40年前に三日坊主で投げ出した「超越瞑想」を再び習ってみた話/初見健一・昭和こどもオカルト回顧録

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    80年代の高校生時代に「TM」=超越瞑想に挑んだ筆者が、40年ぶりにひょんなことから再挑戦。 改めての体験やいかに。

    TM(超越瞑想)」とは?

     今から4年ほど前、この「昭和こどもオカルト回顧録」の連載で、高校生時代の僕が「TM(Transcendental Meditation)=超越瞑想」を習いにいった顛末を書いたことがある。「ムー」の公式サイトが現在の「webムー」に移行する以前のことなので現サイトには当時の記事は掲載されていないが、だいたい次のような内容のコラムだった。

    「TM」とは、その創始者マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーによって世界に紹介され、60年代のアメリカ西海岸のヒッピーたちの間で爆発的に普及した瞑想法。ビートルズ、ドアーズなど、大きな影響力を持つミュージシャンが多数実践していたことでも知られ、当時のフラワームーブメント、サイケデリックムーブメントにおけるカウンターカルチャー的スピリチュアリズムの「核」となっていたものだ。

     70年代に入って愛と平和の「花の時代」は儚く散ったが、「TM」は廃れることなく、その実用性と誰でもすぐに実践できる手軽さが評価され、ヒッピー世代ではない人々の間にも広く普及していく。特にアメリカでは各地の学校、各種公的機関、そしてさまざまな企業が「ストレス軽減」「集中力の向上」などの目的で「TM」を採用したこともあり、80年代初頭に二度目の大きなブームを迎えた。
     このブームは日本にも波及し、主に当時の経済誌・ビジネス誌などを通じ、「ビジネスマンのための瞑想法」といった形で広く知れ渡ることになる。つまり日本では、どちらかといえばヒッピーとは真逆のいわゆる財界人やバブル前夜の企業戦士、あの頃の流行語で言えば「エスタブリッシュメント」とか「ヤングエクゼクティブ」とか呼ばれる層の間で最初に火がついたわけだ。

    マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー(写真はwikipediaより)。インドの大師ブラーマナンダ・サラスワティに師事し、師から受け継いだヴェーダ由来の「TM」(超越瞑想)を世界各国に普及させた。特にフラワームーブメント世代の若者たちに熱烈に支持され、ニューエイジカルチャーの一役を担う。

    「三日坊主」で終わった僕の瞑想修行

     この80年代のブーム時に、当時高校生だった僕も飛びついたのである。もちろん僕は「ヤングエクゼクティブ」や「エスタブリッシュメント」からは100万光年くらいかけ離れたロックとオカルトにしか興味がないボンクラ高校生だったが、60年代のヒッピーカルチャーに関する本には必ず記述されていた「TM」に以前から興味津々だった。そのときの僕は友達とサイケデリック系のロックばかりコピーするバンドを組んでいて、そのメンバーたちと誘い合わせて「みんなでTMを習いに行こうゼ!」ということになったのだ。

     ところが! 「TMセンター」に受講の申し込みをする段になって、他の連中は「なんだか怖そうだからやっぱり行かない」とか「金がない」とか「めんどくさい」なんぞと言いだして全員逃亡。結局、僕は一人でのこのこ出かけていくハメになった。「カルト宗教みたいな組織だったらどうしよう?」という若干の不安はあったが、行ってみたらそんな雰囲気はみじんもなく、セミナー会場はサラリーマン、OL、親子連れなどが集うカルチャーセンター風のアットホームな空間。そこで数日間の講習を受け、あっさりと「TM」を修得することができたのである。

     しかし……。幼児の頃から落ち着きのない僕は、1日朝晩2回、20分もの間、目を閉じてただじっと座っているということがどうしてもできなかった。なんとかやろうとしても途中でイライラ、ソワソワしてしまい、いてもたってもいられなくなってしまう。徐々に苦痛になってきて、わずか二週間足らずで「こんなのムリッ!」と断念してしまった。瞑想の効果がどうのという以前に、瞑想状態を体験するはるか手前でギブアップする形になってしまったのだ。

     ……といったことを書き綴った4年前の原稿のオチは、「結局、お金と時間の無駄でした」というミもフタもないものだった。

    『超瞑想法 TMの奇跡 「第四の意識」であなたは変わる』(マハリシ総合研究所・著/船井幸雄・加藤修一・監修/1985年/PHPビジネスライブラリー)。一般向け書籍として発売された「TM入門」としては本書が日本初。当時の僕もこの本を手にした。

