予知夢を見分け、背後霊と交流する方法がある! 実践「夢見入門」/不二龍彦

文=不二龍彦

    われわれが夜ごとに見る夢の大半は、記憶の整理にともなうものか、身体の状況を反映するものだ。しかし、ごくまれに霊的な意味を持った「霊夢」または「予知夢」を見ることがある。それらは、個人を守護する背後霊が、どうしても本人に知らせねばならないと判断したメッセージであるという。 夢を30年以上にわたって研究してきた不二龍彦氏に、予知夢とそうでない夢の見分け方や、予知夢を見るための心得を伝授していただく。

    予知夢の大半は背後霊が見せている

     本稿では、まず「霊夢」や「予知夢(正夢)」と呼ばれる夢について解説し、そのような夢とごく普通の夢との見分け方について述べ、さらには霊夢の見方を紹介していきます。
     霊夢とは何かということに関しては、心霊科学の分野でも諸説があって、まだ明確な定義づけはなされていません。本稿はこの問題を論じるための記事ではないので、霊夢の辞書的・古典的な定義である「神仏のお告げのある不可思議な夢」(『日本国語大辞典』)という定義を軸に、以下、霊夢を概説していくことにします。
     心霊科学協会理事長だった吉田正一氏は、霊夢(夢知らせ)は「霊視現象」だとしたうえで、①「客観的霊視」と、②「観念的霊視」に大別しています。
     ①の客観的霊視は、実際に近未来に起こる現象を、ありのままの姿でリアルに見るタイプの夢(霊視)です。この種の夢は、解釈の必要がありません。夢で見ている状景、伝えられるメッセージが、そのまま近未来の状景になっているからです。ただし、客観的霊視に属する夢はまれで、例はさほど多くはありません。霊夢の大半は、②の観念的霊視に属しているのです。
     そのメカニズムを、吉田氏はこう説明しています。

    「背後霊がその視覚観念を霊視能力者(霊夢を見ている者)に印象することによって、その霊視能力者の心の裡だけで視覚観念が展開する場合をいうので、これを印象的霊視または主観的霊視ともいう」

     表現が硬くてわかりづらいのですが、要するにその人と関係している背後の霊、もしくは自分自身の霊が、何らかのイメージや、声・文字・数字などによるメッセージを、眠っている者の表層的な意識に印象づけるということです。イメージ化した思念を送ってくると考えてもよいでしょう。
     その念を受け取る者のことを、吉田氏は「霊視能力者」と書いていますが、たいがいの人は、眠っているときには霊視能力者になっています。ですから、この霊視能力者は、眠っている人のことと考えていただいてけっこうです。
     背後霊についても註釈が必要です。背後霊は、神や仏の姿をとるときもあれば、老人、仙人、童子、天女、祖先霊、師、龍などの姿をとることもあります。その実体が何であるかはまったくケースバイケースで、これこれと明示することは不可能ですが、最も広い意味での守護霊・背後霊としておけば、まず大過はないでしょう。ただし、マイナスの思いを抱いてまとわりつく死霊や障害霊のケースもあるので注意が必要です。
     そうした霊的な存在が、何かを伝えるために、睡眠中の人にメッセージ性を帯びたイメージを強烈な印象とともに伝えてくることを「夢知らせ」といい、古人はこれを「神仏のお告げのある不可思議な夢」と解釈してきたのです。
     また、霊的な存在ではなく、生きている人間がメッセージを伝えるケースもたまにあります。とくにそのケースが多く見られるのは、死や危機的状況にかかわる夢で、俗にいう「虫の知らせ」がこれにあたります。
     ほか、生きている者が怨念のかたまりとなって暗い想念を送りつけ、それに感応して見せられる夢もあります。生き霊にかかわる夢がその典型で、悪夢として印象づけられます。

