菱形UFOとの遭遇で不可解な健康被害を発症!「キャッシュ・ランドラム事件」の基礎知識

文=羽仁礼

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    毎回、「ムー」的な視点から、世界中にあふれる不可思議な事象や謎めいた事件を振り返っていくムーペディア。 今回は、謎の飛行物体に遭遇した目撃者が、長期にわたり健康被害を受けたという奇妙なUFO事件を取りあげる。

    凄まじい熱気を放つ謎の飛行物体に遭遇!

     1980年12月29日夜、アメリカ・テキサス州で、世にも奇妙なUFO事件が発生した。
     UFOに遭遇したのは、テキサス州デイトンで食糧品雑貨店とレストランを経営していたベティ・キャッシュ、店の従業員ヴィッキー・ランドラム、そしてヴィッキーの孫、コルビー・ランドラムの3人で、事件は目撃者の名をとって「キャッシュ・ランドラム事件」と呼ばれている。

    1980年12月29日、アメリカ・テキサス州で謎の飛行物体を目撃したベティ・キャッシュ(右)、ヴィッキー・ランドラム(左)と孫のコルビー・ランドラム(中央)。

     この夜、3人はヒューストン郊外にあるレストランでビンゴ大会に参加した後、キャッシュが運転するオールズモビル・カトラスで家路についていた。楽しい夜のイベントを過ごした彼らが車に乗り込んだときには、あのような恐ろしい体験に遭遇し、その後の人生を大きく狂わされるとは夢にも思っていなかったろう。
     午後9時ごろ、キャッシュらの車は、ヒューストンの北東約50キロに位置するハフマン付近にさしかかった。道路は松林に囲まれた2車線の田舎道だった。コルビーがふと進行方向の松の木の上に明るく輝くものを見つけた。
     ヒューストンには国際空港もあるから、キャッシュはそれを空港に向かう飛行機の光と考え、気にもとめずに走りつづけた。
     ところが数分後、カーブを曲がったところで、光る物体が真正面に現れた。それは、目もくらむばかりに輝く、縦に長い菱形の物体で、先ほどより近くにあり、一層輝いて見えた。物体の発する光で、周囲が真昼のような明るさになっていたほどだ。
     キャッシュは方向転換して引き返そうとも考えたが、道幅が非常に狭いうえに、午後に降った雨で路肩がぬかるんでいたため、車がタイヤをとられる恐れがあったので断念した。
     一方、信心深いヴィッキーは、初めのうちはこの物体をイエスの再臨の兆しではないかと思った。
     物体から50メートルほどに近づくと、あたりは車が燃えるのではないかと思えるほどの熱気になっており、キャッシュは急ブレーキを踏んで車を停止させ、3人ともいっせいに車から飛びだした。
     南部のテキサスといえど、12月末の真冬である。この日の外気温は摂氏5度程度しかなかったが、車の外に出た3人は、汗が噴きだすほどの凄まじい熱気に襲われ、むき出しの顔や手が焼かれるように感じた。

    光るUFOに遭遇した場所で、当時の状況を説明するヴィッキー・ランドラム(右)。

    明るく輝く菱形の物体を取り囲む軍用ヘリの出現

     コルビーはいったん祖母と一緒に車外に出たものの、すっかり怯えてしまい、泣き叫びはじめたので、ヴィッキーは孫をなだめながら一緒に車内へ逃げ込んだ。
     キャッシュのほうは奇妙な光景に見入られたように、車のドアの脇に立ち、屋根に片手を置きながら、しばらく車外に残って観察を続けた。
     その物体は非常に明るく、大きさは縦30メートル、横15メートルほどの細長い菱形をしていたが、頂点と底部は切り取られたように平らになっており、中央部には小さな青い明かりが取り巻いていた。
     物体はピー、ピーという奇妙な音を規則的に発しながら、上下に動いていた。地上から8メートル程度の高さまで下降するたびに、下部から炎を吹きだして上昇し、炎が消えると再び下降するという不可解な動きを繰り返していたのだ。

    目撃証言とスケッチから再現された菱形UFOのイメージ。下部から一定の間隔で炎を噴出し、上下に動いていたという。
    ヴィッキーとコルビーの目撃証言にもとづいて描かれたUFOのスケッチ。

