70年代アニメ&マンガのムーやアトランティス「超古代文明」一大潮流/昭和こどもオカルト回顧録

文=初見健一

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    アトランティス、ムー、レムリア……超古代に栄えた幻の文明という壮大な世界観について、昭和のこどもたち目線で振り返る。あのときアニメも「超古代」ブームだった!

    70年代SFアニメは「消えた大陸」ネタだらけ?

     前回は70年代のオカルト児童書に掲載された「アトランティス」や「ムー」などの「消えた大陸」関連の典型的な記事を紹介したが、今回はオカルト本の世界から少し離れて、当時の子どもたちが日常的に目にしてきたテレビ番組などに目を向けてみたいと思う。そもそも僕ら世代は、オカルトブーム勃発以前の幼児のころから「消えた大陸」ネタを刷り込まれまくってきたのだ!……ということについて考えてみたいのである。

     「アトランティス」や「ムー」の「超古代文明」は高度な科学を誇っており、現代人の想像を絶するさまざまな「ロストテクノロジー」が存在したとか、「アトランティス人」や「ムー人」は超能力者であり、その血を継ぐ末裔たちが現在もどこかで生きのびている……といったネタは当時の男児向けSFアニメ・マンガにとっては非常に便利なものだったらしく、多くの作品で繰り返し使いまわされている。

     古いところでは、かの『黄金バット』。僕ら世代にとっては親世代が夢中になった前時代的ヒーローであり、戦前に大人気を博したという「街頭紙芝居」版はもちろん、戦後の「絵物語」版も目にしてはいないのだが、1967年のアニメ版放映によってリバイバルブームのようなものが起こった。僕らはこれを再放送でかろうじて見た世代だ。
     この「世界最古のスーパーヒーロー」ともいわれる『黄金バット』、アニメ版では「アトランティス大陸」の宮殿の遺跡に設置された棺の中から1万年の眠りから覚めて蘇った「謎の超人」!……という設定になっていた。「古代文明」が特にストーリーに関わってくるわけでもなく、いかにもアニメ化に際して後付けされた設定のようだが、ともかく60年代の子どもたちの間でも、「アトランティス」は「謎とロマン」を想起させる強力なキーワードとしておなじみだったのだろう。

     より決定的に「アトランティス」のイメージを僕ら世代に植え付けたのは、子どもたちだけでなく若者たちにも人気が高く、以降のアニメブームの礎を築いたともいわれる『海のトリトン』である。主人公の少年「トリトン」は、5000年前に「ポセイドン族」によって滅ぼされた「アトランティス人」の末裔。海を支配しようとする邪悪な「ポセイドン族」と戦っている。しかし、実は侵略者・虐殺者は「アトランティス人」の方であり、悪とされていた「ポセイドン族」が蹂躙された被害者だった、ということが明かされるトラウマ最終回は今も語り草になっている。
     本作で重要なアイテムとして登場するのが、「トリトン」が持つ「オリハルコンの短剣」だ。「オリハルコン」といえば、「アトランティス」の提唱者であるプラトンの著作に記されている幻の「超金属」。「アトランティス」の高度な文明を象徴する神秘の鉱石であり、さまざまなフィクションに登場し、後にドラクエなどのファンタジー系RPGでもおなじみになるアイテムである。

    『海のトリトン』の原作は手塚治虫だが(『青のトリトン』として発表されたマンガ版はアニメとは設定や雰囲気がかなり違う)、手塚作品で70年代オカルト感が全開になった人気作品といえば、これも僕ら世代にはおなじみの『三つ目がとおる』だ。主人子は気の弱いいじめられっ子の中学生、写楽呆介。しかし、実は彼こそ古代「ムー大陸」に超高度な文明を築いた「三つ目族」(「第三の目」を持つ超能力者)の生き残りで、滅び去った「三つ目王国」の再興を画策している。各回のストーリーも当時のさまざまなオカルトネタを手当たり次第にブチ込んだような内容で、70年代オカルトブーム時の雰囲気を色濃く反映した作品になっている。

    *手塚治虫公式チャンネルより、『海のトリトン』OP。これを見ただけでもアニメ版『トリトン』のタッチがわかるだろう。スケールの大きな楽曲も傑作として名高い。

    ロボットアニメにも「古代文明」ネタが続々

     70年代初頭、『マジンガーZ』の爆発的な人気によって「巨大ロボット」が登場するアニメがジャンル化したが、大量に制作されたこれらの作品の主役ロボットは、当初は最先端の科学が産んだもの、来るべき未来のテクノロジーを体現したものであり、その魅力で子どもたちを惹きつけていた。しかしオカルトブームの定着以降は、「超古代文明のロストテクノロジー」としてのロボットを主役に据えた作品も作られるようになる。未来への憧れから視線の方向が逆転し、「スゴイもの」は失われた遠い過去にある……といった価値観の変容は、いかにもこの時代らしい傾向だったのかも知れない。

