ペンタゴン公認のUFO展示会が中止に! 元NASA研究者が見た「宇宙人の遺体」「飛行運用できるUFO」の行方は?/仲田しんじ
元NASA所属のある研究者が「米政府は運用可能なエイリアンの宇宙船を所持している」と衝撃的な暴露を行った――。
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発生後73年以上が経過するロズウェル事件。事件の本質は墜落UFOとその隠蔽工作だ。ディスインフォメーション工作において重要な役割を果たした人物についての調査を公開する。
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発生後73年が経過しても、UFO史上最大の謎として語り継がれているロズウェル事件。今や生き残っている証人はほとんどいないが、事件のキープレイヤーは証人だけとは限らない。
事件の本質が墜落UFOとその乗組員の隠蔽工作であるなら、それに関わった人間についても考察するべきではないか。
そこで、こうした人々の中でも、ディスインフォメーション工作において重要な役割を果たした人物について、ロズウェル事件の考察に長年携わってきた一流リサーチャー、ドン・シュミットの10年以上にわたる実体験をもとに掘り下げていこう。
ロズウェル事件という言葉を聞いて、まずウォルター・ハウトの名前を思い浮かべる人は少なくないはずだ。
“空飛ぶ円盤回収”のオフィシャルな第一報に深く関わったロズウェル基地の広報官だったハウト氏が退役したのは、事件発生後約1年が経過したころだった。民間人となった彼は、保険代理店を経営しながらロズウェルのメインストリートでアートギャラリーを開いた。それと同時に、地元コミュニティに顔を売っていくため、ロズウェル商工会議所との関係をよくしておく努力も怠らなかった。このころ、商工会議所の副会長として幅広い人脈を誇っていた人物がいた。フランク・カウフマンというこの男性は、とてもチャーミングで社交的で、新しいメンバーであるハウトともすぐに打ち解け、ほどなく家族ぐるみのつき合いが始まった。傍目にはごく自然な光景だったに違いない。
しかし、である。これはロズウェル事件の表の顔であるハウトと、ディスインフォメーション工作の初代現場責任者とされる男の最初の正式な出会いにほかならなかった。そしてカウフマンにとっては、何十年という長いスパンで続いていく隠蔽工作のため周到に準備された計画のスタートを告げるものだったのだ。
ドン・シュミットは断言する。フランク・カウフマンはロズウェル事件のディスインフォメーション工作のために起用されたエージェントだった、と。
1942年8月5日から1945年10月30日まで陸軍に所属していたカウフマンは、二等軍曹という階級で名誉除隊している。最後の勤務地はロズウェル陸軍航空基地だ。軍歴は短いかもしれないが、輝かしかったといって差し支えないだろう。だからこそ、除隊後も民間人という身分で仕事を続けるよう求められた。勤務期間がハウトと重なったこともあり、お互い顔くらいは知っていたのかもしれない。
ただ、ここでまず強調しておきたいのは、除隊後もしばらく基地に残っていたカウフマンがロズウェル商工会議所の副会長に就任したタイミングがあまりに唐突で、その過程も不透明だったという事実だ。
ドン・シュミットがフランク・カウフマンと初めて会ったのは1990年の春だった。話を聞いた自宅リビングルームの壁には、隙間もないほど数多くの作品が飾られていた。ニューヨーク大学で広告と美術を専攻した後、さらにニューヨーク芸術アカデミーで風景画を2年間学んだ経歴が雄弁に物語られている。
シュミットの目には、カウフマンが口数の少ない年老いたアーティストとして映ったようだ。事件について自ら進んで語ろうとしないのはもちろん、質問も巧みにかわされる。あくまでも“傍観者”という立場を守ろうという強い意図が感じられた。
