金沢・聖なる映画祭で現代魔女が告げた“魔女狩り”の真相!「霊的国防裸踊り」とウイッカ誕生の謎とは?

文=CHA

    映画祭で魔女談義! 現代魔女と日本オカルトの重鎮が交わした、オカルティズムアクションの魔女について聞き入った。

    映画祭で「現代魔女物語」イベント

     カナザワ映画祭をご存じだろうか? 毎年9月に石川県金沢市で開催されている映画祭で、埋もれた傑作を発掘し、異色のテーマで構成されるプログラムに映画ファンの間で“カルト的”な人気を誇っている催しである。

     2025年は「聖なる映画」をテーマに、9月18日から23日の6日間にわたり多彩なプログラムを展開した。その中で、ムー読者にとって要注目のイベントを現地取材した。

     それがトークイベント「現代魔女物語」だ。

     八幡書店社主・武田崇元氏を聞き手に、現代魔女の円香(まどか)氏が、「魔女」について徹底的に語るというこのイベント。

     魔術に興味を持ち、自宅に魔術書を積み上げている筆者にとって、この“オカルト界の黒幕”と“現代魔女”の初対談を見逃すわけにはいかない急いでチケットを取り、金沢へと向かった。

      なお、現代魔女を取材した記事もwebムーで公開されているので、あわせて参考にされたい。

     本記事ではイベントの模様を紹介しつつ、現代の魔女像、ウイッカや魔女狩りの歴史、そして魔女という存在がいかにしてポップカルチャーや社会運動と交錯してきたのかを探っていく。

    赤ん坊を殺す悪魔!? 産褥期精神病と魔女狩り

     イベントではまずドキュメンタリー映画『魔女たちの招待』(エリザベス・サンキー監督)が上映された。

    『魔女たちの招待』(エリザベス・サンキー監督)。

     本作は、監督自身の産褥期精神病の体験から、母親への社会的プレッシャーや女性の心の病への偏見に迫るドキュメンタリーだ。産褥期精神病とは、産後の精神疾患の中でも激しい幻覚、混乱を伴う最も重篤な病気である。酷い症状だと自殺や我が子を手にかけてしまうケースさえある。本作のユニークな点は現代の女性のメンタルヘルスの問題と、歴史・文化上における「魔女」像との重なり合いをサバイバーの視点から描き出した点だろう。
     
     円香氏はこの映画のラストで語られた「女性はみんな魔女だ」という印象的な言葉を引き合いに話し始めた。

    「18世紀末から19世紀にかけては、女性の感情的な特質が精神疾患と結びつけられ、狂気に陥りやすいとする偏見が支配的だったと言われています。女性であることが本質的に狂気を内在していると考えられた時代でした。
     ヒステリーやメランコリー(憂鬱)は「感じる力」が強い女性 のものとされていて、精神病は女性に多い病気とされていました。映画内に登場する産褥期精神病で幻覚を視る母親たちも、当時なら自分たちは《悪魔と交わる魔女》とされたのではないか?と語っています」

     近世には狂気の解像度が現在より荒く、「悪魔憑き」等も混在し何が正常で何が異常かという境界線が曖昧だった。例えば、生理による情緒の変化でさえも狂気の一種とみなされ、魔女狩りの時代には社会が求めている女性像から外れている人たちを「魔女」と呼んだのだという。

    「ある行動や精神状態が正常とされるか異常とされるかは、時代や社会の規範、権力構造、文化的価値観によって変化します。19世紀には、自転車に乗る女性や読書をする女性が「ヒステリック」「不道徳」「性的逸脱」とみなされたこともありました。その一方で、ベッドに横たわり、倦怠のうちに物思いに沈む青白い肌の女性がエロティックに美化され称えられもした。こうした価値の揺らぎの中で、女性たちはその時代の社会のまなざしで図られ続けてきました。『魔女』という存在は、狂気がジェンダー化されてきた歴史の象徴かもしれません」

    キリスト教が作った“悪女”と“聖女”──イヴとリリスの物語

    「ものすごく家父長制的な社会で、女性同士でも対立させられてきた背景があるんだと思います。例えば、夫の言うことをよく聞く、いわゆる良妻賢母の女性とそうではない女性の間とか」

