五島勉が仕掛けたもうひとつの「大予言」! 『ファティマの秘密』の低温ブーム/初見健一・昭和こどもオカルト回顧録

文=初見健一

    あの五島勉がノストラダムスに続く新たな大予言として打ち出した『ファティマ・第三の秘密』。しかし、当時のこどもにはいまいちピンとこなかった?

    「ファティマ」はブームになったのか

     今回は言わずと知れた「ファティマの奇跡」、あるいは「ファティマの予言」として語り継がれる事象について回顧してみたい。これは20世紀に起こったとされる数々の超常現象事件のなかでも、世界的な知名度、その規模の大きさ、歴史的・政治的な意味合いに関する推論の多さ、さらには映画化など映像作品の多さなどから、間違いなくトップクラスの大ネタのひとつだと言えるだろう。

     ……と偉そうに書いておきながら、つい先日まで「ファティマ」に関する僕の記憶はただひたすらモヤモヤしていた。「ええと、ファティマってなんだっけ?」という程度のものだったのである。いや、単に「あんまりよく知らなかった」という話ではなく、子ども時代の僕は「ファティマ」の一件に夢中になったことがあるのだ。いや、より正確に言うと「夢中になろうとしてがんばったが、あんまり夢中になれなかった」という記憶があるのだ。このあたりの思い出がなんともモヤモヤしているのである。

     1980年代前半、「ファティマの予言」はオカルト好きの子どもたちの間でブームになった、いや、ブームになりかけたことがあった。
     仕掛けたのは、そう、予言といえばこの人、1973年の『ノストラダムスの大予言』によって出版史上最大級の売り上げ記録を叩きだし、破格のベストセラー作家の地位にのしあがったものの、終末ブームが過熱し過ぎて社会問題化したため、「良識派」からは「社会の敵! 子どもの敵!」と糾弾されてもいた五島勉大先生である。

    『ノストラダムスの大予言』から8年後の1981年、僕が中学1年生のころ、五島氏は満を持して(といっても、それまでおとなしくしていたわけではなく、デニケン的な宇宙人観やらカバラやら、ノストラダムス関連の続編など、精力的に本を出しまくってはいたのだが)『ファティマ・第三の秘密 法王庁が封じ続けた今世紀最大の予言 人類存亡の鍵を握る』という新書を刊行する。
    『ノストラダムスの大予言』同様、祥伝社の「ノンブックス」からの刊行だ。しかも、表紙カバーのデザインもあの印象的な『ノストラダムス』本の装丁を連想させるもので、「絶対にもう一発当ててやるぞっ!」という氏の並々ならぬ意気込みがヒシヒシと感じられる一冊だった。

     僕は発売直後に近所の本屋でこれが平積みになっているのを発見し、「ついに来たかっ!」という意味不明な言葉を心のなかで叫び、即座に購入した。そして期待に胸を膨らませて読みはじめ、その日のうちに完読したはずなのだが、肝心の内容がどんなものだったのか、今ではさっぱり覚えていない。なんとなく記憶に残っているのは、「なんか難しいなぁ……」という印象と、「あんまりおもしろくないなぁ……」という落胆だけだ。中学のクラスにも刊行直後にさっそく『ファティマ』を読んだオカルト好きの子たちが数人いて、彼らとも「あれ読んだ?」などと話し合ったはずなのだが、会話はまったくといっていいほど盛りあがらなかったと思う。

    『人類存亡の鍵を握るファティマ・第三の秘密 法王庁が封じ続けた今世紀最大の予言』(五島勉・著/祥伝社ノン・ブックス/1981年9月30日)

    80年代「ファティマ」ブーム

     では、五島先生が仕掛けた『ファティマ』は世間でまったく話題にならなかったのかというと、そういうわけでもなく、このあたり、かなり記憶が曖昧なのだが、本の刊行からしばらくしたころ、テレビのオカルト特番でも取りあげられていた覚えがある。今回あれこれ調べてみたが、残念ながら具体的な番組データを見つけることができなかった。しかし僕の記憶では、海外のオカルト事象をいくつか取りあげた2時間特番で、ローマにある「血の涙を流すマリア像」のネタとセットのような形で「ファティマの奇跡」が解説されていたはずなのだ。
     なので、五島先生の『ファティマ』は完全に黙殺されてしまったわけではなないし、あの本も短期間でかなりの版を重ねたようなので、それなりにヒットはしていたのだと思う。しかし、『ノストラダムス』の列島全土を巻き込む爆発的ブームと比べれば、やはりネタとしては「不発弾」で、ただ一部の好事家の間で短期間だけ話題になり、あとはそのまま消えてしまった……という印象だ。当時の大人たちの間でも同じようなものだったのだと思う。