伝える内容も他人から聞いた話だけに限られた。シュミットはこの年『UFO Crash at Roswell』という本を出すことになっていたため、カウフマンから得た情報をもとにのちにフィールドワークを行うのだが、その過程においても名前を出さないよう念を押されつづけた。
カウフマンは、シュミットと顔を合わせた瞬間から慎重に状況を吟味していたのかもしれない。あるいは、しばらくの間はそうするよう指示を受けていたのかもしれない。さらにうがった見方をするなら、名の売れたリサーチャーの利用法を考えていた可能性も否めないのだ。
カウフマンの態度はすぐに変化した。デブリフィールドにおける破片回収作業に直接関わったというニュアンスの話をするようになったのだ。
彼は、自分が属していた破片回収チームの名前が「ザ・ナイン」だったことを告げた。9人の情報将校から成るという意味なのだろう。ワシントンDCのロバート・トーマスという上層部の将校からの直接命令により、チームはデブリフィールドに向かって作業に当たったという。
それまでまったく知られていなかった情報に触れたシュミットは、次から次へと質問をぶつけた。現場で破片回収作業に当たった人物をついに見つけた、そんな気持ちが抑えきれなかったとしても無理はない。やがてカウフマンは「乗組員の死体を見た」と語るようになり、アーティストらしく詳細なイラストまで描いてみせた。
最初は自分の名前が公になることを嫌っていたカウフマンだったが、シュミットと会う回数が増えるにつれ“ロズウェル事件最高の生き証人”という立ち位置を積極的に匂わせるようになっていく。
状況証拠のバリエーションも豊富になった。デブリフィールドで破片回収作業に関わったというだけでも驚きなのに、墜落機体とその乗組員のスケッチまで持ちだすようになったのだ。次々と出してくるスケッチには、詳細な注釈が書き込まれていた。
カウフマンの話が本当なら、事件発生直後からインパクトサイトとデブリフィールド双方に関する詳細な情報を手に入れていたことになる。そうでなければ破片回収に参加し、墜落機体と乗組員のスケッチを描くことなどできない。シュミットの目には、まさに最高の生き証人として映ったに違いない。
カウフマンは、1947年当時に使われていた“ビルディング84P3”という固有名詞も口にした。回収された破片と墜落機体、そしてその乗組員が運び込まれた格納庫の呼称である。この呼称については、シュミットものちに複数のソースから確認している。カウフマンは、ロズウェル基地のごく一部の人間しか知らないはずの情報をシュミットに明かしたことになる。多くの偽情報にひと握りの真実を盛り込む。ディスインフォメーション工作によく使われる手法だ。
1991年の秋、カウフマンはシュミットをインパクトサイトに連れていった。これを機に、カウフマンは自分からシュミットにコンタクトするようになり、重みの感じられる多くの情報を次々と提供しはじめた。
あるとき、カウフマンはこんなことをいいだした。
「デブリフィールドには何の意味もない。ロズウェル基地にあったガラクタが適当にばらまかれていただけだ」
デブリフィールドは、インパクトサイトから注意を逸らすために意図的に創出されたものだというのだ。そして軽石のようなものを出してきて、“墜落機体の一部”であると告げた。
ただ、この物証に関しては話をするたびに内容が変わり、最終的には“インパクトサイトの土壌で結晶化した石”ということになった。墜落機体の一部であるにせよ、インパクトサイトで拾った石であるにせよ、シュミットはしかるべき機関における検査が必要であることを主張した。もちろんカウフマンは聞き入れず、その後この話はいっさい出なくなった。シュミットの胸中は複雑だった。カウフマンと会うときはいつも脳裏に興奮と疑念が同居していたという。
