“緑色の子供たち”は河童か宇宙人か!? イギリスの民間伝承「ウールピットの子供たち」の正体

文=オオタケン

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    英国で今も語り継がれる“緑色の肌をもつ子ども”の伝説――。いったい彼らの正体は何者だったのか? 大胆な新仮説を提唱する!

    太陽の昇らない土地からきた子ども

     イングランドのサフォーク州にウールピットという名の村がある。オオカミを捕獲するための穴「ウルフピット」がその名の由来で、人口2000人程度の小さな村だ。ウールピットレンガと呼ばれる伝統的な白みを帯びたレンガと、古く美しい教会のほかは、大きな観光名所があるわけでもなく、比較的平凡な歴史を紡いできた村だが、緑色の肌を持つ2人の子どもの伝説で有名になった。ウールピットのグリーン・チルドレン――筆者は、この伝説は真実の可能性があると踏んでいる。

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     1150年頃、オオカミ捕獲用の穴の傍らで、緑色の肌をもつ幼い男女が見つかった。当時、彼らはおそらく深い穴から這い上がってきたのだと思われた。この子どもたちは村人には理解ができない言葉を話し、奇抜な服装を纏い、とても神経質に振る舞ったという。村人たちは彼らを保護したが、どのように対処すべきか迷い、地位と教養を持つ地元の騎士であるリチャード・ド・カルン卿の邸宅へと連れて行った。カルン卿は2人の身柄を預かり、食事を振る舞った。だが、彼らは提供された物を一切口にしようとはしなかった。数日後、子供たちは庭でインゲン豆を見つけると喜び、ようやくそれを口にしたが、豆を生のまま、茎からむしって食べたという。

     子供たちは少しずつウールピットでの生活に馴染んでいった。一般的な食事を口にするようになり、それに伴って肌からは緑色が失われていった。カルン卿は子供たちに教会で洗礼を受けさせたが、病弱だった少年はほどなく原因不明の病気で亡くなった。

     少女の方はアグネスと名付けられ、その後もカルン卿の家で暮らした。英語も話せるようになると、彼女は自分たちがどこからやって来たのかを話し始めた。

    「私たちは太陽の昇らないセント・マーティンという土地の住人でした。私たちはここにどうやって来たのか覚えていません。ある日、私たちが畑で牛の群れに餌を与えていたとき、教会の鐘が鳴るような大きな音を聞きました。恍惚とした気分になり、気がつくとウールピットにいたのです」

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    すべては科学的に説明できる?

     このように、現代の価値観からするとやや荒唐無稽な作り話にも思える「ウールピットの子どもたち」の伝説だが、幾らかの真実に基づいている可能性がある。

     この話は、当時書かれた『Historia rerum Anglicarum(英国教会の歴史)』や『Chronicon Anglicanum(英国教会年代史)』といった文献に残されている。『英国教会の歴史』の著者であるウィリアム・オブ・ニューバーグは、幽霊などのオカルト話と共に「不自然な驚異」としてこの話を収録した。一方、『英国協会年代史』は、著者のラルフ・オブ・コッゲスホールがカルン卿とも面識があったとされ、この話を彼から直接聞いて書いたと言われている。現代に語られている内容は、この2つの本の内容をミックスしたものであるようだ。

    『Historia rerum Anglicarum』 画像は「THE ANGEVIN EMPIRE」より引用

     カルン卿が体験談として証言したということは、「ウールピットの子どもたち」は伝説ではなく、実際に起きたこと、ということになる。であれば、ウールピットの子供たちとは、いったい何者だったのか?

     現実的に考えれば、何らかの病気などを抱えた異国人であった可能性があるだろう。当時、フランドル地方(ベルギーとフランスの北部、オランダ南部にまたがる地域)からの移民がイギリスに流入して来た時期だった。子供たちは旅路で迷子になった移民の子供だった可能性がある(カルン卿がフランドル語を理解できなかったのか、という疑問は残る)。また、彼らは誘拐された移民であり、狼を捕獲するための大きな縦穴に監禁されていたのだ、という推測もある。

