大迫力の神饌がズラリと並ぶ千葉・香取神宮の大饗祭! 秘密めいた「神々の大宴会」をレポート

取材・文・写真=小嶋独観

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    珍スポ巡って25年の古参マニアによる全国屈指の“奇祭”紹介! 今回は千葉・香取神宮の大饗祭。日本有数の名刹とは思えない浮世離れした雰囲気に衝撃!

    秘密めいた雰囲気に満ちた祭礼

     千葉県香取市の香取神宮。言わずと知れた全国の香取神社の総本社であり、下総国一宮だ。明治以前に神宮を名乗っていたのは伊勢神宮、鹿島神宮とこの香取神宮だけである。

     その鹿島神宮で11月の末に「大饗祭」という祭礼が行われる。神々に豪快過ぎる供え物を奉納する祭りなのだ。晩秋の香取神宮に行ってみる。時刻は午後5時半。すでに日は暮れ、参道の土産屋も店終いの最中。鳥居を過ぎるとほとんど明かりはなく、しばらく歩くと完全に真っ暗になってしまう。

     実は筆者はこの祭りを観るのが二度目となるため、懐中電灯を携帯していた。初めて訪れた時は、本当にこんな真っ暗なところでお祭りなんてやるんだろうか? と不安になったが、今回は焦ることなく会場に到着することができた。

     会場には松明が灯され、荘厳な雰囲気に満ちていた。見物人はわずか数十名。日本有数の名刹である香取神宮の祭礼としてはあまりにもこじんまりとした規模に驚くが、本当にローカルな秘密めいた雰囲気には堪らないモノを感じてしまう。時折、上空を成田空港から飛び立った飛行機が横切るのを見て改めて現代なのだ、と実感するほど浮世離れした雰囲気なのだ。

     この祭礼は祭神である経津主神が関東の神々をねぎらいもてなすための祭りだという。つまり、神様たちの大宴会なわけで、最上級の神饌を並べ奉るのだ。

     やがて、時間になると神職の方々が静々と拝殿の前に歩いてくる。パチパチと松明の木が爆ぜる音だけが響きわたる、本当に静かな雰囲気の祭りだ。

     神職の方々が着席すると、いよいよ祭りの始まりだ。

     拝殿内には巻行器(まきほかい)と呼ばれるマコモで作られた独特の入れ物に炊いた米が盛り付けられている。巻行器は16個、4斗の米が使用されている。昭和16年の神祇院による「官国弊社特殊神事調」によると、当時は5斗7升の米を焚いていたというから、今よりももっと豪勢だったのだろう。さらに明治以前は33個の巻行器を並べていたという。これは関東にいる33柱の神々をもてなしたという伝説に即したものと考えられる。

     そうこうしているうちに、いよいよ神饌の数々が運び込まれてくる。拝殿の左手に神饌殿という建物がある。そこでしつらえられた神饌が拝殿に運び込まれてくるのである。まずは追加の巻行器、続いて箸や酒。

     次にメインディッシュの鴨羽盛。これは捌いた鴨の羽を左右に開き、頭を持ち上げ背中にその内臓を盛り付けたもの。遠目にもエグさが伝わってくるが、神様に捧げる最高の御馳走なのだ。鴨は雌雄一対が奉納されていた。

     次に鳥羽盛。これは鳥羽といえど鮭の薄く切った切身を切った大根の上にかぶせて盛り付けてあるもの。溶けかかった赤い蝋燭のようだ。

     その後も次々と魚の干物や鮒、野菜や果物などが次から次へと神職の方々によりバケツリレー方式で運ばれていく。

     こうしてようやく神饌が全て拝殿に運ばれる。

     すると神主がその神饌を前に祝詞をあげる。

     続いて舞が奉納される。悲し気な笛の音に合わせて静々と舞は進む。その後氏子や関係者の真榊が奉納され、おごそかに祭りは終わりを迎える。

    豪華すぎる神饌に接近!

     祭りが全て終わると、一般客を拝殿にあげてくれる。一種のファンサービスタイムだ。

     ズラリと並んだ大迫力の神饌を間近に見る。奥に並ぶのが巻行器。手前にはさまざまな生き物が並ぶ。

     やはり一番目を引くのは雌雄一対の鴨羽盛だ。

     背中に臓物を乗せ羽を広げた姿は一種の生き造りといえよう。

     片方の鴨は口を輪ゴムで止めてある。仁王の阿吽のような意味なのだろうか?

     そしてもうひとつ気になるのが鮭を縦に盛り付けた鳥羽盛。生々しいケーキのようだ。

     これは鴨の左右に2個づつ合計4個並んでいた。この鳥羽盛も先程の鴨羽盛も下に敷いてあるのは鮫の肉だ。この近海には鮫がおり、古くから利根川流域に暮らす人々は食していたという。鮫はすぐ傷んでしまうので江戸までは運べなかったのだ。

     鮭の筋子。利根川にも鮭が遡上していたのだろうか。

     海の魚。利根川を下っていくと近くに銚子港がある。サンマやイワシの水揚げは全国屈指の港だ。

     川の魚。鯉や鮒は利根川や近くの霞ヶ浦でたくさん獲れるのだ。他にも鮭の切身、サンマ、海苔、昆布、餅、大根、牛蒡、里芋、白菜など旬の海の幸、山の幸がたくさん奉納されていた。

     これらの神饌は全て香取神宮の近くで取れたものだ。香取神宮の近くには銚子港、霞ヶ浦、利根川があり、海の魚も川の魚も豊富だ。もちろん水の利も良いから農業も盛んだ。米作も盛んだから、米だけでなく酒も造る。さらに舟運の物流基地であった商都佐原が近くにあるから、経済的にも豊かな氏子が多い。そんな土地だからこそ昔からこのような豊富で贅沢な神饌が用意できたのであろう。

     今では千葉の片田舎、というイメージしかないが、関東でも有数の豊かな土地だったのかもしれない。いや、今でも食材の種類からしたら相当豊かな土地と言えよう。逆に言えば海、川、湖、汽水湖といった多様性のある自然環境があったからこそ、この地に香取神宮は生まれたのだろう。

    小嶋独観

    ウェブサイト「珍寺大道場」道場主。神社仏閣ライター。日本やアジアのユニークな社寺、不思議な信仰、巨大な仏像等々を求めて精力的な取材を続けている。著書に『ヘンな神社&仏閣巡礼』(宝島社)、『珍寺大道場』(イーストプレス)、共著に『お寺に行こう!』(扶桑社)、『考える「珍スポット」知的ワンダーランドを巡る旅』(文芸社)。
    珍寺大道場 http://chindera.com/

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