シュミットの中で、疑念が大きく膨らみはじめたのはこのころだ。リサーチャーとしてひとりでも多くの有力証人と会う必要を感じた彼は、「ザ・ナイン」のメンバーと会うことを強く求めた。カウフマンから、彼自身を含めて1993年の時点で3人生き残っているという話を聞いていたからだ。そだ。彼は、自分が属していた破片回収チームの名前が「ザ・ナイン」だったことを告げた。9人の情報将校から成るという意味なのだろう。ワシントンDCのロバート・トーマスという上層部の将校からの直接命令により、チームはデブリフィールドに向かって作業に当たったという。
それまでまったく知られていなかった情報に触れたシュミットは、次から次へと質問をぶつけた。現場で破片回収作業に当たった人物をついに見つけた、そんな気持ちが抑えきれなかったとしても無理はない。やがてカウフマンは「乗組員の死体を見た」と語るようになり、アーティストらしく詳細なイラストまで描いてみせた。
最初は自分の名前が公になることを嫌っていたカウフマンだったが、シュミットと会う回数が増えるにつれ“ロズウェル事件最高の生き証人”という立ち位置を積極的に匂わせるようになっていく。
状況証拠のバリエーションも豊富になのうちのひとりの名前はロバート・トーマスだという。しかしこれは、1947年の事件発生当時、ワシントンDCにいた軍の上層部の人間の名前であったはずだ。同姓同名の兵士がたまたま「ザ・ナイン」のメンバーだったとは考えられない。疑念はいよいよ深まる。シュミットは、カウフマンの話を裏づけできる証人を捜す必要を強く感じた。
ウォルター・ハウトにも話を持っていったが、カウフマンの名前を出すと、顔をしかめてそのままひと言も発しなくなってしまった。かつては家族ぐるみでつき合う仲だったのに、いや、それだからこそ、彼はシュミットよりも早くカウフマンの本質に気づいていたのかもしれない。
1996年あたりから、シュミットはカウフマンの証人としての信ぴょう性を検証することに多くの時間を費やしはじめる。人目を惹きたいだけの、ただの嘘つきではない。それはわかっている。ディスインフォメーション工作という言葉に具体的な響きが感じられるようになりはじめた。
深い疑念がぬぐえないままカウフマンとの緊密な関係を保つかたわら、シュミットは別系統の証言をもとに独自にインパクトサイトの場所をある程度割りだしていた。インパクトサイトに関する具体的な質問をぶつけるようになったシュミットに対し、カウフマンはエドワーズ大尉という人物の存在をほのめかすようになる。“軍の上層部”とのコミュニケーションを取り持つ役割の人間らしい。しかもこの人物に対し、定期的にレポートを提出しているというのだ。これが本当なら、カウフマンは退役して約半世紀が経過した時点でも軍の上層部と緊密な関係を保ちつづけていたことになる。
カウフマンは、軍の上層部と何らかのつながりを持ちながらロズウェル事件に関する情報を流していたのだろうか。それとも、彼が所属していたのはほかの情報機関だったのだろうか。そしてなぜ、シュミットに“証人”として協力するスタンスを見せながら偽情報を渡しつづけていたのか。
シュミットが断言する通り、カウフマンはディスインフォメーション工作に深く関わる人物だったのだ。ただ、その証拠が明らかになるまでは、もう少し時間が必要だった。
1999年、カウフマンに末期がんの診断が下された。彼が自宅療養に入った時期を見計らって、12月に再びロズウェルを訪れたシュミットに、すっかり弱々しくなったカウフマンは、意味ありげな口調でこう語りかけた。
「ドン、ゲームはまだ続く。続いていくんだ」
そして、ロズウェル事件に関わる物事の成り行きを見守る役割を担う人間がいるという事実を告げた。
フランクが自宅療養に入ったころからロズウェルに移住してきて祖父の面倒を見ていた孫息子のリックにエドワーズ大尉という人物から連絡があったか尋ねると、次のような答えが返ってきた。
「空軍士官が何回か電話をかけてきて、祖父の容体について尋ねられ
ました」
2001年1月に入っていよいよ容体が悪くなったカウフマンは、ベッドルームから出られなくなった。そんなある日、空軍士官らしき人物が彼を訪れたという。ひとりきりでベッドルームに入り、30分ほど話をして出てきた。彼は何もいわずにカウフマン愛用のリクライニングチェアーに腰を下ろし、しばらく目を閉じていた。そして無言のまま帰っていったという。
