副業の超常現象研究が本格化! 五島勉や矢追純一も導いたオカルト知の権威へ/超常現象研究家 南山 宏 (6)

文=羽仁 礼

    1970年代に巻き起こったオカルトブームのパイオニア、南山宏の肖像に迫る!

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    超常現象研究は副業として始まった

     南山氏の超常現象研究家としての活動は、じつは早川書房に正式入社した直後から始まる。
     今でこそ都内に自社ビルを構え、社員数も80名を超すなど、押しも押されもせぬ大手出版社に成長した早川書房であるが、南山氏の入社当時、社屋は木造2階建てという小さな会社で給料も安く、本業だけでは食べていけないほどだった。
     そこで副業は半分公認の状態となっており、前述の都築道夫や小泉太郎(生島治郎)、常盤新平など、当時早川書房におり、後に作家として大成した人物も編集に携わる傍ら翻訳などの副業に励んでいた。
    「SFマガジン」編集長の福島正実も例外ではなかった。誌面を埋めるため海外のSFの翻訳を手がけるほか、小学館や学研、旺文社などの学習雑誌などに科学記事や少年向けの作品を多く執筆していた。

     そういう事情であったから、南山氏も入社早々、福島から副業をするかどうか訊ねられた。もちろん一も二もなくこれを承諾し、福島から仕事の紹介をしてもらう形で、まずは小学館や旺文社などの学習雑誌を中心に超常現象関連の記事を執筆しはじめた。
     じつはUFOや超能力、その他の超常現象については、学生時代に神田の古書店でSF雑誌を集めていたころから興味を抱いていた。
     当時神田の古書店では、SFと並んで、UFOなどを扱う雑誌もたくさん売られていた。この2種類の書籍は、表紙のイラストが似たような図柄だったことから、南山氏も何冊も購入していたのだ。
     南山氏にとってこうした超常現象は、本来空想上の物語であるSF小説に登場するような現象が現実にあるかもしれないということで興味を惹かれたようだ。そのころから海外の研究団体とも連絡をとり、入会していたから、雑誌に関係記事を載せる上で材料はすでにかなり集まっていた。
     そしてUFOや幽霊など超常現象に関する記事を執筆する際に、早川書房での編集者としての森優と区別するため、南山宏の筆名を用いるようになった。この筆名は、2年生まで通った小学校の名前からとったものである。

     このように一方では「SFマガジン」の編集業務に携わって掲載する海外のSFを翻訳したり、雑誌用の記事を執筆する一方、他社からも少年向けに翻案したSFを出版したり、少年向けの雑誌や「週刊少年マガジン」や「週刊少年キング」といった漫画週刊誌などさまざまな媒体に超常関係の記事を書きつづけた。多いときには海外の10もの団体に所属し、「フェイト」や「フライングソーサー・レビュー」などの海外雑誌も購読していたから、執筆するネタには困らなかった。

    南山氏が参考にした海外雑誌のひとつ、「フェイト」。
    アメリカの念写能力者テッド・セリオスの超能力など、南山氏は少年向け学習雑誌で紹介している。

    話題の超常現象の背後には南山宏がいた

     当時の学習雑誌などに執筆した記事を見ても、少年向けではありながら、十分大人の鑑賞にも堪える記述であり、扱う内容もUFOや超能力、謎の消滅事件、ノストラダムスなどの予言など、1970年代以降日本でブームになったテーマをすべて先取りして掲載している。

    累計250万部の大ヒット『ノストラダムスの大予言』。著者の五島勉が資料提供を求めてきたという。


     こうした記事をまとめた単行本も次第に出版されるようになった。
     なにしろ編集部にたったふたりしかいない時期もあったから、月刊誌を編集しながら大量の記事を執筆するのは相当大変な作業である。
     だが、決して生活のため、やっつけ仕事でいい加減な記事を量産していたわけではない。南山氏本人も、超常現象関連の事象のほとんどは、その真偽が疑わしいことは理解している。幻覚であったり、自称体験者自身がデタラメをいっている可能性は否定できない。しかし何らかの形で事実として発表されたものである以上それをそのまま伝えるべきであり、伝える人間がフィクションを交えてはいけないとの信念を持って記事を書いていた。

     ところがあるとき、記事を書いていた小学館の雑誌の編集長が南山氏の記事を見て、「デタラメでもいいから、こういう面白い話をもっと書いてくれ」と述べた。この編集長にすれば、南山氏の記事が人気だという趣旨だったのかもしれないが、南山氏は怒って、この雑誌とは縁を切った。

     一方で「SFマガジン」に執筆するSF作家に対しては、こうした超常現象の話題を小説の題材として惜しげもなく提供した。
     たとえば、1973(昭和48)年1月号から「日本SFこてん古典」を連載していた横田順彌は、あるとき南山氏から「をのこ草紙」なるものの存在を知らされ、それを捜しまわった顚末を2回にわたって書いている。だがほとんどのSF作家はこうしたテーマを単に小説の題材として捉えていたようであり、南山氏によれば当時のSF作家で超常現象に関心があったのは半村良と平井和正くらいだったという。

     こうした南山氏の記事に目を留めて、『ノストラダムスの大予言』執筆前には五島勉も資料提供を求めてやってきた。日本テレビの矢追純一ディレクターも、「11PM」でUFO企画を始める際、相談に訪れている。
     ノストラダムスの大予言にしろ矢追ディレクターのUFO番組にしろ、1970年代には社会問題ともなる大ブームを引き起こしたが、その背後には南山氏がいたのだ。

    超常現象研究家として、世界各地の研究者に取材、意見交換も行っている。/スイスの宇宙考古学者エーリッヒ・フォン・デニケン。
    超常現象研究家として、世界各地の研究者に取材、意見交換も行っている。/サンスクリット大学の学長ディリープ・クマール・カンジラル博士。
    超常現象研究家として、世界各地の研究者に取材、意見交換も行っている。/『オカルト』などの著書で新実存主義を主張、超常現象を肯定した作家コリン・ウィルソン。

    (月刊ムー 2024年11月号)

    羽仁 礼

    ノンフィクション作家。中東、魔術、占星術などを中心に幅広く執筆。
    ASIOS(超常現象の懐疑的調査のための会)創設会員、一般社団法人 超常現象情報研究センター主任研究員。

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