    「TMセンター」からの意外な連絡

     そして、今年の7月のこと。突然「マハリシ総合教育研究所」からメールが届いた。瞑想のインストラクターであり、「TM」の広報なども担当している大谷由美子さんという方からのメールである。冒頭に次のような一文があった。

    「初見様の『昭和こどもオカルト回顧録』のTMの体験記を楽しく、興味深く拝読いたしました」

     そこで僕はギョッとして読むのを中断し、しばし途方に暮れてしまった。これはマズイ。苦情のメールに違いない……と思ったのである。そりゃそうだ。個人的体験にもとづく思い出話とはいえ、「TM」に関して好き勝手なことを書き散らかし、最終的には「お金と時間の無駄でした」と結論しているのだから、関係者ならとてもじゃないが「楽しく、興味深く拝読」するどころではないだろう。

    「しかし、貴殿の記事には看過しかねる一方的な記述が多数見受けられ、当方といたしましては……」みたいに展開するのだろうと覚悟しながらメールの続きを読んでいくと、どうも苦情ではないらしい。本当に僕の駄文を「楽しく、興味深く拝読」してくださったらしく、「TM」の「チェッキング」を受けてみないか、その上で、その体験についてインタビューさせてくれないか、という主旨なのである。
    「チェッキング」とは、「TM」修得者が瞑想を正しく行えているかどうかをチェックするフォローアップのミーティングである。要するに、40年も前に「TM」を投げだした僕に、もう一度フォローアップするから試しに一月ほど瞑想を続け、その間の体験をインタビューして「TM」の公式サイトに掲載したいという依頼なのだ。しかも、これは営業行為的なものではなく、「チェッキング」は完全に無料で行うとのこと……。

     僕はまず苦情でなかったことに胸をなでおろし、ああいう文章を笑って読んでくださった大谷さんの度量の広さに驚くと同時に、「妙な偶然というものがあるもんだなぁ」と不思議な気分になった。というのは、そもそも4年前に「TM」をテーマに原稿を書いたのは、そのころに盛りあがっていた「マインドフルネス」ブームに触発され、僕も瞑想そのものに再び興味を抱きはじめたからだった。「そういや僕も子どものころに瞑想を習ったなぁ」と思い出し、ああいう駄文を書いてみたのである。そして、あれを書いた直後、投げだしたままになっていた「TM」を40年ぶりにやってみたのだ。どういうわけかは知らないが、高校生のころはあんなに苦痛だった瞑想が、わりとすんなりできてしまった。いや、できてるのかどうかはわからないが、ともかく20分が嘘のようにあっという間に過ぎ去り、その後に妙な「休息感」というか、ひとことでいえば「気持ちよさ」みたいなものが得られた……ような気がしたのである。

     以降、本来は1日2回行うべきところを1回だけだが、ほぼ毎日続けていた。ただ、なにしろ40年も前に習った記憶を頼りに、うろ覚えのまま、なかば自己流でやっている瞑想である。やればやるほど「これでいいんだっけ?」と迷うことが多々あり、不安とモヤモヤをずっと感じていた。そこに、例のコラムを大谷さんがたまたま読んでくださり(「ムー」の提携サイトに転載された記事が今もまだ残っており、それを読んでくださったらしい)、上記のようなお誘いをしてくれたわけだ。

     もちろん僕がこのお申し出をありがたくお受けしたことは言うまでもない。そして、この「チェッキング」を受けることによって、元ロック&オカルト少年だった僕の幼稚な「瞑想観」はガラリと変わってしまうことになるのだが……。

    40年ぶりに受けた瞑想レクチャー

    「チェッキング」の当日、僕は期待半分、不安半分で出かけていった。不安半分というのは、4年前の原稿に「結局、お金と時間の無駄でした」と習った瞑想をほっぽり出してしまった経緯を好き勝手に書いてしまった手前、「やっぱり怒られるんじゃないか」という心配がまだぬぐえなかったのである。「呼びつけて糾弾する」みたいな展開が待っていたらどうしよう?……などと怯えていたのだが、もちろんそんなことは杞憂でしかなく、大谷さんはメールの印象通り、やさしげで非常にフレンドリーな人だった。こちらが投げかける的外れな疑問にも、ときに熟考しながら、真摯かつ丁寧に答えてくれた。