     何度かこのような上下動をした後、物体は木の梢よりずっと高く上昇した。そのとき、どこからともなく多数のヘリコプターが現れて、物体を取り囲んだ。
     ヘリコプターの多くは、世界中の軍隊で使用されるツインローター式のCH-47チヌークらしく思われた。目撃者たちは全部で23機のヘリを数えた。
     10分ほどして、外にいたキャッシュは車内に戻ろうとしたが、ドアの把手が火傷しそうになるほど熱くなっていたので、着ていたコートの端で手を包んでドアを開けた。
     車内の温度も異常な高温になっており、ヴィッキーが何気なくダッシュボードをつかむと、ぐにゃりとへこんでしまうほどだった。キャッシュは急いでエアコンのスイッチを入れた。
     およそ15分後に物体は上昇し、南西のヒューストン方向に飛び去ったので、一行は気を取り直して自宅へ急いだ。

    目撃者らは、CH-47チヌークらしき軍用ヘリが複数現れ、菱形UFOを誘導するように飛び去ったと証言している。

    目撃者たちを襲った不可解な健康被害

     キャッシュは午後9時50分ごろ、ヴィッキーとコルビーを彼らの家に送り届けた。そこから自宅に戻る途中、キャッシュを異変が襲った。激しい頭痛に見舞われ、身体がほてり、吐き気を感じたのだ。
     自宅に戻り、鏡を見てみると、頭や顔、首筋がひどい日焼けになっていた。嘔吐と下痢が一晩中続き、身体のあちこちに腫れ物ができた。特に目の周囲がひどく、ものを見るのも困難になり、頭髪も束になって抜けてしまった。
     ヴィッキーとコルビーにも同様の症状が現れた。ふたりともひどく日焼けしており、胃痛や下痢といった身体の不調に悩まされた。ヴィッキーの片目からは絶えず涙が流れだし、頭髪も抜けて、頭皮にしびれを感じた。コルビーも事件後の3週間、胃痛と下痢を訴え、しばらくは紙おむつを当てたまま寝たきりになってしまった。
     そして、キャッシュの症状がもっとも深刻だった。折悪しく年末だったため、病院がどこも開いていなかったので、キャッシュは12月31日にランドラム家に運び込まれ、面倒をみてもらうことになった。そのときの彼女は脱水状態に陥り、意識ももうろうとなっていた。
     1月3日になってようやくヒューストンのパークウェイ病院に入院できたキャッシュは、自分で歩くこともできず、皮膚や頭髪が抜け落ちてしまっていた。
     そのまま12日間入院し、いったん退院したものの、再び15日間入院することになった。その後も入退院を繰り返す生活になり、仕事も辞めざるを得なくなったため、アラバマ州の実家に身を寄せて過ごしていた。そして、1983年には乳がんを発症し、手術を受けた。
     ヴィッキーの胃痛や下痢は2〜3週間で治まったが、その後白内障を患っていると診断され、右腕全体と左手の甲には、治ることのない火傷の痕が残った。
     コルビーも顔面の腫れや火傷の症状が何か月も残り、視力も低下、周期的に全身に腫れ物や湿疹ができるようになった。

    無残に頭髪が抜け落ちたキャッシュの頭部。彼女は3人の中でもっとも深刻な健康被害に遭ってしまった。
    腕と手の甲にまるで被曝したかのようなひどい火傷を負ったヴィッキー。
    UFO目撃事件は話題となり、新聞には目撃者らの健康被害の様子も写真入りで報じられた。
    事件の詳細をまとめた書籍の表紙。

     そんな3人を診察した医師は、その症状が放射線障害に似ていることに気づいた。
     キャッシュら3人は、自分たちが健康被害を受けた遭遇事件には、軍が何らかの関与をしているものと考えた。なにしろ彼らが見た、あれほどの数のヘリを保有する機関は、アメリカでも軍隊以外に考えられなかったからだ。
     そこで、軍をはじめとする政府機関に照会し、地元選出の上院議員にも相談したうえで、1981年8月には、テキサス州オースチンにあるバーグストロム空軍基地の担当者とも面談した。
     しかし、軍の関与を否定されたため、3人は連邦政府を相手取って200万ドルの損害賠償を求めた。
     被告となったアメリカ政府は、どの機関も目撃されたようなUFOは所持せず、また事件当日、軍は報告されているようなヘリコプターは操縦していなかったと主張した。結局、この政府側の陳述が認められ、1986年8月21日、裁判所は3人の訴えを却下した。
     その後、キャッシュは1998年、そしてヴィッキーも2007年に、元の健康を取り戻すことなく世を去った。