    「古代のロボット」のイメージを僕ら世代に決定付けたのが、1975年に放映された『勇者ライディーン』だ。そもそも企画の段階から「昨今の超常現象ブームを反映した作品にする」という意図があったそうで、設定やストーリーも完全にオカルト路線。かつて「ムー帝国」を滅ぼした「妖魔帝国」が現代に甦り、それを迎え撃つべく「ムー」の守り神的なロボットが古代遺跡の中から復活する……といった内容である。ツタンカーメンなどをモチーフにした神話的デザインが子どもたちにウケて、「超合金」(大人気だったポピーの金属フィギュアシリーズ)などの玩具が売れまくった(僕も持ってました。デキがよかった!)。

     おもしろいのは、オカルト方向に振り切った「伝奇ロマン」風ロボットアニメとして企画されたにもかかわらず、折り悪く、放送していたNET、つまり現在のテレ朝、そして株主の朝日新聞は、この時期には「反オカルト」の旗を掲げていた。このあたりのことはいずれまた書いてみたいが、前年のユリ・ゲラー騒動によって、日本のメディアでは「超能力は是か否か?」という大論争が白熱化していたのだ。さまざまな文化人・知識人を巻き込み、「新聞・テレビが『超能力』なんぞというインチキを取りあげて国民を惑わせていいのか?」といった議論があちこちで勃発しており(この論争自体がメディアにとっては「売れるネタ」だったわけだが)、朝日系列は全体として「否!」の立場を取ったわけだ。
    『ライディーン』の内容は局の「オカルト排斥」の方針に抵触していると問題になり、放映スタート後も上層部から軌道修正を何度も迫られたらしい。当然、現場は大混乱。結局、監督の富野喜幸が降板することになってしまう。「そんなに目くじら立てるような内容だったっけ?」とも思うが、まぁ、当時はそういう時代だったのだろう。

     そういえば、同年放送の『鋼鉄ジーグ』も、主役ロボット自体は古代のものという設定ではないが、敵として設定された悪役が古代日本を支配していた凶悪な国家「邪魔大王国」、その最高権力者「女王ヒミカ」、そして彼らが差し向ける人型・動物型の巨大兵器「ハニワ原人」ということになっていた(笑)。この奇妙な設定にも説明が必要だろう。1967年に刊行された宮崎康平の著作『まぼろしの邪馬台国』がベストセラーになり、60年代後半から70年代にかけて、出版界やテレビ界は空前の「邪馬台国ブーム」に沸いた。「邪馬台国はどこにあったのか?」という日本考古学史上最大の謎をめぐって、一般の人たちまでがあれこれと主張を語るようになったのもこの頃だ。さらに1972年、高松塚古墳が発見されて大騒ぎになる。これによって熱狂的な古代史ブームに拍車がかかった。『鋼鉄ジーグ』の設定は、この時期の熱狂をモロに反映したものだったわけだ。それにしても、「邪馬台国」のモチーフを「現代の平和な日本」を脅かす「邪悪な帝国」に利用しているのはなんともユニークである。

     こうした「古代ロボット」もの(といえるほどジャンル化はしてないと思うが)の流れは連綿と続き、1980年には「あっち側」へ全振りした『伝説巨神イデオン』のレベルまでいくわけである。

    *ファミ劇Neoプラスで無料公開中の『勇者ライディーン』第1話。主人公は「ムー大陸」の王族の末裔、「ライディーン」が格納されていたのは海中のピラミッド、その動力は主人公の「念力」という設定など、当時のオカルトなアレコレがギッシリと詰め込まれたロボットアニメだ。

    80年代スピ系アニメの決定版といえば……

    「古代文明」をキーワードに当時のアニメをあれこれと思い出して、僕が今さらながらに一番驚いてしまった作品が1980年に放映された『ムーの白鯨』だ。放映時に一応はほぼ毎週見ていたのだが、なんか地味、暗い、マジメ……という印象しかなく、興味が持てなかった。
     しかし、見なおしてみるとかなりハードなSFファンタジー、というより、当時のニューエイジ的スピリチュアリズムのあれこれを手当たり次第にブチ込んだようなスゴイ内容なのである。こういうものがあまり得意でなかった僕などは「うわぁ、あのときのあの感じが全部ある!」と、「精神世界ブーム」のころの空気を久しぶりに嗅いでゲンナリしてしまった(ホメてます!)。あの時期独特のちょっとヤバい感じ、80年代初頭の子ども文化の危なっかしさがビンビン伝わってきて、よくも悪くも非常に「おもしろい」。この類の作品では3年後に封切られる映画版『幻魔大戦』(原作は1967年。本格的な「超能力マンガ」の草分け的作品)が今もよく話題にのぼるが、『ムーの白鯨』には70年代までの「テレビまんが」の朴訥としたタッチと80年代以降のスピ系アニメの独特な感じの両方が混在していて、いかにも「80年代のはじまり」という雰囲気に満ちているような気がする。