    観念的霊視の夢は解釈が必要になる

     客観的霊視の夢も、観念的霊視の夢も、広義の霊夢に属しますが、夢解きという観点から見ると、両者には非常に大きな違いがあります。解釈が必要か不要かという点が、根本的に違うのです。
     先に書いたとおり、①は近未来に起こるだろう情景をそのままリアルに見るので、解釈という作業を必要としません。見たままがすべてです。けれども②は、そうではありません。こちらは近未来の情景そのものではなく、近未来を何らかの象徴的なモノや人や動植物、あるいは色彩や数や文字など、ほかの何か(この「何か」の素材は、主に夢を見ている人の無意識の中にある記憶や感情から取り出されます)によって描き出しているので、それが意味するものが何なのかを解いていかないかぎり、夢のメッセージをつかむことは困難なのです。
     たとえば、だれかが事故にあう夢を見たとしましょう。それが①の客観的霊視による夢ならば、見たとおりの人物が、見たとおりの事故にあうことになり、解釈をさしはさむ余地はありません。いわゆる「正夢」というのが、これに当たります。
     けれども、同じ夢が②の観念的霊視に属する夢なら、夢に出てきただれかは、その人以外の人物を表している可能性もあれば、自分自身を指している可能性もあります。また、事故も、見たとおりの事故を意味するのではなく、予想外の何らかのアクシデント、突発的な病気、妨害、挫折など、ほかの何かをシンボリックに表したものとして解釈を進めなければなりません。つまり②は、必ず解釈を必要とするのです。
     これらは一般にテレパシー(精神感応)による夢と呼ばれます。テレパシーによってさまざまなイメージを送る現象が生じることは、心霊科学における物理霊媒の実験の数々で実証されています。もちろん言葉も送られます。典型的なのは「助けて」というSOSの想念です。
     一般に、われわれが夢で何を見せられるか、何を伝えられるかは、夜ごとに異なります。体調、心理状態、仕事の状況、食事など、さまざまな要素によって夢の内容も変化するので、一般化することは不可能です。しかし、霊夢の場合には、はっきりとした傾向があります。緊急を要すること、気づいてもらわなければならないこと、その時点で注意や警告しておかねばならないことが、最も多く霊夢となっています。
     その実例を、次でひとつ挙げておきましょう。

    予知夢によって命を救われた北条一族の当主・義時

     鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』には、興味深い事例が記されています。
    鎌倉幕府は、源頼朝(みなもよのよりとも)が開いた初の本格的な武家政権ですが、開幕者である源氏の血統は3代将軍・実朝(さねとも)で途絶えます。

    甥(おい)の公暁(くぎょう)に殺害された鎌倉幕府第3代将軍・源実朝(みなもとのさねとも)(『本朝名将鏡』より)。

     この源氏に仕えたのが北条氏で、初代将軍・頼朝の妻の政子も、北条一族の出身です。建保6年(1218)7月9日夜、幕府筆頭の重臣で北条一族の当主である義時(政子の弟)が、夢を見ました。
     彼は日ごろから薬師如来を厚く信仰していたのですが、その薬師如来の眷属である薬師十二神将のうちの戌(いぬ)神将が夢に現れ、「今年の神拝は無事。明年の拝賀の日、供奉(ぐぶ)せしめたもうなかれ」と告げたというのです。
     戌神将のいう供奉とは、将軍実朝による鶴岡(つるがおか)八幡宮の参拝を指しています。鶴岡八幡宮は源氏の氏神ですから、将軍の参拝は必須の行事です。義時は家臣の務めとして実朝に供奉していたのですが、戌神将は、「来年は実朝に供奉してはいけない」と告げたのです。
     信仰する神将のお告げだけに、義時は大いに気になったに違いありませんが、『吾妻鏡』は小説ではなく史書なので、義時の心理描写はありません。
    さて、年が明けて建保7年になりました。『吾妻鏡』の正月25日の条に、ふたたび気になる夢の話が出てきます。
     正月25日、源頼茂という家臣が、鶴岡八幡宮に参籠(さんろう)して拝殿で神事作法を行っていたのですが、その最中にふと眠りに落ち、夢を見ました。目の前に一羽の鳩がおり、その脇にひとりの小童(こわらわ)がいます。小童は杖を取り出して鳩を打ち殺すと、こんどは頼茂に打ちかかってきて、狩衣(かりぎぬ)の袖を打った──という夢でした。しかもこの夢を見た翌朝、境内の庭に鳩の死骸が転がっていたというのです。
    鳩は八幡宮の神使で、源氏の守り神の一種です。その鳩が殺される夢を見、翌朝、その死骸まで出たのですから、これは不吉な夢に違いありません。幕府お抱えの陰陽師の安倍泰貞(やすさだ)や宣賢(のぶかた)が、不吉な夢だと占ったことが『吾妻鏡』に出ています。