     武田氏の発言に、円香氏はキリスト教における「魔女/聖女」の二項対立にも言及する。

    「アダムとイヴの楽園追放の神話では、楽園追放はイヴが蛇の誘惑に負けて禁断の実を食べたことが発端となっているんですよね。ルール を破った女性が堕落の原因を作った悪とされています。
     そもそもアダムは神に似せて土から生まれたのに対して、イヴはアダムの肋骨から生まれたというエピソードも面白くって、現実だと女性が子供を産むのに聖書の世界だと男性のアダムから生まれたことになっている。なぜでしょう?」

     また「最初の魔女」と呼ばれたリリスについても言及される。リリスは、アダムと最初に結婚した妻だとされるが、性交渉においてアダムに意見したため追放されてしまうという。その後にアダムの妻となるのがイヴ。
     聖書の中では、女性が堕落の原因とされる描かれ方になっているという。

    「その一方で、聖母マリアのように処女のまま妊娠(処女懐胎)してキリストが産まれており、《魔女》の反対側に《聖女》が位置付けられています。
     本来、現実の女性はもっと複雑で、多面的で「聖なるもの」と「邪悪なもの」と単純に分られるものではないと思うのですが、キリスト教の世界観では極端に切り分けて語られてきました」

     女性を規範に押し込める視線は、今でも社会に残っていることだろう。では、邪悪とされる魔女とはそもそも何なのだろうか?

    ウィッチ とカニングフォーク──魔女の定義

    「イギリスの歴史学者ロナルド・ハットンは現在使われている魔女の定義を4つに分類できるといいます。まずは2つ見ていきましょう」

    ①害悪魔術を行う人物
     一般的な「悪い魔女」のイメージ。赤ん坊を殺し悪魔に捧げたり、呪詛や黒魔術で人や家畜に病気をもたらしたり、天候を操ったりして作物を枯らしたりすると信じられていた人たちです。人々の幻想の中の魔女のイメージ。

    ②悪い魔術や善い魔術を行う人物(民間魔術師、カニングフォーク、チャーマー)
     民間の治療家、産婆、 呪いを解く民間の魔術師など。ワイズウーマンやカニングマンなど地域によって異なる名前があります。ホワイトウィッチは一部の地域だけで使用された言葉です。病や災厄を癒す“賢女”として村人から頼られていたと語られますが、実情はもう少し複雑です。この人たちは、依頼を受けて「悪い魔女の呪いを解く」「呪詛から人を守る」といった対抗魔術を行い収入を得ていました。ビジネスとして魔術を行っていた人たちが当時いました。
     貧民に医療が届かない時代にあっては唯一頼れる存在であり、村人たちからは尊敬と畏怖の両方のまなざしを向けられていたのです。カニング(cunning)は「狡猾」「ずる賢い」という意味。

     ②のカニングフォークは、いわゆる「善い魔女」のロールモデルとして現代では捉えられているという。しかし、そもそもロナルド・ハットンはカニングフォークを「魔女」とは区別しているという。

    「当時の民間の治療家や産婆などのカニングフォーク、彼女たちは自分たちを《魔女》と自認していたわけではありません。キリスト教徒 である彼女たちは祈祷文を唱え、悪い魔女からかけられた呪いを解いて収入を得ていました。当時は悪い魔女の存在をみんなが信じていたからです。それと、中には薬草で治療を行うことができる民間の治療家がいました」

     また、円香氏は映画内の魔女狩りについての解説の一部に疑問を投げかける。

    「現代の魔女狩り研究からすると時代考証が甘い部分がこの映画にはあります。映画内では魔女狩りが『産婆を殺すために魔女狩りが起こった』とする陰謀的な考えが紹介されています。これは『魔女・産婆・看護婦 女性医療家の歴史』という1970年に書かれたフェミニスト視点の本を参考にしているのだと思います。
     この本は、《魔女狩りが、産婆たちを医療現場から周縁化して排除することに繋がった》という魔女産婆説を紹介しています。でもそれは結果的に起こったことであって、魔女狩り自体が女性の医療従事者を排除するために仕組まれたという 言説は現在の歴史学やカニングフォークの研究から見ると間違っています。
     多くの女性が魔女を告発し、魔女狩りには多くの女性たちも加担しました。魔女狩りというのは男性と女性の対立といった単純な構造で説明できるものではないんです。最近のスコットランドにおける魔女狩りの研究では処刑された産婆、カニングフォークは全体の5%程度しかいないことが分かっています」

