1981年「ファティマ予言」をめぐって起きた大事件と五島勉が目論んだ第2次大予言ブーム/初見健一・昭和こどもオカルト回顧録

文=初見健一

    ファティマ第三の予言が世界中で具体的な注目を集めた1981年の出来事とは? そのとき、五島勉と「ムー」が動いた!

    忘れ去られていた「宗教的奇跡」に世界が注目!

     今回も前回に引き続いて「ファティマの奇跡」……というより、「ノストラおじさん」こと五島勉先生が1981年に刊行した新書『ファティマ・第三の秘密』と、これによって引き起こされた中途半端な「ファティマブーム」について回顧してみたい。

     ノストラダムスに次ぐ「大予言ブーム」を仕掛けるべく、五島氏が満を持して「人類存亡の鍵を握る衝撃の書」として『ファティマ・第三の秘密』を世に問うたこと、そして、それが思ったほど世間に「衝撃」を与えることができずに、僕ら当時のオカルト少年たちをモヤモヤと戸惑わせただけに終わったことは、前回の本稿で書いた。また、氏の著作刊行より一足早く、我らが「ムー」も「ファティマ(ファチマ)」について大特集を組んでいたことも前回で解説済みである。このあたりの経緯、また、そもそも「ファティマの奇跡ってなに?」……といったことについては、お手数だが前回の本コラムを一読しておいていただきたい。

     さて問題は、なぜ五島氏は1981年の9月に「ファティマ本」を刊行し、それが「ノストラダムス級」の大ブームを巻き起こす「爆弾」になり得ると確信していたのか?ということである(いや、確信していたかどうかは知らないけど、間違いなく彼はあの本で再び「大予言ブーム」を勃発させる気満々だったし、実際、やり方次第ではその可能性はかなり高かったとも思う)。また、なぜ同時期に(正確にはひと月ほど早く)「ムー」も「ファティマ」に目をつけ、急遽24ページにもわたる大特集を組んだのか?

     これらについては80年代初頭を体感した人間には説明するまでもないのだが、あの当時、「ファティマ」をめぐって世界が震撼する大事件が立て続けに起こったのである。カトリック関係者以外の一般の人々の多くは、このときに初めて「ファティマ」という言葉を耳にしたはずだ。それ以前はカトリックの「説教」のネタでしかなく、オカルト的に語られることはほぼなかったし、逆に言えば、当時の事件によって「ファティマ」はオカルトのコンテンツに「組み込まれた」のだと思う(僕の知る限り、「ファティマ」をテーマにした「オカルト本」はこれ以前には刊行されていない)。

    『人類存亡の鍵を握るファティマ・第三の秘密 法王庁が封じ続けた今世紀最大の予言』(五島勉・著/祥伝社ノン・ブックス/1981年9月30日)

    前代未聞の奇妙なハイジャック事件

     まず、第一の事件は81年5月2日に起こる。この日、アイルランドのダブリン空港からアイルランド航空164便(ボーイング737。乗客103人、乗員5人)に乗り込んだ元カトリック修道士、ローレンス・ダウニーなる人物が、巧妙に隠し持った時限爆弾によって機をハイジャックした。時限爆弾は当時の中東テロなどに使用されるタイプのもので、小さいビルなら丸ごと吹っ飛ばせるほどの威力を持っていたという。機はロンドンに着陸する予定だったが、ダウニーは「北フランスのルトゥケ空港に向かえ」と機長に指示。「要求はルトゥケに降りてから伝える」と語った。この「要求」が正気の沙汰ではなく、航空関係者、フランス警察、各国の外務省を困惑させ、果てはバチカンまでを揺るがすことになる。ダウニーが人質解放の条件として提示した「要求」は、次のようなものだったという。

    「ローマ法王は即刻『ファティマ』で下された『第三の予言』の秘密を全人類のために公開せよ!」

     テロリスト、もしくは身代金目当ての犯行として数種の対策を用意していた警察側は、この意味不明の「要求」に呆気にとられた。現場の人間のなかには誰一人「ファティマの予言」などという言葉には聞き覚えがなかったという。また、この件はもちろん即座にバチカンに伝えられ、教皇庁は緊急会議の後に何らかの対応を当局に伝えたらしいが、その内容は今もって明らかにされていない。

     ともかく数時間後、フランス特殊部隊の女性隊員の機転によってダウニーは取り押さえられ、この騒動は収束した。このダウニーという人物については「心を病んで修道士をクビになった」とか、「異端的な思想の持ち主で教会を除名された」とか、「除名後は環境保護グループに属していた」とか、さらには「ファティマ・第三の秘密派」というカルトなグループの指導者だったなどとあれこれ言われていたが、正確なところは明らかにされていないようだ。少なくとも彼は人質に危害を加えるつもりはまったくなく、逮捕された経緯も、体調を崩した乗客を気遣って医療班(特殊部隊が変装していた)を機内に招き入れたことで墓穴を掘っている。

