狂乱の悪神ニッネカムイの首が巨石に残る! 神居古潭「魔の里」神話の現場を行く

文=高橋御山人

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    北海道に伝承される、水にまつわる邪神の神話。水がもつ妖気と神秘性は、人の心を惑わせ、飲み込んでいくのかーー?

    北海道「魔の里」伝説

     北海道旭川市の西の端に、神居古潭(かむいこたん)と呼ばれる渓谷がある。北海道最長にして最大の流域面積を誇る石狩川が上川盆地から石狩平野へと流れ出る、高低差のある川幅の狭い場所で、両岸は切り立った崖となり、激流に白波が立ち渦を巻く。一方で、明治時代に鉄道が開通し、神居古潭駅が設置されたこともあり(現在は線路の位置が変わった為廃駅)古くから景勝地として知られてきた。

    石狩川の渓谷・神居古潭。急流と奇岩怪石が織り成す景勝地だが、ここは魔神、邪神の住むところだとアイヌの人々は語り継いで来た。

     この神居古潭という地名は、アイヌ語のカムイコタンに漢字を当てはめたものだ。カムイは神、コタンは集落と、どちらも現代日本で比較的よく一般に知られた単語である。「神の里」という意味だが、この場合の神は魔神、邪神であって「魔の里」とも訳される。カムイコタンに伝わる神話は、次のようなものだ。

     昔、カムイコタンには、ニッネカムイ(悪い神の意)が住んでいた。ある時、ニッネカムイは、巨岩で川をせき止めて上川アイヌ(現在の旭川市周辺に住むアイヌ民族)を滅ぼしてしまおうとした。上流に洪水を起こして水攻めにしようとしたとも、鮭が遡上しないようにして飢餓をもたらそうとしたともいう。
     アイヌの守護神たる山のカムイ(熊だともいわれる)は、巨岩の一部を破壊し水を通した。それを見たニッネカムイは、阿修羅王が猛り狂うように(旭川新聞の記者だった近江正一が昭和初期に書いた郷土史の書籍にこのように表現されている)山のカムイに襲いかかった。それを聞いた英雄神サマイクルが駆け付け、山のカムイに加勢する。サマイクルは巨岩を蹴飛ばし、刀を抜いてニッネカムイと戦った。
     サマイクルとニッネカムイは死闘を繰り広げたが、さしものニッネカムイもサマイクルには敵わず、ついには逃げ出す。そうしてサマイクルに追われたニッネカムイは、ぬかるんだところに足を踏み入れてしまう。そこで足をとらえているところに、サマイクルに斬り付けられ、とうとう首をはねられた。

     そのニッネカムイが川をせき止めたという巨岩や、ぬかるんだ時の足跡、斬られた後の首や胴体といわれる巨石が神居古潭のあちこちに残っている。

    神居古潭のテシ。ニッネカムイが大岩を置いて石狩川をせき止めようとしたところと伝わる。テシとは、アイヌ語で魚を捕るために川に仕掛ける簗(やな)を意味する。
    神居古潭のニッネカムイ・ネトパケ。ネトパケは胴体の意。サマイクルに首を斬られたニッネカムイの胴体が石となったものと伝わる。この下を国道12号が通っており、「ニッネカムイ覆道」が設けられている。
    神居古潭のニッネカムイ・サパ。サパとはアイヌ語で「頭」の意。ニッネカムイ・パケヘ(パケヘも頭の意)、ニッネカムイ・ノッケウェ(ノッケウェはあごの意)とも呼ばれる。サマイクルによってはねられたニッネカムイの首という。確かにあごのように見えるユニークな巨石。

    狂乱の川神パウチカムイ

     このような一大スペクタクルの神話が神居古潭の由来であるが、こうした伝説が生まれた背景として、石狩川は北海道一の大河であり、舟が行き交う交通の要衝である一方、急流のため難所となっていて、命を落とす危険もあったということがある。
     海外でも舟行の難所には同様の神話伝説があり、ドイツのローレライ伝説が有名だ。ローレライ伝説は、ライン川の川岸の岩の上にいる美女の歌声に誘惑された舟人が事故を起こしてしまうというものである。

     そして、神居古潭よりさらに石狩川を遡った層雲峡には、パウチカムイという女神に誘惑されて操船を誤り、急流に呑まれてしまったという同じような内容の伝説もある。
     このパウチカムイという存在は、別の伝承では、人に取り憑いて発狂させたり全裸で踊り狂う集団に引き込んでコタンを滅ぼしてしまう淫魔ともされている。一見遠い存在のように思えるニッネカムイとパウチカムイだが、「狂乱」「滅亡」「水辺」という属性が一致しているのだ。