    目撃現場で調査に立ち合う目撃者3人。彼らはアメリカ政府を相手取り、200万ドルの損害賠償を求める訴訟を起こしたが、訴えは却下されてしまった。

    軍の関与があったのか?事件に残された多くの謎

     それにしても、3人が目撃した物体はいったい何だったのだろう。キャッシュの車に残されたダッシュボードのへこみや、3人の健康状態が突然悪化したことから、何か異常な事態が起きたことは間違いない。他方、それ以上の物的証拠が確認されていないことも事実だ。
     軍の関与については、1982年になって、アメリカ陸軍監察総監部のジョージ・サラン中佐が徹底した調査を行った。ところがその結果、目撃された一群のヘリが軍に所属する可能性すら発見できなかった。
     一方、事件当日には、キャッシュらのほかにも、奇妙な飛行物体やヘリの目撃報告が寄せられている。
     たとえばジェリー・マクドナルドという人物は、自宅の裏庭で、2機の輝く菱形の巨大なUFOを目撃したと述べている。
     デイトン近郊に住むヘリー・マギーも強烈な光を放つ飛行物体を目撃したといい、デイトンの警官ラマー・ウォーカーズ夫妻も、同じ日の夜、事件が起きたとされる地域でチヌーク12機を見たと述べている。
     もしかしたら、観察総監部所属のサラン中佐でさえあずかり知らない、より上層部の極秘任務でも行われていたのだろうか。あるいは、これらのヘリやUFOは、アメリカ軍以外の何者かが飛ばしていたのだろうか。それとも、3人が目撃したものは、ヘリコプターに似てはいるが、何か別の飛行物体だったのかもしれない。
     さらに、3人の症状が放射線障害によるものとする意見にも、一部で異論が出されている。
     というのは、皮膚に火傷様の症状ができるほど強力な放射線を浴びれば、被曝者は短時間で死亡してしまうはずであるが、もっとも重症であったキャッシュでも、事件後18年も生き延びているのだ。
     1983年、テキサス州の保健当局の担当者が事件現場と覚しき付近を訪れ、放射線量の計測を行っている。
     事件当時、目撃者たちはかなりのパニックに陥っていたため、厳密には事件現場は特定できなかったのだが、担当者は証言をもとにそれらしき場所の周辺を調査したようだ。
     人体に火傷を引き起こすほどの激しい放射線が降り注いだとすれば、2年後になってもまだ痕跡が残っているはずだと考えて計測が行われたのだが、周辺地域の放射線量に目立った変化はなかった。
     そのため、3人の健康被害は放射線ではなく、何らかの化学物質によるものとする意見も出されたが、少なくとも3人が非常な高熱を浴びたことは、ダッシュボードの痕跡からも明らかである。
     ともあれ、キャッシュ・ランドラム事件は多くの謎を残す、今となっても未解明のUFO事件として記録されている。
     なお、1980年の年末、大西洋を越えたイギリスでも、ほぼ同じ時期にレンデルシャムの森でUFO遭遇事件が起きている。一部には、ふたつの事件で目撃されたのは同じUFOではないかという意見もあるようだ。

    1980年12月27日、イギリス・サフォーク州のレンデルシャムの森で、UFOが着陸するのを空軍の兵士らが目撃。その報告書が公開され、注目を集めた。
    レンデルシャムの森の中にあるUFOの着陸現場。現在はUFOの模型が置かれている(写真=アフロ)。

    ●参考資料=『未確認飛行物体UFO大全』(並木伸一郎著/学研)

    羽仁 礼

    ノンフィクション作家。中東、魔術、占星術などを中心に幅広く執筆。
    ASIOS(超常現象の懐疑的調査のための会)創設会員、一般社団法人 超常現象情報研究センター主任研究員。

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