「誰が最強なのか」議論はオカルトめいた神秘系武術を含めて展開していた。男として味わった、戦いの痛みを語る回である。
昭和の男子は強くなりたかった。ケンカ自慢は僕らの夢だった。
かく言う僕も、「燃えよドラゴン」を観てブルース・リーに憧れた。
「アチャーオチャー!」と叫びながら手製のヌンチャクを振り回し女子にぶつけて大問題になったものだ。
ブルース・リーはカンフーの使い手だが、この頃はまだ中国拳法というものは日本ではあまり知られていなかった。「燃えよドラゴン」も当時は「空手映画」として紹介されていた。だから僕たちは皆「空手家になりたい」と思った。
ちょうどその頃少年マガジンに梶原一騎原作「空手バカ一代」という劇画が連載されていた。極真空手の創始者・大山倍達の半生をリアル(後に大部分はウソだったと判明する)に描いたというこの作品は、ゴッドハンドの異名を持つ大山が、徒手空拳で牛や熊やゴリラ(!)と戦うという壮絶な内容だ。世界中のあらゆる格闘家と戦ってもちろん勝ちまくるのだが、唯一、中国拳法の使い手「陳名人」にだけは負けてしまうのだ。なんでも、小柄な陳老人のゆるやかな円の動きに翻弄されたとのことで、大山は一時期この老人に中国拳法を学んだということになっている。牛をも倒す必殺の空手が効かない陳老人の中国拳法こそは、昭和の強くなりたい男子たちが初めて出会った“神秘系武術”であったと言えた。
ブルース・リーに憧れたものの、体をきたえたりなぐられたりするのは正直シンドいな~、と思っていた僕らにとって、スローモーで大して動かないのに強い、という“神秘系武術”は実に都合がよく感じられた。しかし当時、ネットも無いし陳老人の神秘系武術なんてどこで習えるのかさっぱりわからなかった。
後になって、「空バカ」の陳老人には澤井健一というモデルになったらしい武術家がいたことを知った。彼は中国武術の「意拳」を学び、それを自分なりに発展させて、大氣至誠拳法(大気拳)を創り上げたとのこと。実際に大山倍達とも交流があった。
大気拳は大きな甕を抱えたような姿勢で冥想的状態に入る“立禅”で心身を作り上げ、ゆらゆらと両手を揺らしながら対戦相手と間合いを取る独特の武術で、ある意味、神秘系武術とも見えるが、「体きたえるのがシンドいな~」で学べるような簡単なものでは決して無い。ハードで実践的だ。
大気拳門下生達が、極真空手の猛者たちと道場マッチ的稽古を行った時の映像が裏ビデオとして格闘マニアの間で出回ったこともある。この映像は一時期、門外不出のようになっていたが、後年になって「SRS」という格闘技バラエティ番組でシレッと放映されてマニアを驚かせた。僕はその時ゲストで出演していた。Vを観た田代まさしさんが「大気拳というより大変キケンですね」と茶々を入れたので、各方面から誰かが怒られないかドキドキしたものである。
もう時効だろうから種を明かせば、その頃の極真空手のスタッフに某さんという格闘技裏ビデオのマニアがいて、TV局に「こんなのありますよ」と提供していたのだ。僕は彼を知っていた。
「某さんあんなの公に出していいんですか?」と言ったところ
「押忍! 大丈夫っスよ。ウケたから今度は極真空手vs酔拳の道場マッチを企画しときました。押忍」
「す、酔拳!?」
ジャッキー・チェンでおなじみの酔うほどに強くなる神秘のカンフー・酔拳である。某さん曰く「栃木県に実戦酔拳の達人がいて、彼の弟子の酔拳や蛇拳の使い手を連れて来る」のだという。
僕はこの酔拳の達人も知り合いであった。龍飛雲を名乗る、ブルース・リーカットのやせた男、本名・藤田徳明さんというにこやかな人であった。愛車はランボルギーニ・カウンタックで、栃木県で子供たちに酔拳を教えていた。栃木ではキッズから神秘系武術を学べるのだ。一度、栃木県で行われた龍先生主催の「酔拳大会」を観に行ったことがある。体育館で5~10歳の子供たちが、よろりふらりと酒を飲んだていで千鳥足を踏みながら酔拳で闘っている光景というのは、可愛いとか滑稽をはるかに通り越してシュールで、神秘的なのであった。龍先生が「遠くからすいません」と言ってお弁当を持ってきてくれた。二人で並んでお弁当を食べながらキッズ酔拳を観た栃木の午後。
