日本のUFO研究の夜明け!「日本空飛ぶ円盤研究会」の歴史/MUTube&特集紹介  2025年12月号

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    結成70周年! 日本におけるUFO研究の先駆団体について三上編集長がMUTubeで解説。

    設立の経緯──日本のUFO研究の夜明け

     今年は、日本最初の民間UFO研究団体である「日本空飛ぶ円盤研究会」が設立されてから、ちょうど70年の節目だ。一般社団法人超常現象情報研究センターでは、この団体の往年の活動を偲んで9月13、14の両日、ささやかながら関連資料の展示会を行った。
     1955年7月1日に結成されたこの研究会には、日本全国からUFOに関心を持つ会員が、最盛時には1000人近く集まり、1960年に休会するまで、機関誌「宇宙機」発行をはじめとするさまざまな活動を行った。
     顧問には作家の北村小松(文中はすべて敬称略)やマルチタレントの徳川夢声、日本のロケット開発の草分けである糸川英夫などが名を連ね、会員にもUFO・超常現象の研究家だけでなく、世界的に知られた作家の三島由紀夫や石原慎太郎、黛敏郎などの著名人がいたことでも知られている。
     その日本空飛ぶ円盤研究会は、どのような経緯で結成されたのだろうか。
     1947年6月24日、アメリカの実業家ケネス・アーノルドが、自ら操縦する自家用機でワシントン州レイニア山麓を飛行中、9個の謎の飛行物体を目撃した。この、いわゆるアーノルド事件をきっかけに、「空飛ぶ円盤」という言葉が誕生。事件はすぐに世界中で報道され、日本でも7月になると、いくつもの新聞や雑誌の記事に「空飛ぶ円盤」という文字が躍るようになった。
     当時、こうした記事を読んでUFOに関心を持った人物が日本には何人もいたようで、そのひとりが後に日本空飛ぶ円盤研究会会長を務める荒井欣一である。
     荒井欣一は、1923(大正12)年7月6日、東京の五反田で生まれた。生家は質店を営んでおり、番頭やお手伝いさんなども抱えるそれなりに裕福な家庭だったという。他方で少年時代から天文学に関心があり、宇宙のどこかに地球人と同じような生命が住んでいるのではないかと思いを馳せるような子供だったという。
     その荒井が青山学院中等部に進んだ次の年に日中戦争が始まり、青山学院専門部(現在の青山学院大学)時代には学徒動員で陸軍に入隊。国立市の陸軍電波兵器学校や水戸市の航空通信学校でレーダーについて教育を受け、山口県下関市小月で機上レーダーの装備の任に就いていたとき、陸軍少尉で終戦を迎えた。
     戦後しばらくは世田谷区上馬に疎開し、男手の足りなくなった地元で便利屋のようなことをしていたが、日本橋区長を務めたことのある人物の紹介で、1946年2月に大蔵省に入省、印刷局で勤務することになった。終戦直後は中央官庁も激しい人材不足で、公務員試験を受けることなく採用される人物もかなりいたのだ。
     荒井がアーノルド事件について知ったのは、1947年、大蔵省印刷局に勤めていたころだった。関連記事を読んだ荒井は、他の天体の知的生命体が飛ばしているのではないかと直感し、仕事の傍ら少しずつ資料を集めるようになった。
     1950年には大蔵省を辞めて古書店を開いた。結局、型にはまったお役所仕事は彼の性に合わなかったようだ。
     開業にあたっては自分の蔵書に加え、数百冊を新たに買い求めて品揃えをした。なにしろ学生時代から本を読みふけり、哲学書、日本史、さらには俳句など1000冊を越える蔵書があり、それが被害を受けずに手つかずのまま返ってきたのだ。しかしそれだけだと内容が硬すぎるので、一般向けの本を買い足したということだ。
     古書店に加え、貸本業も始めた。東京都古書組合第六支部に「貸本部」を作り、東京都読書普及商業組合の機関誌「街の図書館」の編集も行うなど、古書店や貸本業界の発展に尽力した。
     本格的にUFO関係の記事や書籍を集めるようになったのは、このころからだ。客のなかにも関心を持つ者が何人かおり、店先で気の合う者同士、洋書や雑誌をたよりに自然にUFO論議をするようになったという。
     研究会設立の直接の契機となったのは、1954年、日本でジョージ・アダムスキーとデズモンド・レスリーの共著『空飛ぶ円盤実見記』がベストセラーになったことだった。
     アダムスキーは、1952年11月20日、カリフォルニア州のモハーベ砂漠でオーソンという金星人と会見したと主張し、翌年デズモンド・レスリーとの共著という形でこの会見記を公表した。現在ではアダムスキーのこのコンタクト・ストーリーについては、一部の支持者を除き大多数の研究家が否定的な見解を示しているものの、当時、この著書は世界的なベストセラーになった。翌年には日本でも翻訳出版され、大きな話題となったのだ。
     こうした世間の動きを受け、1955年7月1日、日本空飛ぶ円盤研究会が結成されることになる。

    (文=羽仁 礼 イラストレーション=久保田晃司)

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    webムー編集部

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