稲川淳二も驚嘆!「教養としての名作怪談 日本書紀から小泉八雲まで」発売
気鋭の怪談研究家が名作怪談を解体する。
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小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、日本各地で怪談や民話を採集した。「知られぬ日本の面影」によると、小泉八雲の日本への第一印象は香水の匂いのように、捉えどころがなくて、移ろいやすい所だったそうだ。そんな日本で八雲が見て感じたこと追うシリーズ記事。
八雲は、「加賀の潜戸」(くけど)という岩屋にて、子供の幽霊の足跡を見たと記している。
松江から御津浦の悪路を七マイル(約十一キロ)ほど進み、高い断崖に囲まれた入り江の船着き場から潜戸へ向かった八雲は、まずその海の透明さに驚かされた。
やがて岸を離れると、奇々怪々な崖の裂け目や、まるで悪夢にうなされる者の姿を思わせるような巨岩が現れた。
「心のよこしまな人間が立ち入ろうとすると、大木がひとりでに崩れ落ちてくる」と当時の船頭が伝えていた場所である。だが八雲は無事に通り抜け、目的地にたどり着くことができた。
潜戸には「地獄の泉」と呼ばれる泉があり、そこは死んだ子供の幽霊が喉を潤すといわれている。乳の出がよい母親が、子供が飲みきれなかった母乳を持ってきて「余った分は死んだ子供たちの霊に与えてください」と祈ると、その願いが聞き届けられるという。
そんな伝承が残る潜戸で、水泳好きの八雲は、船上にとどまるのに飽きたのか、あまりに透き通った水に心を奪われたのか、海へ飛び込もうとした。すると船頭が「ここは神様の海で、飛び込んだ者は行方知れずになってしまう」と制した。
さらに岩屋の奥へと進むと、光が届かぬ暗闇が広がっていた。やがて闇に目が慣れると、そこには無数の小石の塔が築かれているのが見えた。八雲が「誰がこのようなものを作ったのか」と尋ねると、同乗していた車夫が「死んだ子供の仕事ですよ」と答えたという。
石塔のある場所に船を付けて陸に上がると、全員が気をつけながらそろそろと歩いた。というのも、石塔を倒してしまうと子供の亡霊が悲しんで涙を流すといわれていたからだ。八雲も抜き足差し足で石塔の間を進み、やっと石のない砂州にたどり着いた。すると、砂の上に四インチ(約十センチ)ほどの小さな裸足の足跡が残されているのを見つけた。
八雲は赤子の幽霊の足跡ではないかと興奮した。船頭は「もっと早い時間に来れば、たくさんの足跡が見られたのに。砂が乾くと跡は儚く消えてしまうんですよ」と告げた。八雲はさらに足跡を探し、三つほどを見つけたという。それらは不思議なほどはっきりとした子供の足跡だった。
八雲は数多くの怪談を記録しているが、自らが体験した怪奇譚はそう多くない。
また、子どもの幽霊だけでなく、潜戸には妖怪変化も現れると言われている。
幼い頃に、両親と別れ養母に育てられた八雲は母親の愛情に飢えていたのか、母子の絆に関する物語を幾つも記録している。
その中の一つが松江に伝わる大雄寺の「飴かい幽霊」の話だ。
死んだ母親が、幽霊の姿となって墓に収められていた六文銭を使って夜な夜な飴屋に飴を買い求めに行き、赤子を育てるという物語で、全国に似たような民話が残っている。鳥取県立博物館の記事によると、『日本昔話通観』(稲田浩二他編、同朋舎)によれば全国で244話が確認されているそうで、未確認なのは宮崎・神奈川・千葉・栃木・岩手・北海道の六道県のみだそうだ。
大雄寺は松江開府の際に安来市広瀬町から移された法華宗の寺で、そこの墓地から中原町まで、飴をかいに幽霊が彷徨い出ていたと伝わっている。
これらの物語に出て来る飴はいわゆるキャンディのような硬い飴でなく麦芽で作った液状の水飴で、当時は母乳の出ない乳児や病人に与えられていた。
石村春荘『松江むかし話』にも「飴かい幽霊」の話が記されており、子が北掘町の家に養女に出され、立派に成長したとされている。「飴かい幽霊」の話は、男児が幽霊に育てられ、やがて高僧になるパターンが多いので、女児である内容は珍しい。
八雲は大阪に旅した時に、煙管の羅宇屋が赤子の眠る籠に位牌を入れていた話を記している。
位牌を入れていた理由は死に別れた妻が、死後も子供を見守ると約束したから羅宇屋が子が母を感じられるように入れていたのだ。そのせいか、男で一つで育てられ、貰い乳もなく飴や米の絞り汁だけで育ったと思えないほど、赤子はふくよかで健康そうに見えた。
八雲はこれも、母の愛のおかげだろうと感じたそうだ。
「飴かい幽霊の物語」の概要を記しておこう。
ある町の片隅に、小さな飴屋があった。
その戸口を、夜ごとに叩き、ひとりの女が飴を買いに訪れた。
買うのは、わずか一文の水飴。
けれども、その姿はあまりに痩せ細っていて、顔は死人のように蒼白であった。
飴屋の主人は不思議に思い、ある夜、女の後をつけた。
女はふらふらと歩み、やがて墓地の方へと消えてゆく。
主人は、ぞっとして、それ以上追うことができなかった。
次の夜も、女は現れた。
いつものように飴を受け取ると、主人の方を振り返り、ただ黙って手招きをした。
恐怖に震えながらも、主人はついて行った。
女はひとつの墓の前に立ち止まり、そして影のように掻き消えてしまった。
そのとき、地の底からかすかな泣き声が聞こえた。
赤子の泣く声であった。
主人が墓を開くと、そこにはすでに冷たくなった女の骸があり、その傍らに、生まれたばかりの赤子が生きて水飴をしゃぶっていた。
灯の明かりに照らされて、母の遺体は微笑んでいるようにも見えた。
女は身ごもったまま、早すぎる死を迎え、墓の闇の中で子を産み、その魂はなおも赤子を養おうと、毎夜飴を買いに現れていたのだ。
飴屋の主人は赤子を抱いて、店に連れ帰り、その子を裕福な家の養女に出した。
八雲が紹介した「飴を買う女」の話で、幽霊は飴を買っていた店はいったいどこなのだろうか?
松江在住の方に取材にあたってみたところ、当時松江で唯一飴を売っていた店は、因幡屋太郎右衛門により文化六年 (1809)に松江市中原町にて創業された「因幡屋」という店だけだそうだ。
しかも店は大雄寺にも近く、おそらく話に登場する店は因幡屋がモデルで確定らしい。
その後、店は高知県出身の大町桂月が松江に訪れたことから、店名を因幡屋から「小西桂月堂」に変更している。店の場所も変わり、現在は「桂月堂」の店名で銘菓を提供している知られた老舗だそうだ。
「桂月堂」では、現在、飴の販売は行われていないが、「日本の面影の飴を買う女幽霊」の話をモチーフにした「子守り饅頭」が発売されている。
田辺青蛙
ホラー・怪談作家。怪談イベントなどにも出演するプレーヤーでもある。
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