     五島勉氏の『ファティマ・第三の秘密』がなぜ81年に企画され、刊行されたか、もうおわかりだろう。この国際的大事件にかこつけ……いや、即座に対応したのである。事件は5月、刊行は9月末。その間にリサーチして取材して執筆して、一冊の新書をつくりあげてしまうのだから驚異的な機動力である。また、五島氏より一足早く、いわば彼を出し抜く(?)かたちで素早く「ファティマ特集」を組んでしまう「ムー」の対応力もさすがだ。

     五島氏の本のオープニングは、このハイジャック事件の犯罪小説風描写からはじまる。まさに「見てきたような嘘をつき」という感じで、当局と犯人の攻防がまるでハードボイルドタッチの航空パニック映画のように綴られるのだが、そのあざとさに笑ってしまう一方で、やはり「うまい!」としか言いようがなく、さらに事件に関する他の記事と照合してみると、細かい事実確認をかなり精密にやっているようなのだ。五島氏といえばノストラダムスの詩の改竄や捏造で悪名を馳せ、「おもしろければなんでもアリ」の「煽り」を得意とする昭和型通俗ルポライターの代表とされるが、本書では娯楽読み物と正統ルポの間の細い「隙間」を縫うような方向で書かれている。五島氏自身によれば、こうした細かな取材に協力したのは、当時さまざまな雑誌に斬新な企画を提供していたライター集団「早稲田企画室」の「K君」なる人物だったという。

    月刊ムー1981年9月号の大特集「おそるべき人類の未来を告げる戦慄のメッセージ 衝撃のファチマ大予言!」より。『ファティマ・第三の秘密』より一足早く掲載された「ファティマ」に関する24ページの総力特集

    第二の大事件勃発と五島勉のトンデモ解釈

     さて、ハイジャック事件から約10日後、バチカンはまたしても受難に見舞われる。同年5月13日、当時の教皇ヨハネ・パウロ二世がバチカン・サンピエトロ広場にて、アジャと名乗る刺客に2発の銃弾を撃ち込まれたのだ。奇跡的に一命を取りとめたが、これが後にバチカンによって「ファティマ第三の予言は、この教皇暗殺未遂事件に関するものだった」と発表されることになる(この発表は真実を隠すためのフェイクである、という説が有力)。

     狙撃犯のエフメト・アリ・アジャはトルコの極右武装グループ「灰色の狼」に属するプロのアサシンだったとされるが、教皇暗殺の動機はよくわかっていない。なぜか後にヨハネ・パウロ自身は「犯行は共産主義者によるもの」と断言している。計画したのはKGBで、東ドイツなども協力し、東側の反体制運動のよりどころとなっている教皇を抹殺しようとしていた……と、なんともバチカンらしいありきたりなストーリーを語っているが、教皇は襲撃から2年後、服役中のアジャに直接面会しているのだ。そのときに二人で交わした会話については、「秘密のままにしておかなければなりません」とのことで、これまた極めてバチカンらしい逸話である。

     五島勉の本によると、アジャが法王を狙っていたことは以前から周知の事実で、あの日、側近たちは法王が民衆の前に出ることに猛反対したという。それを押し切って広場に現れ、案の定、凶弾にさらされたのはまったく解せない、というわけだ。
     そこで出てきた見解が「ハイジャック事件で世界中から注目されてしまった『ファティマの予言』から目をそらすため、法王は自ら望んで『撃たれ』に行ったのではないか?」というもの。トンデモ見解といえばそれまでだが、一方で非常にわかりやすい説得力もあって、やはりシナリオしては「うまい!」。さらに五島氏は「実は、かのノストラダムスもこの法王暗殺未遂事件をはっきり予言しており……」と論を展開。このあたり、思わず「そうこなくちゃ!」と喝さいを送りたくなるような「五島節」が炸裂している。

    「第三の予言」は「第三次世界大戦」

     四十数年ぶりに『ファティマ・第三の秘密』を再読してみて、僕が一番気になったのは、「聖母」なる謎の存在(五島氏はこれを「宇宙生命体」のようなものとして捉え、キリスト教的神に類するものとは解釈していない)がファティマの子どもたちに伝えたという「ロシアの奉献」のくだりについてだ。ここの部分の五島氏の扱い方が、どうもスッキリしない。

