お尻から息を吸う未来の呼吸法がすごい! 「腸換気技術」がもたらす驚愕の変化を解説!

文=久野友萬

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    人間には秘めたる能力があるとよく聞くが、お尻にも秘めたる能力が見つかった。お尻の穴は出す一方で、入れるものは病気の時の座薬ぐらい――と思われていたが、そこに見落としがあったのだ。なんと人間の腸には呼吸機能があり、「腸で呼吸することができる」のだという。

    未来の呼吸法は“尻呼吸”!?

     普段は泥の中に住んでいるドジョウ。彼らはエラ呼吸ではなく腸呼吸という、肛門から水を吸い込み、腸で酸素を取り込むという呼吸を行っている。

     生物の身体の機能は何百万年もかけてリレーして、現在まで引き継がれる。もしかしたら、ドジョウのような腸呼吸機能が人間にも受け継がれていて、それを利用すれば我々もお尻から息を吸うことができるのではないか?

     まさかとは思うが、「できる」と医師は言う。

     東京医科歯科大学統合研究機構の武部貴則教授の研究グループが、京大や名古屋大学と共同で「腸換気技術」という新しい呼吸管理法を開発した。きっかけは意外にもコロナ禍だ。ECMOという人工肺につながれ、瀕死の状態の患者の姿を私たちはテレビで何度も見せられた。

     コロナは肺の機能を大きく損ねる病気だ。感染すると呼吸器のダメージが大きく、人工肺を使っても十分な酸素吸収ができない。患者の負担も大きく、機材も高価だ。

     次にコロナのような病気が流行した時に備え、研究基金が設けられた。その基金で採択されたひとつが腸換気技術なのだ。

    腸換気技術のイメージ

     方法はシンプルだ。炭素と窒素を混ぜたパーフルオロカーボンという液体に大量の酸素を溶解させる。パーフルオロカーボンは酸素が非常によく溶けるので、眼科の手術などに使われている液体だ。これに酸素をボコボコとバブリングさせ、十分な濃度まで酸素が溶けたところで直腸に流し込む。浣腸するわけだ。すると、呼吸不全で血中酸素濃度が低い状態が通常のレベルまで回復する。

     マウスやラット、豚での実験は成功した。次は人間だ。株式会社EVAセラピューティクスと丸石製薬株式会社は、腸換気医療機器「EVA101」を開発、2024年6月21日に国内第1例となる臨床試験を開始した。

    タバコ浣腸? 知られざる浣腸の世界

     お尻から酸素含有の液体を入れる腸換気技術は、目的こそ違うがやっていることは浣腸と同じである。その原型とも呼べるのが「タバコ浣腸」だ。

     アメリカ先住民に喫煙習慣があったことはご存じだろう。当時のタバコは薬でもあった。ニコチンの強力な血管収縮力から、タバコは止血剤として使われ、またタールの抗菌作用から化膿止めとしても使われていた。

     最近では、新型コロナ感染者に喫煙者が少ないことがわかり、タバコの煙がコロナウイルスの受容体を抑制することを広島大学原爆放射線医科学研究所准教授の谷本圭らが発見した。タバコの煙は循環器の機能を低下させてコロナの症状を悪化させるが、感染予防には役立つらしいのだ。(※1)

    ※1
    【研究成果】胃潰瘍治療薬やタバコの煙から抽出した物質に意外な効果~新型コロナウイルスのヒト細胞への感染を抑制~(広島大学 2021年8月18日)

     タバコのこのような効用から、病気の治療としてアメリカ先住民が利用したのがタバコ浣腸である。喫煙とともにタバコ浣腸もヨーロッパに輸入された。1774年、イギリスでは溺死を防ぐために溺れた人を救助、蘇生させると賞金が払われていた。そこで医師たちは、溺れた人を助けるためにタバコ浣腸を行った。お尻の穴にチューブを挿しこみ、直腸にタバコの煙を吹きこんだのだ。

    18世紀半ば、イギリス流行したタバコ浣腸と当時の専用器具 画像は「株式会社EVAセラピューティクス(旧サイト)」より引用

     21世紀の我々から見ると間抜けな光景だが、当時、タバコ浣腸は溺れた人を内側から温め、呼吸回復を手助けすると考えられていたのだ。

     タバコは万病に効くとチフスや赤痢の患者にタバコ浣腸をすることが流行した。ところがタバコの煙を吹きこむ際に糞便がチューブを逆流、医師がそのためにチフスにかかるという、笑えない事故が激増する(……想像すると気持ちが悪くなる)。そして1811年、タバコが心臓に有毒であることをイギリスの科学者ベン・ブロディが発見、ついにタバコ浣腸は廃れていくのだ。

    ※2
    Special feature: Tobacco smoke enemas」(BCMJ, vol. 54, No. 10, December 2012, Pages 496-497 Beyond Medicine)

     ちなみに、18世紀のヴィクトリア朝時代は浣腸が大ブームで、浣腸をすればするほど体の中の毒素が流れ出て健康になると考えられていた。デトックスブームの元ネタは18世紀の浣腸だったのだ。浣腸健康法は無意味だと廃れたが、なぜか宿便剥がしやデトックスは21世紀まで生き残っている。(宿便剥がしもデトックスも、タバコ浣腸ぐらい科学的には「ありえない」のだが)

    腸で呼吸はありかなしか?

     さて、腸換気法の話題に戻ろう。これが人間にも有効なら、ブクブクする液体の中で酸素マスクをしてケガを治すスターウォーズや、ドラゴンボールの治療法は書き換えられる。

     科学的に正しくは鼻と口に栓をして、お尻にチューブをつながれたベジータが、お尻からの泡で液体がブクブクしている中に浮かんでいることになるだろう。少年の夢も希望も打ち砕くシーンだ。なんでもリアルにすればいいというものではない。

    イメージ画像:Adobe Stock

     それは余談として、なぜ腸で呼吸ができるかと言えば、腸壁が薄いからだ。高濃度の酸素溶液が入ると、腸壁の血管から酸素が吸収され、血中の酸素濃度を引き上げる。だから、理屈がわかれば腸換気法自体はそう不思議な話でもない。問題は大量の酸素を大腸に送り込んでも問題ないのかということだ。

     大腸には大量の腸内細菌がいる。1000種類以上、100兆~1000兆個が棲息しているといわれ、働きがわかっていないものや未知の細菌も多い。そしてその多くは嫌気性、空気を嫌う。

     お腹に良いといわれるビフィズス菌は嫌気性で、酸素が多いと死んでしまう。腸換気法で大量の酸素を送り込むことは、ビフィズス菌のような嫌気性菌を殺菌することになる。そうなると呼吸器疾患が治る代わりに、過敏性大腸炎にかかるという一難去ってまた一難な副作用に苦しむかもしれない。

     一方で、呼吸できない海中や低酸素状態でも、お尻に酸素発生剤を入れておけば呼吸困難で苦しまないといったSFのようなことも可能になるかもしれない。

     70年代の漫画「コブラ」には水中でも吸えば呼吸ができる葉巻「オキシシガー」が登場した。オキシシガーは夢のガジェットだが、現実にはあれをお尻の穴に差し込んで呼吸というのが……だ~か~ら~!何でもリアルにすればいいというものではないのだ。

    久野友萬(ひさのゆーまん)

    サイエンスライター。1966年生まれ。富山大学理学部卒。企業取材からコラム、科学解説まで、科学をテーマに幅広く扱う。

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