滅入る雨夜に祟るモノ/黒史郎・妖怪補遺々々

文・イラスト=黒史郎

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    長雨が続き不快指数も高まる、梅雨入りの季節。身も心も参ってしまっている読者のみなさんに、著者から涼をもたらすお話の贈り物です。雨にまつわるを奇談を補遺々々しましたーー ホラー小説家にして屈指の妖怪研究家・黒史郎が、記録には残されながらも人々から“忘れ去られた妖怪”を発掘する、それが「妖怪補遺々々」だ!

    雨の季節の妖怪談

     皆さん、雨の日は憂鬱になりませんか。
     梅雨の時期に体調を崩す人は大変多いと聞きます。気圧の変化が身体に様々な影響を及ぼし、食欲不振、倦怠感といった症状に悩む人もあれば、湿度が高い日々が続くので食べ物も腐りやすく、食中毒なども増えるそうです。外出も控えがちになり、窓を開けても目に入るのは灰白色の寒々しい空。洗濯物も乾きませんし、気持ちも塞ぎます。
     就寝時、布団の中で聞く静かな雨音は耳に心地よくもありますが、不規則に耳を打つ雨垂れが神経に障って寝つけないこともあります。
     激しい豪雨となれば、風雨が窓を激しく打ち揺らし、雨樋はゲボゲボと勢いよく水を吐いて、音は怪物じみて恐ろしいものになり、眠れぬ子どもたちを脅かします。

     そろそろ、夜が蒸し暑く、じめりとしてまいりました。
     ちょっと涼しくなれるような、雨にまつわる奇談を集めました。

    雨夜の音の怪

     東京の浅草にあった、ある待合(待ち合わせや会合などのために貸される場所)には、夜に寝ていると、雨の降る音が聞こえるという、不思議な一間がありました。
     しとしとと濡れた音がし、「おや、降ってきたか」と戸を開けると、雨はまったく降っていない。雨音は、部屋の中で聞こえていたのです。
     怪しいことは、これだけではありませんでした。
     ある雨の晩のことです。
     この部屋を利用していた客が就寝時、蚊帳の外にだれかがいることに気づきました。
     それは見知らぬ女性です。蚊帳の外で、ただ座っていました。
     あくる日、このことを待合の女中に話しますと、「その人は髪を何に結っていましたか」、と逆に髪型を訊ねられました。銀杏返し(髪型のひとつ)だったそうです。

     これは昭和6年に唄方(長唄の歌い手)から採取された話です。髪型がわかったからといって、なにが判明したということもなく、夜中に現れた女性が何者か、女中はこの女性を知っているのか、部屋の中で聞こえる雨音との関連もわかりません。
     雨の夜、この部屋でだれかと待ち合わせをしていたが、待ち人はやってこずーーそんなエピソードが、あったのかもしれません。

     江戸の珍談奇談を集めた「江戸塵拾」にも、もの哀しい雨の怪談があります。
     木挽町(東京都中央区銀座にあった町名)にあった松平の屋敷では、雨の降る静かな夜に、笛の音が聞こえてきたそうです。その音は屋敷内で聞くと外から聞こえますが、外に出ると屋敷の中から聞こえたといいますから不思議です。

     雨は外のもの。しかし、この雨の夜の怪異は、外と内の境が曖昧となるようです。
     人の世の外側は異界です。この怪異は派手さこそありませんが、とても不吉な現象なのではないでしょうか。

    雨濡れ女に構うな

     雨の中、ひとりずぶ濡れで歩いている人を見ると、心配になりませんか? 傘を忘れたのか、盗まれたのか。それともショックなことでもあって自暴自棄になっているのか。
     その姿に同情し、つい親切心で声をかけてしまう人もいるでしょう。
     でも、気をつけてください。その親切心につけいり、害をなす怪しいものもあるのです。
     これは、東京都千代田区の話です。

     権助という名の若者が、雇い人の遣いで新宿の百人町まで手紙の返事を受け取りにいった、その帰りのことです。
     日が暮れてきたころ、空が俄かに掻き曇り、雨が降りだします。
     傘をさして帰りを急ぐと、前方に女の人の姿があるのに気づきます。
     傘もささず、ずぶ濡れなった女の人が歩いていました。
    「あの、傘に入りませんか」
     そう声を掛けて女性の顔を見るとーー。
    「あっ」と声を上げた権助は即座に倒れ、気を失ってしまいました。
     しばらくして、たまたま通りかかった人が彼を見つけ、助けられました。
     倒れていた理由を本人が語ったところによると、雨の中、ずぶ濡れで歩く女に声をかけたが、その女は口が耳まで裂け、髪をかき散らした化け物だったというのです。
     よほど恐ろしく歯を食いしばったのか、権助の歯は上下全部が欠けていたそうです。
     それから権助は「阿呆のように」なって、まもなく死んでしまったそうです。
     困っていそうな人に声を掛けられる、そんな親切な若者が迎えるには、あまりに無残な結末です。