     試しに我らが「ムー」が「ファティマ」を初めて取り上げたのはいつなのか?と歴代コンテンツを調べてみると、なんとすでに81年の9月号で大特集を組んでいる! 五島勉の「ファティマ本」刊行も同年9月なので、「ムー」が五島先生の仕掛けたブームに乗ったのか?と思ってしまいそうだが、いやいや、もちろん違う。9月号は8月に刊行されているので、「ムー」の方が一足早く手をつけていたのだ! さすが、恐るべし「ムー」……。

     さらに調べてみると、『ファティマ』が刊行される数か月前の81年5月号の「ムー」に、なんと五島勉の「特別寄稿」が掲載されている(五島氏が『ムー』に寄稿したのは、意外なことにこれが最初で最後で、以後はインタビューでの登場となる)。
     ここで当然、氏は「ファティマ」をプッシュしているのだろうと思いきや、掲載されたのは『ノストラダムスの謎を解くKEY』と題された原稿。相変わらずのノストラダムスものである。このあたりが不可解に見えるが、おそらくこの寄稿文を執筆している時点で、五島氏はまだ「ファティマ本」のアイデアを思いついていない。彼に「よし、次はファティマで行くぞっ!」と決心させる「大事件」は、この約1か月後に起きるのである。たぶん「ムー」が同時期に(というか、一足早く)「ファティマ特集」を打った理由もこの「大事件」にあるのだが、これについては次回の後編で解説してみたい。

    「ムー」1981年9月号の大特集「おそるべき人類の未来を告げる戦慄のメッセージ 衝撃のファチマ大予言!」より。同年9月末の五島勉の「ファティマ本」刊行より2カ月ほど早く掲載された24ページの総力特集! おそらくキリスト教系の書籍以外の一般メディアに登場した国内初の「オカルト的ファティマ解説」だと思われる。ちなみに同年12月、鬼塚五十一氏も『ファチマ大予言 第三の秘密全貌を解明』(サンデー社)を刊行している。

    結局、100年前のファティマで何が起こったのか?

     80年代にはある意味ですでに「陳腐化」していた『ノストラダムスの大予言』に代わり、新たなる「大予言ブーム」を仕掛けようとした五島勉の挑戦は、やはり思ったほどうまくはいかなかったということなのだろう。この「ブームにはならなかったが、かといってまったく話題にならなかったわけではない」という微妙な感じが、当時の子どもとして巻き込まれた我々世代にモヤモヤした記憶を残すことになったのだ。「ファティマ」という言葉はすごく印象に残っているが、それが何だったかは覚えてない……という人が、たぶん僕の世代にはたくさんいるはずである。

     次回後編では、いかにも「昭和のオカルト本」というタッチで書かれた五島氏の『ファティマ・第三の予言』の味わいどころを紹介しつつ、当時の「ブームになりそこねたファティマブーム」という微妙な現象を分析してみたいのだが、その前に肝心の「ファティマの奇跡」とはそもそもなんなのか、その概要を紹介しておかなければならない。ただ、この事象は長期に渡って起こったさまざまな出来事の総称であり、あれこれの細かい事象、多岐にわたるいろいろな現象が積み重なったものだ。それらをすべて記述するのはあまりにもめんどく……いや、煩雑になってしまうので、あくまで主な要素のみをまとめてみる。とにかく有名な事件なので、ネット上にも膨大な情報がアーカイブされている。もし細部まで知りたいなら、そうしたものをチェックしていただきたい。

    五島勉『ファティマ・第三の秘密』より。下段の三人の子どもたちの写真はファティマ関連の記事には必ず登場する有名なスナップだ。左からルシア、フランシスコ、ヤシンタ。この子たちが下記の騒動の中心となった。

    概要「ファティマの奇跡」

    1916年の春 ポルトガルの片田舎の村、ファティマに暮らすルシア(女の子・10歳)と、兄妹であるフランシスコ(男の子・8~9歳)、ジャシンタ(女の子・7歳)という牧童の子どもたち(ルシアと兄妹は親戚関係にある)が、空中を漂う「天使」(14~17歳くらいの少年)に遭遇する。「天使」は三人に「祈りの方法」を伝授する。こうした邂逅が数回続く。ちなみに、1916年は第一次世界大戦の真っ只中であり、ロシアで革命が起こり、人類史上初の社会主義国家ソビエト連邦が誕生する前夜であることに留意したい。

    1917年5月13日 ファティマのコーヴァ・デ・イリア(「イタリアの谷」と呼ばれる街の広場のような場所らしい)で、いわゆる「ファティマの聖母」が3人の前に出現する。「聖母」は18歳くらいの美しい少女。ロザリオを手に、柊の木を背後に浮遊していた。彼女は「毎月13日にここへ来てください」と子どもたちに告げる。ルシアがこのことを親に話したことで噂が村に広まる。一説では、ルシアの親は「娘に悪魔が憑いた」と考えたようで、ほかの多くの村人たちも子どもたちを「悪魔憑き」「嘘つき」呼ばわりしたらしい。