    急に体調を崩して難をまぬかれる

     それから2日後の1月27日、実朝による八幡宮参拝の日がやってきました。前年、夢の戌神将が義時に「供奉してはならない」と警告を発した参拝です。とはいえ、特段の理由もないのに供奉しないなどということができるわけはありません。当然、義時も将軍に付き従って八幡宮に向かったのですが、お宮の楼門に入るところで、不思議な行動に出ました。原文はこうです。
    「俄(にわか)に心神に御違例(おんいれい)の事有り。御剣(みつるぎ)を仲章朝臣(なかあきらあそん)に譲り、退去し給う」
    急に具合いが悪くなったので、自分が捧げ持っていた将軍実朝の御剣を源仲章に託し、義時がその場から退去したというのです。
     その後、歴史上有名な実朝暗殺が、実朝の甥で鶴岡八幡宮の別当だった公暁(くぎょう)によって行われ、実朝の首が持ち去られます。しかもこのとき、義時から御剣を託された仲章も、公暁によって斬り殺されるのです。

     義時の具合いが急に悪くなったというのが事実かどうかは不明です。そのあたりのことは、何も記されていません。あるいは、前年の戌神将の警告が頭にあり、このような行動に出た可能性もあります。自分が捧持していた御剣を渡した源仲章が、公暁に殺されているのですから、もし義時がそのまま実朝につき従っていたなら、仲章の運命は義時の運命となっていたかもしれません。『吾妻鏡』の記事が事実なら、義時はまぎれもない予知夢を見、その警告に従うことで難をまぬかれたのです。

    実朝殺害の現場を描いた、月岡芳年による浮世絵。左側から公暁が斬りかかっている。

    その人の信仰に応じて背後霊が姿を変える

     この夢に現れた戌神将が、薬師十二神将中の戌神将そのものだったかどうかは、わかりません。夢に現れて警告を発する者の姿は、その人の信仰などに応じてつくられるので、神と見え、仏と見え、あるいは仙人、天女、女神と見えても、実体はまったく別の霊的存在の可能性が高いからです。
    古代においては神仏の姿で現れることが多いのですが、現代のケースを調べると、先祖のだれかの姿をとることが多いようです。もちろん、神仏の姿で出ることもあります。守護霊や背後霊などの霊的存在がいかなる姿をとるかは、夢見者が警告と受け取ってくれる可能性の高い姿、目覚めた後も鮮烈な印象となって記憶に刻印される姿を選ぶことが多いようです。
     ただし、メッセージの内容によって選ばれる姿もあります。たとえば火事の危険を知らせるために消防士の姿でビジョンを見せたり、病気を知らせるために医師の姿で見せるなどのケースは、よく見かけられます。

    予知夢の特徴は鮮烈でリアルなこと

     雑夢と呼ばれる一般的な夢と霊夢には、どのような違いがあるかは重要な問題です。最も重要な指標は、夢の鮮烈さ、リアルさです。いくつかの特徴を挙げてみましょう。
    ①強烈な印象が残る
     雑夢の場合は、起きてほんの数分、長くとも数十分のうちにほぼ忘れてしまいますが、霊夢は強烈な印象を夢見者に刻印するため、目覚め後も頭にこびりついて、雑夢ほど簡単には忘れられません。
    ②胸騒ぎや発汗をともなう
     また、しばしば強烈な胸騒ぎをともないます。大量の発汗や動悸など、いつもの目覚めのときとは明らかに異なる肉体的な変調を訴える報告者も少なくありません。
    ③筋立てがシンプルである
     霊夢の筋は、おおむねシンプルです。なかには非常に複雑な筋をたどるものもあるので断言はできませんが、霊夢の多くはシンプルな筋で、夢のメッセージがストレートに描かれる傾向があります。
    ④夜に見るとは限らない
     霊夢を見やすい時間帯といったものはありません。いつでも見る可能性があります。ただ、疲労困憊(こんぱい)して泥のように眠っているとき、突然激しいショックを受けて目覚めさせられるような夢の中に、比較的多く霊夢が含まれています。
     多くの霊夢は何らかの緊急メッセージを伝えるためのものなので、肉体がいかに疲れきっていても、それとは無関係に、いわば力づくでメッセージを送りつけてくるのです。
     霊夢を見せるために、背後霊が夢見者を強引に眠らせるケースもよくあります。気づいたらうたたねをしていたとか、急に頭痛がして横になったところ霊夢を見たというケースや、いつもなら眠くなるはずのない時刻なのに、なぜかひどい睡魔に襲われて寝るといったケースもあります。こうした状況で強烈な印象の夢を見たら、その夢は霊夢である可能性が高いので、とくに注意を払う必要があります。
    ⑤夢が短時間である
     霊夢を見ている時間はごく短時間です。起きているときの時間感覚ではわずか数秒、ないし数十秒という短時間でも、しっかりとした筋立ての霊夢を見ます。夢における時間の流れは、目覚めているときのそれとは根本的に異なっており、ほんの瞬時のうたたねでも、かなり複雑な霊夢を見ることがいくらでも可能なのです。

