トイレで聴こえる「カミをくれ」と異形の手/朝里樹の都市伝説タイムトリップ

文=朝里樹 絵=本多翔

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    都市伝説には元ネタがあった。「カミをくれ」 日常の一瞬が異界への扉を開く。

    恐怖の声が開く異界の扉

    「カミをくれ」という怪談がある。「紙をくれ」と記されることもあるが、この怪談の場合、「カミ」の部分をあえて漢字表記しないことが肝要だと個人的には考える。怪談の内容は以下のようなもので、おもに学校の怪談として伝わっている。

     ある少女が学校のトイレで用を足していると、便器の中から「カミをくれ」という声が聞こえてきた。当たり前だが便器の中には何も見えず、怖くなった少女は慌ててトイレットペーパーをちぎって便器の中に入れた。しかし「カミをくれ」という声はやまず、少女が必死にトイレットペーパーを入れるとやがて紙がなくなってしまった。
     それでもなお、あの「カミをくれ」という声が聞こえてくる。少女は泣きそうになりながら「もう紙がないよ!」と叫んだ。すると便器の中から「その紙じゃない……この髪だ!」と怒鳴り声が聞こえ、直後、便器から手が伸びてきて少女の髪をつかみ、そのまま便器の中に引き摺り込んでしまった。

     学校の怪談によくあるトイレの怪談の一種だが、「紙」と「髪」という同音異義語を上手く使った展開が、オチに見事につながっている。また被害者が髪をつかまれるという話のためか、出現場所は女子トイレとされることが多く、犠牲になるのは多くは長い髪の少女である。ただし学校以外にも病院が舞台として語られることもあり、その場合は患者や看護師が犠牲になる。
     シンプルな話でありながらバリエーションは多く、トイレから伸びてくる腕の主が特定されているものもある。たとえば常光徹・他編著『魔女の伝言板』ではこの怪異が出現したルーツとして、ある髪の長い女の子がのトイレで足を滑らせ、トイレの中に落ちて死亡してしまった、それからその女の子の霊がそこにずっと住み着いているという話が記録されている。

     ほかにも不思議な世界を考える会編『怪異百物語9』には、校則のためむりやり先生に髪を切られ、トイレで自殺した女子生徒の霊が夜になると「カミをくれ」という声を発する話が記録されている。これに類似したものでは松谷みよ子著『現代民話考7』において、兵庫県のある女学院の話として同じく校則のために髪を切られてから開かずの便所ができ、そこから「カミが欲しい、カミが欲しい」という声が聞こえてくるようになり、それにトイレットペーパーを投げてやると「このカミが欲しい!」と髪をつかまれたという話が載る。

     髪を求める存在が独立した化け物として現れる場合もある。学校の怪談編集委員会編『学校の怪談大事典』には、ある学校の番目のトイレに出現し、「カミくれ、カミくれ」と要求してくる「かみくれおばさん」という老婆が載せられている。また先述した『怪異百物語9』には、夜の12時にある学校の3年4組に行くと「カミくれオバケ」というお化けが現れ、それは丸い胴体に巨大な目玉という外見をして「カミくれ、カミくれ」といいながら近づいてくる。これに対し持っている紙を渡すと「違う! お前の髪だ!」といって髪を持っていかれてしまうという話が載せられている。

     このように現代ではさまざまに語られるようになった「カミをくれ」の怪談だが、実は便所から現れる腕は現代にだけ存在しているわけではない。古くから語られる便所の腕は、多くの場合用を足している人間の尻を撫でた。そして腕の主の正体もまたさまざまに語られていた。

    江戸の厠に現れる異形の手

     代表的なのは以下のような話だ。江戸時代、ある女性が厠で用を足していると、突然何者かが尻を撫でた。女性が驚いて武士である夫のもとに向かい、このことを話した。そこでその武士が脇差を抱えて厠に行くと、やはり下から尻を撫でるものがいる。そこで武士が小脇差を抜いてその腕を切り取ると、何者かが悲鳴を上げて去っていった。
     それから数日たったころ、武士が部屋で寝ていると、何者かが部屋に入ってくる気配があったため、起き上がって刀を構えた。するとそこには片腕を失くした河童がおり、泣きながら悪戯したことを謝って、腕を返してくれと頼んだ。気の毒に思った武士は河童に切り取った腕を返してやったが、河童はそのお礼にとどんな傷でも治る妙薬の作り方を教えてくれ、これにより武士は薬で財産を築くことができたという。

     この妙薬は切断された河童の腕をつなぐのにも使われる。いわゆる「河童の妙薬」と呼ばれる話だが、尻を撫でるのは河童に限らず、狸であったり、猿であったりする。
     中村禎里著『河童の日本史』によれば、こういった話は河童よりも狸のほうが古いという。獣や河童以外にも『四不語録』(1716年)などの書物には、「黒手」と呼ばれる化け物が厠で腕を斬られ、後日僧の姿に化けて腕を取り返しに来るという話が載せられている。いずれにせよ厠から手を伸ばしてくる化け物の話が近世には生まれていたことが確認できる。

    速水春暁斎画『絵本小夜時雨』巻五に描かれた黒手と思われる異獣。写真=Wikipedia
    葛飾北斎『北斎漫画』三編に所収の河童。写真=Wikipedia


     現代におけるトイレから現れる腕は、少女を理不尽な最期に引き摺り込む恐ろしい存在として語られるが、近世の厠から現れる腕は切断された後、その腕の主が腕を取り返しにくるまでが一連の物語となっていた。もしあなたがトイレに入ったとき、「カミをくれ」という声が聞こえてきたら、勇気があれば腕が飛びだしてくるのを狙って切断してしまうのもよいだろう。
     後日、その腕の主が現代の医学では説明できないようなすばらしい妙薬を持ってきてくれる可能性もゼロではないのだ。

    (月刊ムー 2024年12月号掲載)

    朝里樹

    1990年北海道生まれ。公務員として働くかたわら、在野で都市伝説の収集・研究を行う。

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