甲府事件の当事者・山畠克博のUFO体験! 天の存在に導かれたコンタクティの不思議写真を公開
現代日本で発生した最も有名な「第3種接近遭遇」のひとつ、甲府事件。50年の節目となる今年、当事者の口から語られた事件の「その後」と、たどりついた使命とは?
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73歳という晩年にUFOと遭遇し、月や金星を旅した男がいた。突拍子もない体験談を通じ、彼は何を訴え、いかに愛されたか。
アポロ11号の船長ニール・アームストロングが人類として初めて月面を歩いた1年前に、月に到達していたという人物がいるのをご存知だろうか?
ジョン・フランク・リーブスという男は1968年、73歳のときに月面に降り立った、という。親しい宇宙人のUFOに乗せられた彼は月の裏側に着陸し、月面に存在する宇宙人が建造した透明で巨大なドームの中で、半袖シャツのまま快適に過ごしたと証言した。彼は月の石なども持ち帰り、後に自宅の敷地にUFOのモニュメントを建造。宇宙人との遭遇後には若返ったともいう。
まるでUFO遭遇話のごった煮とも言える、実に興味を惹かれるジョン・リーブスの人生とは、一体どういうものだったのだろうか?
寒いアメリカ北部で生まれ、製鉄所の作業員や商船員として生計を立てていたリーブスは、暖かいフロリダ中央部で引退生活を送るべく、1961年に66歳で妻と子供と共にニューヨークからブルックスビルに移住した。小さな家を購入し、トレーラーハウス向けの駐車場を経営していたようだが、数年後には妻はニューヨークに戻り、息子は海軍に入隊。それ以来、リーブスは一人暮らしをしていた。
高い教育は受けていないものの、素朴で正直な人物だと記録されている。そんな彼は家の裏にある砂地の丘陵地帯をのんびりと散歩するのが好きだった。
1965年3月2日の午後、彼は低木林でヘビ狩りをしていたとき、初めて宇宙から来た存在と遭遇した。
リーブスは林を歩いていた時、丘の頂上に巨大なUFOが着陸しているのに気づいた。それは赤紫と青みがかった緑色をしており、高さは6フィート(約1.8メートル)、直径は30フィート(約9メートル)ほどあったという。
彼はUFOから30メートルほどの距離まで近寄った。そのとき、UFOの側で何かが動いているのに気づいた。リーブスの方へ向かってきたそれは、ガラスドームかヘルメットをかぶった”ロボット”であったと彼は言う。
そのロボットは実際には人間のような姿をしており、日焼けした顔を持ち身長は1.5メートルほどで、銀灰色のキャンバス生地に見える服を身にまとっていた。薄い白い手袋と、手足には金属のようなブーツを着用し、目は普通の人間よりも少し離れて耳に近く、キャップをかぶり、背中にはタンクのようなものを背負っていたという。
リーブスは「人間でないものはすべてロボットでなければならない」という独自の理論で、この存在を”ロボット”と呼ぶことにこだわった。
一分半ほどお互いを観察しあったが、しばらくするとロボットは直径15センチほどの球状の黒い物体を取り出した。その物体を顎の高さまで持ち上げると、2回、フラッシュのようなものが焚かれた。リーブスは恐ろしくなり逃げようとしたが、足を滑らせて転び、座り込んだ。ロボットは再び丸い物体を彼に向けてフラッシュした。リーブスは自分が写真を撮られているのだと思った。その後、彼が転んだときに落とした眼鏡を、ロボットはわざわざ拾い上げると、彼に返したという。
ロボットはUFOに戻って行き、下部から出たエスカレーターにも見えた階段からUFOの中に入っていった。その際に2枚の紙きれを地面に落とした。UFOはシューッという音とゴロゴロという音を響かせ、飛び立った。雲ひとつない空の中で、UFOは10秒も経たないうちに見えなくなった。
円盤が飛び去った後にリーブスが着陸地点を調べると、中国語のような文字で書かれた紙切れと奇妙なブーツの跡を発見した。
翌日、リーブスはセント・ピーターズバーグのラジオ局に出演し、自身の体験を語ったことで事件は公になった。その後、彼はマクディール空軍基地の調査官らと会い、彼らは現場でロボットのブーツの跡などを調査した。
リーブスは奇妙なメモを分析のために調査官に引き渡したが、後にメモが返却されたとき、それは軍によって偽物にすり替えられてしまったと主張している。
アメリカ空軍が1952年から1969年末までUFOを調査した『プロジェクト・ブルーブック』でも、この事件は取り上げられている。ざっくりとした説明はこうである。
「判読できない象形文字が書かれた2枚の紙がUFOの乗員によって落とされたと伝えられている。
これらの紙はウィスコンシン州アップルトンの製紙化学研究所によって分析された。この分析により、この紙は世界中で一般的な繊維で構成されていることが示された。繊維の組成はレンズペーパーやステンシル紙に使用されているものと一致する。
紙に書かれていた象形文字は単純な文字の置換によって解読され、アマチュアの手によるものであると判明した。解読された象形文字は次のようなものだ。
『火星。
あなたはもうすぐ家に帰りますか?