    ジョン・シモンズによる『夏の夜の夢』(1873年)。妖精たちが遊び戯れる、幻想的な世界が描かれている。

    予知夢を見るには背後霊に願うとよい

     予知夢は必要に応じて見るものなので、見たいからといって見ることのできるものではありません。ただ、どうしても心に引っかかることがあり、これからどうなるのか、どう行動すればよいのかなどを背後霊に尋ねたいときは、眠る前に、祖霊や神仏などに、願いの筋をしっかり祈って就寝するのがよい方法です。筆者も、どうしても夢に尋ねたいときは、眠る前に「しかじかのことを、どうか夢でお示しください」と守護霊に祈り、自分自身に対しても、今晩必ずしかじかの夢を見ると強くいい聞かせます。
     いつも答えが得られるというわけにはいきませんが、この方法でアドバイスを得た経験は何度もあります。眠っている間、人は霊界や幽界に出入りするので、これは非常に有効な方法なのです。
     霊能者のルース・ウェルチは、意識的に幽体離脱を行う方法のひとつとして、「睡眠直前に潜在意識に命令する」という方法を述べていますが、この方法も、夢でアドバイスを得るテクニックのひとつです。彼はこう書いています。
    「起床時刻を命令するのと同じようにやればよい。すなわち、床に入ってから睡眠中に訪ねたい場所を定めて、そこへ行ってこれこれのことを調べるように、と声に出して自分にいいつける。さらにつけ加えて、そのことを朝起きたらすぐに知らせるように、といいつける。バカげているようで、実はこのやり方で成功した人は意外に多い」

     これは霊夢を見るために、意外と多くの人が実践している方法です。覚醒夢といって、睡眠中も意識がしっかりと保持されている特殊な夢が存在しますが、ウェルチの方法は覚醒夢を見る訓練としても有効です。
     なお、先に眠る前に祖霊や神仏に祈るということを書きましたが、祈る対象は、自分と深くつながっている霊や神仏である必要があります。夢でメッセージを伝える先祖霊などには、何らかの役割があります。喜ばしいメッセージを伝えるときに出てくる霊もあれば、病気の知らせになると必ず出てくる霊もあるといった具合いで、この霊が出てきたら何に関するお告げか、おおまかな見当がつくということを、霊夢をよく見る人は経験で知っているのです。また、特殊な例として、死んだペットがメッセンジャーになるケースもあります。
     もしこのような経験がまったくないなら、自分の守護霊に祈るか、日ごろから信仰している神仏に祈ってください。

     最後に、どうしても注意していただきたいことをひとつ書いておきます。それは「夢に淫してはならない」ということです。
    夢にのめりこんで思い悩んだり、日常生活のあれこれをつい夢に結びつけてしまい、結果として夢に縛られるような生活をしてしまう人がたまにいます。これは非常によくありません。背後の指導霊も、そんなことはまったく望んでいません。
     夢に淫するとは、夢の奴隷になることです。それは、何らかの新興宗教にのめりこんで自分の頭で考える作業をやめてしまい、教祖なり指導者のいうことがすべてだと信じて動く、哀れな被洗脳者の姿に似ています。
     そんな姿になるくらいなら、夢などすべて妄想だと切り捨て、忘れたほうがよほど人生にプラスです。夢は、顕在意識と潜在意識、自分と背後の諸霊との交流のフィールド以上のものではありません。潜在意識や背後霊が期待していることは、夢見者が自分で考え、その時点で気づいていない何かに気づいてもらうことです。そのために、われわれには夢を見るという能力が授けられているのです。
     この点だけは、頭に刻みこんでおいてください。

    「予知夢大全」(説話社)

    関連記事

    おすすめ記事