     あの「聖母」は革命前夜のロシアについてしきりに言及し、「ロシアが世界の元凶である」「ロシアは悔い改めなければならない」と、あまりにもわかりすく赤裸々に反共プロバガンダ(?)を展開している。ここに「ファティマの奇跡」のオカルト現象としてしてのつまらなさというか、逆に言えば、ここにこそオカルトと陰謀論の間に常に横たわる怪しさの味わいどころがあるはずなのだが、なぜか五島氏はこの「ロシア問題」を自著ではまったく強調していない。世界初の「唯物論的国家」の誕生前夜におけるカトリック勢力の焦燥については、ほぼ触れていないのだ。というより、むしろそこから目を背けさせるように、あえて別のストーリーに「改変」しているフシがある。

     それがはっきりと現れているのは、ルシア、フランシスコ、ジャシンタの三人の子どもたちが「聖母」に見せられる「地獄の光景の幻影」のくだりである。「聖母」は「地獄は実在する」と断言し、その光景を子どもらに見せ、強烈なトラウマを植え付ける。他の資料によれば、詳細はよくわからないものの、ここで描かれる「地獄」は文字通りの「地獄」。神を冒涜した人々が悔い改めぬまま死んだときに堕ちるキリスト教的「地獄」である。宗教上の「地獄」なのだ(ちなみに、「ムー」の特集ではこれを第二次世界大戦における人類初の核兵器使用の瞬間のビジョンでは?と推測している)。

     これを五島氏は「彼らが見せられたのは、来るべき第三次世界戦の光景、近代兵器と核兵器がもたらす地獄の戦場の光景だった」と、闇雲に断言する。そして氏の推論は「ファティマ・第三の予言は、第三次世界大戦による地球規模の核攻撃の連鎖によって人類が死滅することへの警告だった!」という結論に収束していく。
     これは言うまでもなく、彼のライフワークになってしまった『ノストラダムスの大予言』の結論と同じだ。その裏付け、あるいは補完である。本書に改竄や捏造に近い要素があるとすれば、この部分が最大のものであり、意地悪な言い方をすれば、「ファティマ」と「ノストラダムス」を「接続」することによって、下火になった「大予言ブーム」を再び燃焼させる意図があったのだと思う。
     同時に、ここにこそ五島勉の著作の大半に常に滲んでいる、戦争体験者としての血肉化した反米的反戦主義(同時に反ソ、後に反中となる要するに大国敵視)の怨念のようなものが、どうしようもなく透けて見えてくる。ある種の過激な言説、ときに民族差別的な持論を口にすることもあったが、それでも死ぬまで徹底して「反戦の人」だった五島氏の「いつものパターン」だ。それは、核兵器と人類滅亡に関する数々の映画、『復活の日』(1980年)やら『ウォーゲーム』(1983年)やら『ザ・デイアフター』(1983年)やらが続々と制作されたこの冷戦時代ど真ん中の空気と、確実に呼応し合っていた。

    月刊ムー1981年9月号の特集より。この特集には五島氏の著作で使用されるネタがほぼすべて入っており、「第三の予言」は「第三次世界大戦による世界の破滅」の可能性があると示唆した上で、さらに独自ルートで入手した資料をもとに「その先」を推測している。あまりにスケールが大きいストーリーで要約不能だが、この特集では五島勉氏にも取材している。

     ただなんにせよ、五島氏の『ファティマ・第三の秘密』は、ブーム発生装置としてはできそこないの「不発弾」だった。読みなおしてみて痛感したが、やはり冗長でややこしく、ポップではないし、キャッチーな要素に欠けるのである。ノストラダムスにあったような「99年に人類滅亡!」と、ひとことで語れる明解さがない。どう考えても陰謀に見えるが、陰謀論だけではすべてを説明できない数々の現象は興味深い。が、その不可解さだけでは子どもたちはノレないし、大人も同様だったのだろう。

     ただ、今後さらなる事実が判明し、なにかまったく別の方向に展開する余地が、「ファティマの奇跡」にはまだ残されているのかも知れない。陰謀論側からの検証、そして「UFO現象」としての検証を突き詰めていくと、なにか思ってもみなかったような事実が出てくるような気もする。とにもかくにもバチカンには、さっさと「第三の予言」を公開していただきたいものである。もし、本当にそんな予言が伝承通りに実在しているのなら、だが。

    初見健一

    昭和レトロ系ライター。東京都渋谷区生まれ。主著は『まだある。』『ぼくらの昭和オカルト大百科』『昭和こども図書館』『昭和こどもゴールデン映画劇場』(大空出版)、『昭和ちびっこ怪奇画報』『未来画報』(青幻舎)など。

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