CIAの極秘人体実験「MKウルトラ」に関する機密文書ついに公開! 非人道的行為の数々が白日の下に晒される

文=仲田しんじ

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    米ソ冷戦時代にCIAによって極秘裏に行われていた悪名高い一連のマインドコントロール実験「MKウルトラ」。その機密文書が50年のタイムリミットを迎えて遂に公開された。1200件を超える記録には何が記されていたのか――。

    ついに「MKウルトラ」の機密指定解除

     1950年代初頭から1960年代末にかけて、CIAは「MKウルトラ」「ブルーバード」「アーティチョーク」などのコード名で、人々に対して恐ろしいマインドコントール実験を繰り返していた。そこでは薬物、催眠、隔離、感覚遮断、その他の極端な手法が用いられ、被験者は自分に何が行われているのか、そしてそれがCIAの実験の一部であることに気付いていなかった。

     この謎に包まれた極秘実験についての機密文書1200件以上が機密指定を解除され、2024年12月23日にジョージ・ワシントン大学のデジタル国家安全保障アーカイブによって公開された。

    画像は「National Security Archive」より

     大量の文書の中から興味深いものを取り上げると、まずは「MKウルトラ」の前身である「アーティチョーク」計画に関する1952年のメモ「文書6」である。

     このメモでは「二重スパイの疑いのあるロシア人エージェント」に対して、麻薬と催眠を組み合わせて行われた施術についての詳細が説明されている。ロシア人スパイへの薬物投与によって、尋問中の記憶を喪失させることに成功したというのである。
     スパイは1時間以上も尋問を受けたのだが、大量のペントタールナトリウム(即効性の鎮静剤バルビツール酸塩)とデソキシン(強力なメタンフェタミン興奮剤)の投与によって「目覚ましい成果」をあげたという。
     関与したスタッフは「アーティチョーク作戦は完全に成功し、このようなケースでは化学催眠法の組み合わせが効果的であることが決定的に実証された」と確信していた。

     もう1つの興味深い情報は「文書5」で、連邦麻薬捜査官ジョージ・ホワイトが1952年に記した日課表の内容である。ホワイトは化学者で「MKウルトラ」を主導した人物であるシドニー・ゴットリーブからCIAのコンサルタントになるよう打診されたと記している。

     ホワイトはこれに同意し、ニューヨークとサンフランシスコにあるCIAの“隠れ家”を管理するとともに、そこで何も知らないアメリカ国民に密かにLSDを投与して行うマインドコントロール実験に関与した。文書全体を通してわかるのは、CIAは「MKウルトラ」の実験でLSDに大きく依存していたことだ。

    画像は「IFLScience」の記事より

    マニラや厚木にもLSDが隠されていた

     1953年のメモ「文書8」には「CIAが入手したLSDのほとんどは、イーライリリー社から入手したもの」だが、その経緯については不明であると記されている。

     そして興味深いことに、同文書ではCIA所有のLSDが、フィリピンの首都マニラや、日本の厚木の米海軍基地など、本土から遠く離れた米軍基地に隠されていたことが明らかになっている。前述のホワイトは、精神を変容させるこのLSDの不特定量を入手していたと記されている。

    「文書9」は陸軍化学部隊の特殊作戦部長、ヴィンセント・ルウェットが1953年に書いた手紙で、陸軍の化学者でエアロゾルの専門家であるフランク・オルソンの死に関するものである。
    「MKウルトラ」の主任の1人である前述のゴットリーブらが、オルソンのカクテルにLSDを混入してから10日後に、オルソンはニューヨークの10階建てのホテルの窓から転落して死亡したという。
     文書でオルソンは「非常に人気があり、パーティーで盛り上がるタイプ」で、仕事では「傑出していた」と評されている。死亡する前日、オルソンは上司のルウェットと電話で話しているのだが「かなりリラックスしている」ようであったという。CIAが当初自殺と判断したオルソンの死は「MKウルトラ」に関する最大の謎の1つでもあり、これまでさまざまな噂が飛び交ってきた。

     また、「文書2」では1950年にDCI(中央情報長官)が承認した「尋問チーム」の設立計画書で、このチームは「ポリグラフ、薬物、催眠術を利用して、尋問技術で最大の成果を上げる」ことを目指していたことが記されている。
     各チームは精神科医、ポリグラフ技師、催眠術師で構成され、ワシントンに事務所が設立され「薬物や催眠術の使用に関する精神科医の訓練、実験、教化の隠れ蓑として」機能させる計画が詳述されている。

     そして「文書13」は、連邦刑務所の囚人に精神を変える薬物を大量に投与して何が起こるかを調べる実験に関する文書で、「尋問防止薬」の開発と「人間のボランティアによるテスト」も含まれていた。

    「文書13」 画像は「National Security Archive」より

    非道な極秘人体実験の数々

    「文書16」は、CIAの監察総監による1963年の報告書で、この報告書によりCIAの指導部は、秘密の薬物テストプログラムを罪なきアメリカ人に対して行うことを再検討している。

     ターゲットとなった人々の一部は「密告者や犯罪容疑者」だったが、基本的にさまざまな階層から選ばれた。「高位から低位、ネイティブアメリカンから外国人まで、あらゆる社会的階層の個人に対する物質の有効性を検証することは非常に重要であり、それぞれのカテゴリに属する個人を対象にテストが行​​われた」ということだ。

    「文書20」は、カナダ・モントリオールの「アラン記念研究所」でエウェン・キャメロン博士が実施したCIA支援プロジェクトについて。1983年に同プロジェクトの被害者であるベルマ・ヴァル・オルリコウが起こした民事訴訟におけるゴットリーブの証言である。

     ゴットリーブはLSDを使った現場実験に関与し、1~5件の尋問に関与していたことを認めている。

     また、前出のホワイトが「売春婦を使って、知らない人に麻薬をこっそり飲ませる方法をテストした」とされる件について、ゴットリーブは「西海岸での活動に売春婦が関与していたのは、当時の麻薬文化と関係がある」と述べている。

    Fran SotoによるPixabayからの画像

     このように公開された文書には多くの手がかりと逸話が含まれているが、それでも「MKウルトラ」の全体像は見えず、闇の深さが改めて浮き彫りになった形だ。

    「MKウルトラ」の存在はニューヨーク・タイムズ紙の暴露を受けて、CIAの不正行為を調査している米国上院の特別委員会であるチャーチ委員会によって1975年に公表された。50年経った今でも、全貌は秘密に包まれたままである。それというのも、CIAが1973年に「MKウルトラ」のファイルをすべて破棄しようとしたためだ。

     しかし、すべてが破棄されたわけではなかったことが今回の公開で証明されたことになる。新たに公開されたこれらの文書は、アメリカの歴史の闇に新たな光を当てるものだ。

    「ここに集められた文書は、人間の心を消し去り再プログラムしようというCIAの数十年にわたる企てを提示している」と国家安全保障アーカイブは声明で述べている。

     公開された文書の検証は今後も続けられることになるが、さらに詳しい分析を経て「CIAの歴史上最も悪名高い隠蔽工作」であるこの「MKウルトラ」の実態解明に繋がるヒントが1つでも多く収穫されることに期待したい。

    ※参考動画 YouTubeチャンネル「FOX 11 Los Angeles」より

    【参考】
    https://nsarchive.gwu.edu/briefing-book/dnsa-intelligence/2024-12-23/cia-behavior-control-experiments-focus-new-scholarly

    仲田しんじ

    場末の酒場の片隅を好む都会の孤独な思索者でフリーライター。興味本位で考察と執筆の範囲を拡大中。
    ツイッター https://twitter.com/nakata66shinji

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