    雨の日の女に祟られて

     怪談奇談が多数収録された随筆集『耳嚢』の「番町にて奇物に逢う事」では、牛奥氏という旧家の人物が、雨の夜に奇怪なものと遭遇しています。

     風雨の強い秋の夜。牛奥氏はひとりの侍を召し連れ、急用に向かっていました。
     番町(東京都千代田区)の馬場付近を通りかかると不穏な光景に出くわします。
     雨の中、道に女性がうずくまっているのです。
     合羽のようなものを着ていますが、傘も笠も持っていません。
     時間も時間です。女性を奇妙に思い、道の端のほうを通っていきました。
     連れていた侍が「あれは何でしょう」と気になっている様子。戻って確かめるべきだといいますが、牛奥氏は不要なことだと返します。気味が悪かったのでしょう。
     すると前方の脇道から、提灯を持ったふたりの男性が出てきました。
     これは好機と、牛奥氏と侍は、彼らの後について今きた道を戻り、先ほどの場所に着きましたが、あの女性の姿はありません。
     あたりは見晴らしの良い場所で、さっきの女性が立ち去ったならば、その姿はまだ見えるはず。身を隠せるような場所もありません。
     もやもやと疑問を胸に抱えたまま帰った牛奥氏。
     門へ入らんという時、ぞくりと、寒気を覚えます。
     翌日、牛奥氏も侍も、寒気と熱に襲われ、それから20日ほど苦しんだそうです。

     謎の女性は人ではなく、瘴癘(しょうれい…伝染性の熱病)の気が、雨の中で形を成したものなのではないか、というのです。

    面の雨乞い

     雨は怖いものではありません。人々の生きる糧となるもの。恵みの雨です。その雨が降らずに苦しむ人々が、各地で〈雨乞い行事〉をした記録が多数の文献に残されています。
     やり方、ルールは様々で、その中に〈お面〉を用いた雨乞い行事があります。
    『雨乞習俗の研究』によると、「風俗門状答書」には次のような一文があります。

    「三大神の社に翁と云面有てそれを取り出せば必降と云へり」

     神社に〈翁〉という面があり、それを出すと必ず雨が降ったというのです。
     このようにお面を外に出すだけで効果がある、つまり、雨が降るとする伝承は各地にあります。こういったお面の多くはおそらく、かつては雨乞いの舞、雨乞い能などに使われていたもので、舞がおこなわれなくなってからは、特別な力を持つアイテムとして語られることになったのでしょう。
    「出せば必ず降る」ーーそんな最強のアイテムなら、定期的に外に出せばよいのではないかと思ってしまいます。けれども、先の〈翁〉の面は、あらゆる手段をやり尽くしても雨が降らなかった場合にのみ、出してよいものとされています。

     同様のルールが附属する雨乞い面は他の地域にも見られます。
     ーーなぜでしょうか?
     お面を多用しない(できない)理由のひとつに、「効果があり過ぎる」というのがあります。
     雨が降ったはいいが、呼び出した雨が数日にわたって居座り続け、その地に想定外の災害を引き起こすこともあったのです。

    笑う、おかめの面

     最後は、雨の日に出遭ったという、ゾッとするようなお面の話です。
     鳴物師(長唄などの囃子方)のSさんが7歳のころのお話です。

     雨の降る、酉の市の晩。〈御歯黒溝…おはぐろどぶ〉と呼ばれる吉原遊郭を囲む溝の付近で、Sさんは木彫りの〈おかめ〉の面を拾いました。
     お面は家の箪笥の上に飾られました。
     まもなく、Sさんの父親が、自ら腹を切って死んでしまいました。
     それから家では、立て続けに不幸なことが起こりました。
     しかも気味の悪いことに、災いが起こる前になると、〈おかめ〉の面が口を開けて笑ったのです。
     あまりに気味が悪いので、お面を叩き割って竈にくべて灰にしました。
     ところが、気がつくとお面は箪笥の上にあり、口をあけて笑っていたそうです。
     
     【参考資料】
     鰭廣彦「猿今昔」『旅と伝説』第五年九月号 通巻五十七号
     根岸鎮衛著・ 鈴木棠三編『耳袋』(平凡社)
     柴田宵曲編『随筆事典 奇談異聞編』(東京堂出版)

    黒史郎

    作家、怪異蒐集家。1974年、神奈川県生まれ。2007年「夜は一緒に散歩 しよ」で第1回「幽」怪談文学賞長編部門大賞を受賞してデビュー。実話怪談、怪奇文学などの著書多数。

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