この人物こそ、ディスインフォメーション工作でカウフマンが関わった部分の終わり方を確認しにきたエドワーズ大尉だったのではないか。シュミットはそう感じた。
2001年2月7日、フランク・カウフマンは謎に満ちた生涯を終えた。
カウフマンは亡くなってしまったが、絶対的な資料はまだ残されているはずだった。家人の許しを得たシュミットはカウフマンの書斎に入り、多くの資料を見せてもらうことにした。“それ”を見つけるまで、たいした時間はかからなかった。机の一番上の引き出しが抜かれている。内側に、段ボールで作った書類入れのようなものが貼りつけられていた。
中に入っていたのは、軍関係の資料だった。さらにその横の空間に、1940年代製の古いタイプライターが置かれていた。隣り合っていたのは、膨大な量の書類だ。書体を比較すると、このタイプライターで打ったものに違いない。シュミットたちが見せられた書類は、すべてカウフマンがねつ造したものだったのだ。
除隊時に発行されたといっていた書類も、「ザ・ナイン」に関するものもカウフマンの手作りだった。軍上層部の人間と一緒にポーズを取った写真も、ロズウェル基地駐在時のものではなく、商工会議所の副会長になってから撮影されたものであることは明らかだった。カウフマンは、軍人という身分でロズウェル事件に関わっていたわけではない。
事件との関わりがあったとすれば、長く続いていくディスインフォメーション工作の現場ディレクターという立場だったのだ。これだけの物証を見つけてしまった以上、シュミットにとって答えはひとつしかなかった。
騙されて悔しい。そんな気持ちはまったく湧いてこなかった。だれが何の目的で、フランク・カウフマンという男をロズウェルに駐在させ、おそらくはハウトやシュミットと意図的に会わせ、ディスインフォメーション工作の最先端で機能させていたのだろうか。ロズウェル事件の底知れぬ闇の深さが改めて感じられた。
ニューヨーク出身のカウフマンをロズウェル商工会議所副会長の椅子に据
えたのはだれだったのか。シュミットはロズウェル市役所の資料庫で徹底的
なリサーチを行ったが、カウフマンが商工会議所で仕事を始めた過程については、次のような内容の記録しか見つからなかった。
「商工会議所のほかのメンバーとは異なり、カウフマン氏への報酬は外部組織から支払われる」
エドワーズ大尉とは何者だったのか。この人物がカウフマンの容体を尋ねてきたときに残した電話番号をたどってみると、行きついたのはテキサス州ヒューストンにあるビルの、何年も借り手がいないオフィススペースだった。
カウフマンは、短い期間ながらもロズウェル基地で勤務し、退役後はいきなりロズウェル商工会議所の副会長という地位に据えられた。公的記録の内容からは、外部組織から派遣される形で就任したことが読みとれる。
どんな組織の管理下で動いていたにせよ、カウフマンは“真実”を求めてロズウェルを訪れる人間たちの意識を別の方向に逸らす役割を果たす最前線の人間として機能していたに違いない。そして彼は、自分の役割をこれ以上なく忠実にこなし、何も語ることもないままこの世を去った。ディスインフォメーションの工作員としては、まさに満点で人生を終えたのだ。
シュミットに残した言葉の通り、ゲームはこれから先も続いていくのだろう。カウフマンが任されたゲームは、彼の後継者としてすでにロズウェルで暮らしている別の人間の手に渡り、さらにその後も新しい人間の手に渡っていく。
無限ループを感じさせるゲーム─ディスインフォメーション工作─の終わりは、まったく見えない。
(2020年1月13日記事を再掲載)
宇佐和通
翻訳家、作家、都市伝説研究家。海外情報に通じ、並木伸一郎氏のバディとしてロズウェルをはじめ現地取材にも参加している。
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