    同年6月13日 子どもたち、そして50人ほどの村の野次馬たちの前で「聖母」出現。しかし、3人の子どもたちのほかに「聖母」を見たり、その声を聞いたりした人はいなかった。ただ、村人たちも「奇妙な光」や「空中の白い渦」を目撃している。「聖母」はフランシスコとジャシンタに「あなたがたはもうすぐ天国へ行けます」と告げ、ルシアには「あなたが天国へ来るのはもっと先のこと。あなたには地上での使命がある」と告げる。この言葉通り、兄妹は数年後に病死ししてしまう。

    同年7月13日 噂が広まり、5000人ほどの野次馬が集まる。このなかには噂を聞きつけた新聞記者、科学者、また、なにか異端的な活動が行われているのではないかと調査しにきたカトリック教会関係者も含まれていた。これまでと同様に「聖母」が出現。例によって子どもたち以外には姿は見えない。「聖母」は子どもたちに、次のようなことを語る。
    「ロシアの奉献(神に捧げること)を求めます。ロシアが改心すれば、世界に平和が訪れるでしょう。そうでなければ、ロシアは世界中に誤謬と教会の迫害を蔓延させ、大きな禍が起こるでしょう」
     この日に「聖母」が告げたことが、後に「ファティマの三つの予言」として語り継がれることになる。内容は下記の通り。

    予言1 「地獄」は実在する(「聖母」は3人の子どもたちに「地獄」のイメージを見せる。それは子どもたちにトラウマを植え付けるほど恐ろしい光景だったという)。

    予言2 第一次世界大戦はもうすぐ終わる。しかし人々が悔い改めなければ、さらに大きな戦争が起こる。その兆候として、欧州に不気味な光が見えるであろう。

    予言3 不明

     3番目の予言はルシアのみに告げられ、「聖母」は「1690年になるまで秘密にするように」と命じた。この予言の内容はローマ教皇庁にも伝えられたが、1960年になっても公開されなかった。一説によれば、ヨハネ23世は予言の内容を見て絶句、卒倒したという。再度封印され、2000年になってようやく公開される。それは1981年5月に起こったヨハネ・パウロ2世の暗殺未遂事件に関するものだという発表だったが、多くの識者はこれを疑問視している。内容的に法王が卒倒するほどのものとは思えないため、教皇庁はまだ重大な情報を隠蔽しているといった憶測が絶えない。

    同年8月13日 18000人の野次馬が集まるが、子どもたちはコーヴァ・デ・イリアに来ることができなかった。騒ぎが大きくなったのを見た反教権主義のポルトガル暫定政府は、この騒動はポルトガル第一共和政に反対するための政治活動であると判断し、行政官を派遣して3人の子どもたちを拘束したのだ(ほどなくして釈放された)。その後、「聖母」は8月19日に出現した(毎月13日に現れる約束になっていたが、このときのみ異例の登場をした)。

    同年9月13日 「聖母」出現。3万人の野次馬が集まる。「聖母」は「10月に奇跡を起こします」と宣言する。また、多くの人が空の明るさの異常な変化、飛行する奇妙な発光体などを目撃したともいわれている。

    同年10月13日 「聖母」が「奇跡を起こす」と宣言した通り、7万人とも10万人ともいわれる大観衆の多くが「太陽のダンス」と呼ばれる異常現象を目撃する。突如、空が暗くなり、太陽(熱と光を放つ巨大な球体)が縦横無尽に飛びまわったという。ただ、群集のなかには「なにも起こらなかった」と証言する者もいたほか、カメラを携えた新聞記者も多かったにも関わらず、異常現象が撮影された写真は存在しない(あるという説もあるが、真偽不明)。

     これを最後に、ファティマの村を混乱させ続けた「奇跡」騒動は収束した。

     御覧の通り、事象のプロセスがダラダラと長いうえに(これでもかなり端折っているのだが)、なんとも実情が曖昧で見えにくく、さらにはオチもない。おまけにバチカンによる反共プロパガンダの匂いがプンプン漂っていたりもするのだが、しかし政治的・宗教的「陰謀」だけでは説明がつかない部分もありそう……。
     というわけで、オカルト的事象としていまひとつ明確な感想を持ちにくい厄介なネタなのだが、次回の後編では、この扱いにくい現象、というか騒動を、五島勉先生がどう「料理」したのかを見ていきたい。

    初見健一

    昭和レトロ系ライター。東京都渋谷区生まれ。主著は『まだある。』『ぼくらの昭和オカルト大百科』『昭和こども図書館』『昭和こどもゴールデン映画劇場』(大空出版)、『昭和ちびっこ怪奇画報』『未来画報』(青幻舎)など。

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