極真VS酔拳蛇拳の道場マッチは「SRS」で行われ極真の圧勝に終わった。龍先生は「とても勉強になりました」とニコニコ笑った。先生は51歳の若さで亡くなっている。
僕の出会った“神秘系武術の達人”ということで言えば、骨法の堀辺正史さんもその一人である。
骨法は諸流派のある格闘武術だけれど、堀辺正史さんの創始した流派の骨法は「喧嘩芸骨法」→「日本武道傳骨法」と名を変え、現在も東中野に道場と整体院がある。
僕がお会いした時はまだ「喧嘩芸」を名乗っていた。その名の通りストリートファイトで最強という売りの実践派であった。
でも、堀辺先生の語る、骨法のルーツは野見宿禰と当麻蹴速の対決であるという主張とか、ドニー・イェンの「イップ・マン」のように手刀をシュダダダッ!と連発する不思議な動きとか、いや、その前にまず、堀辺先生のルックスが、ハルク・ホーガンのようなヒゲにロン毛の和装姿で、神秘的妖しさに満ちていたのだ。
しかもそれよりも奇妙だったのは、一時期多数の格闘家やプロレスラーが一斉に骨法修得に取りつかれ、そしてまたある時一斉に、波の引くようにザッと骨法から離れていったという推移が興味深い武術と思えた。まったくある一時期、格闘界プロレス界はまるで催眠術にかかったかのように喧嘩骨法にはまり、消費して、離れ、今はごく一部の人をのぞいてまったく語らなくなった。無かったようなことにさえなっている。
これは僕の中ではある意味での超常的現象と捉えている。その側面からも骨法は“神秘系武術”と僕の目には映っているのだ。
喧嘩芸骨法とは一体なんだったのか?
本当に史上最強のストリートファイト術だったのか?
それとも奇妙な一過性の集団的熱狂に巻き込まれた東中野の町道場(整体院)であったのか?
検証の参考になるかわからないが、僕は堀辺先生に対談取材の時に技をかけてもらったことがあった。それは僕の手首を、先生が軽くにぎり、わずかにひねっただけのことだった。でも…
『…戦争はやめよううう!!!』
とその瞬間に叫びそうになった。あまりの激痛、感じた事の無いもげるかの衝撃に、一瞬で思考がふっ飛び『痛い! 痛過ぎる!! まるで痛みの集中砲火だ!! こんなに痛いことなんてあるのか?? 戦争で撃たれてもしない限り無いんだろう!そうだこれはきっと戦争で撃たれたかの痛みだ! ダメだ! ダメだ! そうだ…』
『戦争はやめよううう!!』
となったのだ。ゼロコンマ何秒で、意識が「戦争反対!」までスッ飛んでしまったのだ。それこそもう、瞬間的神秘的体験と言えた。先生はゲラゲラ笑っていた。堀辺先生も数年前に亡くなっている。
思い出した、そう言えば僕は「空気投げ」で投げられたこともあった。
空気投げ研究家を名乗る田島大義さんという方がいる。彼が僕のラジオ番組にゲストで来て下さった時に、神秘の技で投げられたのだ。ラジオ番組で誰も観れないっていうのに! なんかトークの流れでそうなったのだ。
伝説の柔道家・三船久蔵十段の空気投げ(隅落)を研究してついに会得したという田島さんにものの見事にバランスを崩されてスタジオの床にころがされた。体には触れるものの、ごくわずかで、本当にエアーで投げられたようだった。
「わぁスゴいですね」と驚いた。
でも技以上にもっと驚いたのは、田島さんが柔道を習ったのが、空気投げの研究を始めたその後であったということだ。空気投げの研究の方が先で、柔道入門はその後だったと、空気投げ研究家は告げたのだ。
逆でしょ、順番が。いやいや、そういうとこがまたそう、神秘系。
大槻ケンヂ
1966年生まれ。ロックミュージシャン、筋肉少女帯、特撮、オケミスなどで活動。超常現象ビリーバーの沼からエンタメ派に這い上がり、UFOを愛した過去を抱く。
筋肉少女帯最新アルバム『君だけが憶えている映画』特撮ライブBlu-ray「TOKUSATSUリベンジャーズ」発売中。
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