メキシコの死の聖母サンタ・ムエルテ信仰で体験した元日の祭祀/影市マオ
メキシコの首都メキシコシティ近郊に、髑髏の巨像が聳え立つ。 この巨像は、一般家庭から裏社会の住人まで、広く信仰される〝死の聖母〟サンタ・ムエルテの姿だ。 新しい年を迎える祝祭の日に、巨像の足元へ向かっ
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明治時代、南極に「神社」ができていた?! あの南極探検隊のアナザーストーリー。
年末年始は、一年のうちでももっとも神社を身近に感じるシーズン。毎年決まった神社に初詣にいくという人もいれば、旅行がてら遠方の神社にいってみようと計画している人もいるだろう。
日本には総計8万以上の神社があるといわれ、ハワイや南米など日系人社会のある地域にもいくつも神社が建てられている。戦前には日本の海外領土になった場所にも多くの神社が建てられ「日本人のいるところには神社ができる」ともいわれたというが、では、日本本土から最も遠い場所につくられた神社といったらどこになるだろう。
南米も遠いが、なんと、明治時代、南極に「幻の神社」が誕生していたという話があるのだ!
南極に「幻の神社」が誕生したのは、明治45年、白瀬矗(しらせのぶ)ひきいる探検隊が日本人初の南極到達を果たしたときのこと。
白瀬矗は南極観測船「しらせ」の名前の由来にもなっている陸軍軍人・冒険家で、彼を中心として編成された南極探検隊は、明治43年11月に東京芝浦ふ頭を出発。一度は悪天候のために南極上陸を断念してシドニー湾まで退避するなど紆余曲折を経ながら、明治45年1月28日、南極の氷上南緯八十度五分、西経百五十六度三十七分の地点まで進み、その一帯を「大和雪原」と命名している。そのほかにも調査船開南丸から名前をとった「開南湾」や、この探検を支援した大隈重信にちなんだ「大隈湾」などを発見、命名して同年6月に日本に帰還した。
この上陸時、白瀬隊は二手に別れて調査を行なっているのだが、「大隈湾」を発見したのは白瀬本隊と別れた別働隊のほう。こちらの隊は大隈湾発見後、さらに内陸に山嶺を確認して、その登頂にも成功している。
「南極の幻の神社」が誕生したのはこのときだ。別働隊に加わった島義武(しまよしたけ)隊員は、登頂した山の中腹に日本から持ってきた皇大神宮の神符(お札)を埋納し、その地点に天照大神を祀ることを宣言している。社殿こそないものの、伊勢神宮のお札を納めた「神社」が、南極に誕生していたのだ!
一連の経緯を記した島の著書『南極探検と皇大神宮の奉斎』から、その一節を引用させてもらおう。
「こゝで、研究目的の一である鉱石の採取に努めた後、帝国領土の記念として今回の探検行を加護し給はつた皇大神宮を、この地に奉斎しこの全山を神奈備となすことに決し、まづ水筒瓶に、我探検隊一行が無事に極地に上陸することの出来た報賽として、爰に皇大神宮を奉祀する旨の記録を封入し、自分が母国出発以来肌身離さず持って居った伊勢皇大神宮の御神符と松木男爵から特に授けられたものとを共にこゝの雪中に埋蔵した。この御神符は明治天皇の御衣を以て、大隈伯夫人の手づから作られた真綿の襦袢の襟元に、縫付けておいたものである、此の御衣の襦袢は今に大切に保存してゐる。」
「かの白瀬隊長等の上陸隊一行が占領式を行つた地点は、実は南極大陸の間にある氷堤上であつて漂流せぬとも限らぬが、自分等の御神符を奉斎した処は、実に陸地である、山上である、永久不滅の土地である。一行四人は、この山地を究めた記念として、四人の姓の頭字、即ち、し 島 た 多田 わ 渡邊 し 柴田 を集めて『志たわしの山』と命名した。」
着物の襟に縫いつけて南極まで持っていった伊勢神宮のお札を、新発見の山中に奉斎した、というのだ。島はこのお札を奉斎した地点を「したわし山皇大神宮」と呼んでいるが、これこそ、あらゆる海外神社のなかでも最も到達困難な場所に誕生した「神社」だといっていいだろう。
島義武は白瀬隊の事務局長であり、神戸の生田神社の神職家に生まれた人物でもある。南極に伊勢神宮のお札をもっていこうという発想に至ったのも、そうした来歴が関係しているのだろう。
『南極探検と皇大神宮の奉斎』には、生田神社宮司などをつとめた生田長浩から序文が送られているのだが、そこには、もし白瀬隊が到達した大和雪原に日本の領有権が認められたなら、「果して之が実現の暁には、我が国は先ず劈頭第一に君が嘗て皇大神宮の御神符を奉斎せし志たわし山の底津磐根に宮柱太敷立て高天原に千木高知るべき大規模の神社を奉建して、長へに南極の鎮護と為」すべき、つまり日本の領有権が認められた場合には何よりも先にしたわし山皇大神宮の社殿を建てるべきだといった主張が記されている。
白瀬隊は大和雪原の命名と同時にそこを日本領とすることを宣言しており、同書が出版された昭和初頭にも、南極の領有権問題について各国で議論がなされていた。もし世界の情勢が南極領を認める方向に動いていたなら、日本は本当に南極に「したわし山皇大神宮」の社殿を建てにいっていたのかもしれない。ちなみに現在、南極条約によって南極の土地はどの国にも領有を認めないことになっているが、一部には今でも領有権を主張する国が存在するそうだ。
さて、島が埋納した「したわし山」のお札は、今も南極の氷の下に眠っているのだろうか?
残念なことに、その可能性は低いかもしれない。
白瀬隊が大和雪原と命名した一帯は、南極大陸上にはない棚氷(おそろしく分厚い氷の塊)の一部だったことがわかっている。そして残念なことに、島たちが大陸の上にあると信じた「したわし山」も、同じく氷上の雪の堆積だったようだ。したわし山の位置について「南緯七十六度五十八分、西経百五十五度五十五分」と細かな緯度経度が記されたものがあったのでその場所をグーグルマップで検索してみたところ、図のような場所がヒットした。
ご覧の通り、氷は粛々と流氷になり南極海に流れ出てしまっているようだ。したわし山も、そしてしたわし山皇大神宮もおそらく今では流氷か、あるいは南極海の一部になっているのではないだろうか。
もちろん、「お札をまつっただけで社殿がないのだから『神社』とはいえない」ともいえるだろう。しかし、南極という場所の特殊性も考えれば、したわし山皇大神宮は奉斎から現在にいたるまで、その経緯の全てがまさに「幻の神社」とよぶにふさわしいものだといえるのではないか。
それにしても、南極以上に遠い神社となると、あとはもう人工衛星にお札をのせて飛ばすとか、月面神社、火星神宮といったことになるのだろうか。もしこんにちまで大日本帝国が続いていたら、そんな神社が誕生していた可能性は割と高かったかもしれない。それに現実のこの世界でも、将来的には誰かしら地球外神社をつくる日本人は現れそうな気がする。
もしもしたわし山皇大神宮が現存していたのなら、南極初詣ツアーなんて企画が誕生していた可能性も、ゼロではなかったのかもしれない。
参考
『南極探検と皇大神宮の奉斎』島義武著、思想善導図書刊行会、昭和5
『科学眼』竹内時男著、皇道青年教育会、昭和17
鹿角崇彦
古文献リサーチ系ライター。天皇陵からローカルな皇族伝説、天皇が登場するマンガ作品まで天皇にまつわることを全方位的に探求する「ミサンザイ」代表。
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