     残りの95%は身寄りがなく、スケープゴートされた貧しい人々や社会的弱者の人たちだったと言う。

    「例えば自宅に物乞いが来て『ミルクをくれ』と言うのを断ったら、その夜に腰痛が起こったとする。すると『あの物乞いが腹いせに呪いをかけたんだ!』となり、魔女として告発されるといったことが起こりました。
     社会全体で弱い人々が自分たちを恨んでいるんじゃないかっていう疑心暗鬼の雰囲気があった時代なんですね。社会不安が魔女狩りの大きな原因となり、大勢の人を断頭台に送ってしまうことになりました。その中でも犠牲になったのはやはり女性が大多数で、全体の80%が女性だったと言われています。これはミルクを絞るなど、女性が行っていた仕事が魔女狩りに関連しやすかったこと、それから身寄りのなかった女性は立場が非常に弱かったことなどが考えられています」

     そうなると、魔女狩りは男性も犠牲になったのだろうか。

    「そうですね。例えばバルト三国のように男性のほうが魔術の仕事をしている割合が多い地域では、男性の被害者数が多いと言われています。魔女狩りは地域によって結構違うんです」

     魔女狩りが、地域ごとの文化や社会不安が複雑に絡み合っていた事件であることが強調された。

     トークは、いよいよタイトル「現代魔女物語」の核心となる「現代魔女宗(ウイッカ)」へと近づいていった。まずは、ロナルド・ハットンによる残り2つの《魔女の定義》をみていこう。

    ③ペイガン宗教、自然崇拝を行う実践者(ペイガン・ウィッチ)
     ウイッカは1940年代後半に誕生しました。近代魔術復興運動の一部で、「私は魔女です」と自称する人々のことです。ウイッカなどのペイガン(異教)宗教に属し、自然崇拝・女神信仰・儀式や魔術を実践しています。
     現代魔女術を実践する人は必ずしもウイッカではないが円香氏もここに入る。

    ④独立した女性(フェミニズムの象徴)
     社会の規範に疑問を投げかける自立した女性 たち。反抗的で、政治的、フェミニズム的なニュアンスが強くなる。実は美魔女もこれだ。

    「19世紀のロマン主義が現代魔女を語るうえで、非常に重要ですね。
     特に歴史家 ジュール・ミシュレは『魔女』(1862年)で魔女狩りで殺された魔女は本当は美しくて知恵がある賢い女性だった…という反抗的で美しいイメージの魔女を作り出したんですね。
     日本ではサイケデリックな虫プロのアニメ『哀しみのベラドンナ』の原作で知られています。
     世紀末芸術ではメディア、スフィンクス、サロメなどが新しい解釈を与えられてファムファタール(男を破滅させる魔性の女)として描かれるようになります。
     この時代に提示された新しい魔女像は後々のポップカルチャーや芸術に大きな影響を与えていて、この映画『魔女からの招待』もそうですよね」
     
     魔女のイメージというのは時代によって大きく変遷していき、以上4つの意味で使われてるそうだ。「これが魔女だ!」とは言うのが難しい歴史的な経緯があるということだろう。

     さて、③ペイガン・ウィッチについては、「現代魔女宗(ウイッカ)」の創始者ジェラルド・ガードナーの存在が欠かせないという。

    ジェラルド・ガードナー(1884 – 1964)

    「ジェラルド・ガードナーはイギリスの現代魔女宗(ウイッカ)の創始者です。彼の面白いところは、歴史上初めて『自分は魔女だ!』と宣言した点です。それが彼が「現代魔女宗の父」と呼ばれる所以です。
     彼は1939年に謎の大魔女オールド・ドロシーと呼ばれる魔女によって魔女の集会(カヴン)に入会したと主張し、『今日のウィッチクラフト』(1954年)という本を執筆。それが、ウイッカの誕生神話、現代魔女文化のルーツの一つになりました。
     ガードナーは非常に変わった人物で、魔女であると同時に彼は裸体主義者(ヌーディスト)であり、当時、第二次世界大戦中下であったイギリスをナチスから裸で儀式をして守ったと主張したりしていました。
     ナイフの研究家でもあるアマチュア民俗学者で、薔薇十字系の劇団に所属していてそこでドロシーとは出会うのですが、元々OTO(東方聖堂騎士団)でもあり、クローリーと数回面識がありあります。マレーシアでプランテーションを営んでいた税関職員で、とにかく多彩な活動をしていた人。当時のイギリス人では珍しく刺青も身体に彫っていました」

     いかにもオカルト怪人と呼べるような人物だ。しかし、ガードナーが出会ったという大魔女オールド・ドロシーとは実在するのだろうか?