     では、最大の謎である緑色に変色した皮膚はどうか? 実は人間の皮膚の色の変化はさまざまな理由で起こり得る。例えば、黄疸や柑皮症などでは肌が黄色みを帯びることが知られている。青く変色することもある。19世紀にアメリカのケンタッキー州に住んでいたファゲイト一族は、メトヘモグロビン血症という病気が原因で肌が青かったという。また、抗菌剤として使用されることもある銀コロイド溶液は、長期の摂取で銀皮症を発症する可能性があり、肌が青や灰色に変色することがある。

     ウールピットの子供達のように緑に変色するケースとしては、栄養失調やヒ素中毒の可能性もあるようだ。これは彼らの肌の色が時間の経過と共に肌色に戻ったという記述とも辻褄が合うだろう。そして誘拐され監禁されていたという説や、捨て子説を補強する話でもある。

     なお、昨今の考察では、米アリゾナ州立大学の人文科学者ジェフリー・ジェローム・コーエンが、この物語はイギリス先住民族のブリトン人との間の民族間の差異や争いといった人種問題を間接的に表した物語であると著作の中で主張している。民話の中でメタファーとして人種間問題を感じさせるものは少なくない。ウールピットの伝説もそういった類である可能性はあるだろう。

    人間ではなかった可能性も残る

     子供たちが人間ではなかったという説も根強く囁かれている。イギリスの民間伝承では、妖精の類、ゴブリンやノームの存在はポピュラーだ。低い身長、奇抜な服装、肌の色、洞窟や地下に住むなど、ウールピットの子供は悪さこそしなかったようだが、類似する存在にも思える。

    画像は「HistoricUK」より引用

     彼らがオオカミ捕獲用の穴の傍で見つかっていることに注目したい。ゴブリンなどは、洞窟や洞穴に棲んでいると考えられてきた。2人は穴を通じて現れた「人ならざる存在」であったのかもしれない。地底や洞窟で生活していたのであれば、少女アグネスの語ったセント・マーティンの話も頷けるものとなる。これは、地球空洞説などにも通じる一つの説である。

     そしてやはり外せないのは、宇宙人説だ。緑の肌、小柄な体格は、現代を生きる我々には宇宙人を連想させる。物語にUFOを思わせるものは登場しないが、セント・マーティンとは異星のことだった、という解釈もできよう。

     さらに、意外にも日本の伝承の中にも近い存在を見つけることができた。群馬の桐生川近辺では「ざぐり穴の河童」という言い伝えがあるが、「ウールピットの子どもたち」と重なる部分があるのだ。要約すればこんな話だ。

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     かつて座繰り穴と呼ばれる洞窟に住んでいた河童は、好天になると可愛らしい娘の姿に変身し、岩の上で座繰り機(糸巻き機)を回していた。そして、糸巻きに疲れると近くの農家に出向いて好物の豆をおねだりし、満足すると岩に戻り糸巻きを続けたのだという。悪さもせず、見た目も可愛いかったので近隣からはたいそう愛されていたという河童だが、ある日、近隣のおかみさんが豆を切らしていたために河童に小石を与えたところ、それ以来カッパは姿を消してしまったという。

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     イギリスと日本という遠く離れた島国同士ではあるが、洞窟から現れ、豆を主食とする謎の子供という要素が一致しており興味深い。そして、緑の肌も河童を連想させるものだ。ウールピットの子供たちとざぐり穴の河童は、どちらも穴を通じて地上に現れた地底人だったのではないか?

     では、ウールピットの子供はその後、どうなったのか?

    ウールピットの村には伝説をかたどったレリーフがある 画像は「Wikipedia」 より引用

     アグネスは後にウールピットから数十キロ離れたイーリーに住む王室の役人 (司教補佐とも言われる) リチャード・バールと結婚し、少なくとも一人の子供を授かった記録が残されている。その後の消息は知れないが、今でも彼女の末裔はイギリスのどこかで暮らしているのかもしれない。また、17世紀に書かれた古典SF小説『The Man in the Moone』は著者のフランシス・ゴッドウィンがこの物語にインスパイアされたと語っており、後の時代の創作物に確かな影響を与えていることを追記しておきたい。

     お伽話と現実が交差する、ちょっと不思議な物語である。

    オオタケン

    イーグルリバー事件のパンケーキを自作したこともあるユーフォロジスト。2005年に発足したUFOサークル「Spファイル友の会」が年一回発行している同人誌『UFO手帖』の寄稿者。

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