    石狩川の源流近く、大雪山の麓にある峡谷・層雲峡。崖の上にいる女神・パウチカムイに誘惑され舟人が急流に呑まれてしまったという、ドイツのローレライによく似た伝説が伝わる。この谷はパウチ・チャシ(パウチの砦)とかパウチ・カラ・コタン(パウチの住む場所)などと呼ばれ、パウチカムイが築いたものと伝えられて来た。

    人喰い妖刀を封じた底なし沼

     石狩川の水と魔性に関わるものとしては、「底なし沼と妖刀」の伝説もある。石狩川が平坦な上川盆地から神居古潭の渓谷へと注いで行く入口の南岸、神居川の合流点近くに聳える、立岩にちなむものだ。

     昔、このあたりに住んでいたアイヌが非常に切れ味の良い刀を持っていたが、持つ者を狂わせ、沢山の同族の命を奪った。あるいは、包みに入ったままの妖刀が夜な夜な妖光を放ち、その光が差し込んだ家の者は刃物で斬られたような傷を負って死んでしまったともいう。そのため山の奥深くに刀を捨てたが、いつの間にか戻ってきてしまう。土に埋めても石狩川に沈めても同じで、彼らは滅亡の危機に陥った。最後に神託により立岩で水神を祀り、そこにある底なし沼に沈めたところ、ようやく収まったという。

     さらに、明治になりこの地に灌漑用の水路を作ったところ、底なし沼の近くのあちこちで水が溢れて、何度修繕しても決壊してしまった。そこで占って貰ったところ、水神の怒りと刀の祟りだと出て、水神を祀る社が建立された。その社は今も水神龍王神社として信仰されており、沼は埋め立てられているが沼の底から発見された刀が御神体として祀られている。

    神居古潭の上流にある立岩。アイヌ語ではイペタム・シュマといい、イペタムは「食う刀」、シュマは「岩」の意。多くの人の命を奪った(食った)妖刀イペタムを、底なし岩のほとりに立つこの岩で水神を祀り、刀を沼に沈めることで妖刀の害が収まったという。妖刀は二本あり、それがこの二本の岩となったともいう。
    底なし沼の妖刀イペタムは明治になり、開拓の際に祟りをなしたとして水神龍王神社が建てられた。刀を沼に沈める直前、風もないのに小波が立ち、沈めると波は静まったが、よく見るとそれは何百ともしれぬ小蛇だったという。アイヌの伝説と近代の入植者の信仰が交錯する不思議な場所である。

     遠い昔の神話伝説ではなく、近代から今にも続く、しかもアイヌと入植者の信仰が混ざり合った不思議な話なのだが、ともかく、ここにも「狂乱」「滅亡」「水辺」という属性がある。伝承としては全く別のものだが、神居古潭に隣接する場所に属性の一致するこのような不可思議な話が伝わっているのは、偶然とは思えない。単に舟行の難所という以外に何かあるのではないか。そもそも、妖刀の話は舟とは関係がない。

     アイヌの言語学者・知里真志保(ちりましほ)は、天界でパウチカムイが住む「シュシュランペツ」という川の名を「トゥス・ラン・ペツ」が訛ったものとした。それは「巫・神・川」の意だという。石狩川の上流に語り伝えられ、「狂乱」「滅亡」「水辺」の属性を持つパウチのルーツは、シャーマンにあるのだ。

     神居古潭の急流を見ていると、轟音とともに、次々と渦が巻き、瞬く間に形を変えていく。現代にも、カルマン渦とか、フラクタルとか、カラフルでカオスな図形を次々と生成し、音楽とともにトランス状態へと誘うような映像がある。そうしたもののなかった太古の人々の中には、激流が次々と作り上げる轟音と渦、そして周囲の奇怪な地形を見つめ、瞑想することでトランス状態を目指した者もいたのではないか。

     そうしてトランス状態に入った者の中には、自分の身体をかばう無意識から解放され、超人的な力を発揮し、神事に使う刀を振るって、阿修羅王の如く暴れ狂い、周囲の人々を虐殺したという事件を起こした者もいたかもしれない。石狩川上流部に伝えられる「狂乱」「滅亡」「水辺」の魔性の神話伝説は、そのような事件の記憶から生まれたのではないか。逆巻く激流は、物理的にはもちろんのこと、精神的にも、人を呑み込むのだ。

    立岩の底なし沼は現在は埋め立てられ、石碑が建っている。コンクリートの管の底には沼の一部が残されいて、龍神様がこの管で呼吸しているとも言われている。なお、妖刀イペタムの伝承は北海道の各地にあるが、伝承地は断崖の岬とか海岸の洞窟とか険しい水辺が多いようだ。この底なし沼の脇も崖である。
    カムイコタンの激流は、人の心を惑わせ、飲み込んでいくのだろうか。

    高橋御山人

    在野の神話伝説研究家。日本の「邪神」考察と伝承地探訪サイト「邪神大神宮」大宮司。

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