    マーガレット・マレー(1863 – 1963)

    「オールド・ドロシーが何者なのかは曖昧なんです。
     それを紐解くには、もう一人現代魔女宗に影響を与えたの重要人物について話す必要があります。考古学者マーガレット・マレーです。
     彼女はもともとエジプト考古学の専門家でしたが、戦争でエジプトへの渡航が叶わなくなったことで研究の方向を転換し、『西ヨーロッパの魔女カルト』を発表します。
     彼女が唱えたのが、有名な《魔女カルト理論》です。それは、魔女狩り で処刑された人々は、キリスト教以前の古代から続く多神教・自然崇拝の組織的な宗教の実践者だった、というものです。
     彼女によれば、それはアニミズム的な“豊穣の宗教”であり、角のある男神(有角神)と月の女神ディアナを崇拝する信仰だったというのです。これは色んな民間信仰の物語や、魔女狩りの裁判記録を恣意的にパッチワーク的に繋ぎ合わせることで書かれたとされていて、学術的には否定されています。
     でも、ガードナーはこのマレーの理論を読みビビビとくる。そして、『自分は会ったオールド・ドロシーはそれだ!』と主張し始めます。ただ、この話もどこまでが実話で創作なのかは、よくわからないんです。
     ちなみに、オールド・ドロシーは実在した人物で、ニュー・フォレストに当時住んでいた女性であったことは後の研究で分かっているのですが、この人物は敬虔なキリスト教徒であることがわかりました。だから本当にガードナーをイニシエートした人物なのかどうかは謎に包まれている」

     武田氏はオールド・ドロシーの実在性の問題は、オカルトではよくある話であると話す。

    「こうした実在が怪しい人物から伝授されました、というのはオカルトではよくあるパターンで、魔術結社・黄金の夜明け団の設立には実在不明なアンナ・シュプレンゲルの暗号文書が介在しています。
     ただオカルトの面白いところは、これが本物でこれは偽物と簡単に断ずることができないところがあって、これこそが真実だと突き詰めていったら煙に撒かれる感じがある」

     興味深い付合だ。オカルトにおける普遍的な現象なのかも知れない。

    「ガードナーが裸体主義者だったと先ほど言いましたが、注目したいのは彼は魔女と公で宣言する前から裸体主義者だったということです」

    「当時は、ナチスドイツも裸体主義者がいたし、イギリスも裸体主義者がいたとなると、霊的国防裸踊りをしていたんですかね笑」と武田。

    「そうそう(笑)。ナチスといえば、実は彼らは魔女のロマン主義的イメージを利用しようとしていたんですね。『魔女狩りとは、キリスト教が昔ながらの知恵を受け継いだゲルマン民族の賢女の知恵を根絶やしにしようとした虐殺である』とプロパガンダに利用しようとしました。全くナンセンス、元々魔女のサバトは当時の社会の反ユダヤ主義と関連していて、ユダヤ人の安息日から名前がとられているんですよ。ちぐはぐです。
     あと裸体と魔女で面白いのは、魔女は裸体で描かれることが多いという点です。すっぽんぽんで飛んでいる絵が多い」

     たしかに! 裸の魔女の絵は観たことがある。

    ルイス・リカルド・ファレロ「ファウストの幻視」(1878年)

    「ハットンは魔女狩りの時代、『裸の表現が分かりやすい堕落の表現として使いやすかったのではないか』と言ってます。自然とされることの逆さまのことをするのが魔女だと考えられていたのです」

     あと、女性の裸体を描くことが禁じられていた時代があって、ただし魔女を題材だったら、裸体を描くのが許容されていたのだという。

     また、女性の裸体を描くことが禁じられていた時代、魔女を題材とした絵画だったら、裸体を描くのが許容されていた地域もあったのだという。
     
    「その後、ルネッサンスを経て、19世紀にはイメージが反転し力強い女性たちが裸で飛翔する絵画が誕生しました」

     魔女という言葉一つになんという豊潤な意味があるのか。筆者はこのあたりから頭がクラクラする思いで聴いていた。
     だが、この後、魔女という言葉にさらなる意味が追加されていくことが分かる。