    「チェッキング」は、だいたい次のような段取りで行われる。まずは瞑想中の自分の状態などに関する診断書、というかアンケートへの記載。これに基づいて口頭での細かいチェックが行われる。僕のうろ覚えの「TM」は「おおむね問題なし」とのことだったが、「マントラ」の扱い方に少し誤解があった。

    「TM」は、ごく大雑把に言えば、指導者からそれぞれの受講者に口頭で教えられる「マントラ」(短いコトバ)を、指導された通りに心の中で使って行う瞑想である。それ以外のこと、例えば雑念を遮断するような努力はする必要がない、というより、してはいけない。瞑想中の心や意識や思考は漂うにまかせ(Let it be)、制御しようとする意思は捨てるのである。この「マントラを心の中で使うが制御はしない」というのがなかなか難しいのだ。ただ、何度か繰り返すうちに、なんとなくではあるがコツがわかってきたような気もする。

     そしてもう一つ、ちょっとショッキングだったのは、「TM」は基本的に朝晩2回の瞑想を習慣的に行うべきもので、僕のように「1回でいいや」という人の場合、理想的な効果が得られないそうだ。以降、僕も1日2回やるようにしている。

    「チェッキング」の最後は、瞑想の手順の確認をしてから実際に瞑想を行う。この日は大谷さんも一緒に瞑想したので「グループ瞑想」になった。「グループ瞑想」とは複数の人と同時にする瞑想で、「TM」は個々でやるより集団で行うと効果が高まるといわれている。効果が高まったかどうかは僕にはわからなかったが、誰かと一緒に瞑想するのは初めてだったので(高校時代の受講でやったのかも知れないが、まったく記憶にない)、なんだかとても新鮮な体験だった。

    『大きな魚をつかまえよう―リンチ流アート・ライフ∞瞑想レッスン』(デイヴィッド・リンチ著/2012年/四月社)
    「TM」の実践者で特に有名なのがデイヴィッド・リンチだ。本書は彼が自分の表現活動における「TM」の効用を語ったもの。

    「チェッキング」中に聞こえた「音」

     ……といった具合に、「TM」の実践的・技術的な部分でさまざまな再発見があったのだが、この「チェッキング」で得られた最大の収穫というか、ある種の衝撃的発見は、下記のようなことだった。これは僕にとって「目からウロコ」というか、大げさに言えば従来の自分の「瞑想観」の崩壊、および刷新である。少し妙な話になるが、僕の物事の感じ方というか、ボンクラな好奇心の方向にまつわる問題についての「反省」を語りたいのである。

    「チェッキング」がはじまってすぐ、僕ら二人がいる小さな会議室に、ノックの音が聞こえた。僕は大谷さんに「誰か来ましたよ」と言ったのだが、彼女は少し怪訝な顔をしながら「来てません。今のはノックじゃないです」と答える。音はドアのない方向から聞こえたそうだ。その後も壁や天井のあちこちからコンコン、トントンという音が頻繁に聞こえた。こういうとき、どういうわけか人はなんとなく笑ってしまうものらしい。僕は意味もなく笑いながら「こういうこと、よくあるんですか?」とたずねたが、大谷さんも首を傾げなら「いや、ないです」と笑っていた。そして「グループ瞑想」がはじまると音はさらに頻繁に聞こえはじめ。その数分後、僕の目の前のテーブルがバチン!と大きく鳴った。思わず瞑想を中断して目を開けそうになったが、なんとか我慢してやり過ごす。瞑想後、「さっきの聞こえました?」「ええ、変ですねぇ」と大谷さんと話し合った。

     一か月後に僕は「TM」公式サイトのインタビューを受けるために同じ部屋でまた大谷さんと会い、同じように「グループ瞑想」を行ったのだが、そのときは妙な音などまったく聞こえなかった。

     この「怪音」(?)の話自体はどうでもいいのである。「家鳴り」など、たいていの建物で日常的に聞こえるもので、それを「ラップ音」と呼んでおもしろがってみるかどうかという問題でしかない。しかし、そのときの僕は、その「怪音」に嬉々として飛びついてしまった。こういうことがあると全力でおもしろがるのが、70年代オカルトブーム世代の悲しい性である。

    「TM」に限らず、「マインドフルネス」などの瞑想中に「ラップ音が聞こえた」という体験を持つ人は意外と多い。「誰かの気配を感じた」という人も多いし、「誰かの声が聞こえた」という体験談もある。そして、それらを「非常に深い瞑想ができている兆候」とする見方をする人もいれば、「いや、あまりよろしくないものとの接触だ」と見る人もいる。