私たちはあなたがいなくてとても寂しい。
なぜ長い間離れていたのですか?』
他に明らかな意味がなかったため、空軍が2枚目のシートを解読するためにさらなる時間と費用を費やすことは現実的では無かった。
上記を踏まえ、空軍としては、いたずらを企てたのではないかと考えている。」
リーブスとスペース・ピープルの交流はその後も断続的に続き、1971までの間に、彼は「スペースピープル」と呼ぶ人々と何度も遭遇することになる。
1968年には別のUFOにも遭遇している。ある日、リーブスは森へ行きたいという強い衝動に駆られて目が覚めたという。彼は衝動を抑え、再び眠りについたが、その衝動は起きてからも続いた。午後3時に森へと向かうと、はたしてそこにはUFOが居た。乗組員は背が高くて細く、陶器のような肌をした、ほんの少し東洋人的な美しいヒューマノイドだった。彼らは、地球人が金星として知っている惑星モニヘヤから来たとリーブスに告げた。そして着陸していたUFO内へと導かれ、なんと月へと連れて行かれたのだった。それは6時間にもわたる月の裏側への旅行だったという。
3次元テレビスクリーンを備え、計器の並んだUFOに乗せられ、月に降り立った彼は、前述のようにシャツ一枚で月面を楽しんだ。これは月や火星に人工物があると主張しベストセラーを生んだリチャード・ホーグランドが出てくるずっと前の話だ。後に、彼は科学者たちにこの旅について話した際、月面から見えた地球は丸いというよりは卵形に近い形をしており、月には薄い雲が見えるとも語った。
リーブスは地球に帰る前に月面の砂をひと掴みすくい上げ、それを薬瓶に入れ、大きな月の石 (一説によれば石英) と共に持ち帰った。
しかしリーブスは、この月からのお土産を米軍に見せることはなかった。宇宙人のメモと同じように没収されるのではないかと心配していたからだ。
また、次にモニヘヤ (金星) を訪れた際には、2つの太陽、ネッシーが泳ぐピンク色の海、青い雨などモニヘヤの自然の驚異を堪能した。
滞在中、宇宙人たちは彼にモニヘヤの公式旗を贈ったが、リーブスは貴重な月の砂と同じようにその旗も貸金庫にしまい、ごくまれに地球の友人たちにのみ見せることにした。ただし、彼はその旗のレプリカを作り、訪問者が鑑賞できるように自宅の壁に掛けていた。
リーブスはブルックスビルの宇宙飛行士として知られるようになった。それからの彼は度々、地元のショッピングモールでUFOの写真や新聞の切り抜きを展示したりもしていたようだ。知人によると、宇宙人との遭遇後、彼の白髪が減り、若返ったように見えたという。
リーブスは心優しい人物として評判で、長年トレーラーパークを経営し、貧困に苦しむ住人に食事を与えたり、家賃を免除したりもしていた。彼は宇宙人の友人たちへの記念碑として、自宅の前庭にモニヘア製UFOの実物大模型を建てた。そこには次のような説明文が掲げられていた。
「ジョン・リーブスを地球から何百万マイルも離れた惑星モニヘヤへ運んだUFOは、1968年10月5日、ここに着陸した」
コンタクティーの多くがそうであるように、彼のその後も少し切ない。記念碑の破壊行為に悩まされ、さらに税金の滞納もあったというリーブスは、1980年には州に資産を売却せざるをえなかった。フロリダ州は彼の家とUFO記念碑を破壊した。貧困者を救ったトレーラーパークを経営していた彼自身が、ブルックスビルの脇道にあるトレーラーハウスに住むことになった。
だが彼は前向きだったようだ。彼は古いスーツケースに自身の載った新聞の切り抜きを保管しており、見たい人がいればいつでもそれを見せた。古びた彼の本には、UFO記念碑を見に来た人々のサインが載っており、その中にはレッド・ツェッペリンのジミー・ペイジやパット・ブーン、チューズデイ・ウェルドなどの有名人も多くいた。
ジョン・リーブスは亡くなってしまったが、彼の体験談は今でも人を惹きつけており、海外のインターネット掲示板では多くのコメントが付いている。殆どが肯定的な意見で、リーブスを懐かしむ声が非常に多い。例えばこんな具合だ。
「リーブスさんはとても親切でオープンで、自分の話を本当に信じているようでした」
驚くべきことに、生前の彼を知る人たちも沢山のコメントを残しているのだ。彼の証言に対して否定的であれ肯定的であれ、例外なく彼の人柄がとても良かったと記している。私の持論では、宇宙人との遭遇には、その人物の性格や思想が大きく影響する。わかりやすく言えば、遭遇者が融和的な思想の持ち主であれば、友好的な宇宙人と遭遇する。パーソナルな問題を抱えていたり、排外的な人物であれば、宇宙人も敵対的、あるいは粗暴ともいえる振る舞いをする可能性が高いのだ。彼が遭遇したロボットもモニヘヤの住人も、リーブスに対して親切だった。彼の人柄ゆえなのだろう。
かつてリーブスが住んでいた場所は 現在、大きなショッピングモールになっており、当時の面影は無い。だが近隣にあるMarker48Brewingというクラフトビール醸造所では、地元の伝説であるリーブスに敬意を評し、彼の名を冠した『ジョン・リーブス・インシデントビール』を毎年、販売しており、UFOパーティーも開いているという。実にアメリカ的で羨ましい話だ。私もビールを飲みながら彼について思いを馳せ、いつかはモニヘヤの住人と遭遇したいものである。
<参照>
https://thenightskyii.org/reeves.html
https://www.infinityexplorers.com/brooksville-alien-encounter-john-reeves
https://ufoexperiences.blogspot.com/2007/03/john-reeves.html?m=1
https://share.google/FY2d3S6AbmdYsZan0
https://www.floridabeernews.com/marker-48-brewing-john-reeves-incident/
https://chasingufosblog.com/2020/03/30/john-reeves-meets-the-tight-fitting-jump-suited-vixens-from-moniheya/
オオタケン
イーグルリバー事件のパンケーキを自作したこともあるユーフォロジスト。2005年に発足したUFOサークル「Spファイル友の会」が年一回発行している同人誌『UFO手帖』の寄稿者。
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