    魔女は社会運動へ──スターホークと現代フェミニズムの交差点

    「現代魔女術の中心には、女神信仰があります。その女神はディアナ、ヘカテ、へロディアスなど様々ですが、全ての女神は一つの女神であるという考え方になります。これはダイアン・フォーチュンの言葉にもあり、ペイガンたちに共通の認識です。
     1960年代にウイッカがアメリカに渡った時に、ガードナーも想像していなかった展開が起こりました。
     ウーマン・リブの時代の急進的な女性たち、フェミニストの人々が続々と現代魔女術に参入したということです。
     現代魔女術はアメリカで女性の霊性運動、フェミニスト・スピリチュアリティ、女神運動と交差し、フェミニズム、反核運動、エコロジカル運動といった社会運動とドッキングしていきました。
     アメリカにスターホークという現在でも活動している著名な魔女がいますが、彼女はバリバリの活動家で数えきれないほど逮捕されています。
     アメリカだとオカルトと政治運動は、密接に結びついていった歴史がありますけど、日本はだと事情が違いますよね。武田さんは新左翼的視点でオカルトを語る活動をずっとされていると思うのですが、他に近い活動をしている人はいたんですか?」

     ここで武田氏は、1960〜70年代における日本でオカルティズムが文芸の一部として受容された背景を語る。

    「僕らの世代には、澁澤龍彦や種村季弘が紹介した“文芸批評としてのオカルティズム”があったんです。それは新左翼の知識人はすごく読んでいた。ただ、それは文芸批評、美学の話であって、政治運動とは接続しなかった。
     自分はそれはおかしいと思っていて、本来、オカルトと政治運動は結びついていくものだと直感していた。ヨーロッパがそうなっていると後で知りました。
     ウィルヘルム・ライヒの『性と文化の革命』が翻訳された当時は、性の革命の文脈で、ヒッピーや新左翼の知識人の間では話題になっていた。
     だけど、彼の真骨頂は宇宙に偏在するとされるオルゴン・エネルギーを発見したオカルティストであることなんですよね。
     ただ、日本ではそうした側面を削ぎ落とした形で語られていて自分はそれがおかしいと思い、『復刊地球ロマン』でライヒをオカルト的視点で紹介したんです。自分の他にそういった活動をしている人はいなかったですね。
     いまアメリカでは魔女の人たちが、トランプ大統領に呪詛をかけようと儀式をしているが、日本でオカルトと急進的な社会運動が連動した唯一の例は梅原正紀さんの公害企業主呪殺祈祷僧団だけ。
     それも左翼は公害糾弾の表現パフォーマンスでしか捉えていなかったように思えます。日本では今でもリベラル左派は、オカルトとか陰謀論とか偽書を非常に嫌う傾向にあると思う」
     
     円香氏も、アメリカと日本の違いについて話す。

    「そこはアメリカと日本の違いがありますよね。スターホークは明らかに魔女カルト理論や女神運動、偽史的な世界観を引きずりながらも、エコロジカルフェミニズムの実践者、活動家としてバリバリ運動に関わっています。  私はこの偽史的な想像力が別の物語、新しい現実を作り出す創造性に結びつくところに関心があるんです。例えば女神運動に関連する母権制社会論がマルクス主義に与えた影響とかも偽史的な想像力だと思う。
     これは『信じているかどうか』の問題というより、物語で現実を作り変える実践、反抗的な、あるいは自分たちの物語を生成しているわけです。そして史実であるかを超えた影響力があったわけです。アメリカの70年代の女神運動もそうです。地球ロマンで武田さんがされていた皇室中心の一元的な物語ではない物語を沢山紹介していく、物語を生み出していくという活動とも共通点があるようにみえますよね。
     スターホークはアクティビストですから、何度も逮捕されているし、刑務所にも何度も行っています。ちなみに彼女の本は、10カ国とかで翻訳されていて、ベストセラー作家です。ただ、スターホークもどんどん政治的側面にフォーカスするようになってきているのでスパイラルダンス以降の本は『スパイラルダンス』ほどの裾野の広さはなくなってきているように思えます」

     日本とアメリカでは魔女のイメージは根底から異なっているのかもしれない。

    「アメリカ西海岸の魔女コミュニティでは、クィアの人たちも多く、そもそもウイッカは元々は豊穣の宗教と考えられていましたが、アメリカで広まる過程で、ある時期から自然宗教、大地に基づくスピリチュアリティとして考えられるようになっていきました。魔女文化は今日ではさまざまな種類の人たちが楽しんでいます。アメリカの書店には魔女関連書籍の棚があり、最近ではクィアのウィッチクラフトの本も多く出版されています」