     4年間瞑想を続けて、僕自身はそうした説明不能な体験をしたことは一度もなかった。僕はどうもそのことを不満に思っていたらしい。ボンクラ高校生のころはサイケデリックでオカルティックな体験ができるかも知れないという希望を抱いて瞑想を習ったわけだが、40年後、いい歳したオッサンになった現在も、相変わらず瞑想に非日常体験というか、「不思議」を求めているらしいのだ。今まであまり意識したことはなかったのだが、要するに僕が瞑想するのは「説明不能なものを知覚したいから」なのである。

    「TM」を再開して以降、僕はある種の「気持ちよさ」を感じられるから、そして単純に「おもしろい」と思うから瞑想を続けている。その「おもしろさ」とは、瞑想中の意識の不思議な味わいだ。覚醒しながら夢を見ているような状態で、要するに寝ぼけてるだけなのだが、そこには非日常的な不思議な感じが確かにあって、「自分の“意識”を使って遊んでいる」ような特別な楽しさがある。瞑想でそういう状態になった後は(そうした状態にまったく入れない場合も多い)、20分しか経過していないにもかかわらず、数時間もぐっすり眠った後のような爽快感が得られる。

     で、僕としてはまだ「その先」があるんじゃないかと期待していたらしいのである。続けていれば、なにかもっと「おもしろいこと」が起こるのではないか? あの「チェッキング」中の音は、「その先」の不思議にまつわるものではないのか?

    崩壊した僕の「瞑想観」

     それで僕は、大谷さんに二度目に会ったときに上記のような「瞑想中に起こる不思議なこと」について、あれこれとたずねてみた。彼女の回答は、僕の幼稚なオカルト志向に基づく「瞑想観」を見事に全否定するものであると同時に、非常にロジカルに「TM」の本質を伝えてくれるものだった。これがぼくにとっては「大発見!」だったのである。

     瞑想中、何かが見えたり、聞こえたり、あるいは何かが起こったりすることがあっても、それらは瞑想によってストレスが解消されるときに感じられる幻のようなもの(「抑圧が夢となって昇華される」というフロイトの論に近いのだろう)に過ぎないか、もしくは瞑想とは全く関係のないもの、という判断である。非常に明快だ。

     たとえば「瞑想中に何か素晴らしいアイデアを思いついた」、あるいは「なんらかの重要な『啓示』を受けた」という話もよく聞く。しかし、それに従って現実の行動を起こすのはあまりに危険。完全に覚醒した頭で充分に再検討することが必要になる、ということなのだろう。当然といえば当然だが、僕のようなタイプが「啓示」を受ければ、大はしゃぎしながら即座に実行しかねない。

    「『TM』は日常生活を楽しむため、日常の活動のための瞑想です。瞑想中の体験に意味があるのではなく、瞑想を終え、日々の活動をはじめたときに効果が実感できるものです」

     元オカルト少年の浅薄な「瞑想観」は見事に崩壊した(笑)。いや、この極めて常識的・現実的な「瞑想観」は、健康やストレス解消のために瞑想に取り組む多くの人々にとっては、ごく当たり前のものなのだろう。しかし、子どもじみた「不思議」と「非日常」への期待のみで瞑想してきた僕には、瞑想の「果実」がその内側ではなく、外側の「生活」にこそある、という発想はまったく意外だったのだ。瞑想は「日常生活」とは無縁なものだと思っていた。むしろ「日常生活」から遠く離れるためのものだと思っていたのである。我ながらつくづくボンクラである。

     しかし、それで「な~んだ」と思って「TM」がつまらなくなったかというとまったくそんなことはなく、今もせっせと日に2回の瞑想を続けている。やはり「気持ちいい」し、「おもしろい」のだ。そして上記の「発見」を経て、面白半分の妙な好奇心ではなく、より現実的でまっとうな姿勢で瞑想に向かい合えるようになったとも思う。

    ……とはいえ、あれだけ明確に正統な「瞑想観」を伝授されたにもかかわらず、「続けていれば、いつか“何か”あるかも……」というボンクラな好奇心が、相変わらず今も心のどこかにちょっぴり残っているような気もするのである。

    初見健一

    昭和レトロ系ライター。東京都渋谷区生まれ。主著は『まだある。』『ぼくらの昭和オカルト大百科』『昭和こども図書館』『昭和こどもゴールデン映画劇場』(大空出版)、『昭和ちびっこ怪奇画報』『未来画報』(青幻舎)など。

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