古代日本のマヤ預言メシアのピラミッド降臨/MUTube&特集紹介  2024年10月号

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    聖なる白神ケツァルコアトルの帰還を告げる巨大彗星が出現について、三上編集長がMUTubeで解説。

    春分の日に舞い降りた光り輝く羽毛の蛇神

     歓声が消えた。静寂があたりを包み、太陽は西の地平にゆっくりと落ちていく。空を覆う雲の破片がひとつずつ消え、鋭い陽光が壁面を射す。茫洋とした影が時計の秒針とともに鋭くなり、その瞬間は静かに訪れた。 神が降臨した。
     2024年3月23日、春分の日の日没。時間にして、わずか数分。ユカタン半島はちちぇンイッツァ遺跡のひとつ、エル・カスティーヨ神殿の側面に聖なる白神が現れた。マヤの創造主にして、救世主。羽毛のある蛇が天から舞い降り、地上へ降り立った。
     白神の名は「ククルカン」。アステカ文明では「ケツァルコアトル」として知られる神だ。年に2回、春分と秋分、昼と夜とが同じ長さになる特別な日に現れる。テラス状ピラミッドの階段に姿が顕現する光景は、まさに光と影が織りなす神話劇。光り輝く神が演じる「ドラーマ」のクライマックスであり、かつ、マヤの人々にとってはククルカンの預言が成就する契約の証でもある。
     そう、彼らは光る羽毛の蛇を目にするたび、改めて心に刻むのだ。いずれククルカンは約束通り、再び地上に降臨する。いつの日か、きっと帰ってくる。マヤの人々を偉大なる民にするために、この地上に創造主は救いの神として再臨する、そう固く信じているのである。

    彗星にもたとえられるケツァルコアトル

     美しい鳥である。鬱蒼としたジャングルの中、一条の陽光を身にまとう神秘の鳥「ケツァル」。グアテマラの国鳥にして、神の使い。神秘的な姿を目にするとき、人々は古の救世主を思い出す。 先住民の言語で「ケツァル」は「鳥」、「コアトル」とは「蛇」のこと。ケツァルコアトルは「鳥の羽毛をまとった蛇神」である。中米の先住民にとって特別な存在であり、欧米でいう救世主、メシアだといっても過言ではない。
     古代マヤの神話において、ケツァルコアトルは世界を創造した。日本の八百万の神々よろしく、マヤの人人は多神教だが、なかでもケツァルコアトルは特別だ。その栄光が天体をもって象徴されるときには太陽、もしくは金星として描かれ、ときに夜空を駆ける彗星にもたとえられる。
     しかも、天空神でありながら、人人の前に姿を現している。アニミズム的な神々ならば、目に見えない存在、もしくはシャーマンだけが認知する神霊として祀られるが、ケツァルコアトルに限っては、物質的な肉体を伴った存在として地上に降臨している。
     曰く、ケツァルコアトルは肌が白い。もしくは白い衣服を着ている。長い髪にあごひげをたくわえている。配下には、同じ姿をした者たちを従えているとも。一般に、アメリカ大陸の先住民の男性はひげが薄く、ほとんど生えない。そのため、非常に印象深かったのだろう。
     何より、ケツァルコアトルは平和を説いた。
     マヤやアステカ文明は多くの生け贄を神々に捧げていた。今でも、メキシコシティの地下からは、おびただしい骨が出てくる。みな犠牲になった人々である。この悪しき風習をやめさせたのがケツァルコアトルである。殺すな。戦争をやめろ。互いに愛せよ。そう説いたのだ。
     代わりに、白神は農業や建築技術など、文化や生産基盤となる知識を人々に授けた。言葉に聞き従った民は大いに繁栄し、平和な時代が訪れた。
     が、世の中、善人ばかりではない。やがて悪事を働く者が多くなり、邪悪が社会に広がった。これを見たケツァルコアトルは嘆き、そして怒った。いくら諭しても事態が変わらぬと悟った神は、この世から去ることを決意する。天から降臨したときと同じように、再び天へと帰っていった。
     ただ、このとき、ケツァルコアトルは地上の人々に、ひとつの約束をした。
     あなた方を見捨てることはない。いずれ、再び地上に帰ってくる。この世が滅びる前に、創造主として再び地上に降臨し、あなた方を救う。そう預言したのだ。

    白人を白神と誤解したアステカ帝国の悲劇

     マヤ文明とひと口にいうが、実際は、紀元前11世紀ごろから紀元後16世紀にわたって、主に中米を中心に栄えたいくつもの古代文明の総称であり、現在では「メソアメリカ文明」として認識されている。遺跡としては、ラ・ベンタやティカルやコパン、チチェンイッツァ、ウシュマル、トゥーラ、そしてテオティワカンが知られるが、最後に栄耀栄華を極めたのが「アステカ文明」である。
     場所はメキシコ中央部の高地。今の首都メキシコシティが当時の中心部テノチティトランである。1325年、伝説の都アストランからやってきた人々はテスココ湖畔にたどり着き、ここに都を建てた。アステカとは学者による命名で、人々は「メシカ」と称した。これが今日のメキシコとして継承されている。
     しばしばアステカ文明の遺跡として紹介されるテオティワカンは、メシカ人が来たときには、すでに廃墟となっていた。彼らにとっては、偉大な文明の聖地であり、常に崇敬の対象であった。
     15世紀には、メシカ人は周辺の国々を併合し、巨大なアステカ帝国を形成。1502年、モクステスマ2世が即位すると、絶頂期を迎えることになる。領土は20万平方キロ、首都テノチティトランの人口は30万人にも達した。 しかし、悲劇は突如、襲ってきた。大西洋の東、ヨーロッパから武装したスペイン人たちがやってきたのだ。征服者コンキスタドールの連中である。彼らの目的は侵略である。資源と奴隷を求めて「新大陸」へとやってきた。
     16世紀、完全武装した軍隊を率いて中米に上陸したのが、かのエルナン・コルテスである。彼は知略家だった。侵略にあたって、まずはアステカの国王モクステスマ2世に謁見した。平和的な姿勢を見せて、すきあらば一気に征服しようという魂胆だった。
     ところが、ここで予想外の事態が起こる。アステカの人人は敵意を示すどころか、スペイン人を崇めはじめたのだ。民はもちろん、王であるモクステスマ2世まで最敬礼をもって接したのだ。拍子抜けするとは、このことだ。いったい何が起こったのか。当初、コルテスは理解できなかった。
     しかし、しばらくして状況がわかってきた。アステカ人はスペイン人を見て、ケツァルコアトルが戻ってきたと思い込んだのだ。白神が地上に帰還すると約束した年は、マヤ暦でいう「1の葦年:セーアカトル」だった。偶然にも、コルテスがやってきた1519年は、まさに1の葦年だったのだ。
     しかも、スペイン人は白人系である。白神であるケツァルコアトルと同じ姿をしている。特徴であるひげもたくわえている。アステカ人の目には、まさに約束通り、地上に再び帰ってきた白神ケツァルコアトルに映ったのである。
     もちろん、コンキスタドールが神であるわけがない。正体に気づくまでにさほど時間はかからなかったものの、すでに後の祭り。金銀財宝は奪われ、国王は殺害。帝国は蹂躙されて、あっという間にアステカ帝国は滅亡した。預言が生んだ悲劇である。

    (文=飛鳥昭雄+三神たける イラストレーション=久保田晃司)

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    webムー編集部

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