     魔女文化が単なるサブカルチャーではなくマイノリティのコミュニティや社会運動の側面がある様子がうかがえる。
     SNSで魔女と検索すれば自らを魔女と名乗るアカウントを見つけることができるし、また会場でも魔女の方々と交流させてもらった。日本でも現代魔女の数は着実に増えているのは間違いないだろう。

     以上が、「現代魔女物語」トークの内容である。率直な感想を言うならば、魔女という言葉ひとつにここまでダイナミックな歴史と多義的な意味があるとは思っておらず、終始、興味深く聞き入った。
     私たちは魔女狩りを「近世のヨーロッパの悲劇」として位置付けられがちだ。しかし、話を聞いていくうちに、単なる歴史のいちエピソードではなく、「現在の社会の構造」を照らし出す鏡であることに気づかされた。

     魔女狩りの記録によれば、犠牲者の約8割が女性であり、多くが貧困層や共同体と馴染めないような人々だった。社会の規範から外れた存在を恐れ、排除する魔女狩りの構造は、現在でもリフレインされているように思える。
     現代においても、ジェンダーバランスはまだ道半ばであり、「普通」や「常識」から逸れると見えない排除が始まる。そうした違和感を抱える人々が、魔女という言葉に共鳴し、静かに連帯している。そのことに自分は深くうなずかされた。

     魔女は宗教というよりは、社会的な齟齬を抱える人々の“連帯の言語”であり、彼らが世界と関わり直すための回路のように私には思えた。SNSのなかでカヴンと呼ばれる魔女のネットワークは、今でも生き続けている。外から伺い知ることはできないが、恐らくそこでは、魔女たちの宴が行われているのだろう。

     円香氏の「現代魔女文化は、キリスト教に対するカウンターとして生まれた側面もあるから、日本では流行しづらい」という指摘を個人的に興味深く聞いていた。
     それは「なぜ日本で巫女ではなく、魔女なのか?」という疑問が自分の中にあったからだ。女性的な霊力の象徴は、日本では魔女より巫女の方が身近のように思えるが、おそらく「巫女では担いきれない何か」が魔女という言葉にはあるのだろう。
     一般的には現在の巫女は、神主の補助役というイメージが強く、霊的実践から距離があるように思える。巫女の詳細を解説した中山太郎の『日本巫女史』には、「原始神道における巫女の多くは、直ちに神として崇拝され(また巫女自身もかく信じていた)」「女性は感受性に富み、霊媒者としての資質が高いとされていた」という記述がある。原始日本では、女性の神性を尊んでいたのだ。

     この筆者の疑問に対して円香氏は、「野良の口寄せをする歩き巫女はともかくとして、多くの公的な巫女は霊的な資質は評価されてもそれは男性中心の性別二元論の伝統的宗教の価値観のなかに器として収まっているように思う」と応答した。

     円香氏は日本の現代魔女術を考えるならば、巫女よりも女神である《山姥》に注目するべきだと主張している。
    「魔女」という言葉は元々歴史的には規範から逸脱し、秩序を乱す悪いニュアンスが付与されてきた。つまり、単に霊的な実践を行っている人物のことを指していない。「巫女」ではなく「まつろわぬ民」を再解釈するほうが現代の魔女のニュアンスに近いのだという。

     巫女には魔女ほど「反抗」という意味が付与されていないから、魔女を名乗る女性たちにとって魅力的ではないのだろう。

     そして今、魔女のネットワーク的実践と日本的な霊性が融合し、新たな現代魔女術復興運動が生まれつつあるのかもしれない。
     いや、すでにその萌芽は水面下で動いている。それは山姥かもしれないし、まったく未知なる“何か”かもしれない。
     知れば知るほど深くなる、現代魔女の迷宮。その先に何が待っているのか? 今後も注視していきたい。

    CHA

    フリーライター&編集。出版社で漫画編集をしていた経験があり、幅広い漫画の知識を持つ。また神秘主義を独自に研究中で、グルジェフ、シュタイナー、古神道に関心がある。最近は舞踏、タロットリーディングに凝っている。バイブルは永井豪『デビルマン』楳図かずお『14歳』。

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