     ストーリーも「いい加減にしろ!」と言いたくなるくらいに凄まじい。1982年に「惑星直列」が起こり、人類は地球規模の天変地異と大災害に見舞われる……というオープニングの描写は、ほとんど映画版『ノストラダムスの大予言』。その黙示録的な人類終末の時期に、3万年前に滅んだ「アトランティス大陸」が宇宙空間に甦った。かつて地球には二つの高度な文明があり、ひとつは平和を愛する海の民「ムー」。そして他方は好戦的民族が築いた軍事国家「アトランティス」。凶悪な「アトランティス人」は「オリハルコン」(また出た!)の力で「ムー」に攻め込み大戦争となるが、この戦争が地球を滅亡させると案じた「ムー」の王「ラ・ムー」(菊池桃子を思い出す人も多いと思う)は超能力によって「アトランティス」を大陸ごと異次元に吹き飛ばしてしまう。その「アトランティス」が3万年のときを経て宇宙の彼方で復活し、地球への侵攻を開始したのである。これを迎え撃つべく、五人の少年少女が「選ばれしムー戦士」としてイースター島のモアイの前に集められ、「ムー」の守り神である空飛ぶ巨大な「サイボーグ白鯨」とともに戦うことになるのであった……と、設定を要約しているだけでも眩暈がしてくるような作品なのだ。

     しかし、この感じこそがまさに当時の通俗的スピリチュアル感の「全部入り」とでもいうべきもので、時代の空気を知っている人なら独特のトンデモ設定に懐かしさを覚えるだろう。よくもまあ、ここまであの頃の「スピリチュアル気分」をまんべんなく詰め込み、ちゃんと子ども向け作品に仕上げたなぁ、と思う。
    「選ばれし戦士」などというワードには特にグッと来てしまう。これも若い世代に説明しようとすると非常にめんどくさいことになるが、『ムーの白鯨』放映からほどなくして、一部の若者たちの間では「前世探し」の大ブームが起こる。自分の前世は「選ばれし戦士」であり、転生前には「真の仲間たち」と繋がっていた……といった空想の世界で遊ぶことが大流行したのだ。いや、本人たちは遊んでいたわけではないのだろう。「私、実は3歳のときに高位の存在から運命を告げられました。光の戦士として生まれたのだそうです」とか「前世の絆で結ばれた本当の仲間を探しています。来るべき世界の終わりのために一緒に戦いましょう」などと真顔で語る少年少女が実在したのだ。

     当時の僕はああいう傾向が本当に苦手で、そちらの方へは絶対に近づかないようにしていたのだが、今から思えば、あれはあれでなにかの過渡期というか端境期というか、ある種の若者たちの間に奇妙な自由(?)が満ちていた「楽しい時代」だったのかも知れない……という気がしないでもない。ああいうヘンテコな日々はもう二度と来ないだろうし、僕も「戦士」の仲間に加わって楽しんでおけばよかった、とも思わなくもないのである。

    「当方、前世では金星の女神に性別された黄金の騎士でした。転生前の絆で結ばれた巫女、天使、妖精、賢者を探しています。このメッセージを読んで記憶が甦ったら、至急ご連絡ください。21世紀初頭に訪れる『闇の時代』を乗り切る準備をしましょう!」

     というわけで、次回は再び70年代オカルト児童書の世界に戻り、「消えた大陸」以外のさまざまな「超古代文明」ネタ、主に「謎の古代遺跡」などについて回顧してみたい。特に当時の子どもたちに人気が高かった「モアイ」と「遮光器土偶」について語ってみたいのである。

    *TMS公式チャンネルで無料公開中の『ムーの白鯨』1~3話。オカルトネタ満載というより、オカルト要素以外はなにもないといってもいいような作品である。キラキラの映像にゆったりとした「癒し」の歌が流れるOPだけでも、ぜひぜひ見てほしい。80年代初頭ならではのタッチだ。

    初見健一

    昭和レトロ系ライター。東京都渋谷区生まれ。主著は『まだある。』『ぼくらの昭和オカルト大百科』『昭和こども図書館』『昭和こどもゴールデン映画劇場』(大空出版)、『昭和ちびっこ怪奇画報』『未来画報』(青幻舎)など。

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